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第二十四話 明かすとき(後編)

ようやく続きをお出し出来ます!

今回は史上最も、玲と友加が主人公とヒロインをしていると思います。私の大好きな二人の活躍を、ぜひ見届けてください!

 コツコツと、革靴の足音が近付いてくる。俺はゆるりと顔を上げ、その人物を見てやろうとした。ここへの来客は刑事しかありえない。鉄格子の隙間から覗くと、紺色のスーツがはためくのが見えた。


(れい)くん、だよね?」


 俺の目の前で、スーツの男が足を止める。穏やかな笑みをたたえながら、男は畳に座る俺を見下した。その顔に、俺は誰かの面影を感じる。この人ではない、この人に似た誰かを見たことがある。そんな気がした。


「生活安全課の(わたり)(みつぐ)です。君のことは(なぎさ)くんから聞いたよ」


 渡。その名字に、俺は思い当たる節があった。俺の研究者としての先輩にあたる、陣内(じんない)渚。彼の部下の一人に、渡献大(けんた)という人がいた。俺はその人に会ったことはないが、陣内から写真を見せてもらったことがある。


 俺が実験病棟に配属されるよりもずっと前に、献大は歩道橋の階段から突き落とされ重傷を負った。後遺症ばかりの身体で研究職を続けることは叶わず、みずから由命界(ゆうめいかい)総合病院を去ってしまった。そう、陣内から聞いていた。


「渡献大さんのご家族ですか? 俺は陣内先輩から、献大さんのことしか聞いていないのですが」


「ああ。それはごめんね。私は献大の兄。渚くんとは、弟のおかげで十年近くの付き合いになるかな」


「そうですか」


 俺は曖昧に返事をし、貢を下から睨み付けた。わざわざ、弟と陣内のことを話しに来たわけではないだろう。本来俺を担当するのは捜査一課なのだから、生活安全課が関わってくる理由もない。貢の目的が分からず、不審に思うしかなかった。


「その顔は、私の心を読もうとしているね。大丈夫。取って食ったりはしないよ」


「なら、何しに来たんですか? 俺は一課預かりだと思っていたんですけど」


 のんきに俺の警戒を躱した貢に軽く威嚇をする。俺は昔から、人の表情や目の動きから感情を読み取る癖がある。だから、こうして飄々とされるのは苦手だ。何を考えているのか分からないので、身構えてしまう。この癖を治したいと、何度思ったことか。


 だが、治してしまったらそれこそダメなのだ。ワーデンブルグ症候群によりときどき難聴が出る俺にとって、視覚情報は音よりも大切なものだ。人と円滑に付き合うためには、唇の動きから何を言っているのか、表情から心にどんな感情が芽生えたのか、それらを常に読み取らなければいけない。


 あの日、ハートラボで事故を起こしたときに肝に銘じた。人が何を伝えたいのか、そこから目を逸らしてはいけないと。あのとき俺が棚にぶつかる直前、その場にいた研究員は忠告してくれていた。ぶつかってはいけないと、教えてくれていた。だが俺はその厚意に気付かず、人を怪我させた。棚にぶつかった衝撃で上からガラス器具が落下し、一人の研究員が俺を庇ってガラスの下敷きになった。その人も義父も俺を責めなかったが、他の人からは何度も言われた。


 人の言葉をちゃんと聞け。


 俺は聞こえなかっただけだ。聞こうという意志はあったし、無視するつもりもなかった。ただ、聞こえなかったのだ。そう何度も訴えた結果、俺は病院で聴覚検査を受けることになり、そこでワーデンブルグ症候群だと判明した。


 その帰り道に、義父が言っていた。耳から情報を得られないなら、目から情報を得れば良いと。人間は感情を顔に出すことが多いから、それを見逃さないようにすれば良いと。そのアドバイスどおりに、俺は生きることにした。だから今、この手法が通用しない貢に焦っている。


「何をするつもりですか?」


 思わず、段階を踏むということを忘れ訊ねていた。そのくらい、俺はこの男に猜疑心をもっている。貢が俺に何をするのか何をさせるのか、それが分からないかぎり恐れしか抱けない。


「捜査一課の人たちが、由命界で面白いことをするらしい。どうかな? 一緒に行かない?」


「由命界で?」


「君の職場でね、安倍(あべ)くんたちが一斉に取り調べをする。関係者たちを集め、全員から情報を募る。君の同僚も家族も、そこに呼ばれた。気にならない?」


 貢が片眉を上げ、俺を挑発するように見た。この人は、俺の義父に似ている。穏やかでへりくだった雰囲気の裏に、他人を操ろうとする腹黒さをひめている。あの人と、同じだ。


 ようやく分かった。貢は俺を、由命界総合病院へと連れ出したい。陣内たち仕事仲間と、天王寺一家という俺の家族。両者をちらつかせ、俺を思いどおりに動かそうとしている。しかし、それが分かったところで貢の本当の目的は不明のままだ。


「友加ならうまくやれますよ。陣内先輩も荒牧(あらまき)も、心配すべきところが見つからないくらいです。俺が行く理由はありません」


「あの子たちが君を必要としているかではない。君が、彼らを望むかだ」


「なんですか、それ」


 俺は呆れて言葉も出てこなくなった。訳も分からないことを並べ立てて、俺が折れてくれるとでも思ったのだろうか。これ以上貢と話す必要性を感じないので、俺は背を向けて丸くなる。


「すみませんが、帰ってください。俺は友加たちのことを信じています。それに、俺が行ってどうなるんですか? 何にもなりませんよ」


「たしかに、朝川(あさかわ)さんたちも来るらしいから、君には損しかないかもしれないね」


「そうでしょう。ですから、絶対に行きませんよ」


 畳んでいたせんべい布団を広げ、俺はそこに丸まって寝転がる。頭からかけ布団を被り、貢の視界から自分を消した。もうこれで終いだ。早急に帰っていただきたい。


「もしかして、ふてくされてる?」


「⋯⋯そんなんじゃありません」


 しばらく考え、俺は仕方なく返事をした。からかわれてしまったので、本当に仕方なくだ。一刻でも早くここを去ってもらいたいのに、俺が返事をしたところで貢が動く気配はない。


「そっか」


 短く言い捨て、貢は鉄格子を握る。格子の隙間から顔を覗かせ、俺との物理的距離を縮めた。かけ布団が薄い素材なので、貢の一連の行動は丸分かりだった。俺はうんざりとし、布団を蹴り飛ばす。


「いいかげんにしてください! しつこいですよ」


「ごめん。でも私はどうしても、君を連れて行きたいんだ」


「だから、それがどうしてかって訊いてるんですよ。せめて、納得のいく説明をしてください」


 俺は思いのまま、貢に怒鳴り散らかす。貢は今、目的とそれを達成するための目標をもっている。そのうちの目標が、俺を由命界総合病院に連れて行くことだと判明したが、目的がまったく分からない。これが分からなければ、俺が素直に従うはずないというのに。


「君は今、友加さんのことを信じていると言ったね。でも、信じるって手放すことなのかな? 私は、傍でずっと見守ってあげることだと思う」


「それは信じていないと同義です。友加が何をしでかすか不安だから、隣で見張ってろってことですよね。友加はそんな危ないことしません」


「そうか? 君のために、交通事故と少女誘拐を隠蔽しようとしたのに?」


「え⋯⋯」


 エンストしたかのように、俺の高ぶっていた感情が萎んでいく。貢に全部、バレている。五年前に何があったのか、友加が何をしたのか、そしてその理由も。全部全部、バレている。俺の心が、信じられないと全力で叫び出した。


「私はすべて知っているつもりだよ。渚くんに頼まれて、当時の防犯カメラ映像を調べたんだ。そうして、寧音ちゃんを事故に遭わせた人物を特定した。その後その人物がとった行動も、そこに君や友加さんがどう関わっているのかも、私はすべて調べたつもりだ。私は今、当事者以外の中で最も真相に近いと自負しているよ」


 穏やかな口調で、恐ろしいことを言ってのける。貢の告白に震えてしまうのに、口をついたのは一番大切な彼女の名前だった。


「友加は……。友加は、罪に問われますか?」


「可能性の話だけど、監禁幇助と犯人隠避に問われるかもしれない。だが、君や彼よりは動機が薄いから、書類送検か不起訴になると思うよ」


「そうですか。良かった」


 人前なのに、俺はほっと胸をなでおろす。本気で心の底から安堵した。ずっと、友加が犯罪者になることだけは嫌だった。彼女が優しいから、俺はそこに甘えて犯罪の片棒を担がせてしまった。彼女は優しいから、朝川寧音のことも守ってきてくれた。その優しさに、俺のせいで犯罪という印を押されたくはない。


 数多くの犯罪行為を見てきた刑事が言うのなら、きっとそうなる可能性が大きい。友加は俺の望みどおり、俺やあの人と同じタイプの『犯罪者』にはならない。朝川夫妻に寧音の居場所を知らせているし、利己目的で関与したのではない。自分の都合に少女を巻き込んだ俺たち兄弟とは、天と地ほどの差がある。


「君は本当に、友加さんのことが好きなんだね。渚くんが大袈裟に言ったのだと思っていたけど、今の君を見ていると良く分かるよ。君は彼女を大切にしている」


 貢の発言は図星だった。だから黙って、深く肯く。


「なら当然、彼女に傷付いて欲しくはないよね?」


 有無を許さぬその問いに、また力強く肯いた。当たり前だ。友加に傷付いた顔は似合わない。そうならないように、俺が全力を尽くしたい。


「彼女、言うよ。間違いなく言う」


「何をですか?」


「事件の真相」


「それは⋯⋯」


 どうして、という疑問は声にならず宙へ溶けた。ありえないとは言い切れず、かと言って同意する気にもなれない。友加が何を考え行動しているのか、俺に分かったためしがない。ただ彼女が、正しさよりも優しさを優先する人だということは知っている。


「みなとくん、いや、荒牧くんじゃなくて北条(ほうじょう)の方の(みなと)くんね。安倍くんの相棒の。彼が言っていたんだ。安倍くんなら、どんな真実も逃がさないってね」


「そんなにすごい人なんですか?」


「安倍くんがすごいわけじゃない。要するに、彼は人の心理を利用している。警察に協力を要請された、全員が集められた、そのせいで隠しごとも嘘もバレる、こんなバカげた方法をとるということは捜査が行き詰まっているのか。そんな焦りや疑念がうまれ、彼らが勝手に情報を吐いてくれる。まあ、そう仕向ければ良いって気付いたのだから、安倍くんはすごいか」


「人って単純な生き物ですからね。感情をあおれば、簡単にのってくれます」


 俺も俺の周りの人間も、やっぱり単純な思考回路をしている。だが友加は思慮深い人だ。こんな見え透いた警察の挑発にのるとは、どうしても思えない。


「君は友加さんがそうだとは思えないようだね。実は私も、同じ意見だ。一度お会いしたことがあるが、感情論ではなく理論的に話をする人だった」


「友加はそういう人です。自分の言動に説明を付けられる」


「でも、流されやすい」


 貢が声のトーンを数段落とす。


「彼女は、安倍くんの思惑にはまらないかもしれない。だが、のってしまった誰かが傍にいれば、そちらに傾いてしまうのではないかな。安倍くんが大人数を集めるのは、そういった集団心理を利用するためでもある」


法助(ほうすけ)(じゅん)は、本人たちが思うより単純です。きっとのせられますし、舌も回るから説得力をうみやすい。それに向こうには、お義父さんがいる。あの人はいつも、自分の思いどおりを実現してしまうんです」


 先日、義父の前で涙を見せてしまった。そこに必ず、天王寺友仁(ゆうじん)なら食い付いてくる。俺が、何かを隠し通そうとしていると気付いたはずだ。息子を救うために、友仁は絶対に動く。


「義父は俺をどうにかするために、きっと友加や法助を使います。そうなれば、誰もあの人には勝てない。友加たちは、俺のために行動を起こす」


「それはどうだろう? 避けなければならないことかな?」


 こちらを試すように微笑む貢に、俺は現況を悟った。俺はここから、どうすることも出来ない。行くしかない。


「何が起こるかは分かりません。ですが、友加たちが自分の望まない方向に動いてしまうかもしれません」


 心をコントロールするのではない。心にコントロールされてしまう。そうして理性を捨てた人間が、正気を保てるわけがない。自分の望みを、無意識下で自分の手を使い打ち砕く。そんなことを、大切な人たちにして欲しくない。


「俺が行ってどうにかなる問題ではありません。しかし、友加の優しさが、巡の明るさが、法助の素直さが、全部報われる世界になって欲しい」


「それが、君の願い」


「はい。俺だけは、彼らを肯定してあげたい。みんなが何をするのか不明ですが、俺は俺に出来ることをします」


 腹をくくり、踏ん張りをきかせ立ち上がる。鉄格子が貢によって開かれ、俺は久方ぶりの外に足を踏み出した。貢は俺を拘束することなく、さっさと先を歩いて行く。ついて来いと、背中で語られている。


「友加は、人のためっていつも考えています。俺を優先したときだけ狂いますが、根本はずっとそうなんです」


「そうだね。私が友加さんは真相を話すと思ったのも、そんな理由だ。誰かが、真相を話すことは寧音ちゃんたちのためになる正しい行いだと言えば、そこに頷いてしまう子だと思った」


「たしかに、友加ならそうするでしょうね。そして、巡や法助はそういう正義を言葉に出来る人です」


 貢の読みは、俺のそれと同じだ。何度も首を振りながら、俺は貢の自家用車に乗り込む。


「君は彼らのことが本当に大好きなんだね」


 貢がエンジンをかけた。座席を揺らし、車を発進させる。


「ええ。ですから、彼らが傷付いたらすぐに抱きしめたい。俺はみんなの善性を信じてます。そして、そこの脆さを受け止めるのが自分の役割だと」


「素敵な関係だね。何だか微笑ましいよ」


「俺は、間違いなく犯罪者です。あの人たちに相応しくはない。だけど大好きで仕方ないから、この手で抱きしめたいんです。貢さん。俺の最後の悪あがき、黙認してくださいね」


 貢は何も言わない。だけど、からっとした笑い声を出した。これは、了承の意で良いのだろう。


 友加たちが何をどこまで話すのか。それによって、俺の今後の身の振り方も決まる。兄を追及し断罪すべきなのか、それともあのときの一方的な約束を果たすべきなのか。


 分からない。だが、ここで明かされる真実が俺たちの未来を決定付けるのだということは、痛いほどに分かっている。


ーーーーー


 隣で堂々と腕を組む陣内渚に、荒牧(みなと)が呆れて息を吐く。私は壁に寄りかかりながら、二人の様子に不安を募らせた。いつもどおりだ。幼なじみから聞いていたとおり過ぎる。こんなにも緊張をしているのは、私だけなのだろうか。


「どうしたんだ? そんなに顔を青ざめさせて」


「何でもないよ。お父さん、私は大丈夫。大丈夫だから」


 ものすごく心配してくれる父親を受け流し、私は千歳(ちとせ)巡の元に向かう。そもそも私は天王寺友仁に連れて来られたのに、なぜ友仁自身が心配してくるのだろうか。


「ご機嫌ななめやね」


「そんなことないよ。それより、ちーくんはどうしていつもどおりに出来るの? 陣内さんたちもだけど、私不思議で仕方ない」


「せやなあ。なんでやろ?」


 巡は、小首をかしげておどけた顔を私に向ける。しかしすぐに、その目は陣内たちを捉えた。そういえば、久しぶりに白衣を着た陣内を見た気がする。


 あの人の普段着はライダースジャケットで、実験病棟にいるときも誰とも会わないからと白衣は着ていなかった。さすがに、実験中や他の科の人間と会うときは着たと思うが、あの人の白衣姿なんて珍しい。


 それとは逆で、荒牧はいつも白衣を着ている。新人ならではの高揚感で、白衣を着ることが楽しいと言っていた。私も昔はそんなことを考えていたが、今となってはこちらの身分証としか認識出来ていない。荒牧もいつか、陣内のようになるのだろう。


「いつもどおりだよ。こんなときなのに、いつもと同じ行動。ここにいる人がありえない組み合わせなだけで、みんなはいつもどおりの自分が出来てる」


「羨ましいんか? 友加ちゃんはちょっと強張っとるし」


「さっき決めたからかな? 真相を明かすって決意したはずなのに、私にはそこまでの度胸がない。まだ、怖いんだよね」


 私だけ、いつもと違う行動をする。今までの私は、どんな手を使ってでも真実を隠そうとしてきた。大切な幼なじみ、配流(はいる)玲を守るために。でもようやく目が覚めた。たった一人に固執していてはいけない。きちんと、人として正しいことをしなければ。


「本当はね、玲も法助くんもちーくんも傷付けたくない。私ってほら、いい性格してるからさ。私のせいで人が嫌な気持ちになると、なんか面倒くさいって思っちゃう。それってお互い得しないから」


「ほんま、ええ性格しとる」


「真相を話せば、これまで苦しんできた分愛意(あい)ちゃんたちは報われる。でも、お兄さんを守ろうとしていた玲の覚悟を踏みにじることにもなる。いろいろなことを考えて、そうやって尻込みしてたら、いつの間にかどうにも出来ないところまで来てた」


 自分がとてつもなく惨めだ。意気地なしで、自発性もない。うじうじしていてみっともないし、自分で決めたことを貫く勇気もない。ほんっとうに、かっこ悪い。


「バカ過ぎない? 私」


 自分を鼻で嗤い飛ばす。それくらいしないと、やっていけない。私は同意を求めて、巡の顔を覗いた。


「そんなことないで」


 だけど、巡は慈愛に満ちた表情で首を横に振る。おもむろに私の手を取り、自分の手で包み込む。マメだらけの掌が、ほんのりと温かい。


「ほんまのバカは、そこまで誰かのこと考えへん。人のこと考えて、頭抱えたりは出来ひん。友加ちゃんは、ええ子やで。ほんまに、聡いんやから」


「でも私は⋯⋯」


「ちゃうで。バカなんは、後先考えずに突っ走れる奴や。俺も法助も玲も、そうやって生きてきた。やると決めたらやって、後悔も反省もせん。せやけど、隣で友加ちゃんが俺たちのこと考えて叱ってくれる。友加ちゃんは、かかり過ぎた俺たちのブレーキ役や」


 巡がにぱっと、歯を見せて笑う。真夏のヒマワリを想起させるほどに、満開で鮮やかな笑顔だ。


「せやからな、今度は俺たちが友加ちゃんにアクセルかけたる! 安心して、突っ走ってこい!」


 私の手を握る巡の手に、どんどんと力が込もっていく。それを伝って、巡から勇気を受け取っているように感じる。こんなので、単純な私は奮い立ってしまう。


「ちーくん⋯⋯。ありがと!」


 感謝を込めて、巡の手を強く握り返す。この人が傍にいてくれる。それだけで、これから自分がすることへの恐怖に打ち勝てる。大丈夫。私は今度こそ、絶対にしくじらない。


「すみません! 副部長に申し送りをしていたら遅くなりました」


 私と巡だけが盛り上がっていた室内に、篭野(かごの)法助の慌て声が響く。扉を開け放った体勢で息を整えた彼は、朝川愛意を見つけすぐに駆け寄った。


「朝川さん。寧音(ねね)さんのことは外科副部長に頼んでいますのでご安心ください。彼の腕は、俺が責任をもって保証します」


 愛意の前で跪き、法助は思いっきりかっこつける。言葉は医者のものとして違和感ないのに、雰囲気はプロポーズそのものである。医者として、まっすぐ過ぎる男だ。


「そうですか」


 愛意は安堵したような興味のないような顔をして、法助から目を逸らす。そして私と巡を睨み付けた。その仕草が物語っている。愛意は、法助の居場所がこちら側であると分かっている。だから、自分と妹の味方ヅラをしていて欲しくないのだ。


「そうですよね。失礼します」


 私と同じことを感じ取ったのか、法助は余裕の笑みを崩さずに私と巡の方に歩いて来る。だが、法助に余裕のかけらもないことくらいすぐに分かった。脂汗が浮き、瞳孔が揺れている。そりゃ、自分が知らなかった事実が明かされると言われれば、こうもなるだろう。


「友加ちゃん、巡」


「法助くん、来てくれてありがとう。うちのお父さんが無理矢理ごめんね」


「いや、それは良いんだよ。でも⋯⋯」


 法助はそこで言葉を切り、肩越しに愛意たちを見やる。法助も法助なりに、真相を話すことでどうなるのか考えているのかもしれない。自分の親友はどう思うのか、ここにいる被害者家族は何を感じるのか。きっといろいろ考えて、心を固めてここに来てくれた。


「大丈夫だよ。未来のことも、人の心も、誰にだって分からない。だからさ、こういうときは悩んでないで突っ走るの。ちーくんが言ってたよ」


「巡、やっぱりお前はすごいな。何て言うか、達観してる」


「おおきに。せやけど、こっから勝負するんは友加ちゃんや。その覚悟決めれた時点で、友加ちゃんもすごい。法助やって、親友ために腹括れたんやろ」


 自分への賛辞を受け取りつつ、親友のことも褒めまくる。そんな男に、法助はぎこちなく頷く。


「俺たちみんな、玲のことが大好きなんや。その気持ちに突き動かされてここまで来た。みんな、あいつへの想いがすごいってことや」


 そういう意味での『すごい』ではなかったと思うが、巡の言葉は正しいので誰も否定しない。玲は、みんなから好かれている。幼なじみの私からも、学友の巡や法助からも。そして私たちは、玲のためなら何だってしようと思えた。そう思わせる力が、玲にはある。


「そうだよな。俺はまだ何があったのか知らないけど、巡の口ぶりから悲惨だったってことは想像出来てる。だからこそ、ちゃんと知りたいんだ。親友に何があったのか。友加ちゃん、頼む。つらいと思うけど、教えて欲しい」


「分かってるよ、法助くん。真相を知りたいのは、ここにいる全員。私の言葉で、私の口から説明する義務がある」


「友加ちゃん。合ってるか分からないけど⋯⋯頑張って」


「うん」


 たどたどしい法助の激励に返事をし、私は部屋の正面に陣取った安倍に視線を送る。安倍は私のサインに気付き、立ち上がろうとした。しかしそれを、勢い良く北条が手で制した。


「安倍さん。ここは俺が」


「北条?」


「朝川さん。不思議に思いませんか? 自分の大切な妹を苦しめ続けた人が、こんなにも周りから励まされる。俺だったら反吐が出ますよ」


 おあつらえ向きの喧嘩腰だ。まるで、私と愛意たちの対立を促しているような威圧感。私を睨む北条の目には憎悪も何も浮かんでいないのに、その口調には人の心を動かす説得力がある。私は胸が苦しくなるのを感じながら、愛意の言葉を待った。


「そうね。真実を知っていながら、私たちにずっと嘘を吐き続けていた。それなのに、そっちの都合なのに、真実を話すことが偉いことのように扱われるのは嫌」


「愛意ちゃん。そうだよね」


 理解している。私は私の気持ちに忠実に従った。そしてそれが嫌になったから、人の言うことに従おうといている。愛意の言うように、自分勝手にもほどがある。


「分かっているなら、どうして今まで言おうとしなかったのですか? 天王寺さん。あなたが真実を明かしてくれるだけで、救われる人がたくさんいたのですよ」


「今さっき愛意ちゃんが言ったとおりです。私は自分の都合でしか動かなかった。真実を知るからこそ、話すことが怖かった。玲を、玲の心を、壊してしまうことを恐れたんです」


「配流玲さんとは、義兄妹にあたりますよね。家族だから守ろうとした、そう聞こえます。ならどうして、家族を失った朝川さんたちのことも考えられなかったのですか?」


「北条。一旦落ち着け」


「安倍さんは黙っててください」


 段々と熱をもっていく北条に、安倍が制止をかけた。だがそれは、間髪入れずにバディによって切り捨てられる。完全に居場所を失った安倍は、しぼむように肩身を狭くした。


「北条さん。お言葉ですが、私は玲のことを家族だと思ったことはありません」


 友仁のまとう空気が一変し、その場が張り詰めた。友仁は、私や玲が家族という繋がりを拒むことが嫌いだ。でも、そう思えなっかたのだから仕方ない。


「一目惚れしたんです。出会ったとき、玲のことは絶対に守るって誓った。私にとって玲はただの家族ではない。何を犠牲にしてでも守ると決めた、大切な人です」


「つまり、今回の事件であなたが犠牲にしたのは、朝川さんたち家族ということですか」


「はい。私は自分の行いを正当化するつもりはありません。ですが何度考えても、あのときの自分ならこうするなと思います。それくらい、真実を口外しないことが玲のためだと感じた」


「だったら! どうして今、話そうと思ったんですか? 遅いですよ」


 愛意がテーブルを叩き立ち上がる。彼女の言い分はもっともだ。自分でも、今更だと思う。なんにせ、あの日からもう五年も経ってしまったのだから。


「何が玲のためになるのか、自信がなくなったというのが大きいです。私は真実を隠すことが正しいと信じてきたのに、結局玲は一人で苦しんでいた。私の今までが無駄だったなら、私が変わるしかない」


 まあ、それもずいぶんと間違ってしまったのだが。


「今更ですよ、本当に。でも、今だからこそ私は話したい。この場でないと、きっとまた逃げてしまう」


「天王寺先生は、私たちに嘘を吐いていた。それが逃げだったと」


「嘘は、吐いていません。ただ、一番大事なことを言わなかった。いえ、それも同じことですね」


 本当のことを話さなかった。それだけで、まったく同じことなのだ。嘘を吐いていなかったことなんて、何の免罪符にもならない。


「友加⋯⋯。お前は何を知っている?」


「お父さん。ごめんね。今はちょっと静かにしてて」


 戸惑いを隠せなくなってきた父の口を閉じ、私は黙って愛意を見返す。彼女の瞳が飢えた獣のように光った。


「天王寺先生。教えてください。あの日あったことを、すべて」


「ええ」


 深く頷くふりをして、私は震えるつま先を見た。脇に垂らした腕だって、情けないほどに震えている。どうして、まだ怖いと思ってしまうのだろう。でも言ってしまった。全部話すと、宣言してしまった。逃げてはいけない。


 私は大きく息を吸い、顔を上げた。


「あの日、五年前の六月十五日、仕事の合間に玲から連絡がきました。父の研究所であるハートラボを使っても良いかと。そこはもう使われていませんでしたし、玲の仕事柄必要なことだと思い了承しました」


 友仁が目をむいて私を見る。ハートラボは、私が医者になってから私の名義で管理していたので、特に友仁から確認を取っていなかった。友仁にとっては初耳の情報だ。


「ですが仕事終わり、ふと気になってしまったんです。玲は何の研究をしているのか、覗いてみたいなって。それで私は、ハートラボに向かいました」


 今思うと、あれは好奇心ではなかった。行かなければいけないと、漠然とした焦燥に駆られていた。そのときから、予感めいたものはあったのかもしれない。


「私が寧音ちゃんと玲を見付けたのは、ハートラボの二階、患者用の個室でした。玲が自室として使っていた部屋だったので、そこに玲がいることは不思議に思わなかった。でも⋯⋯」


 あのときの私は、いろいろな感情の波に襲われていた。疑念、焦り、不安、苛立ち、驚嘆、悲しみ、それから放心。何から言えば良いのか、何から問い正せば良いのか、何も分からなかった。


「寧音ちゃんがいた。全身に怪我を負い、そのすべてに不格好な手当てを施された寧音ちゃんがいた。眠る彼女と呆然としている玲。私はそのとき、玲に訊いたんです。どうしてって」


 声が震えた。的確に言葉を紡げているのか、まるで分からない。海中に放り投げられたような感覚に陥る。


「玲はお兄さんとの写真を見つめたまま、動きませんでした。でも、教えてくれたんです。兄も寧音ちゃんも救いたい。玲は、そう言ってくれた」


 玲の兄。私は彼を一生赦さないだろう。あの男がいなければ、寧音も玲もそして今この場にいる全員が、こんな時間を過ごすことはなかった。


「玲は自分のお兄さんを守るために⋯⋯」


「友加!」


 私が、真実を振り絞ろうとしたときだった。遠くから私を呼ぶ声が響いた。そちらを勢いのまま振り返れば、入り口に立つ灰色の瞳の男が見えた。


「玲⋯⋯?」


「友加」


 まだ状況を受け入れられない私を、幼なじみは優しく呼ぶ。立ち尽くす私の眼前まで歩を進め、ゆっくりと私の頭を撫でた。その手付きが、私たちの父親とよく似ている。


「友加。ごめん」


「玲。私の方こそ、ごめんなさい。私、ずっと怖くて」


 安心感からあふれる涙が止まらず、玲の細い身体に抱きついた。玲の白いシャツに涙の跡をつけながら、私は罪悪感を吐露していく。あの日、玲が居なくなってから、私はずっと自分を責めた。自分の行動を悔いて、何度もたらればを考えた。


「何があなたのためになるのか、本当はずっと分からなかった。真実を隠すことが正しいなんて、これっぽっちも思ってない。でも、あなたがそれを望んだように見えたから。私、あなたのためにそうしようって。あなたがお兄さんを守ろうとして傷付くなら、私はそんなあなたを守りたかった」


「友加」


「でも、だんだんと自信がなくなっていった。寧音ちゃんのために必死な愛意ちゃんと、愛意ちゃんの力になろうとする新希(あらき)くんたちを見て、これで良いのか分からなくなった。ちーくんが真実を話すことを勧めてくれて、納得したけどやっぱり玲の顔が脳裏をよぎって。玲のためって言い訳して、逃げている自分が嫌だった。何も分からない、何も決められない自分が嫌だった」


 みんながそう言うから、そうするから。それを基準にして正解の行動を見付けてきた。でも、玲の存在が私のそのコンパスを狂わせた。玲のことを考えれば考えるほど、傷付けたくないと願えば願うほど、私は動けなくなってしまう。


「友加。ごめんな。俺のせいで」


「私こそ、粋がって結局一人じゃ何も出来なかった。あなたに全部、背負わせてしまった」


「違うよ、友加。俺と兄さんの問題に、何の関係もないお前を巻き込んだ。お前の性格を知っているから、お前の優しさが俺と兄さんを守ってくれると分かっていたから、お前に勝手に甘えた。俺の都合に巻き込んでごめん。泣かせて、ごめん」


 玲の細く長い指が私の目尻に触れる。優しく柔らかな感触が、私の涙を取り除く。玲だって、分かりにくいだけでこんなにも優しいではないか。


「友加。ここまで俺のために頑張ってくれて、ありがとう。巡も法助も、ありがとう。最高の親友をもてて、俺は幸せだ」


「玲。それは俺のセリフ」


「同感。せやけど、あんま友加ちゃん泣かさんといてな」


「ああ。友加、ここからは大丈夫だ。俺が全部話す」


 玲はもう一度私の頭を撫で、くるりと向きを変える。部屋全体をゆっくりと見回し、それから虚勢の笑みを浮かべた。


「玲。どうして?」


「なんでさ、友加が全部話さなきゃいけないの? 俺が一番よく知っているんだから、俺が話すべきだろ」


「玲⋯⋯? それはそうだけど」


「全部、お前に背負わせてごめん。貢さんと話していて分かったんだ。俺は結局、友加のことを悲しませたくない。それが一番の願いだった。それなのに、俺のために友加は傷付いてくれた。ごめん、全部」


 玲は私に微笑んだ。泣き出しそうな、子供っぽい笑い方だ。


「最初から、こうすれば良かった。俺が全部話す。だから友加、もう泣かないでくれ」


 私から目を背け、玲は愛意の方を向く。私には簡単ではなかったそれを、さらっとやってのけた玲にその覚悟の強さを思い知った。私みたいに逃げたいだなんて、微塵も思っていない。玲は本気で、真実を言うためにここに来た。


「俺の言葉で、俺の口から説明させてください」


 私には、こんな毅然とした態度はとれなかった。玲の深呼吸が耳に入る。私は、玲の死角で身を強張らせた。


「俺には、血の繋がった兄がいます。知ってる人もいると思いますが、厚生労働省の藤條(とうじょう)瑠伊(るい)です。俺が五歳、兄が十歳の頃に両親の死がきっかけで別々の家庭に引き取られました」


「藤條って、あの?」


「はい。藤條勝磨(かつま)の息子です」


 投げられた固有名詞に、安倍と北条は言葉を失う。警察として、国家権力の強さをよく知っているのかもしれない。


「五年前のあの日、兄から連絡がきました。もう何年も仕事でしか顔を合わせていなかった兄が、私的に会いたいと言ってくれた。俺はそれが嬉しくて、すぐさま兄の自宅に向かいました」


 その様子は、容易に想像出来る。玲は兄のことを、一秒たりとも忘れたことがない。


「そこで、兄に言われたんです。自分は事故を起こした。だから、俺に何とかして欲しいと」


「何よそれ」


 愛意が静かに、怒気をはらんだ声を出す。探偵としても姉としても、看過出来ない言葉だったはずだ。自分が犯した罪と向き合わず、何もかもなかったことにしようだなんて。


「そのままの意味だ。俺は、兄から朝川寧音の事故を隠蔽するように頼まれた。そして兄のためになるならと、それを受け入れてしまった」


 玲は淡々と事実を語っていく。まるで他人事だ。


「兄はひどく狼狽えていました。故意に事故を起こしたわけではないが、自分の背後には大臣がいる。父親の顔に泥を塗りたくないと、そう泣きつかれたんです」


「泣きつかれた?」


 藤條瑠伊のイメージにそぐわない発言に、北条が目を見開いた。声を上げさえしなかったが、友仁と法助も驚愕で顔を見合わせている。ただ、実験病棟の医師だけは平常心を保っている。


「俺は幼い頃から、兄に返しきれない恩があります。だから、兄が苦しんでいるところを救いたいと思った。厚生労働大臣を犯罪者の父親にしたくないと兄が願ったとき、俺が犯罪者になれば良いのだとすぐに分かりました」


「玲。本当にそれは、あなたが選んだことなの?」


「そうだよ、友加。兄は強く混乱していて、まともに話せる状態ではなかった。俺を脅して罪を被せることなんて、あの状態で思い付くはずもない。俺は自分の意思で、犯罪者になると決めた」


 そうだろうな。分かりきっていた返答に、私は目を潤ませた。玲は頑固なところがあるので、自分で選んだことしか長続きしない。そして恩は絶対に返すし、大切な人が悲しむ未来を選択することもない。玲が自分で掴み取った未来が、これなのだ。


「その後は、友加の言ったとおりです。兄の自宅から朝川寧音を連れ出し、ハートラボに運んだ。そこで彼女を治療し、俺はそのまま監禁した。警察に行くつもりはなかったし、通報しようとする友加を脅迫して従わせた」


「脅迫? お前が友加ちゃんにそんなこと出来るのか?」


「出来たよ、兄さんのためなら。それに友加は優しいからね、俺がこうして欲しいって言ったことは全部やってくれた。きっと友加は、自分が利用されているなんて気付いてなかっただろうな」


 玲は一瞥もくれずに、私に関して嘘を吐いた。これは、のって欲しいということだろうか。玲の演技に。


 私は玲に脅されていないし、玲も私を脅していない。本当に心の底から、玲のためを思って玲に協力した。玲の兄に対する想いと同じだ。脅されたわけでも、弱みを握られたわけでもない。ただ相手のことを考えた結果、相手の望みに従順になってしまっただけ。


「そうだね。私、利用されているなんて思ってない。だから自分の心で、あなたの共犯者になった。あなたに脅されたからではない」


 私は、玲の虚言を肯定しない。すべて明かすと決めている。あのときの玲の正義を、私はなかったことにしたくない。


「それにあなただって、このことを墓まで持って行く気はなかったでしょ? 三日後には私の説得に応じて、警察に通報していた。藤條大臣が何らかの方法で揉み消していただけで、あなたは警察に真実を話している」


「それは、一瞬の気の迷いだ」


「玲はあのとき、既に気付いていた。自分が罪を被ったところで、瑠伊さんには何の徳もない。たとえどんな非難に曝されようと、自分で自分の罪を償うことの方がよっぽど自分のためになる。お兄さんに、罪を償ってまっとうに生きてもらいたかったんでしょ?」


 実際、そう言っていたではないか。私が寧音の居場所を彼女の家族に伝えようとしたとき、あなたは家族の在り方を問うてきた。私が『一緒にある存在』だと答えたとき、あなたは自分たち兄弟のことを考えていたではないか。


「寧音ちゃんを家族のもとに返して、朝川家の形を元に戻す。そして自分たち兄弟は、一緒にいることは出来ないから、その代わりにお互いにとって恥ずかしくない存在になる。罪を認め償って、一人の正しい人間として生きていく。そうしたいって、あなたが言ったじゃない」


「言ったよ⋯⋯。本当は今だって、そうなることが俺の願いだ。でも兄さんは、もう俺の信じている兄さんじゃなかった。昔からずっと正しい人間だった兄さんは、今は大臣の息子として生きるとこに重きを置いている。もう今や兄さんは、自分の罪をなかったことにして生きている。優秀な国の役人でいようとしている」


 玲の涙がにじむ声に、私の中で合点がいった。あの日、瑠伊とのディナーから帰って来た後の様子がおかしかったのは、そう思い知ったからなのかもしれない。


「ですから、俺は自首をしました。嘘の供述をし、この事件を早く終わらせようとした。兄にその気がないなら、捕まったところで本当の意味で償うことはない。俺は兄に、罪を償うことを望んでもらいたかったんです」


「では、配流さん。どうして今、全部話してくれたのですか? もし私たちが今の証言を裏付ける証拠をあげれば、あなたのお兄さんは逮捕されることになります。あなたは、自分の行動を自らの手で台無しにしているのですよ」


 安倍の指摘は間違っていない。だがしかし、玲は私と違って行き当たりばったりな行動はしない。何か玲の中で、筋が通っているはずだ。


「その答えなら、もう言いましたよ。俺が友加の涙を観たくなかったからです。彼女に言わせてしまうくらいなら、俺が自分できちんと説明する。その方が良いと思いました」


 玲は私に微笑んだ。自信をたたえた、柔らかな表情で。


「それに、思ったんです。友加が俺のために覚悟を決めてくれたなら、俺も兄のために自分から行動しなければいけないと。俺は兄の偶像に囚われて、今の兄を知ろうともしなかった。なら今の兄さんと向き合って、兄さんを説得すれば良いんです。兄さんにちゃんと俺の気持ちを伝えて、この事件を本当の意味で解決したい」


 玲は言い終わるやいなや、私の手を取り自身に引き寄せた。私は驚いて玲を見上げ、それから息を呑んだ。玲の灰色の瞳が、眩しく煌めいている。


「友加。一緒に来て欲しい。お前と一緒なら、俺は何だって出来る」


 自信たっぷりなその口調に、私は力いっぱい頷いた。玲に必要とされていることが、何よりも嬉しい。絶対にこの先、玲の役に立ってやる。


「それじゃあ、行こうか」


 玲は私の手を握り、安倍と北条に背を向けて走り出す。警察の目の前で逃走とは、玲もやはり後先考えずに突っ走るバカだ。私は手を引かれながら、警察の怒号を無視して走った。


 これで良い。これが良い。私は今度こそ、玲の願いを叶えてみせる。

読んでくださりありがとうございます!

次回もお楽しみに!

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