第二十二話 賭けるとき
ものごとに挑戦するとき、運任せになってしまうこともありますよね。でもそれくらい適当でなければ、前に進めないことだってあります
朝川寧音の誘拐事件に関して捜査本部が立ち上がり、俺と上司の安倍は所轄から駆り出されることになった。つい先日、俺たちが由命界総合病院で彼女を発見したことで、事態は急速に変化を始めた。今日は、被疑者の配流玲についての捜査方針を決めるらしい。
「北条。俺たち大手柄だったな」
「そうですよね。まったく褒められないので、そんな気はしませんけど」
「まあ、そう僻むな。俺がものすっごく褒めてやるから」
警察署の会議室。その端の席で、俺は上司に頭を撫で回された。被害者の居場所を突き止め保護したのに、所轄の刑事というだけで、俺たちは隅まで追いやられている。やはり、本部の人間とはやりにくい。
「あなたに褒められたところで、嬉しくはありませんよ。俺は承認欲求しかないので、もっと本部の人たちに認められたいんです」
「そうなのか。向上心があって良いな!」
大福に似たフォルムの体を揺すり、安倍は大笑いをする。何でもかんでも自分の都合の良いように解釈するので、バディとしてうまくやっている自信はない。今だって、俺の皮肉はやる気に変換されてしまった。本当に、いい性格をしている。
「とにかく! 俺は手柄が欲しいです。たしか今って、配流さんの供述を裏付ける証拠が出て来ていないんですよね。だったら俺が、この事件を解決してやりますよ」
早く事件を解決したい。刑事としての使命ではなく、私的な感情が燃え上がる。俺は正義を果たすために警察官を志したわけでも、正義に身を染めるために刑事をしているわけでもない。もっと自分勝手な理由で、国家の犬をやっている。
「必死だな、北条。良いことだが⋯⋯」
「これからの捜査の結果、配流さんが冤罪になるかもしれません。今の状況って、俺からしてみればそれくらい何も分からない状況なんですよ。だから、刑事として真実を確かめる捜査をしたい」
冤罪がうまれることだけは赦さない。どんな手段を使ってでも、俺は真相をつかみそれを決定付ける証拠を手に入れる。それが、俺が今一番やりたいことで、俺が警察官をやっている理由だ。
「お父さんのことが、あるからか?」
「はい。冤罪なんて、真犯人しか喜ばないことです。そんなもの、絶対にうみたくない」
俺の父親は、俺が中学生の頃大罪を犯した。ネットでバイトを雇い、彼らに命令してとある政治家の娘に暴行をさせた。娘を殺されかけた父親の憎しみが警察や裁判所を動かし、ありえないスピードで男が逮捕された。だがその男は、俺の父親ではなかった。
冤罪だったのだ。いかに早く事件を解決するかに囚われていた警察は、誤った人物を犯人とした。そのことに罪悪感を覚えた俺の母親が泣きながら夫を説得し、真犯人である俺の父親は自首をした。こうして、この事件は解決した。
だが、冤罪をうんだとして警察は非難されることになった。特に酷かったのは、無実の男に手錠をかけたある刑事とその家族だった。警察組織はその刑事にすべての責任を押し付け、マスコミと世間は彼だけを責める。ただ職務をまっとうしただけの刑事が、その愚直な姿勢を批判された。
俺も犯人の家族として、世間や親友から冷ややかな目で見られていた。だが、それは犯人側で生きている人間なのだから当たり前のことだと割り切れた。だからこそ、何も悪いことをしていないその刑事と家族が責められる光景がつらかった。俺が言えたことではないが。
「北条が冤罪を憎む理由を知っているから、言わせてもらう」
「何ですか?」
「あまり肩入れし過ぎるなよ」
安倍の目が、先ほどまでとは一変し鋭く細められた。おふざけではない、はっきりとした忠告。俺は自分の心臓が縮み上がるのを感じた。
「それは⋯⋯。絶対とは言い切れないことですね」
「荒牧港を盲信するなってことだ。君ならやりかねない」
「まあ、やるかやらないかで言ったら確実に前者ですからね」
俺は安倍から身を守るように腕を組む。どうして、俺の考えていることを言い当ててくるのだ。こういう変に鋭いところも、バディとしてのやりにくさを感じる原因なのかもしれない。
「本当は君を捜査から外したいところなんだが、上が了承してくれないだろうからな」
「警察も、今や人手不足です。俺は俺に出来ることをします」
言外に捜査への固執を伝え、安倍から目線を逸らす。その先で、本部の刑事たちがようやく入室していた。いや、俺たちが早かっただけで、時間ぴったりではあった。
「では、捜査会議を始めます」
課長に礼をし、捜査会議が始まる。俺はホワイトボードに掲示される、事件関係者の顔写真を何の気なしに眺めていた。その中で一人だけ、いやに俺の目を引く人物がいた。
荒牧港。由命界総合病院の実験病棟で働く医師。他の捜査員からすれば被疑者の部下に過ぎない彼に、俺は並々ならぬ感情を抱いている。証明写真に写る彼の、まっすぐに煌めく瞳を見つめる。なんて、素敵な目をしているのだろう。
「由命界でのことについて報告してくれ。安倍、北条」
話を聞いていなかったので、突然名前を呼ばれ驚いてしまう。キョロキョロと辺りを見回した俺は、全員から冷めた目で見られ萎縮する。恥ずかしいやら何やらで小さくなった俺に代わり、安倍が椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「はい。私から報告します」
手帳を広げる安倍に軽く頭を下げ、俺は今度こそ人の話に耳を傾ける。
「先日、配流玲が朝川寧音の居場所を由命界総合病院の実験病棟だと供述しました。その裏取りに北条とともに向かい、寧音さんを発見しました。その後彼女の姉である愛意さんに連絡し、同病院の外科に寧音さんを転院させました。彼女については以上です」
安倍の簡潔な説明に、捜査員たちは深く頷く。課長もしっかりと話を咀嚼し、安倍を着席させた。それから俺を睨み、無言で報告を促す。俺は弾かれたように立ち、慌ててメモ帳を取り出した。
「北条。実験病棟について報告を」
「はい。えっと、ちょっと待ってください」
俺はページをめくり、実験病棟での聞き込みのメモを探す。しかしあのときは荒牧の表情を見るのに夢中になり、メモをとらなかったと思い出す。俺はとりあえず、堂々と胸を張った。
「まず前提として、実験病棟について説明させてください」
俺は記憶を頼りに、つらつらと言葉を並べる。
「八年前に設立した、新薬の開発を目的とした由命界総合病院の外科の部署です。元は大学の薬学部専用の研究室でしたが、その医大の閉校にともない病院の部署として確立されました。しかし十年前、この研究室に勤めていた渡献大さんが傷害事件に巻き込まれ、同様の事件を防ぐために閉鎖されました」
安倍以外の捜査員が一斉に資料をめくる。今回の会議に備え徹夜で用意したので、ぜひとも熟読してもらいたいものだ。だがほとんどの人は、もう資料を閉じて机の端に置いていた。俺はふてくされながら続ける。
「その後二年間は機能していませんでしたが、陣内渚さんの発案により極秘に復活。各科の部長など限られた人物しか存在を知らない部署となりました」
俺は刑事として、犯罪を事前に防ぐことの重要性を理解している。だから、実験病棟が存在を知らしめようとしなかったことに妙に納得出来た。だが患者に安心と健康を届ける場所が、こんな大きな秘密を抱えていたことには驚きを隠せなかった。
「実験病棟の責任者となる、統括長。初代は陣内さんで、彼が由命界から二条大学病院に異動した後に配流さんが引き継いでいます。そして今年の年度始めの異動で陣内さんが戻り、荒牧さんが専攻研修のために所属することになりました。こうして現在、実験病棟には三人の医師が所属しています」
俺は一息ついてから姿勢を正す。ここからが本題だ。
「しかし、寧音さんのことは陣内さんも荒牧さんも知らなかったと言っています。二人と配流さんの仕事内容が違うため、同じ部署でもお互いの仕事に干渉することはなかったそうです」
俺は記憶を辿り終え、ゆっくりと頭を下げる。
「私からの報告は以上です」
共有すべき事項を報告し、俺は席に座った。隣で安倍がグッドポーズで称賛してくれたが、それには気付かないふりをしておく。ちょっと今はそれどころではない。
「三人しかいないというのに、朝川寧音のことを隠し通せたのは少し違和感があるな。安倍と北条は、引き続き陣内渚と荒牧港を調査してくれ」
「はい」
「その二人は共犯の可能性が大きい。五年前、朝川寧音と配流玲の間に何があったのか、そしてこの五年間どのようにして過ごしていたのか。とにかく、君たちには実験病棟を中心に当たってもらう」
「はい!」
課長からの指令に、俺ははっきりと返事をする。この指令を待ち望んでいたので、自然と口角が上がりやる気が満ちあふれてくる。俺が絶対に、実験病棟での真実を暴く。
「課長。由命界の外科に、篭野法助という配流玲の同期がいます。彼も当たってよろしいでしょうか?」
「ああ。君たちは好きにしてくれ。ただし、由命界の中でだけだ」
「ありがとうございます」
安倍も張り切っているのか、いつもより大きな返事をした。俺は、上司兼バディの満足そうな笑顔に首を傾げる。捜査対象を増やせたことが、そんなに嬉しいのだろうか。
「北条。会議が終わったら爆速で由命界に行くぞ。そこで一つ、博打を打ってみたいんだ」
「博打? まさか、まさかですよ。あれ、やらないですよね?」
嫌な予感がし、俺の背中を冷たい汗が流れる。だが安倍は、そのギラついた笑みを崩さなかった。
「やるぞ。やるに決まってるだろ?」
「ですよね。知ってた⋯⋯」
課長が他の捜査員にも指令を出している裏で、俺はげんなりと肩を落とす。こうしてエンジンがかかってしまった安倍は、誰にも止められない。何度このフルスロットル安倍に振り回されたことか。俺は最悪の事態に、ため息を吐くしか出来なかった。
ーーーーー
捜査会議が終わった瞬間、安倍は宣言どおり由命界総合病院の院長室に足を運んだ。俺は説得を試みたが、やはり安倍には敵わなかった。めんどくさいことになると知っているので、うなだれた体勢で安倍の後ろを歩く。
「失礼します。先日はどうも。寺島院長」
院長室にズカズカと踏み込んで行く安倍は、能天気な挨拶をする。俺は、呆気にとられている秘書の栗山根生人に申し訳程度に謝罪をしておく。俺だってこんなことはしたくない。
「安倍さんに北条さん。どうしたんですか? いきなり」
案の定うろたえた様子の寺島定芽は、目を丸々と見開きこちらを凝視した。その目には、驚愕と警戒、それから疑念が込められている。いつも目にする光景に、俺はうんざりとしてため息を吐いた。
「安倍さん、帰りましょう。迷惑ですよ」
「君はいつもそれを言うな。良い子ちゃんアピールもそろそろ飽きたよ」
「あなたが全然、言うこと聞いてくれないからでしょ。今までは小さな会社とかだったから出来ていただけで、こんな大病院で同じことが出来るわけないですよ」
失敗したばかりの説得の言葉を試すが、人前ということが功を奏すことはなかった。眉をひそめる寺島と栗山、辟易とする俺。三人の人間をおいて、安倍は意気揚々と話を進める。
「寺島院長。今から私が言う人を集めてくれませんか? 全員を集めて、一斉に話を聞きたいのです」
「いや、それは。その人たちにも予定があるからね」
「警察からの要請ですよ。そこは何とか協力をお願いしたいです」
わけも分からず拒絶を示す寺島に、安倍は有無を言わさぬ圧をかける。俺に偉そうに助言をしてくるわりには、安倍も暴走機関車になることが多い。というより俺たちバディは、暴走する安倍を止めようとするも付き合わされる北条、といった主従関係なのだ。
「補足しますと、捜査本部の方針で荒牧さんと陣内さんのことを調査することになりました。安倍さんはその二人だけでなく、他の配流さんの関係者からも話を聞きたいそうです。それで、一人一人周るのが面倒なので一堂に会してもらおうという魂胆です」
「さっすが俺のバディ! そのとおりだ」
「もう、安倍さんってば。よく懲りずに出来ますね」
いくら上司とはいえ、こんな面倒くさがりな面倒くさい人への多少の失礼は許されて良いはずだ。俺はまだハイテンションを保っている安倍に、わざとらしくため息を吐く。それから、先ほどよりは納得した顔をしている寺島と栗山を振り返った。
「もちろん、こちら側のわがままだとは重々承知しています。しかし、一度に全員から話を聞くことにも、それなりにメリットはあります。例えば、記憶違いを訂正し合えたり、忘れてしまったことを補足し合えたり、あとは誰かが嘘を吐いたらすぐに分かったり、と。良いことばかりですよ」
俺は作り笑いをしながら、安倍の博打から学んだことを述べていく。安倍は捜査に行き詰まると、こうして関係者を集めて一斉に話をさせる。
過去に何度かこうすることで事件解決に繋がったこともあるので、悪手ではない。ただ、大勢の前で証言することを拒む人は一定数いるし、有益な情報を得られないこともある。だから、博打なのだ。どちらに転ぶか分からない、一か八かの賭け。俺たちバディの最終兵器。
「いきなり自分の病院の医師が逮捕だなんて、驚かない方が無理がある。きっと、今も混乱していると思います。だからこそ、真実を明らかにしたくはありませんか?」
俺の説明で揺らぎ始めている二人に、安倍がここぞとばかりに攻め入る。こうなったらもう、安倍の独壇場だ。俺は後を安倍に任せ、ゆっくりと舞台から降りる。
「お願いします。我々だって、事件の真相を解明したいだけなんです。どうかご協力のほど、よろしくお願いいたします!」
最後は勢いで押し切る作戦を使い、安倍は深く頭を下げた。俺も作戦成功のため安倍に倣う。勢い良くお願いをされれば、普通なら頷いてしまう。見たところ寺島は押しに弱く、栗山は寺島の従順な部下だ。この二人なら、確実にそうなる。
「分かりました。連絡してみます」
俺が心の中で勝利を確信してから数秒後、寺島は渋々といった様子で了解してくれた。栗山も後ろで不服そうにしたが、一瞬で表情を切り替える。やはり、押せばどうにかなってしまうらしい。
「ありがとうございます! では早速、今から言う人たちに声をかけてください」
博打の下準備は終わった。嬉しそうに意気込む安倍は、寺島に近寄り握手を交わす。本番はこれからなので、安倍は興奮から額に汗をにじませていた。俺もしっかりと、自分に喝を入れる。
「実験病棟の陣内さんと荒牧さん。外科の篭野さんに、セレンクリニックの天王寺友加さん。それから、朝川探偵社の三人とアイドルの貝塚璃王さん。彼女たち、事件のこと独自に調査していたみたいなので情報を共有出来れば嬉しいですね」
安倍が挙げた人物の多さに、俺は少々面食らった。いつもなら、被害者側か加害者側のどちらかしか集めない。それなのに今回の安倍は、配流玲の関係者も朝川寧音の関係者も呼ぼうとしている。普段の安倍なら、絶対にしない賭け方だった。
「連絡先は私が知っています。連絡しますので、しばらくお待ちください」
「二階にカンファレンス用の大会議室があります。そこを集合場所にしましょう」
連絡を回してくれるらしい栗山に礼をし、俺たちは院長室を退出する。顔を見合わせ微笑み合ってから、階段を降り指定された会議室に向かう。
スキップのような軽い足取りの上司を見ながら、俺は不安と不可解さから顔をしかめた。安倍の考えが読めないことは、バディを組んでからこれが始めてだった。
ーーーーー
「はい。今からみんなで向かいます。失礼します」
由命界総合病院の院長秘書からの電話を切り、私は事務所内を見回した。それなりに広い室内では、ちょうど夏休み期間中の夜野海新希と昼凪明日斗がローテーブルで課題に取り組んでいる。その横で活動停止中のアイドル、貝塚璃王がときどきアドバイスを送っている。私は申し訳ないと思いながら、三人の勉強時間を中断させた。
「新希、明日斗。今から探偵業の報告に行くんだけど、ついて来てくれる?」
「もちろんですよ、社長」
「俺も大丈夫です。それで、どこに行くんですか?」
社長である私が探偵業と言えば、助手と雑用係は二つ返事で了承してくれる。私は二人の純真さにあぐらをかき、いつもこの子たちを連れ回していた。どんなときも一緒に行動してくれるので困惑していたが、こういうときは存分にこれを利用させてもらおう。
「由命界で、寧音の件について刑事が話を聞きたいんだって。そこには私だけじゃなく、実験病棟の陣内さんと荒牧さん、外科の篭野さんとか配流玲を大切に想う人たちも来る。私も努力するけど、もしものときは止めて欲しい」
冷静でいられるよう、努めるつもりではいる。しかし、寧音が帰ってきたことで『共犯者』への憎しみを再認識した今、いつ私の理性が決壊するか分からない。もし自分が暴れるようなことになったら、新希たちに止めてもらいたい。
「了解です。助手として、社長の頼みは何でも聞きます!」
「ありがとう、新希」
「じゃあ雑用係は、他の人の話をまとめたりしましょうか。それが俺に出来ることなんで」
「お願いね。二人とも、頼りにしてる」
頼りがいのある青年を二人も雇うことが出来て、私は本当に運が良い。さっそく出かける準備をする二人を微笑ましく思う。新希は外見どおりの素直な青年だし、明日斗はお堅いように見えて新希以上に素直な青年だ。そして二人とも、人の役に立ちたいという意志が強い。探偵として、これほどまでに頼れる人はいないだろう。
そんなことを考えていると、背後から強い視線を感じた。そちらを慌てて振り向くと、私たちに取り残されそうになっている貝塚が不安そうに目を細めていた。まるで、雨に打たれる捨て猫のような眼差しだ。
「貝塚さんも一緒に来る?」
私が遠慮がちにそう訊ねると、貝塚はそれはもう嬉しそうに顔を綻ばせた。自分の恩人のために事件の調査に協力すると、貝塚は申し出てくれた。その決意は、彼を形作る核になったのかもしれない。
「行きます! むしろ行かせてください!」
学級委員長に立候補した小学生男児を想起させる威勢の良さで、貝塚は右腕を伸ばす。ここまでやる気に充ちていると、断るにも断り切れない。私は、こいつを置いて行こうとしていた自分を呪った。
「私はまだ配流玲のことも実験病棟の医師たちのことも、赦そうと思えていない。だから悪く言うかもしれない。それでも良い? あなたの大切な人を、悪人として扱う」
「愛意さん、何度も言わせないでください。僕は真実を求めているんです。玲さんのことを大切に想うから、玲さんが何をしたのかを知りたいんです」
「そう言っていたわね」
「はい。真実というゴールに向かって、僕は全力で走ります。どんな障害物があろうと、止まることはない。だから、真実に辿り着くまでの過程で玲さんが傷付くことになっても、僕はかまいません」
貝塚の瞳が燃えている。普通は目を輝かせるはずの場面だが、貝塚はただ燃えている。この人が輝くことはないのだろうか。それとも、私が彼の輝きを感じ取れないバカなのだろうか。
新希にアイドル姿を見せてもらったときも、彼が今を煌めくアイドルだとは感じられなかった。貝塚は、自分から煌めいているのではない。輝き煌めいているように魅せるのが、べらぼうに上手い。そう思っている。
「玲さんが悪く言われたということは、僕の中だけに留めておきます。僕はアイドルとしてこの地位を手に入れるまでに、たくさんの人を踏みにじってきました。今更、人の悪口ぐらいで傷付きませんよ。僕も玲さんも傷付かない。これで良いんです」
「そう」
短く返事をし、私も支度を始める。このまま貝塚と話していれば、彼の世界に呑み込まれてしまうと感じた。アイドル特有の人を取り込む不思議な力が、はたらいたのかもしれない。
いや、身の毛もよだつこの感覚。貝塚の考え方に、私は危機感を覚えたのだ。露出した肌に触れると、明らかに鳥肌が立っている。
貝塚は私の配流玲への負の感情を、すべて一人で抱え込もうとしている。私の憎しみを否定せず、かと言って恩人の心が傷付くことも良しとしない。誰も苦しめないために、自分が傷付こうとしている。その考え方に、寒気が走った。
黒いキャップを目深に被り、黒いマスクをつける。身バレに細心の注意を払うアイドルが、そこにはいる。だが、アイドルの彼は文字どおりの偶像だ。本当の彼は、自分が傷付くことをいとわないし、輝きを放つこともない。
そこまで考えて、それは結局自分の主観だと気付いた。貝塚璃王の本当の姿が何であれ、私には関係ないことだ。私は傍に立つ茶髪の青年の肩を叩く。
彼と男子高校生二人を連れ、私は由命界総合病院を目指した。
ーーーーー
外科部長に呼び出された俺は、ビクビクとしながら休憩室を出る。温めたばかりのカレーライスに、まだ手を付けていないことが悔やまれた。天王寺友仁外科部長の話は、いつも長い。要件はすぐに済ませてくれるのだが、そこに付随して決まって世間話をしてくる。これが超絶長い。
「あの、部長。玲の件なら、俺は責任とれませんよ。本当に申し訳ないですけど」
「それはどうでも良い。ところで篭野くん、今から暇かな? 一緒に来てもらいたいんだ」
俺の謝罪を受け流し、友仁は親指で背後を指す。これは、俺を誘っているのだろうか。それとも、こんな口ぶりだが命令しているのだろうか。俺はわけが分からず、首を傾げた。
「行くってどこにですか? それによっては、返答を変えざるをえませんよ」
「警察の取り調べ」
「は?」
思いもしなかった単語を吐き出され、俺はすっとんきょうな声をこぼす。直属の上司に説教をされるとばかり思い込んでいた俺に、警察からの取り調べは変化球が過ぎる。俺は友仁を怪訝な目付きで睨む。
「玲のことで、警察が関係者を集めて一斉に話を聞くつもりらしい。それで、玲の友人代表として君にも来てもらいたい」
「いやいやいや! 無理ですよ! 俺、午後から担当患者の診察がありますから」
午後の仕事内容を思い出し、俺は全力で頭を振る。親友のことで警察に話したいことは山ほどあるが、医師が患者より私情を優先してはいけない。件の親友から学んだ医師としての姿勢を、ここで貫かせてもらおう。
「外科部長は医師という職務より、父親としての自分を大事にするおつもりですか? 別にそれが悪いこととは思いませんが、俺は医師としての責務の方が大事です。そう玲から学んだので!」
はっきりと言い切り、俺は逃げるように踵を返す。家族か仕事かという議論には、それぞれの意見と反論があるので明確な答えが出ない。なのでここで俺と友仁が議論を重ねようが、それは不毛な時間にしかならない。
俺たちは、お互いの考えを理解している。だが、それを自分自身にも適用するとなると話は別だ。それを分かっているので、俺は一刻も早くこの場を去りたい。
「篭野くん!」
「はい!」
そう思っていたのに、名前を呼ばれれば立ち止まってしまうのが社会人である。俺は元気な返事をし、上司のもとに引き戻された。悔しさで泣きだしたいのだが、人前だと己に言い聞かせぐっと堪える。今は、友仁の言うことに従っておくべきだろうか。
「頼む! 力を貸して欲しい」
唐突に、俺は上司に頭を下げられた。その友仁の力強い懇願に動揺し、俺はその場でたたらを踏む。友仁は群を抜いて当たりの上司だが、部下にプライドもなく頼み込むのは威厳に関わるだろうに。俺は友仁が今後なめられてしまうことを想像し、勝手に落ち込んだ。
「外科部長、こういうのはやめた方が良いですよ。こんなことをしたって、誰も得をしません。あなたが恥をかき、俺が対応に困る。それだけです。というか、現在進行形でそうなっています」
「申し訳ない! だがどうしても、君の力が必要なんだ。俺と一緒に玲を救って欲しい!」
「玲を……?」
俺の親友を救う。今確かに、この人はそう言った。その意味を掴みかね、俺は眉根にしわを寄せる。警察の取り調べに応えることが、どうして玲を救うことに繋がるというのか。俺はもう、ついていけていない。
「そうだ。君は本当に、玲が誘拐事件を起こしたと思うか? 君の親友は、そんな惨たらしい人間だったか?」
「そんなことありません! 玲は! 俺の親友は、とっても優しい奴です!」
見え透いた友仁の挑発に、簡単にのせられた。それでもそれを後悔することなく、俺は肩で息をする。言えて良かった。半ば叫んだ形だったが、それくらい俺が本気だということが伝わったはずだ。本気で俺は、玲の優しさを信じている。
「そうだろ。俺も息子の姿をずっと見てきた。父親でないと思われていたとて、その事実が揺らぐことはない」
「だったら、息子さんのためにも立派な医者でいてください。玲は、あなたのような人間になりたいと言っていました。それなのに、当のあなたがこれですか?」
「そうだ。俺は患者より息子の方が大切だ。玲に失望されても良い。俺はそのくらい、あいつのためなら何でもする覚悟がある!」
その宣言に、俺は友仁の言葉を否定したかった理由が分かった。はっと息を呑み、友仁の固い肩に手を置く。とにかくまずは、この人を落ち着かせなければ。
「落ち着いてください。⋯⋯お願いします」
自分が言える立場ではない。そう思ってしまうと、か細い声しか出なかった。力の入らなくなった手が滑り落ち、太ももに当たる。いったい自分は、何をしているのだろう。
「すみません。俺が言えることではないんですけど。何だか、前の自分を見ているみたいで、止めないとって」
同族嫌悪だった。あの日、玲が逮捕されたとニュースで知った俺は、仕事を放り出し警察署まで走った。しかし、結局玲とは会えず無駄足になった。そしてそこで、聞いてしまった。玲の供述の裏取りに乗り出した捜査員が、頭一つ抜けて優秀な刑事だと。
途方に暮れて、その日は家に帰った。それからしばらくして、玲の供述どおり朝川寧音は発見された。何の因果か、その子を担当することになったのは俺だった。親友が犯罪者になったことを認められずにいた俺は、こんこんと眠る彼女を見た瞬間に思い知らされた。
「俺も玲が罪を犯したなんて、信じたくありません。でも、全部玲の言うとおりになっているんです。実際にこの目で彼女を診て、この手で彼女に触れて、苦しめられた被害者がいると分かったんです。そんな彼女を待ち望んでいた、健気な家族がいることも⋯⋯」
医師だから分かってしまった。寧音は、ただ誘拐されただけではない。一度怪我を負ったようで、彼女の体の数カ所には傷痕があった。だがそれらすべてが、適切に処置された後だった。それは、医療知識と技術を的確に使える人間にしか出来ないことだ。
「玲は傷だらけの少女を救っただけかもしれない。何度も、そうであって欲しいと願った。でも玲は自分が事故に遭わせて、慌てて隠そうとしたと言っています。あいつ、あんな感じで嘘吐くの超絶下手なんですよ」
「そうだな。隠し事は上手いのに」
「はい。玲の警察への言葉に、きっと嘘はなかったんです。だから寧音さんは助かった。もう、そうとしか考えられません」
玲の性格と現実を突き合わせれば、おのずとその結論に行き着いた。玲は嘘を吐けない。つまり、玲の供述はあいつが作ったフィクションではない。被害者は保護された。つまり、玲は犯人側しか知り得ない情報をもっていた。
そしてあいつは、不器用だった。ボロボロの少女を見て、救わなければいけないと医師の使命に火がついたのだろう。彼女を救おうと一生懸命になって、その方法を間違えた。正直、あいつはそういうところがある。命さえあれば良いのだと、ときどき倫理観のない答えを出す。もしかしたら、玲は間違えてしまっただけなのかもしれない。
「俺、いや、俺たちは無力です。真実を知らないから、あいつを信じてやるしかないのに、信じるだけでは何にもならない。俺たちががむしゃらに走ったところで、何も変わらないんです。俺たちはおとなしく、医者やってるしかないんですよ」
俺はもう諦めているし、逃げることにした。最初は真実を知りたいと思ったが、どうやら俺には無理そうだ。良い医師のふりをして寧音の治療を続け、彼女の口から聴く方が絶対に良い。彼女の証言に、嘘は絶対に混ざらない。なら、それで良いではないか。
「断言します。俺たちが事件に関して、出来ることはありません。骨折り損になって終わりです。俺はそうなりましたが、外科部長はどうか踏み止まってください。お願いします」
俺は、深く深く背中を折った。ここまで言えば、友仁も分かってくれたに違いない。俺にしては上手く説明出来たと思う。きっと、俺たちがどれだけ無駄なことをしようとしていたか理解してくれた。俺はゆっくりと顔を上げる。
「そうだな。俺たちは、事件の真相を知らない。掴むことも出来ない」
「そうですよ。だから⋯⋯」
「だからこそ、警察に伝えなければならないこともある。玲がどんな人だったのか、普段何を考えているのか。俺たちしか知らないことを、伝える義務がある」
「そんなことしたって」
「無駄か? 本当にそうか?」
友仁にまっすぐと瞳を見られる。血の繋がりはないのに、その眼力は玲とそっくりだった。
「君は今の玲に会ったか? 終わりを願う、憔悴しきった玲を見たか?」
「それは⋯⋯」
「俺たちがするべきことは、事件の真相で玲を救うことではない。俺たちが玲をどれだけ想っているのかを伝え、前を向かせることだ。そのために俺は、玲の親友である君に力を貸してもらいたい。篭野くん、君は玲のことが大好きだろ?」
友仁の言い分はもっともだ。俺は親友のためと言いながら、一人で突っ走って一人で絶望していた。親友のことを知ろうともせず、親友のために全力になれる自分に溺れていた。それでは、ダメなのか。
「外科部長、ありがとうございます。おかげで目が覚めました。俺も取り調べに行きます。玲のこと、大好きなんで」
「ありがとう。君の午後の診察は、副部長に頼んでおくよ。あの人も優秀だからね」
「お願いします」
俺はくすぶりまくっている外科のナンバーツーを思い起こし、すぐに掻き消した。友仁がすご過ぎるだけで、あの人も充分にすごい。患者を託せる人だ。
「玲のためにって考えたら、真相究明しか思いつかなかったです。でも、そうですよね。信じて大好きや大切を伝えることだって、玲のためになりますよね」
俺は友仁に微笑んだ。友仁も朗らかに微笑み返す。そうだ。俺たちに出来ることは必ずある。だからそれを、全力でやれば良い。大切な人を救うことに、絶対に繋がるのだから。
そう思った俺は、スマホを取り出しもう一人の親友に電話をかける。彼も玲が大好きだ。外せない用事が無いかぎり、あいつの最優先事項もまた玲である。俺は電子音の次に聞こえた、軽快な関西弁に耳を傾けた。
「どないしたん? 法助からかけてくるなんて、珍しいもんやな」
「なあ、巡。今から由命界来れない? てか暇?」
友仁から距離をとり、とりあえず世間話のトーンで千歳巡に訊ねる。巡は電話の向こうでわざとらしく考え込み、直後に弾けるくらい元気な声をあげた。
「グッドタイミングや、法助! 今日は午後に講義ない日やから、めちゃくちゃ暇やったで」
「そうなのか! だったら、今すぐこっちに来て欲しい。警察が取り調べで、玲の友人代表として俺から話を聞きたいらしい。でも、玲の友人はお前もだろ。一緒に話をしてくれ」
「それって、一対一とちゃうん?」
「ああ。一斉にって言ってたから、大人数を想定してると思う」
巡だとは思えないほど、向こう側から発せられる雰囲気がよどんでいく。そりゃ、いきなり警察の取り調べを受けて欲しいと言われればそうなるか。俺は内省し、話を断る方向にもっていくことにした。
「でも巡、無理強いはしない。急にごめんな」
「いや、行きたいんは行きたいんやけど、何話すん? そこ聞いとこ思て」
「何でも良いよ。巡が玲に伝えたいことなら。玲への想いで、玲に元気を出してもらうことが目的だから」
俺がそう言った瞬間、巡は嘲るように鼻を鳴らした。笑われた。違う、嗤われたのか。俺は怒りか不安からか、スマホを握る手に力を込める。
「せやなあ。法助は何も知らんもんな。そうなるよなあ」
「巡? どういうこと?」
「今まで黙っとってごめん。俺、全部知っとる。あの事件の真相、友加ちゃんから教えてもらってたんやけど。言う機会、なかなか見つけられんくて」
尻すぼみになっていく巡の告白に、俺の中の何かにエンジンがかかる。勝機を見出したような、そんな高揚感に襲われ右手でガッツポーズをした。
「巡! それ警察に言おう。言った方が良いよ」
「せやけど、これ言うと玲が悲しむかもしれへんし……」
「玲が、裁かれるべきことをしたってことか?」
「せや。けどな、真犯人は別におる。玲はそいつが大事やから守ろうとしとる」
それだけで充分だった。巡が真実を知ってなお、それを口外しなかった理由。真実が、玲を傷付ける力をもっていると知ったからだ。
「なるほど。玲の心を守るために、言うべきではないってことか」
「法助は、どうするんが正解やと思う? 玲は繊細やし、これ以上負担かけたらアカンと思う」
「そうだね。でも俺は、言うべきだと思う」
歯切れの悪い巡に、俺は自信満々に断言する。友仁に答えを教えてもらったばかりだから、俺は簡単にそうあれる。
「真実は大事だ。罪は正しく裁かれるべきで、正しく償われるべき。俺は親友に、それが当たり前に出来る人であって欲しい」
「玲の心が、引き裂かれてもか?」
「俺はそう思うって話。傷付けて傷付いて、それでも最後に笑い合えていれば良い。玲が苦しんでいたら、全力で想いを伝えて励ます。俺たちには、それが出来る」
上司からの受け売りだけど、とは言わなかった。俺の言葉だと思っている方が、巡の心には良く響くだろう。案の定、巡が笑顔になる気配がした。
「せやね! 俺、今からそっち行って真実を話す。もちろん証人として友加ちゃんも連れてくから、ちょっと待っといてな」
言うだけ言って、巡は一方的に通話を切る。暗くなる画面を見つめ、俺は腹をくくった。これから何があるかなんて分からない。真実だって分からない。でも、それでも、親友が大好きならば。
賭けてやる。俺たちの友情に、どんな困難でも乗り越えられる力があると。
読んでくださりありがとうございます!
次回も読んでいただけると嬉しいです!




