13ー3
街灯で照らされた道を先を考えずに走り、着替えた市街地用制服をフロールの家に置いてきてしまったことに気がついた時には、完璧に道に迷っていた。
階級紀章だけはつけているので、本部に戻ることはできる。
しかし戻るつもりはないし、今から戻る勇気の有無以前に、ここがどこかすらわからなくなっていた。
疲れているわけではないのに、手足に力が入らなくなって、道の脇の段差へと座り込む。
街灯の明かりは遠いので、オレの髪の毛の白さも目立たないだろう。
……オレは一体、何がしたいんだよ。
関わる人みんなに迷惑をかけて、自分では何一つ満足にできない。
これまでは魔物の駆除なら人よりも上だ、と言う自負があった。
実働部隊の部隊長なんていう肩書きのせいで、それさえも失っている今のオレには何もない。
もう一つの肩書きの学院生も成績が飛び抜けて良いわけではないし、他の学院生と比べて優れているところなんて何も思いつかない。
何一つできない役立たずになってみて、やっと分かった。
オレは周りに甘えて、何も自分で努力なんてしてこなかったんだ。
普通の人が身につけているマナーや常識を学ぼうとせず、学院生としても中途半端、自分から友人を作ろうとすらしていない。
興味のあること以外、何も知ろうとしなかった。
「……死にたい」
あの時、アンヌンツィアータに殺されてしまえば良かった。
こんな風に、白い化け物みたいな姿で生き延びたせいで、自分がただのクソ野郎だって気がついてしまった。
「坊主、どうした?」
「……」
道の脇の段差に座り込んでいたら、頭上から声が降ってきた。
無視をしていればいなくなるだろう、と何を言わなかったけれど、その場の誰かはそこを動かない。
「なんだ、家出でもしてきたのか?
家に帰りたくないってんなら、衛兵の詰所にでも送っていってやるぞ?」
「……」
街灯の光が当たっていないからなのか、オレが白い髪だと気がついていないようだ。
「それとも孤児なのか?
どっから来た?」
「……」
なんで、初対面のオレに構うんだよ。
放っておいてくれ。
「なあ——」
さらに男が何かを口にしかけたその時、オレの腹が鳴った。
「——あー、と、あ、そうだ」
男は手に持っていた箱を開いて、何かをオレに押し付けた。
「残りもんだから気にすんな、ほれ、食え」
思わず顔をしかめそうになったものの、これを受け取ったら、男の気が済んで立ち去るだろうか?と思い直してそれを受け取った。
薄くて、丸い。
ザクリと口の中で砕けて、薄い生地の間に挟まれたシロップの甘い香りと味が口の中に広がる。
この味は知ってる。
よく、北区で食堂のおばちゃんたちへのお土産に買っていた焼き菓子だ。
鼻の奥が痛くなって、目の前が揺れた。
なんでオレなんだ。
なんでオレには何もないんだ。
なんでオレが選ばれたんだ。
なんでオレがこんな目に合うんだ!
焼き菓子を頬張りながら、止められない涙を流していると、複数の靴音がした。
顔を上げると、焼き菓子の入った箱を持った男性のさらに後ろに、髪を乱して息を荒げたヴュルフさんが立っていた。
そしてフィンケ実働部隊部隊長補佐も。
「……大叔父さん」
「探しましたよ」
ここで個人情報を出してはいけない、と考えられる程度には、まだ頭が回った。
男性はオレとヴュルフさんを見比べてから、おもむろに踵を返すと、焼き菓子の箱をゆっくりとした仕草でヴュルフさんへと差し出した。
「残りもんを押し付けるようで悪いが、腹を減らしてるみたいだから食わせてやったらどうかな。
坊主、家の人を心配させちゃいけねぇよ」
男性は自分の役目は済んだ、と言わんばかりにそのまま立ち去ってしまい、残されたオレは居心地の悪さを覚えながら、口の中の甘味を飲み下した。
涙で濡れた頬が冷たい。
誰も彼もが優しい。
オレには優しくされるだけの価値なんてない。
「ヨドクス」
少し前にストラックヮダーニオにされたように、森にいた頃のように、気絶するまで殴られるのだろうか、と思いながら顔を上げる。
「すいませんでした」
かけられた言葉の意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。
なんで、ヴュルフさんがオレに謝るんだろうか?
任務である勉強を放り出して本部から逃げ出したことを、オレが謝らないといけないはずなのに。
「ベイエルスベルヘン精神療士長の診断結果が王宮に送られました。
近いうちに返事が来るでしょうが、今期の試験は受けなくて良いことになるでしょう」
試験を、受けなくていい?
なんでだ。
オレはもう、必要ないってことか?
座っているにもかかわらず、足元に穴が空いたような気がした。
試験勉強も貴族のあれこれも嫌だと思っていたのに、必要ないと言われると、途端にそれを後悔する。
——オレは、必要とされたいと、思っているのか?
認められたくて、でも、どうしたら認められるのか分からないから、こんなにもどかしくて苛立ちがつのる。
今までに、こんな風に思ったことなんてなかった。
何を言っても、何を望んでも、思った通りに事が運ぶことなど何一つなくて。
教師たちのやることに口を挟むことも、実働隊の方針に異を唱えることもしてこなかった。
それが、普通だと思ってた。
何もかも思い通りにならないことが普通で、それを苦痛だと思ったことなんてなかったはずなのに。
「オレは……なんのために、いるんでしょうか?」
ヴュルフさんに聞いても意味のないことだと分かっているのに、言葉を止められなかった。
答えが返ってくるはずもないのに。
自分が望む答えなんて、得られるはずがないのに。
「ヨドクス、君は自分のためにいるんです。
他の誰がなんと言おうと、自分のために生きていいのですよ」
筋肉に覆われていないのに力強い腕に抱きしめられるのは三度目で、何故かはわからないけれどすごく落ち着く。
オレって、自分でも気がついてなかったけれど泣き虫だったんだろうか?
そんなことを思いながら、ヴュルフさんの腕の中で泣いた。
泣き止んでから、その場にフィンケ補佐もいたことを思い出したけれど、どうやってもごまかせる気がしなかった。
「今日はうちに泊まって行きなさい」
そう言われて、前に誘拐同然に連れて行かれた木造の豪邸に案内された。
西区の貴族街の中でも大きな敷地を持っているせいで、前は王都の中だとは気がつかなかった。
フィンケ補佐は本部へ報告へ戻り。
オレはヴュルフさんに連れられるままに来てしまった。
夕食を食べている途中で席を立ったせいで、空腹を覚えたが、貴族街に夜遅くまで開店している店などないだろう。
そう言えば、フロールも心配しているんじゃないだろうか。
いきなり飛び出してしまったからな。
考えなく動いてしまう癖は、どうにかならないものだろうか。
案内されたのは、以前に食事をした部屋だ。
今の時間が分からないけれど、食事には遅いくらいは分かる。
「そう言えば、うちの料理人はスモークハムサンドを作るのが上手くてね」
使用人の人形が運んで来た皿の上には、一口大の黒いパンのサンドウィッチが乗っている。
普段パン屋で買うようなクーぺの形ではない、ローフから切り出したパン。
わざわざ用意してくれたのだろうか?と空腹も手伝って手を伸ばす。
「……美味しい」
燻製の香りと野菜の歯ごたえ。
酸味のある黒いパンの生地と力強いハムの香りがすごく合う。
食べたことがある。
そう思ったのは、気のせいじゃない。
森の中で暮らしていた頃から、魔術の練習をするとひどく腹が減って、食事の時間までが待ち遠しいと思っていた。
そんな時に、自室に戻るとこれが用意してあることが多かった。
丸いふたのかぶせられた大皿に、綺麗に盛り付けられた黒いパンのサンドウィッチ。
保温用のポットに入った紅茶と、保冷用の小さい容器でミルク、シュガーポットが添えられていた。
使用人の姿を目にすることは滅多になかったけれど、オレが使用人を苦手に思っていたことを、知られていたのかもしれない。
「ヨドクス、酷なことを言うかもしれないが、私たちが君を守ってあげられるのは成人までだ。
それ以降は周囲の国の圧に負ける可能性が高い。
だからこそ、今の内にどうしたいのか、どうなりたいのか、を君の意思で考えておいてほしい」
今は逃げてもいい、けれど、制限時間もある、ということらしい。
先ほど自分が甘やかされていたと自覚した身としては、耳が痛い。
やりたくないことを、やらされている、のではなく自分の意思でやれと言いたいのだろう。
今までは反論の余地なく、選択肢すらなく、やりたくないと思うことさえ無駄だと思っていた。
これからは、やりたくなくてもやる、に変えるしかないらしい。
それとも、何もかもを捨てて、この国から逃げ出してもいいのだろうか?
「はい」
少なくとも時間は与えてもらった。
猶予があるなら、一度、周りを見て考え直す時間を作るべきだろう。
到達点は一箇所しかないとしても、そこまでに至る道は、自分で選ばせてもらえるらしい。
通りすがりは、北区で何度も通っている、焼き菓子屋台のおじさんです
屋台の母体がフロート商会なので、店じまい後に備品の発注と色々報告に寄った帰り
あれ?見覚えがあるような?と心配して声をかけてくれてるだけで、怪しくないよー




