12ー3
スロースと名乗る貴族らしい学院生に絡まれて困っていると、そこに誰かが寄ってきた。
「スロース、やめなさい」
「先生」
うわ、出た。
思わずそう思いながらプッテンを見上げる。
ゴーグルの時は助かったけれど、正直、何であの時に一番に動いたの?って思っているくらいだ。
ええと、もしかしてこのスロースってやつは、一年一組の学院生なのか。
貴族様はそこにいるだけで偉いから敬え!っていう困った選民意識の高い系教員と学院生って、組み合わせとしては最悪じゃないのか?
お互いを高め合う関係がいい方向じゃない時は、周りへの被害が甚大すぎると思うんだが。
「ギュエスト殿、時と場を弁えずに失礼を致しました」
「先生、なぜ止めるのですか!」
思わず「ええ!?」って口に出して言ってしまうところだった。
まさかプッテンがスロースを止めて、その上謝ってくるなんて。
スロースと一緒に、貴族様にものを教えてもらえて光栄だと思え!とか騒がれるかと思ったのに。
貴族式なものなのか、綺麗な礼を見せるプッテンに向かってスロースが口調を荒げる。
貴族らしい得体の知れない表情は剥げ落ちて、年齢相応の少年の表情で。
ちょっと安心したけれど、同時に思う。
相手によって何枚も仮面を交換しながら、肩書きにこだわって生きるってのは、大変そうだな。
オレなんて隊長と学院生だけでヒーヒー言ってるのに。
「なぜ、を一から十まで説明しなくては理解できんのかね?」
「ええ分かりませんとも、こいつは無知で愚かです、私が助けてやると言っているのにそれを拒むのですから!」
「……他所でやってくれ」
痴話喧嘩?には付き合ってられないよ、とまだ修理が終わっていない床が、個人的に目に痛い食堂を後にしようとしたその時。
「こいつが英雄?化け物の間違いでしょう!ナガレモノに何を遠慮する必要があるのです!」
「スロース!」
思わず動いてしまったのは、いつもすぐ側に激昂しやすいストラックヮダーニオがいたからだ。
一気に沸点に届く感情の動きが察知できても、なんの役にも立たないけどな。
「……ギュエスト殿」
プッテンがスロースへ振り下ろした手首を、とっさに歩み寄って受け止めたのはいいが、この後のことを何も考えていなかった。
勢いだけで、教師が貴族のお坊ちゃんに手をあげたらダメだよね、って動くべきじゃなかった。
何を言うべきだろうか。
それまで傍観を決め込んでいたのに、するりと近づいてきたフロールが「僕のために争わないで!だと思う」って囁くけれど、絶対違うだろ!
なんで今ここで、そんな冗談を言わせようとするんだよ!
無害な羊みたいな雰囲気をしてるくせに、人をおちょくってんのか。
この緊迫した空気の中で、本当にその言葉を選択できたら尊敬する!
あ、そうだ。
「ナガレモノとはどういう意味だ?」
そうそう、これ聞いとかないとな。
前にも言われたけど、いい意味じゃないんだろな。
知りたくないけれど知っておいたほうがいい気がする。
「オスフェデアに帰属せず、世に疫魔を運び秩序を乱す災厄持ちの家なしどものことだ!」
「スロース様、ここはわたくしにお任せくださいませ」
うわ、思った以上に酷い意味だった。
でもその言葉の中身を考えてみると、ただの移民ってことだよな?
移民の何が悪いんだよ?
顔に血を登らせて怒鳴ったスロースは、後ろにくっついていた背の高い学院生に声をかけられている。
なんか、見覚えのある学院生だな……。
「トム、崇高な意思をこの愚か者に語ってやれ。
理解できないとしても耳を傾けるくらいはできるだろう?」
「はい」
……トム?
あ、なんか思い出した。
こいつら、確か前に絡んできた奴らだ。
それで、絡まれたのは思い出したけど、何を話したか覚えてない。
覚えてないってことは、大したことは話してないってことだよな?
いつの間にか力の抜けているプッテンの手首を離して、目の前に立ちふさがった背の高い学院生を見上げる。
そうだ、前の時もこうやって見下ろして、いや見下してきていたな。
結局のところ会話にならなくて、何が言いたいのかわからなかったんだっけ?
オレの頭が悪いからじゃないと思いたい。
「そこまでにして頂けるかしら、スロース」
「……ニート様」
なんだよ、また増えたよ!
頼むから昼休みくらいのんびりさせてほしい。
こつりと石の床を踏み、すらりとした体型の女子学院生が姿を見せる。
その身のこなしだけで貴族だとわかる人物に、学院で出会うのは初めてだ。
周りに助けを求めようと視線を動かしてみるけれど、困ったような顔でこちらを見る学院生ばかりだ。
あ、ロキュスとアルナウト。
……もう、前みたいに友人づきあいはできないんだろうか。
「お初に御目文字つかまつります。
ニート侯爵家三女のカチャ・ド・ニートと申します。
このような場では礼を失する行為ではございますが、いつぞやの公開鍛錬で姉が醜態を晒し、ご迷惑をお掛けいたしましたこと、心よりお詫びをさせて頂きたく存じます」
当然のことながらオレよりも背が高く、いかにも貴族らしい整った顔立ち、顎は細く繊細な印象でありながら、身のこなしは明らかに戦いを知る者の体捌きを含んでいる。
手足が長いので、長柄の武器をもたせたらさぞかし映えるだろう。
「申し訳ないが、覚えがない」
ニート侯爵家って言われてもな。
オスフェデア王国にいくつ貴族の家があるのかも知らないのに、どう反応しろって?
知らないって言いづらいから言わないだけで、公開鍛錬で何かあったってことは、その姉という人は実働隊の上級隊員の一人なんだろう。
醜態と言われても、思い出せない。
実働部隊で上級隊員の職についている女性は五人くらいだったか?
その中で知っているのはフィンケ補佐だけだ。
普段から接点がないので顔も名前も覚えていないし、もちろん貴族なのか叩き上げなのかも知らない。
しかもあの時はクサンデルたちに無様を見せずに終わらせるにはどうしたらいいか、しか考えてなかった。
「……器の大きいお方だと伺ってはおりましたが、斯様に優しいお方でもあるとは存じませんでした。
お言葉に甘えさせて頂きとうございます」
え、なんか、誤解されてないか?
ここであなたのお姉さんって何番隊の誰ですか?って聞けないのが、オレのいけないところなのか。
女性が相手になると、本当にどう振る舞ったら良いか分かんないんだよな。
下手なことを言うと殴られるかから、口を閉じておくのが一番安全策だと思っている。
学院の女子学院生を見ている限り、普通の女性は人をすぐに殴らないのかもしれないけれど、会話をしたことのある女性が第一隊の隊員か、食堂のおばちゃんたち、パン屋のおばちゃんくらいだから自信がない。
「スロース、宝玉の小さな瑕疵の一つに拘泥する者こそ愚者と呼ばれるべきではありませんか?
下がりなさい、あなたの負けですよ」
「……覚えているがいい」
こちらを睨んでから、石の床を足音高く踏みならして去っていく背中を見ながら、次に会った時に思い出せるだろうか?と思ってしまう。
スロースは顔立ちや髪色に強烈な個性がないし、体格にも特徴がない。
姿勢は良いが、歩き方は学院生に多いズルズル歩きで、下半身の筋肉量をもっと増やせ!って思うくらいだ。
トムという……ええと、使用人?が金魚のフンみたいにくっついていて、常に睨んでくるなら見分けられるかもしれないが、単体で来られると困るな。
そうだ、髪型を目立つ感じにしてもらうとか、学院の制服じゃなくて、いかにも貴族!っていう派手な格好に着替えてきてくれたら助かる。
「助力を感謝する」
「いいえ、お助け頂きましたのは我が家の名でございます。
恥を忍んで御前に姿を晒した甲斐がございました、恩情をお与え頂いたことをニート侯爵家は忘れません」
ええぇ、なんて言えばオレの言葉に裏なんてない、と通じるんだろうか。
もしかして何を言っても無駄だと馬鹿にされているとか?
「プッテン先生、ギュエスト様、大変失礼をいたしました」
丁寧な淑女の礼?を見せると、あっという間に貴族令嬢らしい歩き方で行ってしまった。
あれ、何か用があったわけではないのか?
まずはご挨拶ってことなんだろうか?
それにしてもすごい。
貴族の女性は本を頭の上に乗せて流れるように歩く練習をする、って何かで読んだけれど、頭の上に中身入りのティーカップを乗せてもこぼれそうにない安定感だ。
スカートに隠れている下半身が、かなり鍛えられていると見た。
今までに接点はなかったが、貴族令嬢は侮れない相手かもしれない。
それよりも、目の前にいるプッテンをどうしたら良い?
さあ、邪魔者は追い払ったので自分の番だ!みたいな顔をされると、非常に迷惑です。
「先ほどは申し訳ありませんでした」
教師としてあるまじき醜態をお見せして申し訳ありません、と謝られても、謝る相手が違うんじゃないだろうか?
殴られそうになったのはオレじゃなくて、スロースとかいう一組の学院生だろう?
目の前で真剣な顔をしているプッテンを追い払う理由がなく、困っていると詰め寄られてしまった。
「どうかお願いします。
一組の学生達を、循環特化型魔術研究会に参加させていただけないでしょうか?」
え?そこなの?
前みたいに、一組に入れ!って言うかと思ったのに。
そんなことを言われても、あの研究会は直接的にはオレと関係ない。
あ、発足はオレの一声からってことになってるけど、白くなってからは級友が嫌がるかと思って参加していない。
四組の中でも浮いているせいで、研究会に顔を出す勇気がない。
無視されたら本当に泣くぞ。
「プッテン先生、そういうのは顧問のラウテル先生に直接話してください」
「そうですよ、ヨー君は今、大事な休息中ですから」
唐突にクサンデルとフロールが会話に入ってくる。
大事な休息って、ただの昼休みだろ?
まあ、話を直にラウテルさんに持って行ってもらった方が助かるのは事実だ。
今は個人的に忙しすぎて、オレに研究会のためにできることなんてない。
「力になれず申し訳ない」
いや、本当にそう思ってるから。




