9ー7 朝食にて
目を開けば視界の端に、見覚えのある白い顔がある。
感情のない顔、動くはずのないそれは仮面のようなもので、言葉を発することもない。
目にはガラス玉のようなものがはめ込まれているけれど、焦点はどこにもあっていない。
顔立ちは作っている工房?の傾向なのか全部似ていて、近くで見れば人ではないのが分かるように、鼻の穴や眉毛なんかはペイントだ。
懐かしい、と思いながら目を開ける。
本当に幼い子供の頃は、これが室内にいても不愉快じゃなかった。
いつからこの使用人の形をした人形が、気持ち悪くて恐ろしいものになったんだろう。
幼い頃、森の中で暮らしていた頃のこと、使用人たちがケーキを用意してくれた。
たしか四歳の誕生日か、もっと前かもしれない。
なぜかそれ以前にはケーキやパイのような甘味を食べた記憶がない、だからよく覚えている。
そのときはまだ彼女らが人形だと知らなくて、初めて見て食べたケーキがすごく美味しかったことに舞い上がっていた。
甘いシロップがたっぷりと染み込んだしっとりとした黒い生地に、まんべんなく散りばめられたナッツとドライフルーツ。
たっぷりと添えられた真っ白なホイップ。
当時は分からなかったけれど、しっかりと時間をかけて熟成されたそれには、手間暇がかけられていたのだろう。
教師たちには止められたけれど、子供のオレは、もう一度ケーキが食べたかった。
その時点で教師たちに自炊能力がないことは理解していたので、なんとかしてケーキが欲しい、とこっそりと家の使用人専用区画に入った。
そこは、入ってはいけない場所だった。
教師たちは使用人たちに関わるな、といつも言っていたから。
初めて厨房に入ったオレを、ほとんど同じ顔立ちの使用人たちは働きながら一瞥すらしなかった。
怯えながらも一人ずつ声をかけて、ケーキが欲しいとねだったが、言葉も返されなかった。
そのときは反応のないことを不気味だと思ったものの、使用人たちは時折甘味を用意してくれるようになった。
それ以外でも、オレが美味しいと思った料理が分かるらしく、定期的に作ってくれた。
魔術を習得していくに連れて、飢えを覚える感覚が強くなっていったので、ずっと美味しいものを食べられることを喜んでいたものの、使用人たちが人ではないと知った時に恐ろしくなった。
どうやって動いているか理解もできないし、会話も意思の疎通もできないのに、どうしてオレが好きなものを配慮するのか?と。
ある教師が言った——こいつらの蓄積した情報を管理してる奴が、お前のために献立を立ててんじゃないのかい?——で怖くなった。
顔も姿も知らない誰かに監視されている、と知ってしまったことが怖かった。
だから、教師たちが行方をくらませてしまった後、森を出ることにした。
傍若無人な教師たちがいれば、使用人たちの後ろに誰がいるのか分からなくても、平気だったのに。
一人になると、使用人たちの焦点の合わない瞳が、ずっとオレを見張っているような気がして恐ろしかった。
「オハヨウゴザイマス」
滑るように近づいてきた使用人の腹部から、録音して再生されたような女性の声がした。
口元は一切動いていない、そもそも動くように作られていないのだろう。
なるほど、改良されているのか、とは思ったものの、起き抜けに人形を見たことで憂鬱な気持ちになっていた。
「オキガエヲオモチシマス オショクジヲゴヨウイシマス ソノバデオマチクダサイ」
録音されている音声を順番に再生しているのか、誰かが遠隔で操作しているのか。
どうでもいい。
もうケーキに喜ぶ幼い子供ではない。
見上げた大きな窓はカーテンが開かれていて、陽光が差し込んでいた。
記憶が部屋に入ったところで途切れている、今は朝なのだろうか。
……あの苦かったコーヒーに、何かが混入されていた?
いや、オレの体調の問題か?
やはり学院に行くようになってから腑抜けたな、自分のことながら調整と警戒が足りなすぎるだろう。
「なるほど、オレを飼い殺しにする気か」
ぼそりと声に出してしまってから、魔術具の使用人人形がいることを思いだした。
死ぬまで実働隊を離れられないという事実を、借金返済のために生きていた時に知りたかった。
今は死にたくないと思ってしまっている。
教師たちに与えられた言葉や忠告以外は信じないように気をつけ、実働隊に配属されてからも誰も信じていないつもりだった。
つもりだったのに、学院に行ってクサンデルたちに出会ったせいで滅茶苦茶だ。
部下たちは信用してる、でも本当に信頼できると思ったのは、クサンデルたちが初めてだった。
何の裏もない好意を向けられて、嬉しかった。
このまま何も言わずにオレが行方不明になったら、どうなるだろう。
ただの学院生でしかないクサンデルが、実働隊を相手にして騒ぎを起こすとは思えないし、息子の未来を考えているサッセン隊長が、仕事を失う危険を冒してまでオレを探すとも思えない。
案外、ここで暴れまくって殺されても、何も問題ないんじゃないだろうか。
いいように使い潰されて、魔物に殺されるしか道がないなら、死に時くらい自分で決めたい。
利用された挙句に、死ぬまで戦わなくてはいけないなんて、とても受け入れられない。
生き方を決められる時が来るのはまだ先だと思っていたのに、最初から囲い込まれていたなんて。
「シツレイイタシマス」
ノックの音がして扉が押し開かれると、カートを押した使用人人形が入ってくる。
「オキガエをオモチシマシタ」
カートに乗せられていたかごを置いて、入ってきた人形は立ち去ったけれど、初めから室内にいた人形はその場を動こうとしない。
ガラスの様な目には何も写っていない。
掛け布団をめくると、見覚えのないシャツとパンツ姿になっていた。
渡されたのもオレの服じゃない。
下着からシャツ、上着まで揃えられているそれらを人形の前で着替えろと?
再び視線を送ってみるけれど、やはり人形は動かない。
「……出ていってくれ」
「カシコマリマシタ」
悩んだ末に声をかけると、意外なことに人形が返事をして部屋を出ていった。
森にいた頃の無反応さを思い出して驚いたけれど、いつ戻ってくるか分からないので急いで着替えてしまう。
本当なら服に変な魔術が刻まれていないかを調べたいが、裸を見られるのは嫌だ。
人形がオレを監視しているならなおさら。
人形の用意した服は、よく言ってお貴族様の服だった。
艶のある紺色の生地に金糸の細かい刺繍が袖口や襟元、胸元に施されている。
刺繍の意匠は綿毛のように丸い花の模様だ。
花柄って子供服かよ。
動きにくいことはないけれど、思わず鏡の前で固まってしまう。
もっと普通の、こうワンポイントすらなしの無地で灰色のシャツとパンツとか、ないのか。
結局、着替えて寝台を整えた頃に人形は戻ってきた。
「オショクジガゴヨウイデキマシタ」
そのまま部屋を出て、人形の後をついて行く。
木の匂いが満ちている廊下は静まり返っているが、カーテンの開かれた窓の外では木々が揺れている。
今日も風が強いらしい。
昨日オレが持っていた荷物は室内になかった。
学院の制服も実働隊の制服も、杖も。
杖がなくても魔術の発動に支障がないことを、ヴュルフさんは知らないのか。
それとも、オレが暴れないと思い込んでいるのか?
これまでも便利な道具扱いをされていると思ったことがあったが、一切の反論をしなかったし、目的を聞くことはあっても拒否はしてこなかった。
だからこそ、これからもおとなしく従うと?
「オツレシマシタ」
すでに開かれている両開きの扉の前で人形がそう言うと、室内で誰かが動く気配がした。
床に敷き詰められている分厚い絨毯を踏んで、室内に入ると声をかけられる。
「おはよう、ヨドクス」
「……」
眠たい猫を思わせる穏やかな表情のヴュルフさんを見ても、もう、この人を信用できると思えなかった。
ガキだと思われても、言葉を返したくない。
暴れると決めたら、速やかに動く。
今はまだ、もう少しだけ様子を見てもいい。
◆
静まり返った室内には、食器とカトラリーが当たるかすかな音だけがしている。
無言の使用人たちの手で用意された食事は、豪華でも質素でもなかった。
どれもこれもオレが好きな料理で、ちょっと使用食材が多めで綺麗に盛り付けられていて、なぜかオレの前だけ出てくる皿の数が多い。
「たくさん用意してあるから、お腹いっぱい食べなさい」
「……」
にこやかに言われても、警戒している相手の言葉には従いづらい。
もしも昨夜の目眩と昏睡が薬や魔術のせいで、強制的に眠らされたのだとしたら、この食事にも何が混入されているか分かったものじゃない。
空腹を覚えているのに食べられないのは辛い。
そういえば昨日の夕飯も食いっぱぐれているな、腹が減りすぎて胃が痛い。
「夕食も取らずに寝てしまったみたいだけれど、疲れていたのかい?」
「……」
薬や魔術でオレを眠らせたわけじゃないのか。
なら、昨日のは何だったんだ?
「昨日言ったことに怒っているのかい。
でも、まあ、君のそういう子供っぽい態度を見られて嬉しいよ」
「……」
会話をしたくないので無視し続けているのに、ずっと嬉しそうに微笑んでいるヴュルフさんが薄気味悪い。
ヴュルフさんのイメージがどんどん変わっていく。
どんな人にも多角的な面があると言うけれど、あまりにも変わりすぎじゃないか?
「まず、何から話せばいいのか……そうだ、君はまだ未成年なので、法的な後見人はミヒル・ヴュルフ=クショフレール地主男爵になっている。
アンヌンツィアータ氏から聞いているかな?」
「後見人?」
「君の態度からそうではないかと思っていたけれど、やはり聞かされていなかったんだね。
私が君の後見人をしていて、血縁関係者としてなら大叔父(祖父の弟)にあたるのだよ」
「……大叔父」
ヴュルフさんがオレの血縁者?
思いもしなかった話に、掃除屋の件で知った人々以外にも血縁者がいるのか、と人ごとのように思った。
掃除屋の一件の時も、自称従姉妹のムーンさんと話したものの、どうにも赤の他人としか思えなくて。
これまでの人生で存在しなかった相手と、今さら関わり合いになりたくない、とこちらから近づくのをやめた。
ヴュルフさんは違う。
何度も助言らしきものをくれ、配慮をしてくれていた?
今ここにいることは策略ではなく、森への隔離は悪意からではない?
「聞いてもらえないかな?
なぜ、君を私の手元で育てられなかったのか、を」
そう言うヴュルフさんの顔は、今までの笑顔が曇ってかげってしまい、とても悲しげに見えた。
その気になれば、この屋敷ごと吹き飛ばすことはそう難しくない、そう思い直せば話を聞いても良いかと思うことができた。




