閑話 ミヒル・ヴュルフ=クショフレールの独白 前
こみ上げる想いとともに詰まりそうになる喉を震わせて、なんとか声を絞りだした。
目の前にいるのは、戦争の被害者であり又甥にあたる子供。
私自身が国同士の駆け引きに巻き込まれた末の産物だというのに、又甥まで同じように国家間の問題に翻弄される運命を押し付けられるとは……。
本当に、人はどこまで浅ましいのか。
何年も我慢して待ち続けて、ようやく会えたのに、罪滅ぼしも満足にできないことが苦しくて仕方がない。
私の名前はミヒル・ヴュルフ=クショフレール。
オスフェデア王国に五家ある地主男爵家の一つ、クショフレール地主男爵家の現当主をしている。
とはいえ、私は正当な後継者ではない。
私はすべての貴族と、イルギジャラン帝国を心の底から嫌っている。
生まれた時、私には父親がいなかった。
そして私の血の父親は、オスフェデア王国の国民でもなければ、母親の夫でもなかった。
イルギジャラン帝国の元全権大使、ホレイシオ・H・サイクス。
先先代のサイクス伯爵家当主。
それが私の父親だ。
生まれながらに私を生き地獄に突き落とした、イルギジャラン帝国貴族の父親を殺す力が欲しい、と若い頃は願っていた。
しかし私には暴力沙汰の才能も、適性もなかった。
何よりも、復讐のために人生を使いつぶすような生き方を、肯定できなかった。
今でこそ私は、地主男爵家クショフレール家の当主だが、名前だけでも貴族の当主になる道を選んだのは、又甥のヨドクス・ギュエストのためだ。
そうでなければ、私が嫌悪の対象でしかない貴族になど、なるわけがない。
貴族も帝国も嫌悪しているとはいえ、貴族の全て、帝国出身者の全てに怒りを覚えるか?と問われれば、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、と言い切るは極論だと思う程度には歳をとった。
いいや、物心ついた時から行き場のない怒りに心を苛まれ続け、疲れてしまったのかもしれない。
あれは十七年前のことになる。
憎き血父が死んだと風の噂に聞いてから、日々を無為に過ごしていた私の元に、姪だと名乗る少女が夫と共に現れた。
稀有な才を持っていたことで、その人生が始まったその時から終着点に至るまで決められていた姪は、あまりにも無垢で愚かな少女だった。
国の利益を守るために監視されていることを、窮屈に感じるのはまだいい。
帝国に属していなくてはいけなかったはずの少女は、周囲を見ることもなく愚行に走った。
恋に恋をして、身分違いの恋に溺れ、先のことを何も考えぬままに帝国を飛び出し。
貴族としての責務も何もかも放り出して、犯罪者として帝国から追われていた姪夫婦(未婚)が、オスフェデア王国にたどり着いた時、その身にはすでに新しい命が宿っていた。
まるで私の母の在り方をなぞっているようで、嫌悪感のあまりその場で怒鳴って罵りそうになった。
若くして傭兵団の団長を担っていた夫と共に各地を流れ、貧しく苦しい生活で現実を知った姪は、恋という名の夢からは覚めたものの、今さら帝国に戻れるわけもなく。
夫の他に頼る相手はいなく、公式の出国でない以上は身分も証明できず、正式な夫婦にもなれない。
戻れば処刑される、もしくは望まぬ相手と婚姻を結び、今度こそ道具のように扱われることだけは理解していたらしく、逃げ続けることを選んだ。
後悔するには何もかも遅すぎた上に、後悔したからといって許されることもない。
姪夫婦は彼女の曽祖父が国外に作った、認知すらしていない私生児を頼らねばならないほど、追い詰められていた。
初めて出会った時、姪を悪し様に罵って愚か者呼ばわりこそしなかったが、私などに助けを求める愚かさを、語って聞かせる嫌がらせくらいはしても構わないと思い、実行に移した。
恋などという目に見えず、何の頼りにもならないものに溺れた挙句、オスフェデアの臣民ではない他国の貴族に孕まされた母が、どれだけ自業自得で苦しんだのかを教えた。
世間知らずの少女の上に、恋で周囲が見えなくなっていた母は、親ほどに年が離れている他国の貴族家の当主に「何もかも捨てて夫になって欲しい」と頼む愚行を犯した上に、返事は「一番下の息子より若いだけが取り柄の他国の貴族の娘など、愛人の一人にしかできない」だった。
母は周囲の忠告を聞かなかったせいで、愛していると思っていた相手から貶められ辱めを受け、認知されない子供を抱えることになった。
周辺諸国と綱渡りを続けるオスフェデア王国から、より多くの食料を得るには、食料を管理する者をたらしこむしかない。
王家に取り入っても、外交官を抱え込んでも無駄なのだ。
仕事のために好きでもない女を孕むまで抱くのも、青い血の流れる貴族なら簡単なのだろう。
子を堕ろせなくなるまで返事を先延ばしにすることは難しくないし、罪悪感も感じないのだろう。
すべては己の愛する帝国のため、だとでも思っておけば良い。
一人娘だった母が国と家を捨てることは、当主であった曽祖父が許さなかった。
頼るもののない他国に行き愛人として囲われるという、貴族に生まれた女として底辺の立場になることに、母は甘んじることができなかった。
恋から覚めた母は憎しみを糧に私を産み落とし、そしてその憎しみを私に遠慮なく叩きつけた。
自分が主役の悲劇に浸る姪に「イルギジャラン帝国貴族の、今は亡き前サイクス伯爵に息子だと認知されてない以上、私は貴女の叔父ではない、助けるいわれもない」と吐き捨てると、姪は顔を青ざめさせて倒れた。
オスフェデアまでたどり着けば、帝国にいた頃のようにちやほやされる、とどこまでも浅く考えていたらしい。
姪は所詮、貴族の屋敷で温室育ちの花のように甘やかされて、大切に育てられた少女でしかなかった。
母と祖父に疎まれ、家人ですらいない者のように扱う。
そんな育ち方をした私が、甘ったれの愚かな娘に優しくする必要があるのか。
計算外だったのは、少女の夫、若い傭兵団団長がとても強かな男だったこと。
戦災孤児だったという青年団長は、自分に不釣り合いな妻が、恋に恋していることを知った上で、国に戻れなくなることを理解しながら妻の座に迎えていた。
彼自身、妻への強い思いが両親を奪った戦争、および貴族への復讐心からなのか、単純に恋や愛なのか理解していなかった。
あまりにも哀れで、同時に誰よりも人らしいサヒーラ傭兵団の団長アルフ・ゲストと私は友人になった。
年齢は離れていても私たちの根幹は同じ。
貴族とイルギジャラン帝国を誰よりも憎む、同士としての友情は悪くなかった。
結局のところ、私は姪に出産後一年までの滞在を許し、家と当座の生活費を提供した。
生まれた子供が一歳になるまでに自分たちで定住先を見つけるなり、国を出て行くなりしてくれ、と方向性を示す手伝いだけはした。
産後一年の期限よりも前に、二人とも戦場で亡くなってしまったのだが。
姪のことを迷惑な甘ったれだとしか思っていなかったのに、私は思わぬ喪失感に苦しむことになった。
長年の間に自分の中で煮詰まってしまい、元の色すら分からない憎悪を垂れ流せる、そんな貴重な友人のアルフを失ったことはひどく辛い経験だった。
◆
戦火の元で食料事情に苦しむ列国に援助として付け入る形で、国土の狭いオスフェデア王国は侵略を防いでいる。
精霊魔術という未知の技術で、列強の仲間入りをしたイルギジャラン帝国、オスフェデアの背を覆う軍事大国であるジァラニヴィク王国。
本来ならどちらに取り入っても、国土が狭く資源開発の余地がないオスフェデアはすり潰される運命だった。
植民地として、未来永劫に渡り農作物を作るだけの、属国に成り下がる道しかなかった。
三代前の王が賢明であったことと国土が豊かであったおかげ、そして五家ある地主男爵家の結束でそれを避けられたのは僥倖だった。
国土の半分以上を占める岩だらけの山岳地帯に、早々に見切りをつけたジァラニヴィクは、五十年以上オスフェデアに食料を頼り続けている。
精霊魔術を手に入れるまでは、自活の道を選んでいたイルギジャラン帝国も、風を操り海戦を制することで力をつけたものの、食料事情の改善はどうしようもなかったようで、輸出先としてはお得意様になった。
どちらの国も自国の利益を追い求めるばかりで、もっと食料を!と貪欲にオスフェデアを荒らそうとするが、どちらも敵にはできない。
裏でどんなやりとりがあったかは知らないが、オスフェデア全権大使だったサイクス伯爵が、クショフレール地主男爵の一人娘だった母を籠絡したのは、最も効果的で手軽な方法だったのだろう。
曽祖父と亡きサイクス伯爵の間でどんな話し合いがされたのか、母は地主男爵家の一つ、ビーシェーヴェル家の三男を婿に迎えることになった。
傷物の貴族娘になった母を押し付ける相手を見つけたことはともかく、私が存在していたせいで、かなりの量の食料がイルギジャランに輸出されたのだろう。
祖父も母も、なぜ生まれた時に私を殺さなかったのか、と今でも思う。
私がいなければ、クショフレール家は後ろ暗いことに加担することもなかった。
クショフレール家は地主男爵家である。
地主男爵というのはオスフェデア特有の家であり、他国の貴族制度に当てはめるなら、おそらく辺境伯あたりだろう。
とはいえ、地主男爵家の者たちがすべきことは社交ではなく農業、守るのは国土ではなく小作人と農作地。
最下級の男爵家でありながら、食料関連の政策に限ってだけ、上級貴族と同等の発言力を持つ家だ。
農業に突出している国だからこその家であり、権力に寄り添ってはいけない家でもある。
オスフェデアにはそんな地主男爵家が五家存在する。
現状では、五家でオスフェデア王国内の農地の六割を管理しているので、その影響力は推して知るべし。
クショフレール地主男爵家の中での居場所がなかった私が、犯罪者にならずに済んでいるのは、婿入りしてくれた鷹揚な研究者体質の義父と、今では大切に思っている異父弟、そして学院で知り合ったバルとの腐れ縁のおかげだった。
幼い頃から周辺の強大な列国との関係を苦慮していたバルは、本来ならば王座につくべきところを弟に譲り、国土を守るために踏み出した。
武力で他国をけん制することはできなくても、有事に動ける部隊を作る、それがバルの達した結論。
国土が狭く資源はなく国民も少ない上に、人手が必要な一次産業が主要のオスフェデア王国では、常在軍を維持することも難しいため、バルは何年もかけて自給自足を目指す〝実働隊〟という組織を作り上げた。
魔物を効率的に駆除して、その素材を周辺国家に売りつけて活動費にする。
簡単に聞こえるかもしれないが、定期的に安定した品質のものを手に入れるのは難しいし、需要と供給の問題もある。
他国に食料品ではなく、戦争への利用もありうる魔物の素材を売りつけることは、周囲の反感を買った。
それでもバルはやり遂げた。
治安維持を主目的にしている衛兵隊は国の直轄になるが、実働隊はバルの個人的な私兵。
謀反の意思有りと思わせず、個人の所有物だと思われないように、うまく多くの貴族を抱き込んで責任の所在を不明瞭にしているが、実働隊を動かせるのは国王ではなく総隊長のバルだけだ。




