9ー6 激昂
(兄)副隊長、(弟)副支部長、大勢の隊員たちに囲まれて転移してきたのは、巨大な屋敷だった。
とはいえ、豪華絢爛という言葉には縁遠い。
目の前に現れた巨大な屋敷は、天井の高い平屋建てで、目に見える限りの全てを木組みで作られている。
過去のオスフェデアは農業、牧畜業、水産業、林業などが盛んだった。
教科書に書いてあった内容によると、竜種や魔物が多発するまでは、戦時中であっても林業が盛んだった、らしい。
現状では林業は存続の危機に立たされていると言ってもいい。
国内が戦場になることはなかったけれど、戦場で発生した魔素の乱れが国内にまで影響を及ぼしている。
国境に近づけば近づくほど、景色は荒れ果てた危険地帯になっていき、村や町には魔物除けの結界が張られているが、安心安全に暮らすのは難しい。
手入れができない林や森が増えるのと同時に、乱れた魔素が林や森を広範囲に渡って枯らしていく。
つまり木材が値を上げている。
ずっと輸出する側だったオスフェデア王国では、木材はそこまで高価なものではなかったのだと思う。
生活には絶対に必要とはいえ、家財道具を作るのに巨木は必要ない。
しかし目の前の屋敷は、どう見てもツギハギで作られたようには見えない丸太状の柱や、無垢材から切り出したように見える壁板が使われている。
風雨にさらされてくすんでいるとはいえ、定期的に手入れされて磨かれているのは間違いない。
ここまで贅沢に木材を使って屋敷を建てるのは、金銀財宝で屋敷を飾るのと同じくらい豪華なのではないだろうか?
「ようこそ、ヨー君」
「!?」
両開きの黒い扉をあけてオレを出迎えたのは、見たことのない服装のヴュルフさんだった。
◆
無垢材から切り出されたらしいテーブルの上に、繊細なティーカップが音もなく置かれる。
使用人の制服を着た女性は一度も視線を周囲に向けずに、死人でもここまで無表情はできないんじゃないか、と言いたくなるような表情のまま立ち去っていく。
この反応は見たことがある……その上見たことがあるのは反応だけじゃない。
「すまないね、こんな形で呼び出してしまって。
ベーン君はもう帰りなさい」
「はっ!」
なんでかな、車椅子の上で最敬礼しているベーン(兄)副隊長の目から光がなくなってる。
(弟)副支部長はずっとこっちを睨んでるし。
ゴーグルをはめることができたので、今はフードを外して、ヴュルフ統括部隊長の前のソファに腰を下ろしている。
髪と瞳の色を変える偽装は解除してある。
本当なら礼儀としてゴーグルも外すべきなんだろうが、ベーン(弟)がいるのでそれもできない。
「なぜ、連れてこられたのか分からない、って顔をしているね」
「分かりません」
頭と顔を半分近く覆っているゴーグル越しに、こちらの表情がわかるのかは不明だが、今はそんな些細なことを聞ける雰囲気ではない。
こんな風に支部を巻き込んで呼び出すなんて、大事になったらどうするつもりだったのか。
魔術で床を壊したのが見つかったら、なんて言い訳すればいいのか。
それにしても、今日のヴュルフさんはおかしい。
学院に来た時からおかしかった。
「君には自覚がないから、バルの計画をダメにしてしまうとしても、言っておくべきだと思ったんだよ」
自覚?バル?
どちらにも心当たりがない。
カップを優雅に傾けるその姿は、今までのような好々爺には見えない。
細かい刺繍や飾りのついた艶のある素材の服装も相まって、まるで貴族のように見える。
上級隊員には貴族が多いから、もしかしたら本当に貴族なのかもしれない。
オレが勧められたカップに口をつけると、ヴュルフさんが口を開く。
「さて、君はなんのために実働隊にいるのかな?」
うぇ、このコーヒーすごく苦い、煎じ薬を焦がしたと言われても納得しそうな味だ。
無言でミルクと砂糖をたっぷり足す。
同じように淹れたコーヒーを、何食わぬ顔で飲んでいるヴュルフさんの味覚がおかしい可能性もある。
これが本題だ、と切り込んできたヴュルフさんの表情は真面目そのもので、学院で感じた冷気を全身からゆっくりと発散している。
四方を木で囲まれた部屋には、オレとヴュルフさん、ベーン兄弟だけで、周囲に他の隊員や家人が控えているのかは分からない。
少なくとも見える位置には誰もいないようだが、さっきやってきた使用人がオレの考え通りなら、どこで見ていてもおかしくない。
その気配を察知することができないことも。
「養育費の返済のためです」
「……そうか」
統括部隊長という肩書きを知った以上、敬語で話すべきだろうと口を開く。
再び湯気を立てるティーカップを優雅に傾けて、ヴュルフさんは眠い猫のような顔をやめた。
ぞくり、と背筋に寒気が走った。
まるで教師たちを相手にしている時のような、得体の知れないものへの恐怖だ。
相手が強いか弱いかではなく、理解できるかできないかという感覚的なものであり、幼い頃からごく近くにあったせいで、敵意や殺気よりも察知してしまう。
ヴュルフさんの中で目覚めた肉食獣のような何かは、鋭い知性の匂いを感じさせる冷たい瞳をしている。
オレはなぜ、この人のことを一瞬でも好々爺だと思ったんだろうか、目の前にいるこの人は統括部隊長なのだと、嫌が応にも思い知らされる。
「バルの言う通りだとは……、困ったね」
その言葉と共にふわりと空気が軽くなり、ヴュルフさんの表情が眠たい猫に戻った。
「端的に言おう、君には死ぬまで実働隊に所属してもらう」
「……ぇ?」
「納得も理解もしなくていい、これは厳然たる事実でしかない」
告げられた単語のすべてが意識の上を滑っていくような気がした。
死ぬまで、ずっと?
実働隊を辞められない?
つまり借金を返し終えても?
突然、目眩がした。
また体調不良か?
「嘘だ」
「……説明は明日にでも、今夜はここに泊まっていきなさい。
夕食の準備ができたら呼びに行かせるから」
ヴュルフさんが卓上のハンドベルを鳴らすと、足音もしないのに扉が開かれて、お茶を運んできた使用人が姿を見せる。
決してこちらを見ようとしない、いや、焦点の合っていない瞳はガラス玉でしかない。
「これは、ヴュルフさんの私物ですか?」
心の中の感情を持て余したまま、なんとかそれだけを口にすると、なぜか眉を下げた顔がこちらに向けられていた。
なぜそんな困ったような顔をするんだろう、聞かないで欲しかったと思うのなら呼ばなければよかったのに。
「ええ」
「……」
腹の中で、さっき食べたシリアルバーが暴れているような気がする。
突然襲ってきた吐き気と頭痛のせいで、息をするのも辛い。
目眩が酷くなってクラクラする
腹の中で蠢いていたものが抑えきれないまま喉までせり上がって来て、感情に任せて声を張り上げる。
「……あ、あんたが全部仕組んだのかっ!?」
「そう、すべてそうだよ」
これが怒りなのか、悲しみなのか理解できない。
制御を失いそうな魔力と共に、一気に溢れ出しそうな感情に飲み込まれそうになっているのだけは分かるが、それを止める気にもならない。
表情一つない上に焦点の合っていない目の前の使用人の顔は、物心ついた頃から森の家で家事をしていた使用人そのもので、十六年がたっているはずなのに皺一つ、シミひとつ増えていない。
人にそっくりな人形、精巧で高価な魔術具なのだから、表情も外見も変わるはずがないのだ。
「あんたがオレを森の奥に閉じ込めさせたのかっ!?」
「その通り、詳しいことは明日、今は部屋へ行きなさい」
ヴュルフさんは何度も助言をくれて、総隊長よりもこちらに心を向けてくれていると思っていたのに、切り捨てられたような気がした。
この人は初めから、オレを利用する事しか考えていなかったのかもしれない。
今はただ、この部屋の中を何も残らないように燃やし尽くして逃げ出したかった。
それでもオレは、俯いて唇を噛み締めながら必死で衝動に耐えた。
学院に通う前なら、何もかもどうでもよくなって暴れていただろう、でも今のオレには心配してくれるクサンデルたちがいる。
心配してくれる、はずだ。
「また後で」
このままここにいると、本当に暴れてしまいそうで、部屋を出た。
怒りのせいなのか目眩がひどい。
使用人人形に案内された部屋に入ったと思ったら、天地が逆さまになったようなひどい目眩に襲われて……目の前が真っ暗になった。
何かがおかしい、と思ったものの、何もわからなくなった。




