6ー3 循環特化型魔術と向き合う
研究会を初めて二回目に、マルクル隊員に初めて支部で出会った時、簡単に襟首を捕まえられた理由が判明した。
彼が〝自分の両後足を交互に===に===回動かして===に===だけ移動する〟という術式を、無声で発動できるからだということが判明した。
詳しく聞いてみれば、オレが中に入る前に気がついて、支部の建屋外で無発声発動してから声をかけたという。
オレだって属性特化魔術の術式を無発声で発動できるから、別に驚くことじゃない。
驚いているのは、魔術使用を探知する魔術具に反応しなかったことだ。
建物の外で無発声発動していたとしても、建物の中に入った後も魔術発動を維持をしていたら、放出される魔力に反応するはずなのに。
オレが使っていた声を変える魔術具であっても、魔術発動時の魔力放出に反応して警報が鳴り響いていた。
どうやら循環特化型魔術は、発動時を除いて魔力が周囲に漏れにくいらしい。
魔術の発動に使用した魔力が、どうして漏れないのか?と疑問は残る。
詳しくないから分からない。
そんな魔力の行方よりも〝自分の両後足を交互に===に===回動かして===に===だけ移動する〟と聞いたときは、なんだその術式は?と思った。
詳しく聞いてみれば、身体瞬発力強化系の術式らしいが、回りくどすぎる。
===には、移動する速度や移動したい方向を入れるそうだ。
多分だが『自分の両後足を交互に(鼓動一回の間)に(一)回動かして(右方向)に(四歩)だけ移動する』みたいな感じだろう。
移動速度と移動距離で魔力消費量が変わる、のか?
具体的な消費量の数値は、測定器を使ってみないと分からない。
魔術の発動条件を術式のみで管理するため、循環特化型魔術は短縮できないと言われたけれど、せめて〝両足を早く動かす〟くらいまで縮められないか?と聞いてみた。
マルクル隊員は、循環特化型魔術をジァラニヴィク王国の学舎で習ったというが、専門的に習っていたわけではないらしい。
ジァラニヴィクでは、学舎に通った者なら、簡単な魔術を扱えるのが当たり前だったという。
さすが大陸戦争の一陣営を率いていた強国と言うべきか。
簡単な、の基準がどれくらいなのかが気になるが、今は他国の文化を学ぶ時ではない。
店員にしつこく内容を確認してから手に入れた、何冊かの未訳の本と何冊もの辞書、マルクル隊員の知識を総動員して、なんとか調べることに成功した。
その結果〝自分の両後足を交互に===に===回動かして===に===だけ移動する〟は一つも削るところのない術式だった。
術式として完成しているかまでは分からないけれど。
両足、だけでは前足か後足のどちらを動かすかの指定が足りない。
——人は犬でも馬でもないのだから、前足、後足と四つ足扱いされるのは複雑だ。
〝交互 〟〝===の間〟に〝===回動かして〟を削ってしまうと、どんな動きが発現するか分からなくなる。
——足がどう動くか分からないと言われても、股関節ならともかく、膝関節はそんなに複雑な動きはしないはずだ。
まさか、折れる勢いで関節を無視して動いたりするのか?術者の意思も関係なく?
そうだとしたら恐ろしすぎる。
〝===に===だけ移動する〟が無いと、その場足踏みになる可能性が高い。
——その場足踏みは、納得した。
移動距離の指定がないと、止まれなくなったりするんだろうか?
属性特化型魔術とは全然違う、と何も理解していなかったことに気がついた。
魔力循環のコツを会得しても、学院生たちに扱いきれるかが不安になってきた。
生活で使えそうな術式を、いくつか覚えるだけで良いんじゃないのか。
ともかく、学院生たちに使えそうな、かつ、戦闘に向かないような術式を探すことにしよう。
二年強で魔術を使える実感は得られても、成果は出ないかもしれない、と苦しくなる。
先達もいない、手引書もない、方向性の道筋も見えていない現状では、先に道があるかどうかも分からない。
手探りで進んでみるしかない。
クサンデルや適性がないと腐る学院生の救いになるのなら、少しくらいの苦労は問題にならない。
◆
凍月の末に入るころになると、天候が崩れ始めた。
オスフェデア王国では花中庸が近づいてくるにつれ、強風が吹き荒れる雨の日が増えてくる。
雪が積もらないと言っても、雪雲は空にある。
空から雪として降ってきても、海から大陸に吹き込む湿った海風で溶けて、みぞれ混じりの雨になって、王国中に突風と共に降り注ぐのだ。
二日前から冷たい雨が降り続いていて、学院に通う学院生も遅刻しがちだ。
凍りついた道で事故が起きたり、氷雨で馬が体調を崩してしまい、循環馬車が定刻で運用できない以上、誰の責任にもならない。
魔術具を使用した馬なしの乗り合い馬車もあるが、それは上流階級御用達で学生が通学で乗れるほど運賃が安くない(らしい、ロキュス情報)。
郊外の大規模農場用の輸送路が建設されるらしいが、道を整備して交通手段を新しくするのは王都内を優先してもらいたい。
学院生の数が揃わないので講義内容も停滞し、教員側の交通機関遅延による遅刻、体調不良の不在も目立ち始めた。
本来の年間予定では生徒会役員選挙があったのに、すでに二回延期されて、ついに来月になったという。
一年生の校外実習の一つ、ジァラニヴィク王国雪中キャンプの予定も流れてしまった。
オスフェデアを出るのが初めてになるから、とても楽しみにしてたのに残念すぎる。
寒いこともあり、学院が休みで出張任務がない日は、オレ自身も本部に引きこもっている。
暖かくても外をうろつきはしないけれど。
これはオレが本部に配属されてからの習慣であり、初めは息苦しさを感じていたが、四年も経てば慣れてしまった。
変装しないと外に出られない身として、周囲に気を張って行動するよりも、隊員たちと鍛錬している方が気楽だ。
とはいえ、寒さが厳しくなるほど増えるのが、竜種の暴走だ。
暦上は十日もしないうちに花中庸になるというのに、凍月に入ってから下級竜種の小規模な群れの暴走が多い。
枯月と寒月の竜種暴走が少なかったからなのか?
巣を見つけて一網打尽にできればいいが、国境線周辺を周回している統括部隊の観測部隊からは、今までに一度も竜種の巣発見の報はもたらされていない。
竜種は他の生物のように営巣しないのか。
◆
「隊長、報告書を預かりますよ」
「悪いな、頼む」
「いえいえ、ついでですからお気になさらず」
隊員のカス・ヘインシウスが、秘色色の瞳を柔らかく細めた。
その表情にあるのは、あふれんばかりの父性だ。
彼はニュマン副隊長を除いて、第一隊の最年長者であり、機転が利いて包容力がある。
と言うか、機転が利くから生き残っていると言えるかもしれない。
本人は人の上に立つ器では無い、と副隊長職への就任を蹴り続けているが、その理由を第一隊の隊員たちは知っている。
ヘインシウスには三人の娘がいて、男手一つで育てているのだ。
一番下の子は三歳だったか。
奥方は一番下の子の出産後に命を落とした。
オレはその時には第一隊にいたので、ヘインシウスが落ち込んで荒れていた姿を知っている。
奥方の死について詳しく聞いてはいないし、失礼なことを言っているのを承知の上だが、彼が苦しむその姿に感銘を受けた。
妻を亡くして消沈しているのに、残された子供たちのためにと、泥の中を這うように日々を過ごしていた姿は、家族を知らないオレにとって、理想の父親像だ。
四年の時間を経て、以前と同じように日々を過ごせるようになったように見えるが、給料と共に仕事量と拘束時間が増えるから、とヘインシウスは上級隊員への昇進を拒んでいる。
もちろん、オレは全力でその決断を支持している。
生活のために給料の良い実働隊はやめられない、それでもできる限り子供の側にいてやりたい、そう考えてそれを実行しているヘインシウスの子供たちが羨ましいほどだ。
オレもいつかは、隊長をやめる日が来るのだろうか。
家族を持つ日が、来るのだろうか。
成人後、オレはどんな道を歩むんだろう。
借金を返し終えれば、実働隊に残ることを強制されることも、多分、ないだろう。
これを一生の仕事にしたい、と思うような、興味を持ってのめり込めるもの、いつかはそんなものに出会えるだろうか。




