4ー3 ヨドクス・ギュエストという少年の在り方について
その時に私にできたことは、へたり、と腰を抜かすことだけでした。
情けなくて、自分が許せないのです。
私は、なんて愚だったのだろう、と。
今現在、学院地区の四学院のうち、一番の落ち目と評されている〝フェランデリング学院〟。
私はそこの卒業生であると同時に教員です。
名前はヴィルヘルミナ・ラウテル、歳は二十一歳。
卒業と同時に免許を取得して教員生活は三年目と、まだまだ経験は足りませんが、学院を盛り返したい思いは他の誰にも負けないと自負しています。
学院長をしている祖父の意思を継いで、この伝統ある学院を存続していくために、日々を一生懸命過ごしています。
そんな学院に、超ド級の問題が持ち込まれたのは、ちょうど二巡り前のことでした。
四つの学院の敷地が隣接している、王都の北区は学院地区と呼ばれています。
他の地区にも学院はありますが、幼年学科から高年学科まで一貫で学べる学舎が四校もあるのはここだけです。
しかも四校全てが、(正規の道ではありませんが、避難路も兼ねて)徒歩で行き来できます。
各学院の敷地は広いので、徒歩でといっても距離はかなりありますし、学院同士の交流が盛んなわけでもないので、普段は無意味だとしても。
王都内に住む適齢の少年少女を預かり、成人年齢までに一人前にするのが、私たちの仕事であり、誇り。
教員をする誰もが、子どもを預かる仕事に誇りを持っている、はずです。
しかし、北区に四つあるどの学院にとっても、返答をためらうような生徒を転入させて欲しいという話が来たのです。
その生徒の名前は〝ヨドクス・ギュエスト〟。
四年ほど前から、読売で頻繁に見るようになった名前です。
そう、王都内で頒布される読売に名前が出るような有名人なのです。
ただの有名人ではありません。
ギュエスト氏は〝実働隊〟本部の隊長なのです。
魔物と戦うことを生業にしている人物が、学院に通うような年齢である、つまり未成年だなんて誰が思うことでしょう?
ごく普通の王都の住民なら、魔物を見たことさえないはずです。
王都の外の住人ならば、日頃から小型の魔物の駆除を自分たちで行う、と聞いたことはありますが。
未成年に、魔物を殺させている。
そんな話を聞くだけでも、なんて酷いことを!と感じてしまい血の気が引くのに、ギュエスト氏は、四年前からそれを生業にしているのです。
生き物の命を奪い続けることを平然と行う子供。
それがまともな性格の人物だとは思えず、いくら英雄の子とは言え、性格の歪んだ、狂人といってもいい人物なのでは?
私は、勝手な想像でそう思っていました。
しかし、ここ二十年ほど対外的な成果を出すことができずに、他の学院との駆け引きに負けた祖父は、ギュエスト第一隊隊長を、学院に迎えることになってしまいました。
家族総出で危険だからやめて!と反対したものの、現王兄殿下からの要請に逆らえるはずもありませんでした。
何よりも、学院に通わなくてはいけない年齢の人物の転入を、拒否はできません。
うちが拒否しても、どこかが引き受けなくてはいけないのです。
学院に送られてきた資料の多くが塗りつぶされていて、そこからギュエスト隊長の人となりを察することはできません。
資料に姿絵は添付されず、どんな容姿をしているかすら不明です。
詳しいことは話さずに、友人からゴシップ雑誌のバックナンバーを借りることはできたものの、そこにも外見以上の情報は載っていませんでした。
戦闘を得意としている(と考えられる)ギュエスト隊長は、己の意に染まないことが起きた時に、暴力を振るう人物なのではないか?という恐怖に震えながらも、その日を待つことしかできませんでした。
◆
その日の朝、私は気持ちを奮い立たせて、校門前に立ちました。
ついに大問題が学院にやってくるのだ、と立ち向かうことを決めました。
近頃の祖父は心労のせいなのか体調が悪いので、あまり無理をさせたくなかったのです。
なんとかして出会いから主導権を握って、ギュエスト氏に横暴な振る舞いをさせないようにしなくては、と思っていました。
ギュエスト氏は化け物のような恐ろしい人物。
そう思っていたので、校門前で立ち尽くしている背の低い人影を見たときは、迷子かと思いました。
私は彼の背が低いことを雑誌を読んで知っていたのに、まさか高年学科の女生徒よりも低い、服の上からでもわかる華奢な体格の人物が来るとは思ってもいませんでした。
ともかく、その時のギュエスト氏はフードをかぶって、途方にくれている迷子にしか見えなかったのです。
「そこの君?」
普通に声をかけただけなのに、怯えるように一歩退かれたときは、少し驚きました。
「何か?」
そんなに緊張して警戒しなくても、ここは学院前なのだから、学院生か教職員しかいないのに、と。
そう思いながら、迷子を怖がらせないようにと心がけました。
まるで臆病な小動物の相手をしている気分になりながら、目の前の人物を見ます。
顔は深く引き下げたフードで隠れているし、明らかに大きすぎるコートで包まれている体は、とても幼く見えました。
背伸びして親の服を着ている子供?と思ってしまったほどです。
もしかしたら幼年学科の生徒かもしれない、怯えさせないように話さなくてはと心を砕きます。
一言だけ聞こえた声からは、性別が分かりませんでした。
幼い男の子とも女の子とも受け取れそうな、甲高いけれどか細くない、しっかりと響く声。
「門の前で立ち尽くしているから、声をかけただけよ。
学院生なの?学年とクラスは?」
「分からない」
え?
それは、どういう意味?
本当に迷子なの?
「分からない?
どういう意味なのかしら?」
思わず声に出してしまいました。
迷子ではなく孤児なのかもしれない、という可能性も頭の中に残しつつも、孤児が学院地区に来るはずがないと思い直します。
国の支援を受けて孤児を一括で受け入れている学院は、この北区にはないのですから。
「今日から通うことになってる」
今日から学院に通う?
そんな手続きが終わっている、そして私が待ち構えているのは、ただ一人です。
「!?、まさか君が」
〝ヨドクス・ギュエスト〟なの?と聞こうとしたその時、定期循環馬車から降りた生徒たちの姿が見えました。
校門前は一気に騒がしくなり、とても小柄なフード姿の人物が、件のギュエスト氏なのかを確かめられそうにありません。
「……転入生君、よければ学院長の部屋まで案内しますね」
「頼む」
学院長である祖父に会わせる前に、腹の中のものを晒して欲しかったのに、と口惜しく思いながら、地味な灰色のコートを着た〝ギュエスト隊長?〟を学院長室まで案内することにしました。
◆
結論から言いましょう。
たった三日間を過ごしただけですが、ギュエストさん、いえ、ビズーカーさんは、実際の年齢と幼気な姿からは考えられないほど至極理性的な少年でした。
いいえ、年齢から考えれば、あまりにも冷静すぎるというべきかもしれません。
全学年の生徒を思い返しても、彼のように冷静な人物は思い浮かびません。
貴族らしくを意識するあまり、ひねくれて大人ぶっている生徒は多いですけれど、基本的に十代後半の男子生徒なんて冷静の反対側にいると思います。
出会った当初は、無表情が多いせいで感情がないようにも見えましたが、感情の動きがないわけではないようで安心しました。
すぐに仲良くなったらしいクサンデル・サッセンやアルナウト・レイク、フロール・フロート、ロキュス・ゼーウたちと遊んでいるときは、年相応の顔を見せているのです。
屈託なく無邪気に笑う顔は、ただでさえ幼い外見をさらに幼く見せて、本当に十六歳?と思うほどです。
私との会話中に時折、血の気が引くような冷たい表情になることさえ除けば、普通の生徒とそう差はありません。
普段から冷静にふるまえるのは、彼が実働部隊の隊長だからでしょうか。
この時、私は少しだけ安心していました。
実働隊から「ギュエスト隊長は、位階十二までの魔術を修めており、無用な混乱を防ぐために、学院の都合での魔術使用依頼は遠慮してほしい」という類の警告書が来ていたとしても、きっと大丈夫だと。
(※)位階十二なんて、物語でしか出てこないような魔術です。
普通の人は魔術なんて位階一であっても使うことができず、魔術が使えれば人を殺すのは容易いという話を聞いたことがあります。
英雄物語で位階十六の魔術が存在するのですから、きっと十二なんて、大したことないのでしょう。
ギュエストさん本人にとっては。
見た目は年齢以上に幼い少年に見えるとしても、ギュエストさんは実働隊の隊長であり、英雄の子であるのだと肝に命じました。
私は祖父と一緒に、ギュエストさんがおとなしく学院生活を送ってくれるのではないか、と期待しました。
会話をしているうちに、彼は思っていたほど乱暴な考え方をしていないと確信を持つに至ったのです。
冷静な振る舞いと合わせて考えれば、これは学院にとって良い方向性です。
それと同時にこの三日、ずっと見ている内に、彼はきっと自分が歓迎されていないことに気がついている、という結論に達しました。
学院に通うことを歓迎されていないと気がついているのに、祖父や私への態度を変えることもなく、他の職員たちや級友にも理性的に対応する。
その言動が少々、いや、かなり学院生らしくないのは仕方ないとしても。
彼の口調は、堅苦しい実働隊の隊員そのものです。
実働隊隊員との接点はほとんどないのですが、数少ない邂逅のうちで彼らが一般人とは違うと理解しています。
存在感が違うのです。
幼い見た目とは違って口調が堅苦しく、口数も少ないせいでクラスの中で浮いてしまうのではないかと心配もしましたが、現時点では問題ないでしょう。
何も知らないまま、同等の友人として過ごせる子供たちはすごいと思います。
私は、頭が上がらない思いがしました。
ギュエストさんはその行動をもってして、年齢など関係ない、己は実働隊本部の隊長なのだ、と示している気がしたのです。
そこに突然、実働隊本部からの急使が現れました。
私とそう年齢の変わらないだろう、とても綺麗な女性。
冷然とした顔立ちは恐ろしいほど整っていて、身にまとう戦闘服には皺ひとつありません。
「緊急招集がかかりました、ギュエスト殿に通達をお願いします」
とても丁寧に頼まれたのに「早くやれ」という言外の意図を汲み取ったのは、私だけではないはずです。
それからはまるで物語を見ているようでした。
雑誌に掲載されていた絵姿と同じ、実働部隊の戦闘服に、青黒い鉄板のようなものが貼り合わされたコート、そして目立つ黄色の髪を隠すようにフードかぶった姿。
教室にいる時とは全く違う、きびきびとした立ち居振る舞い。
普段以上に感情を削り落としたような、一切の情動を感じさせない平坦な口調で話すギュエストさんは、迎えに来た女性と一緒に、触れるだけで凍りついてしまいそうな雰囲気をまとって姿を消しました。
あれこそが本当の彼なのだとしたら。
私は教員として、彼を導ける気がしません。
ギュエストさんは、私の手に負える生徒ではありませんでした。
早いうちに独りよがりな思い込みが解消したことは良かったですが、なぜたった一度でさえも、私は彼を御せると思ったのでしょうか。
私はもう迷いません。
彼が学院で生徒として生活するために何が必要なのか、私には教員として何ができるのか、何かできるのか、一から考え直そうと思います。
※:魔術の位階(基準は各国により異なる)
オスフェデアでは最低発動時の消費魔力量で定義している(習熟度により必要魔力量は減少し、高威力発動時の威力も個人差があるため、昔から変わらない曖昧な基準)
0:実質存在しないが、生活魔法と同程度???
1:小型魔物へ重傷を与える(小型=幼児程度の体積)
2:小型魔物を屠る
3:中型魔物へ重傷を与える(中型=子供〜大人程度)
——人を一撃で殺せる魔術は位階3から——
4:中型魔物を屠る
5:大型魔物へ重傷を与える(大型=大人の二倍程度〜)
6:大型魔物を屠る
——位階7から難易度と威力が跳ね上がる——
7:下級竜種を屠る(竜種は中型〜巨躯まで様々、魔術に高耐性を持つ)
8:中級竜種を屠る
9:上級竜種を屠る
10:(平均的な広さで)村一つを滅ぼす規模
11:町一つを滅ぼす規模
12:街一つを滅ぼす規模
13:
14:
15:
16:国一つを滅ぼす規模(歴史書に不完全な術式が現存)
17〜:術式の確認はされていないが、英雄の物語などでは存在するらしい




