第3章・第10話「営業再開、不渡りの祝杯」
石造りの天井にある小さな換気口から、暴力的なまでに鮮やかな「青」が差し込んでいた。
まぶたの裏を焼くようなその光に、俺は重い意識をゆっくりと浮上させた。
全身の節々が、過積載のトラックの荷台みたいにギシギシと悲鳴を上げている。
……ああ、生きてるな。
昨日、神威庁の最上階で俺が叩き出した「不渡り」の余波は、どうやら世界を少しだけまともな色に塗り替えたらしい。
俺は泥だらけの毛布を跳ね除け、地下拠点の冷たい床に足を下ろした。
隣の寝床では、エリアがまだ深い眠りの中にいた。
寝癖のついた金髪が朝陽に透け、かつての「聖騎士」としての険しさは微塵もない。
その穏やかな寝顔を見て、俺は喉の奥の強張りが少しだけ解けるのを感じた。
「……おはよう、カイト。……酷い顔ね。メーターが壊れたポンコツ車みたい」
……起きてたか。
エリアはまどろみの中から俺を見上げ、悪戯っぽく笑った。
彼女の指が、俺の汚れた袖口をそっと掴む。
「空、見た? ……あたし、あんなに綺麗な色があるなんて、もう忘れてた。……あなたが、連れ戻してくれたのね」
「……俺じゃない。……親父の機械と、エリアの剣があったからだろ」
俺は照れ臭さを誤魔化すように立ち上がり、拠点の奥——ガルトが陣取っている作業場へと歩いた。
漂ってくるのは、焦げたアニマの匂いじゃない。
煮込まれた肉と、安っぽいスパイスが混じり合った、暴力的に食欲をそそる匂いだ。
作業場では、ガルトが不愛想な顔で大きな鍋をかき混ぜていた。 そこから立ち上る、肉とスパイスの混じり合った安っぽい匂いを嗅いだ瞬間、俺の脳は「これだ」と直撃を受けたように反応する。 空腹という名のメーターが振り切れ、俺の胃袋は待機時間なしの即レスで「営業再開」を宣言した。
「ケッ、ようやく起きてきたか、不渡り息子。……世界をひっくり返した救世主様の朝飯は、その辺の銅貨数枚で買える煮込みだ。文句は言わせねえぞ」
親父は不愛想に俺の前に皿を置いた。
たっぷりの豆と、どこの部位かも分からない硬い肉を煮込んだ、前世で言えばロードサイドの深夜食堂で出てくるような「安飯」だ。
だが、今の俺にはこれがどんな白金貨を積んだ高級料理よりも「正しい」目的地に見えた。
「……最高だ。……いただきます」
木のスプーンで口に運び、熱い汁を流し込む。
塩辛い味付けが、アニマを使い果たしてスカスカになった俺の五臓六腑に染み渡っていく。
前世、雨の夜のシフトを終えて、朝方のコンビニの軒先で啜ったカップ麺の味。
あの時も、こんな風に「まだやっていける」と自分を納得させていた気がする。
『おじさん、ズルい! あたしにも! あたしにも食べさせて!』
胸元から飛び出してきたセフィラが、俺の皿を奪い取らんばかりの勢いで突っ込んできた。
ふとセフィラに視線をやると、彼女の身体を包む光に自然と目が吸い寄せられた。 昨日の絶望が嘘のように、そのアニマの輝きは力強く、どこまでも澄み渡っている。俺が支配権(SIC)を一部買い戻したことで、彼女という「オーナー」の資産価値も少しは回復したらしい。
俺とセフィラ、そしていつの間にか着替えていたエリアが、小さなテーブルを囲んで安飯を突き合う。
地上では今頃、帝国の管理が崩壊したことで、レオンたちが混乱の火消しに奔走しているはずだ。
救世主、反逆者、バグ——あいつらは俺たちのことを好き勝手に呼ぶだろうが、地下のこの湿った空気の中にいる限り、俺たちはただの「腹を空かせた居候」でしかなかった。
「……ねえ、カイト」
スープを飲み干したエリアが、真剣な眼差しをこちらに向けた。
「あたし、決めたわ。……昨日、あなたが言った『バイアウト』。……あたしも、その営業に最後まで付き合わせてもらう。……もう、誰かの作った『正しさ』を守るために剣を振るのは終わりにする」
「……いいのか。……不渡りの営業所なんて、いつ倒産するか分からねえぞ」
「……ええ。……目的地がない馬車より、あなたの運転する、このどうしようもない泥舟の方が、ずっとマシだもの」
エリアはそう言って、騎士団の紋章が刻まれた銀の小手を、テーブルの上に置いた。
それは彼女がかつて命を賭けていた「過去」との決別。
……重いな。
客を一人降ろすつもりだったが、どうやらこの「共犯者」は、終点まで付き合うつもりらしい。
俺は小さく息を吐き、最後の一切れの肉を口に放り込んだ。
「……分かった。……じゃあ、今日からの運行スケジュールを立て直さないとな」
「——残念だが、その前に『未払いの請求書』が届きそうだぞ」
作業台で霊殻の残骸を調べていた親父が、低く沈んだ声で手元のセンサーを示しながら言った。
その針の微かな振れを捉えた瞬間、俺の意識は急速に冷えていく。 ……来たか。 俺は手元のスプーンを置き、視線を青空が広がる天窓へと向けた。
澄み渡る青。
だが、その向こう側。視認できないほどの高高度で、アニマの濃度が異常な数値を示し始めているのを、俺の「空白の株」の権限が察知していた。
ヴェスターの最期の言葉が、耳の奥でリフレインする。
『邪神の本隊が、直接この星を清算しに来る』
あいつにとっての「経営」は終わったのかもしれないが、俺たちにとっては、これはただの「第1ターミナル」の通過でしかない。
SICの変動は、一時的に上向いたに過ぎない。
「……セフィラ、あのアニマの揺らぎ……見えるか」
『……うん。……おじさん、これ……昨日の指(上位者)より、ずっと大きくて、冷たいのが来る。……お腹いっぱいになった途端に、これだもん。……最悪。……おじさん、あたし、ちょっと怖くなってきた』
セフィラが俺の肩に震える手で掴まり、空を睨みつけた。
そこには、数年ぶりだという雲一つない青空が広がっていた。 だが、その中心をタクシー運転手の観察眼で凝視すると、まるで黒いインクを一滴落としたような微かな「歪み」が、そこには確かに存在していた。 ……さらなる巨大な負債、邪神の到来だ。 自分たちの帳簿を汚されたことに腹を立てた「本当のオーナー」たちが、俺たちが買い戻したばかりのこの脆い平和を、力尽くで清算(消去)しに来ようとしている。 ……いいぜ。受けて立ってやる。 俺は、使い古された「不渡りの営業所」の看板を、そっと撫でた。
「……いいぜ。……取立てに来るなら、こっちはこっちで、さらにでかい『踏み倒し』の準備をするだけだ」
俺は、隣で剣を握り直すエリアと、不敵に笑う親父、そして鼻をすするセフィラを見回した。
「……不渡りの営業所、本日の営業を開始する。……エリア、セフィラ。……準備はいいか」
「……ええ、いつでも!」
「おじさん、今度はあたしがナビゲートしてあげるからね!」
俺たちは、青空が広がる地上へと向かって、再びアクセルを踏み込んだ。
王都ロイヤル・ヴェルディア。
その空に、かつて母が夢見た本当の「自由」を描き切るまで。
俺のタクシーのメーターは、止まることを許されない。
巨大な負債を抱えた星を救う、世界一ガラが悪い「バイアウト」の物語は、ここから加速していく。
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「営業再開、不渡りの祝杯」
神威庁の最深部で、世界を管理していた「完璧な帳簿」を粉砕し、カイトたちはついに空の青さを取り戻しました。
エリアが騎士の紋章を置き、ガルトが安飯を振る舞い、セフィラの輝きも戻る。
短い休息の中、彼らは「誰かの正義」ではなく「自分たちの目的地」を共有する共同体として、ようやく本当のスタート地点に立ったのかもしれません。
しかし、休息は本当に一瞬でした。
カイトの「空白の株」が捉えたのは、澄み渡る青空の向こう側に潜む、邪神の本隊による圧倒的な「債権回収」の気配。
ヴェスターが退場しても、この星の負債は消えたわけではありませんでした。
むしろ、帳簿を汚された「本当のオーナー」たちが、さらに巨大な力で清算に来ようとしています。
「取立てに来るなら、こっちはこっちで、さらにでかい『踏み倒し』の準備をするだけだ」
守るべき青空を守るため、カイトのタクシーは再び走り出します。
第3章の決戦を乗り越え、カイト、エリア、ガルト、そしてセフィラは「運行責任者」として、新たな、そしてより過酷な運行スケジュールへと挑んでいくことになります。
彼らの「不渡りの営業」は、ここからさらなる加速を見せます。
この物語がどのような目的地へ向かうのか。
第11話以降も、引き続きカイトたちの挑戦を見守っていただければ幸いです!
感想や応援、励みになります。
次回の運行も、どうぞよろしくお願いします!




