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第3章・第9話「空白の株、世界を買い戻す」

 押し潰されそうな重圧の中、視界を埋める白黒のノイズが、俺の意識の熱で真っ白に焼き切れていった。

 上位者の指——空間の裂け目から這り出した、巨大な虚無の影が、霊殻アーマチュアの装甲を物理法則ごと消し飛ばそうと、その冷たい質量を押しつけてくる。


 ミシミシと、俺の肉体に霊殻を通じて衝撃が伝わってくる。骨が軋み、肺の空気が搾り取られ、意識が遠のきかけるその瞬間。俺の脳裏に、かつてないほど鮮明な「帳簿」が浮かび上がった。


 神威庁の連中が「加護の強さ」と呼んでいたアニマの量は、この世界というシステムにおける「既得権益の株数」に過ぎない。火が出る、力が増強される——そんな決まりきった「機能」は、既に他人に割り振られた指定席のようなものだ。

 だが、俺の「全ステータス1」という加護は違った。それは無能の証明じゃない。誰にも定義されず、何者にも割り振られていない、無限の「空白」——何者にもトレースできない「自由な権利」だ。


「……セフィラ、もう謝るな。あんたが俺にくれたのは、空っぽの、だが世界で一番巨大な『白紙の委任状』だ」


 俺は、星の根幹から直接噴き上がる熱いアニマの奔流を、その空白の回路ステータスへと一気に流し込んだ。

 一滴のアニマも持たなかったはずの全ステ1という器が、星そのものの重圧を吸い込んで、純白の光へと反転する。魂の奥底で、カチリ、カチリと、数千の金属が同時に噛み合うような、圧倒的な密度の接続音が鳴り響いた。


 俺の四肢が、霊殻の末端を越えて、空間そのものに拡張されていく。重厚な光の装甲が、上位者の「存在消去」という不条理を、物理的な熱量で押し返していく。行けるな。

 俺は、目の前で世界を握り潰そうとしている「邪神の指」の重心を、タクシー運転手の冷めた観察眼で捉えた。


「目的地は、俺が決めるって言っただろ。……神様が勝手に決めた終着点なんて、俺が今ここで不渡りにしてやる」


 俺は一歩、虚無の床を踏みしめた。地の型を極限まで圧縮し、上位者の指が押し寄せる圧力の、わずかな「歪み」の最短ルートへと拳を突き入れる。光の属性が霊殻の拳に収束し、邪神が定めた物理法則そのものを物理的な打撃で殴り倒した。


 ドォォォォォォンッ!


 白黒の世界が、耳を劈くような爆音と共に粉砕された。消去されるはずだった俺の拳が、逆に上位者の影を物理的に「へし折る」。虚無の指が硝子のように砕け散り、神威庁の最上階に、これまで聞いたこともないような異形の悲鳴が響き渡った。

 ……ざまあみろ。

 俺はそのまま、崩壊し始めた帳簿のポンプ——アニマ送金装置の心臓部へと、雷の速度で滑り込んだ。


「ヴェスター! その汚い送金設定、俺が今ここで書き換えてやる!」


「なっ……馬鹿な! あり得ん! 邪神の支配権を、個人の意志で上書きするなど……! それは計算式の破綻だ! この世界という経営が、完全に崩壊するぞ!」


 制御盤の前で、ヴェスターが初めて顔を歪め、後退りした。彼の瞳には、合理的判断では測りきれない「空白」の化身となった俺への、根源的な恐怖が刻まれている。

 

「……ああ、崩壊させてやろうじゃねえか。……誰かの犠牲の上に成り立つ延命なんて、そんな不健全な営業、今すぐ倒産したほうがマシなんだよ!」


 俺は、邪神へとアニマを垂れ流していた装置の中枢に、俺の「空白の株」の権限を無理やり叩き込んだ。星の根幹から引き出した純粋なアニマが、ポンプを逆流させる。邪神へ奪われていた支配権を、物理的な力で強引に買い戻す(バイアウト)衝撃。装置から放たれる濁った光が、一瞬にして目の眩むような澄んだ青へと染め上げられた。


 その瞬間、王都を覆っていた絶望的な沈黙が破られた。

 神威庁の塔の先端から、青い光の柱が天を突き抜け、分厚い鉄の雲を散らしていく。色彩のなかった世界に、鮮やかな「青」が戻っていく。死んでいた風が、突如として吹き荒れ、滞留していた泥の匂いを一気に洗い流していった。


「……あ、あ……。空が……青いわ、カイト……!」


 霊殻の肩に乗るエリアの、震える声。彼女の指が、俺の霊殻の装甲に触れ、その熱に涙しているのが伝わってくる。

 ……間に合ったか。

 俺は、光が収まり始めた制御室の真ん中で、膝をつき、肩で息をするヴェスターを見下ろした。


「ヴェスター。あんたの計算違いはな、俺を『不良債権』だと決めつけたことだ。……俺は、あんたがゴミだと言って捨てた民の命を、全部まとめて買い叩きに来た『新しいオーナー』だ」


 ヴェスターは、もはや反論する力すら残っていない様子で、青く澄み渡った窓の外を呆然と見つめていた。彼の「完璧な帳簿」は、一人のタクシー運転手の、理屈を超えた「不渡りの一撃」によって完全に破綻したのだ。


「……終わりじゃないぞ、カイト・クラウス」


 ヴェスターが、血の混じった唾を吐き捨て、震える声で呪詛のように言葉を絞り出した。

「……今、貴公が買い戻した支配権は、巨大な邪神の総資産の、ほんの数パーセントに過ぎない。……帳簿を汚された邪神の本隊が、いずれ直接この星を『清算』しに来る。……貴公は、救いようのない負債を、ただ一瞬先送りしただけだ……」


 ……さらに巨大な借金取りが来るってか。上等だ。

 俺は霊殻の換装を解除し、生身の足で神威庁の床を踏み締めた。隣には、笑顔を取り戻したエリア。そして俺の胸元で、安堵のあまり眠りそうになっているセフィラ。

 

「……先送りでも何でもしてやるよ。……俺がこの星のハンドルを握っている限り、一人の客も邪神なんかに渡さねえ」


 神威庁の窓から差し込む、朝の光。それはかつての偽りの平穏ではなく、俺たちが自分たちの力で買い戻した、荒々しくも自由な光だった。王都ロイヤル・ヴェルディアに、再び風が吹き抜ける。

 だが、ヴェスターの言った通り、これはまだ長い旅路の、最初のバイアウトに過ぎない。


 メーターは、止まらない。

 俺は、泥だらけの顔で笑うエリアを連れて、青空の広がる地上へと、力強い一歩を踏み出した。

【あとがき】

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


「空白の株、世界を買い戻す」


「全ステータス1」という、この世界の理から切り離された空白。

それこそが、何者にも割り振られていない「無限の自由」でした。

神威庁の最上階で、カイトたちは世界を管理しようとする上位者の影と対峙しました。

ヴェスターが突きつけたのは、民衆の未来を担保に邪神から借り受けていた「死なないための借金」という絶望的な真実。


しかし、カイトはタクシー運転手としての誇りをかけて、その理不尽な債権を買い叩く(バイアウトする)ことを決めました。


「目的地は、俺が決めるって言っただろ」


カイトの拳が上位者の影を砕き、アニマ送金装置を逆流させる。その瞬間、王都ロイヤル・ヴェルディアに青い光が戻り、死んでいた風が動き出しました。

ヴェスターの完璧な帳簿は破綻し、カイトたちは自分たちの力で「青空」という名の権利を買い戻したのです。


しかし、これは長い戦いの始まりに過ぎません。

ヴェスターが残した不吉な予言——「邪神の本隊」というさらなる巨大な債権者が、この星を清算しにやってくる。


それでもカイトは笑います。


「俺がこの星のハンドルを握っている限り、一人の客も邪神なんかに渡さねえ」


泥にまみれ、不渡りを抱え、それでも誰よりも速く。

カイトたちの「不渡りの営業」は、ついに星の運命を左右する領域へと突入します。


ここから物語はさらなる高みへ――次回以降の新たな目的地、そして彼らの冒険の続きを、ぜひ楽しみにしていただけると嬉しいです!


皆様からの応援、レビューが、作者の何よりのガソリンです。本当にありがとうございました!

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