第3章・第8話「真の負債、支配権の闇」
蹴破った重厚な鉄扉が、音もなく背後の闇へと吸い込まれていった。
辿り着いた神威庁の最深部、支配権(SIC)制御中枢。そこは、俺たちが知る王都の風景とは完全に断絶された、白黒のノイズが支配する異界だった。
壁も床も、煤けたセピア色すら通り越して、ただのモノクロームに塗りつぶされている。空間そのものが腫瘍のように不自然に膨れ上がり、遠くにあるはずの制御盤が目の前に迫ったかと思えば、次の瞬間には遥か彼方へと遠ざかる。
……三半規管が、安物のメーターみたいに狂いそうだ。
俺は新型霊殻の駆動系を強く噛み合わせ、自分の身体感覚を「ここ」に繋ぎ止めた。
視界の中央に鎮座しているのは、巨大な魔導装置だった。
透明な円柱の内部で、王都の民から吸い上げられたのであろうアニマが、濁った泥水のような光となって激しく渦巻いている。
その光の奔流は、装置の頂点にある「穴」へと吸い込まれていた。
空へと伸びているのではない。空間そのものに空いた、決して埋まることのない虚無の口——。
その「送金先」から漂ってくるのは、前世の雨の夜に嗅いだ、死体のような腐った金の匂いだ。
……最悪だな。
これが、この街を救うと言い張った帝国の、帳簿の正体か。
「——驚いたか、カイト・クラウス。……それとも、不法な運転手には、この合理的な『資本の還流』が理解できないか」
ノイズに混じって、硬い靴音が響いた。
制御盤の影から現れたのは、モニター越しではない実体のヴェスターだった。
彼は白黒の世界で唯一、帝国の軍服という色彩を纏い、手元の端末で淡々と「数字」を整理している。
俺の観察眼が、彼の背後にある装置の出力を捉えた。
民から奪ったアニマを、この星の支配権の維持という名目で、邪神という名の「大株主」へと直接送金し続けているポンプ。
民が飢え、風が死に、空がセピア色に染まるのは、あいつらが「管理コスト」として、民の未来を担保に差し出したからだ。
「……ヴェスター。あんた、自分のやってることが分かってるのか」
「理解しているとも。……この星は、既に破産している。神威係数(SIC)が10%を切れば、世界は文字通り解体される。……私は、価値のない民草の生命という微々たる資産を、邪神への配当として支払うことで、この泥舟の沈没を数百年先送りにしているに過ぎない」
ヴェスターは、汚れた貨幣でも数えるような手つきで装置を指し示した。
その瞳には、一欠片の狂気もない。あるのは、ただ一つの冷徹な「経営判断」だけだ。
「……切り捨ては必要だ、カイト。……君が救おうとした民の空腹も、レオンが守ろうとした規律も、すべてはこの巨大な債務を整理するための消耗品に過ぎない。……それが、支配される側の君たちには理解できない、この世界の真実だ」
「……目的地のないバスを、いつまでも走らせるなよ」
俺は、低く唸るような声で答えた。
霊殻の胸元で、セフィラが怯えたように俺の魂に縋り付いているのを感じる。
あいつの言うことは、経営としては「正しい」のかもしれない。
倒産を避けるために、社員の給料を、臓器を、魂を売り払って、帳簿上の数字だけを合わせ続ける。
……だがな、そんなものは「運行」じゃない。ただの「廃車寸前の隠蔽工作」だ。
「……乗客の命を担保にしなきゃ回せない営業なら、今すぐ不渡りにして潰れちまえよ。……そんな腐ったルート、俺が今ここでバイアウトしてやる」
感情の加速が、アニマを沸騰させる。
俺は闇の型から、一気に地の型へと属性を換装した。
カチリ、カチリと、物理構築の接続音が重厚な和音となって響き、霊殻の装甲がダイヤモンドのような密度で俺を包み込む。
俺は一歩踏み出し、床を粉砕しながら装置の心臓部へと拳を叩きつけようとした。
だが——。
音が、消えた。
ヴェスターの冷笑も、警報のノイズも、霊殻の駆動音さえも。
まるで、世界の音声データが一括で消去されたような、絶対的な、暴力的な無音。
空間が、裏返った。
情報が、処理しきれない。
目の前の光景が、ガラスのように砕け散り、その「割れ目」から、巨大な指のような影が這り出してきた。
それはヴェスターでも、帝国の兵器でもない。
世界の法則そのものを局所的に上書きする、絶望的な質量。
「……ッ!?」
肺から空気が押し出されるほどの重圧。
アニマ濃度が臨界点を突破し、視界の白黒ノイズが真っ赤な警告色へと反転する。
そこに現れたのは、肉体を持たないはずの概念が、無理やりこの次元に受肉したような「上位者」の影だった。
タクシー運転手として培った「危険予知」が、脳内で警報を鳴らし続ける。
……逃げろ。今すぐ、この世界から逃げろ。
だが、逃げ場なんてどこにもない。
空間が物理的に口を開け、上位者の視線が俺を、そして俺の中にいるセフィラを「不良債権」としてロックオンした。
『……おじ、さん……』
俺の脳裏に、掠れたセフィラの声が届いた。
いつものおちゃらけも、食い意地も消え失せた、震える声。
『……ごめんね。……あたしが、おじさんを呼んじゃったから。……あたしのせいで、おじさんも、消されちゃう……』
セフィラの青白い光が、涙のように霊殻の内部で散った。
上位者の手が、ゆっくりと、だが避けることのできない必然性を持って振り下ろされる。
その一撃は、俺の霊殻だけでなく、この世界の「存在権」そのものを消し飛ばそうとしていた。
俺は、震えるエリアの手を掴み、セフィラの絶望を全身で受け止めた。
……待て。まだだ。
不渡りの確定は、俺が決める。
俺は、アニマの保有量を超えて、星の根幹から直接エネルギーを引き出す「空白の株」の権限を、無意識に、だが必死に発動させた。
帳簿上の数字なんて、知ったことか。
俺は、この絶望的な渋滞を、命を賭けた最短ルートで突き抜けてやる。
神威庁の最上層。
上位者の影がすべてを飲み込む直前、俺の霊殻から、世界の法則を書き換えるほどの、真っ白な光が溢れ出した——
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「真の負債、支配権の闇」
カイトたちが辿り着いた神威庁の最深部。
そこでヴェスターが明かしたのは、この街を救うという名目の裏で、民から吸い上げたアニマを邪神へ「送金」し続けるという、この星の延命システムという名の借金清算でした。
「切り捨ては必要だ。それがこの泥舟の沈没を先送りする唯一の真実だ」
ヴェスターの経営判断は、確かに数字の上では合理的かもしれません。
しかし、それを「運行」と認めるわけにはいかないのが、タクシー運転手・カイトの譲れない矜持でした。
誰かの命を担保にしなければ走れないバスなんて、俺は認めない。
しかし、その直後、世界そのものがカイトたちという「バグ」を排除すべく、上位者の影を顕現させます。
セフィラの震える告白と、すべてを飲み込もうとする絶対的な質量。
絶体絶命の危機の中で、カイトは星の根幹から直接エネルギーを引き出す「空白の株」の権限を解放しました。
「俺は、この絶望的な渋滞を、命を賭けた最短ルートで突き抜けてやる」
帳簿上の数字なんて知ったことか。
カイトの拳が、そして彼を信じて共に走るエリアとセフィラの絆が、世界を覆う絶対的な運命に楔を打ち込みます。
ヴェスターという「システム」の守護者、そして世界そのものという「上位者」に対し、カイトたちはどんな答えを突きつけるのか。
皆様からの応援、レビューが、カイトたちの走りを支える最強のガソリンです。
泥の底から始まったこの物語の結末を、ぜひ最後まで見届けていただけると幸いです!




