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第3章・第6話「不渡りの宣戦布告」

 肺に吸い込んだ空気は、凍りついた鉄の味がした。

 マンホールの蓋を静かにずらし、俺たちは王都中央区の裏路地へと這い出した。


 観察。

 路地を一歩抜けた先にある大通り。

 数日前までの「管理された秩序」は、そこにはもうなかった。

 街灯の明かりは落とされ、代わりに神威庁の塔から放たれる巨大なサーチライトが、獲物を探す獣の目さながらに路面を舐め回している。

 

 通りの壁際には、配給を求めて集まった民衆が、声も出さずに蹲っていた。

 飢えと恐怖。

 ヴェスターが宣言した「社会的圧迫」という名の兵糧攻めは、この街からまず「音」を奪い去っていた。


「……あ、あそこ……見て」


 背後に続くエリアの、掠れた声が耳を打つ。

 

 視線の先、閉ざされた大型配給所の鉄門。

 その前に、一列の騎士たちが立ちはだかっていた。

 かつての王都聖騎士団。帝国の規律を纏い、無機質な仮面のような表情で民衆を睨みつける兵士たち。

 

 その中心に、レオンがいた。

 

 彼は剣を抜くことさえせず、ただ拳を握りしめ、震える声で叫び続けていた。

 

「……戻れ! これ以上の集会は規律違反だ! 命令は絶対だ……! 皆がルールを守らなければ、この街は……秩序は崩壊するんだ!」

 

 門を叩き、弱々しくパンを乞う老人を、レオンは力任せに突き飛ばした。

 老人が石畳に倒れ込み、乾いた音が響く。

 

 情報。レオンが「規律」のために、かつて守ろうとした民を傷つけている。

 感情。……最悪だ。

 反応。——俺は、エリアの肩を強く抱き寄せ、彼女が飛び出すのを制した。


「……離して、カイト! あんなの、あんなのレオンじゃない! どうして……どうしてあんな『正しい』人が、あんなに悲しそうに人を殴っているの!?」


 エリアの瞳から、大粒の涙が溢れ、泥に汚れた頬を伝った。

 

 彼女には、見えているんだろう。

 レオンが、自分の「正義」という名の檻に閉じ込められ、ヴェスターが書いた「管理」という名の帳簿を、己の魂を削って清算している姿が。

 

「……レオンは間違っていないわ。彼は規律を守っている。帝国が言った通り、資源を管理するために……。でも、どうして!? 正しいはずのことが、どうしてこんなに世界を真っ黒に染めてしまうの!?」


 エリアの悲鳴が、サーチライトの光に吸い込まれていく。

 

 情報。エリアの精神的飽和。システムの矛盾。

 感情。……熱いな。

 反応。——俺は、彼女の涙を、煤けた指先で無造作に拭った。


「……エリア、泣くな。あんなのは『正義』でも『規律』でもない」


 俺は、神威庁の塔を見上げた。

 最上階で、ワインでも傾けながらこの地獄を「効率」として眺めているであろうヴェスターの横顔を幻視する。

 

「……タクシーのメーターはな、客が目的地を失った瞬間、ただの『負債の刻印』に変わるんだ。……あいつがやってるのは、経営じゃない。ただの、返せない借金を民衆に押し付けてるだけの『踏み倒し』だ」


「……踏み倒し……?」


「ああ。……あいつは自分一人が生き残るために、街全体の未来を勝手に担保に入れやがった。……レオンはその汚い帳簿を、一番前から守らされてるだけの、使い捨てのガードマンだ」


 俺は、霊殻アーマチュアの換装キーを強く握りしめた。

 

 タクシー運転手としての誇りが、脳内の帳簿を激しく書き換えていく。

 

「……エリア。……あんなクソみたいな契約書、俺が今ここでバイアウトしてやる」


「バイアウトって……どうやって……?」


「簡単だ。……債権の源泉もとを叩き潰して、俺たちが新しいオーナーになればいい。……この街の連中が抱わされてる『飢え』も『恐怖』も、全部俺がまとめて不渡りにしてやるよ」


 感情。傲慢だと自分でも思う。

 反応。——だが、一人の客も降ろさずに目的地へ届けると、俺は親父の前で誓ったんだ。


「……カイト、あなた……」


「——乗車準備はいいか。……これから、世界で一番ガラが悪い『割り込み運転』を始めるぞ」


 俺は、エリアの背中を押し、路地の影から一気に大通りの中央へと躍り出た。

 

 観察。

 レオンの視線が、即座に俺たちを捉えた。

 混乱。

 サーチライトの光が一点に集中し、俺たちの姿を白日の下に晒す。

 

「……カイト・クラウス! それに……エリア!?」


 レオンの声が、驚愕に裏返る。

 

「……よせ! 今ここに来るのは自殺行為だ! ヴェスター閣下は、君たちを『不良債権』として即刻排除するよう、全軍に——」


「——五月蝿うるさいな、レオン。……あいつに伝えろ。……『その帳簿、俺が買い叩きに来た』ってな」


 俺は、親父が調整した最高密度のエネルギーを、全身の回路へと一気に解放した。

 

 カチリ。

 カチリ、カチリ、カチリッ!

 

 重厚な金属音が、無音に支配されていた夜を切り裂いた。

 

 アニマが結晶化し、俺の肉体を取り囲む。

 四肢が外側へ数メートル拡張され、泥と埃を払い除けるように、黒銀の霊殻アーマチュアがその姿を現した。

 

 親父の言った通りだ。

 重い。だが、驚くほどに、俺の意志と「型」がアニマに吸い付く。

 

「……セフィラ、調律チューニング開始だ。……標的は、あの塔のてっぺんだ」


『おじさん、了解! あたし、もうお腹ぺこぺこだけど……あんな不味そうな塔、おじさんと一緒に粉々にしちゃうから!』


 セフィラの青白い光が、霊殻の胸元で激しく明滅する。

 

 俺は、右腕を高く掲げた。

 手のひらに、フルグルイグニスを融合させた、超高密度のエネルギー球を形成する。

 

 観察。

 神威庁の塔。

 

 感情。不渡りの宣戦布告だ。

 反応。——俺は、その輝きを、夜空へと向けて解き放った。


 ドォォォォォォンッ!

 

 アニマの狼煙が、煤けた空を真っ二つに裂き、神威庁の塔の先端をかすめて夜空に巨大な「バグ」の刻印を刻みつけた。

 

 それは、帝国の管理に対する、最大級の反逆。

 飢えで沈黙していた民衆が、一斉に顔を上げる。

 レオンが、その光の眩しさに目を覆い、後退りした。


「……これが、俺たちの営業開始の合図だ。……エリア、行くぞ。……目的地は、あの塔の心臓部だ!」


「……ええ! ……あなたの目的地わがままに、最後まで付き合ってあげるわ!」


 エリアが剣を抜き、霊殻の肩へと飛び乗る。

 

 加速。

 

 俺は一歩踏み出し、石畳を粉砕しながら神威庁へと向かって直進を開始した。

 

 前方には、帝国の増援部隊。

 重厚な鉄の門。

 

 だが、俺の観察眼は、そのすべてを「通り過ぎるだけの景色」として処理している。

 

 情報。敵の重装甲門。

 感情。……邪魔だ。

 反応。——俺は、雷を纏った拳を、限界まで引き絞った。

 

 世界の理不尽が、音を消して俺たちを殺そうとするなら。

 俺は、その鼓膜が破れるほどの爆音で、奴らの帳簿を粉々にしてやる。

 

 神威庁の正門。

 

 俺の拳が、その中心へと突き刺さる瞬間の、爆音。

 

 上位者が作った「無音の領域」を、俺の意志が、物理的に食い破った——。

【あとがき】

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


「不渡りの宣戦布告」


ヴェスターが敷いた「社会的圧迫」という名の管理網により、王都は「音」すらも奪われた死の街へと変貌していました。

民衆を突き飛ばし、自らの「正義」に縛られ続けるかつての友・レオンの姿は、あまりにも残酷です。


「あんなの正義じゃない。踏み倒しだ」


カイトの言葉は、帝国の効率という名の理不尽を真っ向から否定します。

彼は神威庁を単なる攻略対象としてではなく、街の人々を縛る「汚い帳簿の源泉」として定義し、それをバイアウト(奪還)すると宣言しました。


「これから、世界で一番ガラが悪い『割り込み運転』を始めるぞ」


石畳を粉砕し、夜空を裂く超高密度のエネルギー球。

その狼煙は、静寂に沈んでいた王都の民衆へ「反撃の合図」として届きました。

塔の正門を物理的に食い破るその拳は、世界が強いてきた「無音の領域」に対する、カイトたちからの最大級の不渡りです。


目的地は、神威庁の心臓部。

帝国の帳簿を粉々に砕くために、カイトの拳とエリアの剣が、ついに中枢へと突き刺さります。

ヴェスターが仕組んだ完璧なシステムに、カイトたちがどのような「請求書」を叩きつけるのか。


皆様からの応援、レビューが、カイトたちの走りを支える最強のガソリンです。


次回の更新も、ぜひ見届けていただけると幸いです!

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