第3章・第5話「バグの連鎖、管理の悲鳴」
王都ロイヤル・ヴェルディアの夜は、規則正しい「悲鳴」に支配されていた。
かつて神威庁と呼ばれた高い塔。その最上階、接収された執務室の窓からは、街全体を網の目のように舐め回すサーチライトの光が見える。
「……第十七検問所、突破されました。対象は依然として不可視。アニマの残滓のみが、システムの閾値を越えて検出されています」
報告する副官の声は、微かに震えていた。
エーデルラント帝国騎士団長、ヴェスターは、端末に表示される膨大なエラーログを、事務的な手つきでスクロールさせていく。
「……報告は以上か、レオン・フォートレス」
部屋の隅、影の中に立ち尽くしていたレオンが、弾かれたように顔を上げた。
彼の銀色の鎧は、昨日までの誇り高い輝きを失い、どこか煤けて見える。
「……申し訳ありません、閣下。私の規律に……一瞬の隙がありました。奴は、戦うことすら選ばず、私を……我々の秩序そのものを置き去りにしていきました」
情報。レオンの敗北報告。
感情。……冷淡。
ヴェスターは、振り返ることすらしない。
「……謝罪は資源の無駄だ。レオン、貴公の『正しさ』は、あのノイズに対してはコストが見合わなかった。それだけのことだ」
ヴェスターの指先が、端末の画面を「赤」く染めた。
それは、特定の対象を「犯罪者」としてではなく、「修復不能な負債」として認定する処理だ。
「……これまでは、この街を救済すべき『資産』として扱ってきた。だが、一箇所のバグが全体を汚染し始めている。もはや、通常のメンテナンス(治安維持)では対応できない」
彼は窓に歩み寄り、セピア色の夜空を見上げた。
風が死んだ静寂の向こう側で、帝国のシステムが過熱し、摩擦音を立てているのを彼は感じていた。
「これより、本都市における『敵対的買収(包囲殲滅)』を開始する。配給制度を一時停止。全区画のライフラインを、アニマ検知による完全従量制へ移行せよ。……民草が飢える? 構わん。その空腹という不快な『ノイズ』が、バグの潜伏場所を炙り出す燃料になる」
ヴェスターの瞳には、慈悲も怒りもない。あるのは、ただ一つの「経営判断」だけだ。
「カイト・クラウス。……貴様という不渡りを、帝国が物理的に清算してやる」
◆
「——ハハッ、見てみろよ。外はまるで、お祭り騒ぎだな」
俺は、地下拠点『不渡りの営業所』の冷たい石畳に腰を下ろし、換気口から漏れ聞こえる警報の鐘の音に耳を傾けた。
観察。
親父が調整してくれた換装コア。
アニマの熱が、まだ指先でジリジリと燻っている。接続密度を高めた霊殻の感触は、前世で雨の日の高速道路をノーブレーキで駆け抜けた時のような、危険で、それでいて完璧な全能感に満ちていた。
「カイト、笑い事じゃないわ。……地上の水路が閉鎖され始めてる。帝国は、街全体の機能を止めてでも、あたしたちを泥の底から引きずり出すつもりよ」
エリアが、震える手で拭いたばかりの剣を握り直した。
彼女の背後では、セフィラが青ざめた顔で俺の頭の上に逃げてくる。
『おじさん、これ、昨日までの『静かさ』じゃないよ。……世界が怒ってるみたいに、アニマがドロドロに淀んでる。お腹空いたなんて言ってる場合じゃないくらい、胸が苦しいの』
情報。帝国のリソース全投入。セフィラの感知異常。
感情。……来た。
反応。——なら、こっちはこっちで、次の目的地を「書き換える」だけだ。
「……予定通りだ。親父、地上のインフラが止まったってことは、あいつらの『管理コスト』が跳ね上がってる証拠だろ?」
作業台で黙々と工具を磨いていた親父が、ニヤリと汚れた口角を上げた。
「……ケッ、全くだ。完璧な帳簿に、お前がでっかいシミをつけたからな。……あいつら、今頃そのシミを消そうとして、自分の服をハサミで切り刻んでるようなもんだ」
「ああ。……でも、渋滞の真ん中で止まっていても、メーターは回り続ける。……エリア、セフィラ。……そろそろ、こっちから『請求書』を叩きつけに行くぞ」
俺は、懐から一枚の汚れた地図を取り出した。
それは、かつて俺を「無能」と決めつけ、この街の理不尽を法律として書き続けてきた場所の図面だ。
「……カイト、まさか」
「目的地は決まってる。……王都神威庁。あの塔の最上階だ」
タクシー運転手の思考が、最短ルートを弾き出す。
帝国がこの街を管理するための「中枢」。
かつて俺の母が診療を拒否され、俺を「塵芥」と格付けした、あの『帳簿の源泉』。
そこをバイアウト(奪還)しない限り、この街の渋滞は永遠に解消されない。
「……あそこには、ヴェスターがいるわ。帝国の心臓部よ。……あたしたちだけで行くなんて、自殺行為よ」
「……一人じゃない。……俺には、世界一のメカニックと、元聖騎士のクルーがいる。……それに、何より俺は——」
俺は、石柱に刻んだ『不渡りの営業所』の文字を指先でなぞった。
「——一人の客も降ろさずに目的地へ届ける、運行責任者だ」
感情。迷いはない。
反応。——俺は、親父から手渡された新しい換装パーツを、静かに霊殻の回路へと接続した。
カチリ。
耳の奥で、重厚な金属音が響く。
アニマの密度が、怒りと決意に呼応して、俺の神経を一本ずつ作り替えていく。
「……エリア。……あいつらの『正しさ』が、この街の息を止める前に、俺たちの『不渡り』を完成させてやろうぜ」
「……分かったわ。……あなたの車、乗り心地は最悪だけど、行き先だけは信じてあげる」
エリアが微かに笑った、その瞬間——。
『……あ』
セフィラの声が、不自然に途切れた。
観察。
地下拠点の、石棺の影。
サーチライトの光も届かないはずの暗闇が、一瞬、生き物のように「蠢いた」気がした。
音が、消えた。
帝国の警報も、地下を流れる水の音も。
まるで、世界の音声データだけが、誰かの手によって一括削除されたような、絶対的な無音。
情報。物理的な音の消失。
感情。……最悪だ。
反応。——俺は、無意識にエリアを背後に庇い、闇を見据えた。
それは、ヴェスタでも、帝国の兵器でもない。
セフィラがずっと怯えていた、「上位者」の視線。
モニター越しではない。
俺たちが「空白の株」として動き出したことで、世界そのものが、俺たちという異物を排除するために、直接その『手』を伸ばし始めている。
「……親父、エリア、離れるな」
俺の耳の奥で、カチリ、カチリと、霊殻が悲鳴を上げるような接続音が続く。
目的地:神威庁。
障害:——世界そのもの。
俺は、冷たい汗が背中を流れるのを感じながら、かつてないほど鋭い意志で、アニマの出力を最大まで引き上げた。
管理の悲鳴は、まだ始まったばかりだ。
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「バグの連鎖、管理の悲鳴」
帝国騎士団長ヴェスターが下した判断は、街のインフラを止めてでもノイズを排除するという、極めて冷酷な「清算」でした。彼らにとって、街の住民は救うべき対象ではなく、管理コストを食いつぶす「不良債権」でしかなかったのです。
しかし、カイトたちもまた、引き下がるつもりはありません。
彼らが決めた目的地は、この街の理不尽を法律として書き続けてきた中枢——王都神威庁。
「一人じゃない。……俺には、世界一のメカニックと、元聖騎士のクルーがいる」
かつての孤独な運転手は、今は「不渡りの営業所」を背負い、仲間の命を目的地へ届ける運行責任者として、帝国の心臓部へ乗り込みます。
しかし、彼らの前に立ちはだかったのは、帝国兵の壁ではありませんでした。街の音さえも奪う、絶対的な「無音」。世界そのものが、カイトたちという異物を消し去るために直接その手を取り始めたのです。
帝国の悲鳴が街を覆う中、カイトたちが突きつけるのは、街の理不尽を書き換えるための「請求書」。
目的地:神威庁。
管理という名の鎖を断ち切り、自分たちの道を切り開くために。
カイトとヴェスター、そして、世界そのものとの対峙。
物語は、第3章の核心へと突入します。
皆様からの応援、レビューが、カイトたちを走らせる唯一無二の燃料です。
泥の底から始まったこの物語、ぜひ最後まで走り抜けていただけると幸いです!




