第3章・第3話「平行線の再会」
石棺の蓋を閉める重い音が、納骨堂の静寂を揺らした。
俺たちは、泥と埃にまみれた地下拠点「終着点」の奥で、地上へ出るための最終点検を行っていた。
「……親父、こっちのバイパスはどうだ」
俺の問いに、ガルトさんは——いや、親父は、脂ぎった手で作業台の地図を指し示した。
「……あ、平気だ。第三水路の排気口は俺が物理的に封鎖した。帝国のアニマセンサーにも引っかからねえように、アニマを吸い込む鉱石を埋め込んである。……だが、地上は別だぞ、カイト。あいつらの検問は『プロ』の仕事だ」
「ああ、分かってる。不当な検問やネズミ捕りには、前世から慣れっこだ」
俺は、腰のポーチに隠した干し肉の残りと、数枚の銅貨を確認した。
視線を上げると、少し離れたところでエリアが自分の剣を握りしめたまま、じっと動かずにいた。彼女の横では、実体化したセフィラが不安そうに宙を浮いている。
『……おじさん、エリアちゃん、なんだか心臓の音がうるさいよ。トクトク、じゃなくて、バクバク言ってる』
「……セフィラ、余計な実況はいい」
俺はエリアの隣に歩み寄り、彼女の肩を軽く叩いた。
びくり、と彼女の身体が跳ねる。
「……エリア、怖気づいたか? 嫌ならここで親父と留守番しててもいいんだぞ」
「……違うわ。怖くない。ただ……」
エリアは、泥で汚れた自分の手を見つめた。
「……もし、本当に彼がいたら。あたしの知っているレオンが、あの検問所にいたら。あたしは、どんな顔をして彼を見ればいいの?」
情報。仲間の動揺。
感情。重い。
反応。——だが、それを引き受けるのが、俺の今の「仕事」だ。
「……顔なんて見せなくていい。俺たちの今の仕事は、買い出しと道路状況の把握だ。……客のいないタクシーが、わざわざ渋滞の真ん中に顔を出す必要はないだろ?」
俺はおちゃらけた笑みを浮かべ、彼女を促した。
親父が黙って、重い石扉を開く。
俺たちは、カビと死の匂いが染みついた地下を抜け、這い出すようにして地上へと向かった。
◆
マンホールの蓋の隙間から差し込む光が、目に痛い。
俺たちは旧貴族街のゴミ捨て場に這い出し、まずは周囲の「色」を確認した。
空は、濁った灰色だ。
かつて俺たちが取り戻したはずの青空は、管理という名の薄い膜に覆われてしまったかのように、その輝きを失っている。風は止まり、街全体が、巨大な真空パックに閉じ込められたような息苦しさに満ちていた。
観察。
大通りの検問所。
そこには、かつての王都騎士団のような「弛み」は一切なかった。
帝国兵たちは、彫刻のように整然と立ち並び、通行人を一人ずつ確認している。
驚いたのは、そこに「暴力」がないことだ。
「……なんだ、これ」
俺の隣で、エリアが息を呑んだ。
検問所の前で、一人の老婆が荷物をぶち撒けていた。本来なら、傲慢な騎士たちが舌打ちをして追い払うような場面だ。
だが、一人の騎士が歩み寄り、膝をついて老婆の荷物を拾い集め始めた。
その所作。
無駄のない動きと、周囲を威圧しないアニマの制御。
騎士が顔を上げた。
端正な顔立ち。意志の強そうな眉。
それは、エリアがかつて「同期の中で最も正義感が強い」と語っていた男——レオンだった。
「……レオン」
エリアの呟きが、震えている。
レオンは老婆に優しく言葉をかけ、身分証の確認を済ませると、丁寧に彼女を街の内側へと促した。
周囲の民衆からも、怯えの色は薄い。それどころか、「帝国が来てから略奪がなくなった」「食糧の配分が平等になった」という安堵の囁きさえ聞こえてくる。
情報。敵は「善意」という名の完璧なシステムで街を統治している。
感情。最悪だ。
反応。——俺はエリアの腕を掴み、路地の奥へと引き込んだ。
「……カイト、見た? 彼は、彼らは……間違っていないわ。略奪を止め、秩序を守っている。あたしが、かつて憧れた『騎士の理想』を、帝国は実現している」
エリアの瞳が、迷いに揺れていた。
彼女にとって、今の光景は、俺たちという「犯罪者」の存在を根底から揺るがすものだった。
「……カイト。あたしたち、本当に正しいことをしているの? あんな風に街を救っている彼らに、あたしたちは反逆しているの?」
俺は、路地の汚れた壁に背を預けた。
耳の奥で、かつてのタクシー会社で言われた言葉が蘇る。
「効率がすべてだ。客の気持ちなんて、時間通りに運べば解決するんだよ」。
「……エリア。一つ聞かせてくれ」
俺は、彼女の目をまっすぐに見つめた。
「……あの婆さんは、今、自分がどこへ行きたいか選べていたか?」
「え……?」
「レオンって奴は確かに立派だ。だが、あいつが守っているのは『決まったルートを歩く人間』だけだ。……あの検問所を通る時、誰もが身分証という名のチケットを差し出し、帝国が引いた白線の上だけを歩かされている」
俺は、前世の「不当な営業停止」の記憶を、冷めた怒りへと変換した。
「……時間通りに、安全に、目的地まで運んでくれるバス。それは確かに正しい。だがな、エリア。……客が『予定にない道へ行ってくれ』と言った時、あいつらはその客を降ろす。あるいは、強制的に終着点まで縛り付ける。……それは『運行』じゃない。ただの『移送』だ」
タクシー運転手としての矜持。
目的地を、客自身が決める自由。
「……帝国は、この街を巨大な一つの車両に変えちまった。効率的で、清潔で、血の一滴も流れない。……でも、そこには『運転席』が一つしかない。レオンは、そのハンドルの歯車の一つだ」
「……あ……」
「俺は、あんな窮屈な乗り物には乗りたくない。……俺は、あんたや親父や、セフィラ。……あそこに並んでいる奴らが、自分でハンドルを握る自由をバイアウトしに来たんだ」
エリアは、長く深い呼吸を繰り返した。
やがて、彼女の瞳から迷いが消え、代わりに鋭い光が宿る。
「……そうね。あたしは、泥の底であなたと笑う方を選んだわ。……上から与えられる正義じゃなくて、隣で一緒に濡れる自由を」
「……よし。……営業再開だな」
俺は、再び検問所の方へと視線を戻した。
今度は「観察」のためだ。
タクシー運転手の観察眼が、レオンの立ち居振る舞いを細部まで分解していく。
右足の踏み込み。アニマが循環する際の、微かなラグ。
彼は立派だが、その「型」には、無理がある。
規律を守るために、己の感情をアニマで抑圧し続けている。
「……見えた。最短ルート(隙)だ」
彼が次の通行人の確認を終え、一瞬だけ視線を落とした瞬間——。
カチリ、と耳の奥で、まだ展開していないはずの霊殻の接続音が鳴ったような気がした。
俺の視線が、物理的な圧力となってレオンに届いたのかもしれない。
「……!」
レオンの肩が、不自然に震えた。
彼は老婆の荷物を持ったまま、電撃に打たれたように顔を上げ、俺たちが潜む路地を凝視した。
感情。来た。
反応。——俺は即座にエリアの腰を抱き寄せ、建物の影へと滑り込んだ。
一秒。二秒。
路地を抜ける風の音が、やけに大きく聞こえる。
帝国の騎士団長が、何かを察知してこちらへ歩いてくる気配。
「……レオン様? どうかされましたか?」
部下の兵士の声が聞こえ、レオンの足音が止まった。
「……いや。気のせいだ。……一瞬、あり得ないほどの密度の『視線』を感じた」
レオンの声は、かつての友であるエリアでさえ聞いたことがないほど、硬く、冷たいものだった。
俺たちは、息を殺して闇の中に溶け込んだ。
平行線の再会。
かつての仲間は、今はシステムの守護者として、俺たちの行く手を阻む「最大の障害」へと変貌していた。
「……カイト、大丈夫?」
「ああ。……メーターは、もう動き始めてる」
俺は暗闇の中で、静かに拳を握りしめた。
帝国騎士レオン。あんたの正しさは、俺たちの「不渡りの営業」にとって、これ以上ない障害だ。
だが、俺は決めている。
どんなに正しい渋滞が道を塞いでいようと。
俺は、自分の乗客を、目的地まで無傷で届けてみせる。
俺たちは、帝国の鐘の音が鳴り響く街を、再び地下へと潜るようにして、音もなく駆け抜けていった。
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「平行線の再会」
帝国がもたらした秩序ある王都。それは、誰もが身分証という名のチケットを差し出し、引かれた白線の上を歩く「効率化された移送」の街でした。
そこでエリアが目にしたのは、帝国騎士として、かつての誠実さをそのままに「支配の歯車」となったレオンの姿です。
「正しく、安全に運ぶ帝国」か、「不器用でも自分たちでハンドルを握るカイトたち」か。
エリアを揺さぶる迷いを、カイトはタクシー運転手としての矜持で切り裂きます。
「俺は、あんな窮屈な乗り物には乗りたくない」――それは、効率という名の支配に対する、個人の自由な魂の宣戦布告でした。
レオンの鋭い気配に、一瞬だけ交差した視線。
平行線だったはずの彼らの道が、ここから衝突の時を迎えようとしています。
かつての仲間は、今はシステムの守護者。
彼らの「鋼の正義」という名の渋滞を、カイトたちはどう突き抜けるのか。
そして、迷いを捨てたエリアの剣は、かつての友に何をもたらすのか。
加速する王都再買収計画。
第4話、衝突は避けられないものとなりそうです。
皆様からの応援、レビューが、カイトたちを走らせる最高のガソリンです。
次回もよろしくお願いします!




