第3章・間話①「運行責任者の看板」
石棺の並ぶ地下ホールに、微かな、だが鋭い金属音が響いていた。
カチ、カチ、と規則正しく繰り返されるその音は、ガルト——親父が、俺たちの命綱である機体のパーツを調整する音だ。
地上の喧騒はここまでは届かない。代わりに、支配権(SIC)の低下によって死に絶えた風の代わりに、重く冷たい泥の匂いだけが漂っている。
俺は、即席の机代わりにしている石棺の蓋の上に地図を広げ、指先で路地の隙間をなぞった。
観察。
親父の背中。
ランタンの灯りに照らされたその背中は、壁の外で出会った時の「酒場の親父」のそれよりも、どこか削ぎ落とされたような鋭さがあった。
かつての車庫という『城』を失い、愛着のある道具の半分を瓦礫の下に埋めてきた。それなのに、今の親父からは悲壮感は微塵も感じられない。
「……寝ねえのか、カイト」
背中を向けたまま、親父が声をかけてきた。
「……ああ。地上の『渋滞(検問)』が、思ったよりも根が深くてな。……メーターを回し始める前に、ルートの確認をしておかないと寝付きが悪そうだ」
俺は、おちゃらけた冗談を半分混ぜて答えた。
実際、さっき見たレオンという騎士の姿が、網膜の裏側に焼き付いて離れない。
あれは『正しい』
帝国という巨大なシステムが用意した、一切の無駄がないバスの運行スケジュール。それに従っていれば、人々は飢えず、殺されず、安全な終着点まで運んでもらえるだろう。
情報。敵は暴力ではなく、完璧な管理という名の『善意』で攻めてきている。
感情。不快だ。
反応。——俺は、手元の魔導端末を閉じ、親父の作業台へと歩み寄った。
「親父」
「なんだ」
「……あいつ、レオンって奴の『質』を見た。……あれは、今まで王都で相手にしてきた腐った連中とは次元が違う。あいつ自身が、一つの完璧な設計図だ」
親父の、パーツを磨く手が止まった。
彼はゆっくりと振り返り、煤けた顔で俺を見つめた。
「……そうだろうな。帝国がここを買い叩くために送り込んだのは、数字上の強さじゃねえ。……『システムに疑いを持たねえ純粋さ』だ。……お前さんも、その危うさに気づいたか」
「……ああ。タクシー運転手の仕事は、客の目的地を尊重することだ。……でも、あいつは目的地そのものを、システムの一部として管理しようとしてる。……あいつとぶつかる時、俺の技術だけじゃ、押し負けるかもしれない」
俺は、自分の手のひらを見つめた。
神領域で100年かけて磨いた体術。それは確かに最強だ。
だが、今の俺は、後ろにエリアとセフィラ、そして親父を乗せている。
前世の俺なら、一人の身軽さでどうにでもなっただろう。
だが今は、俺が最短ルートを間違えれば、この『不渡りの営業所』ごと全員が廃車になる。
「……親父。……さっきから、どう呼ぶべきか迷ってたんだ」
俺の言葉に、親父が眉を上げた。
「ああん? 何を今さら——」
「……この泥の底で、俺たちは単なる『師匠と弟子』や『酒場の親子』でいられるフェーズを通り過ぎた。……俺は、この共同体の『運行責任者』として、全員の命を目的地まで運ぶと決めた。……あんたは、その俺の無理難題を物理的に支える、唯一無二のメカニックだ」
俺の50歳の魂が、記憶の引き出しから『プロ同士の礼儀』を引っ張り出してきた。
タクシー会社にいた頃、本当に腕のいい整備士には、誰もが敬意を込めて名前を呼んでいた。それは馴れ合いではなく、自分の命を預ける相手への、最大級の承認だった。
「……親父。あんたを『親父』と呼ぶのは、俺の甘えかもしれない。……あんたを、俺という欠陥品を支える一人の『プロ』として、俺は——」
ガルトさん、と呼びかけようとした俺の言葉を、親父の乾いた笑い声が遮った。
「カカッ! ……ハハハハ! ……よせ、カイト。お前、柄にもねえことを」
親父は、油に汚れた手で俺の頭を乱暴に掻き回した。
「……いいか、カイト。……お前が、前世だか何だか知らねえが、50年分の大人の理性で物事を管理しようとするのは分かってる。……だがな、ここを『営業所』と呼ぶなら、看板を掲げるのは店主の仕事だ」
「……看板?」
「ああ。……お前が俺を『親父』と呼ぶのは、甘えじゃねえ。……このクソッタレな世界で、たった数人しかいねえ『身内』として、俺のケツを叩いてる音なんだよ、それは」
親父は、作業台の奥から、分厚い鉄の板とタガネを取り出した。
「……お前さんが、エリアや神様の小娘の目的地を背負う『運行責任者』だってんなら。……俺はその責任者が、どんなに無茶なアクセルを踏んでも壊れねえ車体を組み上げる『専属メカニック』だ。……『さん』付けなんて、客じゃねえんだからやめろ。……俺は、お前の親父として、この泥の底で看板を背負ってやる」
情報。親父は俺の「責任」を、対等な「プロの仕事」として引き受けてくれている。
感情。……熱いな。
反応。——俺は、鼻の奥を抜ける泥の匂いを感じながら、苦笑いした。
「……参ったな。……タクシー運転手の俺が、逆に客に誘導された気分だ」
「ケッ。……ほら、立て、カイト。……看板を作るぞ。……ここが、ただの墓場じゃねえことを、自分たちの目に焼き付けておくための印だ」
俺は親父に促され、ホールの一角、かつて礼拝堂の入り口だった崩れた石柱の前に立った。
親父がタガネを当て、俺がその上から、アニマを込めた拳で打つ。
カチリ、と耳の奥で、霊殻の接続音に似た響きがした。
火花の代わりに、アニマの光が散る。
一文字、一文字。
俺たちは、自分たちの居場所を刻んでいった。
【不渡りの営業所】
【運行責任者:カイト・クラウス】
【チーフメカニック:ガルト】
石柱に刻まれたその文字は、稚拙で、いびつで、そして力強かった。
帝国が配布する『身分証』にも、神威庁が管理する『帳簿』にも載らない。
世界に切り捨てられた俺たちが、自分たちの足で立つための、唯一の座標。
「……これで、後戻りはできなくなったな」
俺は、熱を持った右手を振りながら、石柱の文字を見上げた。
「……元から、戻る道なんてねえだろ。……お前さんが最短ルートを見つけるたびに、俺はそこを最高速で駆け抜けられるように、鉄の殻を研いどいてやる」
親父はそう言って、さっきまで磨いていたパーツ——俺の霊殻の『換装コア』を掲げた。
観察。
親父の目が、メカニックとしての、研ぎ澄まされた光を放っている。
「……カイト。……レオンとかいう騎士に勝つための、新しい『設計図』だ。……お前さんの全ステ1という『空白』に、俺の40年の執念を叩き込んだカスタム案だぞ。……見ろ」
親父が差し出した羊皮紙。
そこには、地の型と、エリアの水の型で得た『泥』の共鳴を前提とした、アニマの流動を限界まで効率化させた、新しい霊殻の構造図が描かれていた。
それは、既存のハイヒューマンの常識ではあり得ない、アニマを『量』ではなく『接続の密度』で制御するための、狂気的なまでの精密設計図だった。
「……最高だ、親父」
「ああ。……これでお前が型を崩せば、二人で仲良くお釈迦だ」
俺は、親父と拳を軽く合わせた。
感情。迷いは消えた。
反応。——明日、エリアが目を覚ました時、俺は堂々とこの看板を見せてやろう。
帝国が秩序を配るなら、俺たちは不自由な自由を配る。
あいつらのバスが通れない脇道を、泥にまみれながら、最短ルートで駆け抜けてやる。
地下拠点の冷たい空気の中に、微かな火種が灯ったような気がした。
メーターは、もう止まらない。
俺は、親父が書き上げた設計図を胸に、石棺の冷たいベッドへと体を沈めた。
耳の奥に残る、タガネの音が、タクシーのエンジン音のように、俺を深い眠りへと誘っていった。
◆
【間話①:終了】
【第3章・間話① あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「間話:運行責任者の看板」
帝国という巨大なシステムに支配され、かつての車庫という城を失ったカイトたち。
しかし、地下の墓場で彼らは、逃避ではない「新たな出発」を選択しました。
「ここが、ただの墓場じゃねえことを自分たちの目に焼き付けておくための印だ」
ガルトのタガネとカイトの拳で刻まれた『不渡りの営業所』の看板。
それは、帝国の帳簿にも神威庁の管理リストにも載らない、彼ら自身が自分たちのために引いた唯一無二の座標です。
「親父」という甘えを超え、プロのメカニックと運行責任者として対峙する二人の姿。
ガルトの執念が叩き込まれた新しい設計図は、かつての型を崩し、帝国という「正しさ」を突き破るための最強の武装となるはずです。
「帝国が秩序を配るなら、俺たちは不自由な自由を配る」
最短ルートを求めるタクシー運転手・カイトの走りは、もはや個人の執念を超え、この街を走るすべての人々の「運転席」となるための戦いへ。
準備は整いました。
帝国という巨大な渋滞を突破する時が、刻一刻と近づいています。
第4話では、いよいよこの「新しい設計図」が戦場で火を噴きます。
カイトたちの反撃のエンジン、ぜひ次回も見届けていただけると幸いです!
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