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第3章・第2話「泥の底の営業所」

 鼻を突くのは、湿った泥と、長い年月をかけて風化した石の匂い。それから、消しきれない死の気配だ。

 地下水路の迷路を抜け、さらに一段深い「廃棄された階層」へと足を踏み入れる。俺の持つ魔導ランタンの微かな光が、カビの生えた石壁をなぞった。


「……ここか。最短ルートを通ったはずだが、思ったより時間がかかったな」


 俺は、背後に続く二人の気配を確認しながら、そう呟いた。

 返ってきたのは、重苦しい沈黙と、水滴が滴る音だけだ。


「……最悪だ」


 思わず本音が漏れた。

 目の前に広がっているのは、かつてこの国の栄華を支えた貴族たちの「安息の地」——のはずだった場所だ。崩れた礼拝堂の祭壇はひっくり返り、並んでいたはずの石棺の多くは蓋が割れている。

 地上の豪華な屋敷も、神威庁の高くそびえる塔も、この泥の下にある「終着点」には何の影響も与えない。ただ、冷たい静寂が支配しているだけだ。


「カイト、ここが……あたしたちの新しい『車庫』なの?」


 エリアの声が、空洞になった石造りのホールに反響した。

 彼女の指先が、俺の汚れた袖をぎゅっと掴んでいる。かつて白銀の聖騎士として太陽の下を歩いていた彼女にとって、この「墓場」はあまりに異質だろう。


「ああ。地上の管理網からも、アニマの監視からも外れた、王都最大の死角だ。……営業所と呼ぶには、少しばかり客層が悪そうだがな」


 俺は、隅に転がっている骸骨を顎で指して、おちゃらけた冗談を言った。

 エリアの肩が小さく跳ねる。

 変だ。冗談を言っている自分の喉が、ひどく乾いているのが分かる。前世で、お気に入りの休憩所だった河川敷の駐車場が、工事で立ち入り禁止になった日のことを思い出した。

 あの日も、行き場を失った俺は、ただハンドルを握りしめて「次」を探すしかなかった。


「……ケッ、贅沢言うな。帝国あいつらに追われて、屋根がある場所にたどり着けただけでも上等だ」


 背後で、親父が重い工具箱を床に下ろした。ガシャン、と鋭い金属音が納骨堂に響き、セフィラがびくっとして俺の頭の上に逃げてくる。


『おじさん! ここ、すっごく変だよ。アニマが沈殿してて、耳鳴りが変なリズムで鳴ってる。……それに、お腹空いた。お墓じゃ、ご飯出てこないよ?』


「分かってる。セフィラ、まずは偵察を優先だ。……親父、インフラはどうする?」


 俺が問いかけると、親父は片腕で器用にランタンを掲げ、ホールの奥を睨みつけた。

 かつての「師匠」としての顔じゃない。今は、この最悪な泥の底で、俺たちの生存を担保する「チーフメカニック」の顔だ。


「まずは水だ。奥の礼拝堂の井戸が、まだ地下水脈に繋がっているはずだ。それから通路の封鎖だな。カイト、お前はあっちの三つの通路を見てこい。俺の指示通りに瓦礫を積め」


「……了解だ。運行計画の第一段階は、まず車両の安全確保(シェルターの要塞化)から、か」


 俺は、親父から手渡された緊急用の補強材を受け取り、暗い通路へと向かった。

 

 数時間の重労働。

 石を運び、崩れかけた天井を支柱で補強し、帝国兵が迷い込んでも出口に辿り着けないように「渋滞」を作る。前世で、クレーム客を上手く誘導して時間稼ぎをしていた時の感覚に近い。

 泥にまみれ、手のひらの皮が剥けていく。アニマを練って身体を強化しようとするたび、肺の奥が焼けるような熱さを帯びた。


「カイト、お水。……少し濁ってるけど、ガルトがろ過してくれたわ」


 通路の入り口で、エリアが革袋を差し出してきた。

 彼女もまた、泥だらけだ。あの綺麗な聖騎士の制服は、あちこちが破れ、埃を被っている。それでも、彼女は文句一つ言わずに、親父が作った即席の「キッチン」で食糧の整理をしていた。


「……助かる」


 受け取った水は、土の匂いがしたが、驚くほど冷たかった。

 俺たちは、石棺の一つをテーブル代わりにして、持ってきた干し肉を齧った。


「……不味いな」


 感情を殺した俺の独白に、エリアが小さく笑った。


「そうね。でも、地下の車庫で食べていたスープよりは、あたしの口に合うかも。……自分たちで選んだ場所で食べてるからかな」


 その言葉に、俺の胸の奥がチリりと痛んだ。

 彼女にこんな場所で、墓場の冷えた空気を吸わせている。これが「運行責任者」としての俺の最初の決断だ。

 仲間をどこへ乗せるか。誰を、どんな危険に晒すか。

 かつての俺は、会社から与えられた客を運ぶだけだった。だが今は、俺が選んだルートに、彼女たちの命が乗っている。


「……エリア。少し、地上の様子を見てくる」


「えっ? でも、まだ外は帝国のパトロールが——」


「タクシー運転手の基本は、道路状況の把握だ。……ここが本当に『最短ルート』の入り口になるかどうか、バックミラー越しじゃなく、自分の目で確かめなきゃ気が済まない」


 俺は、止めるエリアを片手で制し、地上へと続く換気口の一つに向かった。


        ◆


 地上へと這い出し、旧市街の建物の隙間から外を伺う。

 

 空は、濁ったセピア色に染まっていた。以前のような「腐敗した赤」ではない。もっと冷たく、無機質な、色の抜けた灰色の空だ。

 風が、死んでいる。

 神威係数(SIC)の低下は、街から音を奪っていた。

 

 観察。

 大通りの検問所に、規則正しく並んだ帝国兵。彼らは無駄な私語を一切せず、通行する民衆の「身分証」を機械的にチェックしている。

 そこにあるのは、暴力的な略奪ではない。

 徹底した「管理」だ。


「……ひどい渋滞だ。信号が機能してないどころか、道路そのものが、あいつらの意志で書き換えられてる」


 俺は、前世で経験した「不当な営業停止」の記憶を反芻した。

 あの時もそうだった。正しい手続きだ、社会のためだと言いながら、俺たちの「走り」を奪っていったのは、いつだって清潔な制服を着た管理職の連中だった。


「……? あいつ……」


 俺の視線が、中央広場へと続く検問所で止まった。

 帝国兵たちの間を、一人の騎士が通り過ぎていく。

 その歩き方。肩の揺れ。

 

 俺のタクシー運転手としての多角的観察眼が、その騎士の背中に「見覚えのある違和感」を検出した。

 帝国の鎧を纏ってはいるが、その足運びは、王都聖騎士団のもの——。


「……来たか。平行線の先にある、かつての仲間の気配」


 俺は、無意識に唇を噛み切り、鉄の味を感じた。

 

 エリアの隣を歩いていたはずの連中が、今は帝国の「管理システム」の歯車として、俺たちのルートを塞いでいる。

 

 感情。

 胸が焼ける。

 

 反応。

 俺は静かに換気口の蓋を閉め、地下の「墓場」へと戻った。

 

 新拠点は、安全じゃない。

 ここは、ただの潜伏先じゃない。

 

 ここから、帝国の「正しい支配」という名の渋滞を突き破り、誰一人降ろさずに目的地へと走り抜ける——。

 俺は暗闇の中で、セフィラが感知したという「無音」の恐怖を、無理やり「運行コスト」として脳内の帳簿に書き込んだ。


「待たせたな。……営業再開の準備を始めようか。親父、エリア。王都(道路)の状況は、思ったより混み合ってるぞ」


 泥の底。石棺の並ぶ不気味なホール。

 そこが、俺たちの「不渡りの営業所」としての、本当の出発点になった瞬間だった。

【あとがき】

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


「泥の底の営業所」


帝国という巨大な「渋滞」から逃げ延びたカイトたちがたどり着いたのは、王都の地下に眠る貴族の墓場でした。

華やかな地上の裏側で、死者たちに囲まれてパンを齧る四人。

決して快適とは言えないこの場所こそが、理不尽な管理社会から外れた、彼らだけの「自由な運行」の起点となります。


泥にまみれ、石を運び、かつての聖騎士エリアは食器を洗い、かつての騎士ガルトは爆破スイッチを握る。

その不器用な日常は、かつて孤独な運転手だったカイトにとって、何よりもかけがえのない「帰る場所」へと変わりつつあります。


しかし、地上でカイトが目撃したのは、帝国の軍門に降った「かつての仲間」の背中でした。

かつて共に歩んだ者が、今は支配の歯車として、カイトたちの道を塞いでいる。


「渋滞は避けるものじゃない。自分たちで、新しいルートを切り開くもんだ」


墓場の静寂の中で、カイトは再度の営業再開を宣言します。

帝国の冷酷な「管理」という名の渋滞を、彼らはどう突き破るのか。

そして、かつての仲間との再会は、彼らに何をもたらすのか。


泥の底から始まる、王都再買収への物語。

第3話、いよいよ反撃のエンジンが始動します。


皆様からの応援、レビューがカイトを動かす唯一の燃料です。

次回もよろしくお願いします!

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