第2章・第9話「帝国徴税官、鋼の強欲」
肺の奥が、熱く焼けた鉛を流し込まれたように重かった。
第2区、徴税中枢の最深部。
辿り着いたそこは、もう俺の知っている王都の景色じゃなかった。
巨大な円形ドームの天井からは、アニマを啜り上げる「黒い鎖」が血管のようにのたうち回り、中央に鎮座する巨大な「世界の口」へと繋がっている。
不快だ。
ズズズ、という、空気を無理やり啜り上げる音が、胃の底を掻きむしるような不協和音となって反響している。
ドームを照らしているのは朝陽じゃない。
装置から漏れ出す、腐ったアニマの澱みが生み出す、毒々しい緑色の燐光だ。
「……おじさん、だめ……。あの中、なにもない……。……ただの、大きな、空っぽの穴だよ……」
俺の裾を掴むセフィラの指先が、ガタガタと震えている。
驚いた。
彼女の小さな身体が、時折、古い映像のノイズのように透けて、向こう側の景色を透かして見せている。
実体化したことで、この空間の異常な「支配権の低下」が、そのまま彼女の存在を削り取ろうとしていた。
「……警告は一度だけだ、王都の不法占拠者諸君」
ドームの中央、装置の前に立つ男が、冷徹な声を響かせた。
全身を黒鉄の、継ぎ目のない滑らかな装甲で固めた男。
エーデルラント帝国の徴税官だ。
彼の背後には、王都のそれより二回りは巨大な、鈍い銀光を放つ三機の「重装霊殻」が、石像のように控えている。
「……現在、この区域のアニマ資産は、王都政府より帝国へ正式に債権譲渡された。……諸君らの行為は、帝国の正当な財産回収に対する重大な侵害……つまり、不渡りの後片付けに対する妨害行為とみなす」
「……財産回収ですって?」
エリアが、剣を強く握りしめて一歩前に出た。
彼女の水の霊殻が、周囲の澱んだアニマを必死に押し返そうと、白銀の波紋を広げている。
「……ここに住む人たちの命も、この街の未来も、あんたたちはただの『数字』だと思ってるの!? ……そんなの、絶対に認めない!」
「……認めようと認めまいと、帳簿は書き換えられた。……価値のない不良債権は、資源として再利用されるのが世界の摂理だ。……排除せよ」
徴税官が、事務的に指を鳴らした。
来る。
控えていた三機の重装霊殻が、一斉にセンサーを赤く発光させた。
カチリ、カチリ、カチリ。
地下配管で戦った量産機とは比較にならない、重厚で、冷酷な接続音。
最悪だ。
その一機が地面を蹴った瞬間、衝撃波だけでドームの石畳が砂となって舞い上がった。
速い。
それ以上に、圧倒的に「重い」。
「エリア、下がれ! ……地の型!」
俺はエリアを背後に押しやり、全アニマを右腕に叩き込んだ。
カチリ。
俺の骨の芯が、悲鳴を上げるような音を立てて繋がる。
積層される灰色の装甲は、これまでの倍の厚みを持ち、俺の正面に巨大な「盾」を形成する。
ドォォォォォォォォォォォォン!!
正面から激突した、帝国重装霊殻の巨拳。
驚いた。
これまでどんな魔獣の突進も受け止めてきた地の型が、一瞬で「押し切られた」。
石畳に突き立てた俺の足が、抵抗虚しく後方へと数メートルも削り取られる。
衝撃が霊殻を通じて肉体にフィードバックされ、肺の中の空気が全て絞り出された。
重い。
質とか技術とか、そんなものを嘲笑うような、暴力的なまでの「出力」の壁。
前世の不景気なタクシー営業所で、大手資本の巨大な車列が目の前を塞ぎ、一人の個人タクシーが入り込む余地を完全に奪われた時と同じ、理不尽なまでの「数」と「力」の蹂躙だ。
「……無駄だ。……帝国製重装霊殻の出力は、王都規格の五倍を超える。……いかなる古流の型であろうと、物理的限界の差を埋めることは不可能だ」
徴税官の言葉に合わせて、さらに二機の重装霊殻が、左右から俺たちを包囲するように踏み込んできた。
変だな。
奴らが動くたびに、周囲の風景が「崩れて」いく。
重装霊殻が踏んだ床が、アニマを奪われて真っ白な砂に変わり、そこから重力が失われたように宙へと浮き上がる。
「あ、ああ……。……おじさん、助けて……! ……我が、吸い込まれちゃう……!」
セフィラの悲鳴。
見れば、彼女の足元がすでに透け、ドームの床を通り越して、底なしの暗闇へと沈みかけていた。
実体化したことで、彼女はこの「異界化」した空間の浸食を、誰よりも先に受けている。
「セフィラッ!」
「カイト、前を見て! ……来るわ!」
エリアが俺の隣で、水の壁を強引に展開した。
だが、その水の装甲も、帝国機の放つ高密度の熱線に晒され、蒸発するように消えていく。
最悪だ。
最短ルートが、見えない。
観察眼を研ぎ澄ましても、返ってくるのは「死」への直通コースだけだ。
右を向けば熱線に焼かれ、左を向けば重質量の拳に砕かれ、真っ直ぐ進めば「世界の口」に飲み込まれる。
俺は、前世の最悪な営業日を思い出した。
大雨、渋滞、理不尽な客の怒鳴り声。
逃げ場のない車内で、ただメーターだけが空しく回り続けていた、あの絶望的な昼休み。
ふふっ。
不敵な笑いが、喉の奥から漏れた。
不快だ。
こんなところで、あの時の諦めと、あの時の執念が、同時に顔を出すなんて。
「……エリア、セフィラ。……シートベルトを締めてろ」
俺は、砕けかけた地の型の霊殻を、さらに一段深く、骨を削るような音と共に再構築した。
「……この客(徴税官)は、お代を払う気がないらしい。……なら、俺のやり方で、無理やりでも徴収させてもらうぞ」
「……おじさん……?」
セフィラの声が、今にも消えそうなほど細くなる。
瞬間、目の前の三機の重装霊殻が、一斉にアニマを臨界まで加速させた。
ドォォォォォォォォォォン!!
ドーム全体が、砂となって崩壊を始めた。
俺たちの周囲から床が消え、無限の闇へと落下していく感覚。
その最中、エリアの胸の奥で、何かが「カチリ」と、聞いたこともないほど高く、澄んだ音を立てた。
不穏だ。
だが、その微かな音が、絶望のどん底で俺の最短ルートを、一筋の蒼い光となって照らし出した。
◇
【知識:帝国製霊殻の限界突破出力の脅威 を獲得しました】
【日常:絶体絶命の瞬間、前世の諦めの悪さが不敵な笑みとして表出しました】
【エリアの兆し:エリアの中に眠る「水の神の断片」の胎動 を配置しました】
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「帝国徴税官、鋼の強欲(前編)」
ついに到達した徴税中枢の深淵で、カイトたちを待ち受けていたのは帝国という名の「絶対的な暴力」でした。王都規格とは比較にならない高出力、そして周囲の空間そのものを侵食し、民衆の魂をデータ化して吸い上げる異形の装置。
物理的な出力差の前で、地の型の装甲さえも砂のように削り取られ、チーム「地下の車庫」は設立以来最大の窮地に追い込まれます。
「価値のないものは再利用されるのが摂理」
冷徹な徴税官の言葉は、かつてカイトが前世で見てきた、巨大資本に飲み込まれていく小さな個人の姿と重なります。
しかし、カイトは諦めません。逃げ場のない絶望を前にして、彼の口元にはかつてない不敵な笑みが浮かびました。
それは、すべてを失いかけた者だけが持ちうる、強烈なまでの「諦めの悪さ」
そして崩壊するドームの中、エリアの内に眠っていた何かが、ついに「カチリ」と音を立てて目覚めようとしています。
絶望の底から響くその音は、果たしてこの世界を救う救済の音か、それとも破滅の調べか。
最短ルートが閉ざされたとき、カイトの拳はどこへ向かうのか。
帝国の鋼の強欲を、どう「バイアウト」するのか。
息もつかせぬ第10話(後編)も、ぜひ見届けていただけると幸いです!
皆様からの応援、レビューがカイトを動かす最強の燃料です。
次回もよろしくお願いします!




