第2章・第8話「強行突破、地下水路の猛追」
湿った冷気が、肌を刺すような微かな熱に変わった。
地下水路のどん詰まり。苔むした石壁の奥に、不釣り合いなほど無機質な銀色のハッチが鎮座している。
その表面に刻まれた「聖騎士団専用」の紋章が、地上から漏れ出すセピア色の光を浴びて、どこか墓標のように煤けて見えた。
嫌な予感がする。
神威庁の鐘の音が、厚い地層を抜けて、腹に響く不協和音となってここまで届いている。
「……カイト、開けるわ。……準備は、いい?」
エリアが、操作パネルに指を添えたまま俺を振り返った。
彼女の白い指先は小刻みに震えている。
騎士としての誓いを破り、自分が守るべきだった「法」の裏道を開く。その重みが、彼女の肩を押しつぶそうとしていた。
「……ああ。……メーターはもう回ってる。……止まる理由はどこにもない」
俺がそう告げると、エリアは一度だけ深く呼吸し、迷いを切り捨てるようにコードを叩き込んだ。
ガガ、と重厚な金属音が鳴り、ハッチがゆっくりと回転しながら奥へ吸い込まれていく。
驚いた。
開いた口から溢れ出してきたのは、視界を奪うほどの青白い霧だった。
高濃度のアニマ。
肌に触れる空気がパチパチと爆ぜ、鼻の奥に鉄が焼けるような脂の匂いがこびりつく。
「……おじさん、気をつけて。……この先、アニマが腐ってる。……誰かが無理やり、無理やり吸い上げてるよ……!」
俺の影に滑り込んだセフィラが、耳を押さえて悲鳴のような声を上げた。
彼女の輪郭が、アニマの乱れに呼応して、激しく明滅している。
最悪だ。
俺はエリアの隣を抜け、霧の中に一歩踏み出した。
カチリ。
骨の奥から響く、重厚な接続音。
右腕から肩、そして背骨へと、岩石の質感を持つ灰色の装甲が積層されていく。
地の型。
自分の肉体が一回り大きな「重機」へと作り替えられていく感覚が、この異常な空間での唯一の確信だった。
「……エリア、行くぞ。……俺が前を走る。……あんたは背中を頼む」
「……分かったわ。……あたしが、誰にもあんたのブレーキを踏ませない!」
エリアの背後からも、流体のアニマが噴き出した。
蒼い光が彼女の剣を包み込み、流麗な水の霊殻がその細い身体を騎士の「盾」へと変えていく。
俺たちは、直径五メートルほどの円筒形の配管内を、爆発的な速度で駆け出した。
変だな。
配管の壁面、本来なら清浄なアニマが流れているはずの場所に、どろりとした黒い煤が油膜のように張り付いている。
それが俺たちの霊殻が放つ熱に反応し、不快な蒸気を上げて視界を遮る。
「……カイト! ……三〇〇メートル先、二時の方向! ……来るぞ、鉄臭い連中だ!」
ドックに残ったガルトの声が、耳元の通信機から、砂嵐混じりの怒号となって飛び込んできた。
来た。
霧の向こう側から、規則正しい、そして容赦のない金属の駆動音が聞こえてくる。
ギィ、ギィ、ギィ……。
現れたのは、三機の霊殻だった。
だが、それは王都の騎士が見せる、儀礼的な美しさを持った機体じゃない。
全身をくすんだ灰色の重装甲で覆い、無機質なセンサーだけを赤く光らせた、帝国の量産規格。
不快だ。
感情を一切挟まず、ただ「障害物」を排除するためだけに設計された、事務的な殺意。
前世で、マニュアル通りの言葉でこちらを追い詰めてきた、冷徹な査定官を思い出した。
「……警告。……不法侵入者を確認。……帝国法第百四条に基づき、即刻……粉砕する」
帝国機が右腕を掲げた。
そこには、アニマを弾丸として高速射出するための、無骨な連装砲が備え付けられている。
ドシュッ、ドシュッ、ドシュッ!
狭い配管内を、蒼白い光弾が埋め尽くした。
回避の余地はない。
「……あたしに任せて!」
エリアが、俺の前に躍り出た。
彼女は水の型の極致――円運動の旋回を、その細身の剣で描き出した。
驚いた。
彼女の霊殻から噴き出した流体のアニマが、配管内に巨大な「渦」を作り出した。
飛来する光弾が、その渦に触れた瞬間、威力を奪われ、配管の壁面へと無害に受け流されていく。
「……カイト、今! ……その隙間に、あんたの型を叩き込んで!」
エリアの声が、水の飛沫の中で響いた。
分かっている。
俺は、エリアが弾幕をこじ開けた一瞬の「空白」に、地の型を深く踏み込んだ。
地の型、第一歩。
俺の踏み込みが、配管の底をひしゃげさせ、その反動が俺の巨躯を弾丸へと変えた。
最短ルート。
タクシーの運転手として、渋滞のわずかな隙間に車体を滑り込ませてきたあの感覚が、今、霊殻という質量を得て爆発する。
驚いた。
帝国機がセンサーを激しく点滅させ、防御姿勢を取ろうとした。
だが、遅い。
「……おじさん、右肩の関節! ……アニマが滞留してる、そこが『不渡り』の起点だよ!」
セフィラが俺の耳元で叫んだ。
彼女の調律が、俺のアニマと、敵の霊殻が持つ「歪み」を完璧に同期させた。
俺は、霊殻を纏った右拳を、帝国機の肩口へと真っ直ぐに突き立てた。
ドォォォォォォォォン!!
重厚な衝撃が、霊殻を通じて俺の腕に「確かな手応え」として返ってきた。
帝国規格の重装甲が、俺の「地」の質量に耐えきれず、まるで乾いた陶器のように粉々に砕け散る。
一機、撃沈。
爆発したアニマの光が霧を払い、俺の進路を照らし出した。
「……カイト、二歩下がれ! ……左の壁面、配管の継ぎ目が脆くなっている。……そこを軸に回れ!」
ガルトの指示が、俺の脳内の地図をリアルタイムで書き換えていく。
俺は言われた通り、左の壁面を蹴った。
悪くない。
エリアの「水」が俺を守る盾となり、ガルトの「技術」が俺に道を示し、セフィラの「神力」が俺の拳を加速させる。
四人が、ひとつの巨大な、そして精密な「運行システム」として機能している高揚感が、俺の血液を沸騰させた。
俺たちは、残る二機の帝国機を、文字通り「置き去り」にする速度で駆け抜けた。
粉砕された装甲の欠片が、後方でアニマの火花を散らしながら消えていく。
疲れた。
肺を焼くようなアニマの熱と、霊殻から返ってくる衝撃の蓄積が、膝をわずかに震わせる。
だが、ハンドルを離すわけにはいかない。
「……カイト、出口よ! ……光が見えるわ!」
エリアの叫びと共に、配管の突き当たりが爆ぜるように開けた。
俺たちは、光の奔流の中へと飛び出した。
驚いた。
辿り着いたその場所は、俺が想像していた「貯蔵庫」とは全く別のものだった。
そこは、王都の地下に広がる、広大な円形ドーム。
だが、その天井からは無数の、巨大な「黒い鎖」が垂れ下がり、中央に鎮座する異形の装置を縛り付けていた。
装置からは、絶え間なく「ズズズ……」という、空気を強引に啜り上げる音が響いている。
最悪だ。
装置の周囲には、王都の騎士ではない、全身を黒鉄の装甲で固めた「帝国の徴税官」たちが、冷徹な視線で俺たちを待ち構えていた。
空気が、腐っている。
そこはもはや王都の一部じゃない。
帝国の技術で異界化され、民衆のアニマを帝国本国へと転送するための、巨大な「アニマの口」が、暗い闇の中で獲物を待つように口を開けていた。
「……おじさん、あれ……。……あれが、世界を食べてる『口』だよ」
セフィラが、ガタガタと震えながら、俺の首にしがみついた。
よし。
俺は、エリアが直してくれたばかりの上着の襟を、もう一度だけ正した。
「……あんな不味そうな口は、俺の客(世界)には相応しくないな。……物理的に、塞いでやる」
メーターは、最終区間へと突入した。
俺たちは、帝国の傲慢な徴税官たちが待ち構える、異界化した徴税中枢という名の戦場へ向かって、静かに、だが確実に最後の一歩を踏み出した。
◇
【実績:チーム連携の極致(役割の固定) を達成しました】
【知識:帝国規格霊殻の事務的な戦闘パターンの把握 を獲得しました】
【日常:エリアが「盾」としてカイトの進路を守る信頼関係の確立 を獲得しました】
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「強行突破、地下水路の猛追」
帝国が王都に打ち込んだ「第2の楔」。そこへ繋がる禁断の配管を、カイトたちは死に物狂いの速度で駆け抜けました。
襲い来る帝国規格の冷徹な霊殻たちを、エリアの水の旋回が受け流し、カイトの地の拳が粉砕する。
チーム「地下の車庫」が、ひとつの完璧な運行システムとして機能し始めた瞬間でした。
しかし、配管の出口に広がっていたのは、王都の地下とは到底思えない、禍々しい異界でした。
天井から垂れ下がる黒い鎖、そして民衆のアニマを啜り続ける巨大な「口」。
帝国は単に金を奪うのではなく、この街そのものを「燃料」として本国へ転送しようとしていたのです。
カイトたちを待ち受けるのは、帝国の冷酷な徴税官たち。
世界を食い荒らす傲慢な「口」に対し、カイトはタクシー運転手としての粋な覚悟を突きつけます。
「客(世界)には相応しくない」と。
物理的に世界を買い戻すための、最終区間。
チーム「地下の車庫」、いざ帝国との決戦の地へ!
帝国の徴税官との対峙、そしてこの異界の正体とは。
クライマックスに向けて、第9話もカイトたちの熱い運行をぜひ見届けていただけると幸いです!
皆様からの応援、レビューがカイトの唯一の燃料です。
次回もよろしくお願いします!




