第2章・第7話「作戦会議、白銀と蒼の境界」
上着の袖を通すと、脇のあたりに微かな「引きつれ」を感じた。
地下のドックに差し込む朝陽は、舞い上がる煤を照らして煤けた黄金色に光っている。
俺はエリアが不器用な手つきで縫ってくれた上着の、その少しだけ歪な糸目を確認した。
悪くない。
前世で着ていた、大量生産の安っぽいワイシャツとは違う。
一針ごとに、彼女の迷いと決意が織り込まれたこの布地は、今の俺にとってどんな防弾チョッキよりも心強い「制服」に感じられた。
「……どうかしら。やっぱり、少し突っ張るわよね?」
エリアが、俺の反応を窺うように上目遣いで尋ねてきた。
彼女の指先には、まだ針仕事の緊張が残っている。
「いや、ぴったりだ。……いい仕事だよ、エリア」
俺がそう答えると、エリアの表情が一気に綻んだ。
変だな。
あんなに気高く、聖騎士として民を守っていた彼女が、たった数針の縫い跡を褒められただけで、冬の朝に初めて陽だまりを見つけた小鳥みたいに笑う。
その笑顔を、セピア色に濁ったこの空の下に埋もれさせてたまるか。
「ヘッ、色男はいいぜ。……さて、オーナー。そろそろ『始業点検』の時間だ。……機体の調子が悪いタクシーじゃ、地獄の最短ルートは走れねえからな」
ガルトが、作業台に並べた武骨な工具を叩きながら言った。
オーナー、か。
昨日の戦闘を経て、この男の俺を見る目が変わった。
ただの運のいいドブネズミを見る目じゃない。
ハンドルを預け、自分の誇りを再投資した相手に向ける、プロのメカニックの視線だ。
「……ああ。頼むよ、親父」
俺はドックの中央、アニマ増幅装置が埋め込まれた床の上に立った。
ガルトが残された左腕で、調整用の魔石を端末に叩き込む。
カチリ。
俺の骨の芯から、重厚な接続音が鳴り響いた。
来た。
右腕から肩にかけて、岩石のような質感を持つ灰色の装甲が積層されていく。
地の型
俺が拳を握れば、数メートル外側に拡張された霊殻の巨拳が、空気を重く押しつぶしながら追従してくる。
「……やっぱりな。カイト、お前の霊殻には『型』はあっても『形』がねえ」
ガルトが、独眼で俺の右腕の装甲を凝視しながら呟いた。
驚いた。
彼の言葉は、俺がこれまで感じていた違和感を、ズバリと言語化していた。
「普通のハイヒューマンの霊殻は、生まれた時から属性が決まった『既製品』だ。火の加護なら炎の形、水の加護なら流体の装甲。……だがお前のは違う。お前の加護は『全ステ1』……つまり、真っ白なキャンバスだ」
「真っ白なキャンバス?」
「ああ。……『空白の株』ってやつだ。……特定の機能が何もないから、神領域で極めたお前の体術が、そのままアニマを物理化して『形』を作っちまうんだよ。……昨日、俺のアニマを流し込んだ時に見せたあの鉄槌……あれは機体の出力じゃねえ、お前の意志がアニマをその形に焼き付けた結果だ」
そういうことか。
俺が今まで部分換装しかできなかったのも、全身を「型」で維持し続けるためのアニマが足りなかったからじゃない。
俺自身が、自分の「型」を霊殻というハードウェアに完全に転写しきれていなかったからなんだ。
不快だ。
前世のタクシー無線で、「空車」なのに目的地がわからずハンドルを切れない時のような、あの歯痒い感覚。
だが、今の俺にはガルトの知恵があり、セフィラの調律がある。
「おじさん、すごーい! 霊殻が『空白』なのは、おじさんが何にでもなれるように、あえて空っぽにしておいたんだよ? 創造神の我がわざとそう設計したんだから、感謝してよね!」
セフィラが俺の頭の上で跳ねながら、得意げに胸を張った。
実体化した彼女の髪が俺の頬をかすめ、微かなアニマの熱を感じさせる。
嘘だな。
単に神力が足りなくて、機能を作り込めなかっただけだろ。
「……でも、不思議。……エリアちゃんの側に行くと、なんだか懐かしい匂いがするの」
セフィラがふわりと俺の頭から降り、地図を広げていたエリアの側に近寄った。
彼女はエリアのスカートを小さく摘むと、くんくんと鼻を鳴らした。
「……匂い? セフィラ、あたし、そんなに変な匂いする?」
「ううん、違うよ。……お水の中に、ずっと隠れていたみたいな……すごく冷たくて、でも優しい匂い。……我の『妹』みたいな、懐かしい感じ」
驚いた。
セフィラが耳を押さえて、小さく顔をしかめた。
「……星の底で、誰かが泣いてる。……エリアちゃんの中に、扉があるのかな」
不穏だ。
セフィラの予報は、いつだって世界の歪みを鋭く突いてくる。
エリアの「水」の属性。それがSICの回復に呼応して、別の神の断片を呼び起こそうとしているのか。
「……話を戻そう。ルートの話だ」
俺は、仲介人から受け取った帝国の不渡りリストをテーブルに広げた。
「ターゲットは第2区の『徴税中枢』。……帝国が打ち込んだ第2の楔だ。……仲介人のデータによれば、正面は軍事規格の重装霊殻が三機。……まともに突っ込めば、営業停止(撃沈)は免れない」
「……なら、あたしの出番ね」
エリアが、地図の一点を指差した。
「ここ。……聖騎士団だけが使う、アニマの排気配管があるわ。……地下水路のさらに下を通って、中枢の真下まで繋がってる。……本来は緊急脱出用だけど、あたしの権限コードがあれば開けられるはず」
よし。
最短ルートが、俺の脳内の地図に光る筋として浮かび上がった。
大通りの渋滞を避け、細い裏路地を縫って目的地へ滑り込む。
タクシー運転手としての俺の「本業」が、ここに来て戦術に噛み合う。
「……配管を通って真下から奇襲し、帝国の重装霊殻の足元を掬う。……エリアが『水』で連中の機動力を削ぎ、俺が地の型で核を粉砕する。……親父、霊殻の負荷はどうだ」
「……キツいぜ。……帝国製は王都のそれよりアニマの吸い上げがえげつねえ。……中枢に近づくほど、呼吸するだけで肺が焼けるような感覚に襲われるはずだ」
「……慣れてるよ。……ラッシュ時の排気ガスよりはマシだ」
俺は、エリアが直してくれた上着の襟を正した。
ドォォォォォォォォン……。
地鳴りのような鐘の音が、ドックの石壁を震わせた。
神威庁の警告鐘。
だが、その音は昨日までとは違う。
金属が擦れ合うような、悲鳴に近い高音が混ざっている。
最悪だ。
帝国による支配権の「強制的引き落とし」が、第2段階に入った合図だ。
空を仰げば、天窓の向こうのセピア色が、どろりと濁った黒い紫へと変質を始めていた。
「……行くぞ。……チーム『地下の車庫』、始動だ」
俺の言葉に、ガルトが工具を納め、エリアが白銀の剣を抜き放った。
セフィラが俺の影に滑り込み、その震える小さな手で俺の裾を掴む。
メーターは、もう最大速度で回っている。
不渡りを出したこの世界の帳簿に、俺たちの「二撃目」を叩き込むために。
俺たちは、帝国の鉄臭い影が差す地下配管の闇へと、迷わずハンドルを切った。
◇
【知識:霊殻の本質的理解(空白の株の自覚) を獲得しました】
【実績:第2の楔(徴税中枢)への潜入ルート策定 を達成しました】
【伏線投入:エリアに宿る「妹」の気配(アクアの胎動) を配置しました】
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「作戦会議、白銀と蒼の境界」
エリアの不器用な針仕事によって繕われた上着を羽織り、カイトは改めてチームとしての結束を固めます。
ガルトのメカニックとしての慧眼により、カイトの霊殻が「空白の株」であるという真実が明かされました。
何者でもないからこそ、カイトの意志はアニマを物理化し、無限の形へと変貌できる。
それは、この理不尽な世界を書き換えるための唯一無二の鍵でした。
しかし、エリアの霊殻に宿る「妹」の影を感じるセフィラの予言は、物語がただの反撃劇では終わらないことを告げています。
王都、帝国、そして「水」に秘められた神の断片――
神威庁の警告鐘が悲鳴を上げて鳴り響く中、カイトたちは帝国の第2の楔「徴税中枢」へと繋がる地下配管の闇へ足を踏み入れました。
大通りを避け、裏路地を縫うような最短ルート。タクシー運転手としての矜持を戦術に変えたカイトの「運行」が、いよいよ帝国の牙城を揺るがします。
準備は整いました。
チーム「地下の車庫」による、帝国の徴税システムへの真っ向勝負
第8話、いよいよ中枢への潜入です。
皆様からの応援、レビューがカイトを動かす最強の燃料です。
次回も、この熱い運行を見届けていただけると幸いです!




