第2章・第6話「帳簿の続き、Eの刻印」
地下に広がるオイルと錆の匂いが、今は奇妙に落ち着く「我が家」の香りに感じられた。
ドックの重い扉を閉めると、地上から追いかけてきていた焦げたアニマの不快なチリつきが、ようやく静まりを見せた。
疲れた。
俺は作業台に背中を預け、大きく息を吐き出した。
右腕の装甲が霧散した後の皮膚には、ガルトのアニマとシンクロした時の熱い感覚が、微かなしびれとなって残っている。
変だな。
ふと視線を落とすと、俺のボロ布のような上着は、さっきの戦闘でもう一段階「ボロ」を極めていた。
魔獣の爪が掠めた肩口は大きく裂け、地の型の踏み込みに耐えきれなかった裾が、無惨にぶら下がっている。
「おじさん、それじゃあ幽霊みたいだよ! 我の相棒がそんなみすぼらしい格好じゃ、創造神のメンツが丸潰れだね!」
セフィラが俺の膝の上に飛び乗ってきた。
実体化した彼女の重みが、今は心地よい。
彼女は俺の破れた袖を器用に指で摘むと、「うわ、不潔!」とおどけて鼻を寄せた。
「……カイト、その、貸してくれないかしら」
驚いた。
エリアが、俺の隣でマントを脱ぎ捨て、袖を捲り上げて立っていた。
彼女の指先には、どこから持ってきたのか、裁縫道具の小さな針と糸が握られている。
「……エリア?、騎士団の訓練に裁縫なんてあったのか」
「……ないわよ、そんなの。でも、フォレスター家の娘として最低限の教養は叩き込まれたわ。……カイトのその服、あたしが直してあげる」
不快だ
いや、彼女の好意が不快なわけじゃない。
ただ、白銀の装甲を纏っていた聖騎士が、地下の油まみれの車庫で針仕事をしているという光景のズレが、俺の心拍をわずかに狂わせる。
「……いいよ、こんなの。どうせまたすぐに汚れる」
「ダメ。……そんなボロボロの服でハンドルを握らせるわけにはいかないわ。……いいから、脱いで」
彼女の瞳には、かつての「守られるお姫様」ではない、頑固な戦友としての光が宿っていた。
負けた。
俺は肩をすくめ、上着を脱いでエリアに手渡した。
彼女は慣れない手つきで椅子に座ると、俺の服を膝の上に広げ、一心不乱に針を動かし始めた。
驚いた
あんなに洗練された剣技を見せるエリアの指先が、布を通す時にはまるで初めての戦場に挑む新兵のようにぎこちない。
だが、その一針一針が、俺たちの新しい「営業所」に静かな熱を灯していく。
「……よくやったな、ドブネズミ」
ドックの奥から、ガルトが低い声を響かせて歩み寄ってきた。
彼は作業台に置かれた、例の「黒い紙片」を独眼で睨みつけている。
最悪だ。
セフィラが実体化した手で、ガルトの肩をポンと叩いた。
「よく頑張ったね、おじさん! 過去を粉砕した瞬間のアニマ、最高に美味しかったよ!」
「……フン。……創造神様に褒められるたあ、俺も長生きするもんだ」
ガルトは照れ隠しに鼻を鳴らすと、黒い紙片を指で摘み上げた。
その指が、紙に刻まれた「E」の刻印をなぞる。
「……カイト。この刻印、見覚えがある。……俺が騎士団にいた頃、王都の帳簿を裏で買い漁っていた鉄臭い連中のマークだ」
「鉄臭い? ……エーデルラント帝国(Edelland)のことか」
俺が問い返すと、ガルトの表情が一段と険しくなった。
来た。
ドックの入り口で、三度のノックが響いた。
規則正しく、事務的な音。
「……営業中のようだな。不運な債権者諸君」
扉を開けると、そこには闇の仲介人が立っていた。
不快だ。
男は煤に汚れたドックを見回し、エリアが針仕事をしている姿に一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに俺が差し出した「黒い紙片」に視線を固定した。
「……不渡りリスト:E-003。……これを手に入れたか」
「……説明してもらおうか。……この『E』が何を意味しているのかをな」
俺は男の瞳の奥を観察した。
前世で、高額な忘れ物を誤魔化そうとする客と同じ、「情報の隠匿」特有の視線の震えがないか。
驚いた。
男の瞳には、嘘ではなく「底知れない恐怖」が張り付いていた。
「……『E』はエーデルラント。王都の負債を、買い叩いている侵略者の名だ。……王都は今、神威係数(SIC)の維持に失敗し、莫大なアニマの『焦げ付き』を抱えている。……神官長たちはその穴を埋めるために、王都の居住区そのものを帝国に『担保』として売り渡し始めている」
「……居住区を担保に? ……まさか、そこに住む民のアニマごと売っているというのか!」
エリアが針を止め、震える声で立ち上がった。
「……その通りだ、聖騎士殿。……帝国は買い取った債権を行使し、物理的な『楔』を打ち込み始めている。……この紙片に記された地点……第2区の奥にある『徴税中枢』こそが、帝国から派遣された徴税官が鎮座する、第2の楔だ」
最悪だ。
俺は前世で倒産していった中小企業の社長たちの顔を思い出した。
借金を返すために、会社の権利を競合他社に切り売りし、最後には社員の生活さえ守れなくなった無惨な末路。
今の王都がやっていることは、それと全く同じだ。
邪神側の侵略に耐えきれなくなった王都が、別の侵略者(帝国)に救済を求め、その代償として自分たちの「シェア(支配権)」を物理的に明け渡している。
「……帝国が介入しているなら、相手はただの魔獣や汚染騎士じゃ済まないわ。……帝国の霊殻は、王都のそれよりも遥かに出力に特化した、戦うための怪物だもの」
エリアの言葉に、ドックの空気が鉄の匂いを帯びて重くなった。
変だな。
俺の心臓は、恐怖ではなく、冷徹なまでの「高揚」に震えていた。
相手が巨大になればなるほど、その歪みも大きくなる。
王都と帝国、その醜い「債権の押し付け合い」の隙間にこそ、俺が叩き込める最短ルートの拳がある。
「……おじさん、またメーターが回り始めたね。……今度は、すごく速いよ」
セフィラが、俺の肩越しに地図を覗き込みながら、耳を押さえて顔をしかめた。
「……耳鳴りがする。……帝国が打ち込んだ『楔』のせいで、世界の波長がまた捻じ曲げられてる。……あそこに、我の……星の支配権を奪い取ろうとしている、大きな口が見えるよ」
よし。
俺は立ち上がり、エリアから手渡されたばかりの、不器用に補強された上着を羽織った。
「……ルートは決まったな。……第2区の徴税中枢。……そこで王都の負債を買い叩いている『帝国の楔』を、物理的にバイアウトしに行く」
俺の言葉に、ガルトがニヤリと笑い、巨大な工具を肩に担いだ。
エリアも、ぎこちなく縫い合わされた俺の上着を見て、少しだけ誇らしげに剣を握りしめる。
ドックの照明が、俺たちの決意に呼応するように一瞬だけ強く明滅した。
不快な余震は、まだ続いている。
だが、その先にある「二撃目」の準備は整った。
不渡りを出したこの世界の、そのさらに裏側に潜む「帳簿の主」を、俺はこの拳で引きずり出してやる。
メーターは、もう止まらない。
俺たちのタクシーは、帝国の鉄臭い影が差す、徴税中枢という名の戦場へ向かって、静かに加速を開始した。
◇
【知識:邪神の目的への接近(帝国という協力者の存在) を獲得しました】
【実績:第2の楔(帝国の徴税中枢)の位置特定 を達成しました】
【日常:エリアによる不器用な針仕事(チームへの融和) を獲得しました】
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「帳簿の続き、Eの刻印」
激闘を終え、地下の車庫へと戻ったカイトたち。
ボロボロになった服をエリアが不器用に繕うという穏やかな時間は、彼らがただの「共犯者」から、かけがえのない「チーム」へと変化したことを告げていました。
しかし、戦利品の黒い紙片は、王都の裏に潜むさらなる絶望を暴き出します。
「E」――それは帝国。
王都を救済するふりをして、民のアニマごと街を買い叩く、巨大な債権者(侵略者)の名でした。
カイトたちの戦いは、単なる王都内の内紛から、帝国という大国を巻き込んだ「支配権の奪還戦」へとスケールを拡大します。
敵が巨大になればなるほど、その歪みも大きくなる。カイトはその歪みを突き、物理的にこの「不当な買収」をバイアウトする決意を固めました。
騎士としての誇りを捨てたエリアが繕った一着の上着を羽織り、カイトは第2の楔「徴税中枢」へとハンドルを切ります。
チーム「地下の車庫」、いざ帝国との全面対決へ――
次なる目的地は、帝国の楔が突き刺さる戦場の中心。
第7話も、カイトたちの熱い運行をぜひ見届けていただけると幸いです!
皆様からの応援、レビューがカイトを動かす唯一の燃料です。
次回もよろしくお願いします!




