第2章・第5話「断腕の夢、戻る右腕」
鼻を突くのは、古びた鉄が焦げたような、喉の奥が焼ける匂いだった。
第2区、アニマ貯蔵庫の外周。
高くそびえ立つ円筒形の建物の影は、朝日を遮り、湿った地面にどろりとした黒い煤の轍を描いている。
最悪だ。
見上げる空には、まるで水面に浮いた油膜のような歪みが広がり、差し込む光を不気味な緑色に捻じ曲げていた。
神威庁の鐘が、遠くで調子外れな音を立てている。
地上の空気がこれほどまでに汚濁しているのは、昨夜から稼働しているという「強制徴税」のせいだろう。
「……ここから先は、あたしたち騎士団でも立ち入りが制限されていた聖域よ。……でも、まさかこんなに煤が溜まってるなんて」
隣でマントを深く被ったエリアが、眉をひそめて呟いた。
彼女の水の霊殻が、周囲の澱みに反応して、白銀の装甲の表面を波立たせている。
「おじさん、気をつけて。……あの中、すごく『怒ってる』……食べられなかったアニマたちが、真っ黒い泥になって渦巻いてるよ」
俺の袖を強く握りしめながら、セフィラが耳を押さえて顔をしかめた。
実体化したことで、彼女が感じる「世界の痛み」が、握られた腕の震えを通じてダイレクトに俺に伝わってくる。
不快だ
客を無理やり詰め込みすぎて、今にも破裂しそうな満員電車を見ているような気分だ。
俺は視線を、先頭を歩くガルトに向けた。
変だな
いつもなら皮肉のひとつも飛ばすはずの男が、一度も振り返らない。
残された彼の左腕は、腰に下げた古びた工具袋を、壊さんばかりの力で握りしめていた。
その背中からは、前世で「絶対に引き受けてはいけない行き先」を告げた時の客と同じ、逃げ場のない絶望の匂いが立ち込めている。
「……親父。……道はこっちで合ってるのか?」
「……ああ。……死んでも忘れねえ道だ」
ガルトの声は、枯れ葉が擦れ合うように乾いていた。
貯蔵庫の裏口にある、重厚な鉄扉の前で彼は足を止めた。
そこには「E」の刻印が刻まれた古いプレートが、煤にまみれて張り付いている。
驚いた。
ガルトがその扉に手を触れた瞬間、貯蔵庫の内部から、地鳴りのような重低音が響いてきた。
ギィィィィィィィ……!
鉄が悲鳴を上げ、内側から扉がひしゃげる。
来た。
爆発的な圧力と共に扉が吹き飛び、中から溢れ出してきたのは、巨大な「機械の塊」だった。
それは魔獣ではない。
無数の管と歯車が、蠢く煤の塊に無理やり繋ぎ合わされた、異形の守護者。
その中心には、昨日見た徴税装置の数倍はある「旧型の核」が、腐ったアニマを脈動させていた。
「……これ、は……?」
エリアが剣を抜き、俺の前に立ち塞がった。
だが、ガルトはその場に崩れ落ちるように膝をついた。
彼の独眼が、その怪物を見つめたまま、激しく見開かれている。
「……あ、ああ……。……お前か。……まだ、生きてやがったのか」
不穏だ。
怪物が咆哮を上げる。その声には、アニマを抽出される瞬間の人間の悲鳴が、何重にも重なって混ざっていた。
「……カイト、逃げろ。……そいつは、俺の右腕を食った『失敗作』だ。……十年以上前、実験中に暴走したプロトタイプ……。俺は、部下たちを救うために……こいつを止めるために、右腕を……ハンドルを離しちまったんだ」
ガルトの声が、嗚咽に変わる。
そういうことか。
彼がなぜ「ハンドルを離すな」と、呪いのように俺に言い続けてきたのか。
一度手を離し、全てを失った自分への後悔を、俺に重ねていたんだ。
怪物の巨爪が、動けないガルトを目掛けて振り下ろされる。
行かせるか。
俺はエリアの横をすり抜け、地の型を深く、深く踏み込んだ。
カチリ。
骨の芯から鳴り響く、重厚な接続音。
右腕から肩、そして背骨にかけて、岩石を切り出したような灰色の装甲が積層されていく。
ドォォォォン!
俺の右腕と、怪物の巨爪が正面から衝突した。
衝撃が足裏を通って石畳を粉砕し、俺の背後まで地割れが走る。
重い。
だが、耐えられない重さじゃない。
前世のラッシュ時、ブレーキの効かない車体を全身で支えようとした、あの泥臭い執念に比べれば。
「……親父! シャキッとしろ! ……まだ仕事(営業)の途中だろ!」
俺の叫びに、ガルトが顔を上げた。
「……カイト……。……ダメだ、そいつの芯には『地』のアニマが逆流してる。……まともに打っても、相殺されるだけだ……!」
「なら、あんたのアニマを貸せ!」
驚いた。
俺の言葉に、ガルトだけでなくセフィラも目を見開いた。
「……俺の空白の株(霊殻)に、あんたの技術(設計図)を上書きする。……あんたがかつて守ろうとしたもの、俺が代わりに買い戻してやるよ!」
ガルトの左手が、震えながらも俺の背中に触れた。
「……ヘッ。……お代は、高くつくぜ。ドブネズミ」
瞬間、俺の右腕に、熱い「奔流」が流れ込んできた。
ガルトの中に残されていた、かつての聖騎士としての、そして技術者としての苛烈なアニマの残滓。
それが、俺の空白の霊殻と、カチリ、と完璧に噛み合った。
驚いた。
俺の右腕の装甲が、一層深く、鋭い結晶へと変質していく。
失われたはずのガルトの右腕が、俺の腕の延長線上に、光り輝く巨大な「鉄槌」として実体化していた。
「おじさん、今! 敵の心臓、アニマの継ぎ目が3ミリ右にズレた! ……撃てッ!」
セフィラの予報が、怪物の胸元に最短ルートの「光る点」を刻みつけた。
分かっている。
俺は、地の型の極致――「不渡りの一撃」を、その核へと突き立てた。
ドォォォォォォォォォォォォン!!
貯蔵庫全体が、巨大な鐘を叩いたように激しく共鳴した。
俺の拳が触れた瞬間、怪物の煤まみれの肉体が、純粋なアニマの光によって内側から浄化され、ガラスのように砕け散っていく。
ガルトの十年来の呪縛が、俺の腕を通して、物理的に粉砕された。
沈黙
砕け散った怪物の残骸が、光の粒子となって朝陽の中に溶けていく。
俺の霊殻も、役割を終えたように静かに霧散した。
疲れた。
膝が笑い、呼吸が肺を焼くように熱い。
だが、隣に立ったガルトの顔には、もうあの「道に迷った客」のような暗い影はなかった。
「……いい、ドライブだったな。……カイト」
ガルトが、自分の左手で俺の肩を力強く叩いた。
「……ハンドルを離さなくて済んだ。……礼を言うぜ」
俺は鼻を鳴らし、立ち上がった。
変だな。
砕け散った装置の核があった場所に、ひとつだけ、光を吸い込むような真っ黒な紙片が落ちていた。
俺がそれを拾い上げると、そこには剥げかかった文字で、こう記されていた。
『不渡りリスト:E-003 再投資対象・帝国の楔』
不快だ
王都の腐敗を掃除すれば終わると思っていたが、どうやらこの「帳簿」の続きは、俺たちの知らない巨大な影へと繋がっているらしい。
「……セフィラ、エリア。……次の目的地が決まった」
俺の言葉に、エリアが頷き、セフィラが俺の頭の上で「おじさん、またメーターが回り始めたよ!」とおちゃらけて笑った。
メーターは、止まらない。
ガルトの誇りを取り戻した俺たちは、次なる不渡りを止めるため、王都の闇のさらに奥へとハンドルを切った。
◇
【人脈:ガルトとの関係深化(信頼の再構築) を達成しました】
【知識:ハイヒューマン差別構造の根源の把握(教会の利権構造の深掘り) を獲得しました】
【伏線回収:ガルトが「ハンドルを離すな」と言い続けた真意 を達成しました】
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「断腕の夢、戻る右腕」
ガルトが長年抱えてきた、右腕を奪った因縁の怪物。
それは、かつて彼が守りきれなかった「失敗作」の成れの果てでした。
「ハンドルを離すな」――その言葉に込められていたのは、かつてすべてを失った自分への呪いであり、カイトには同じ轍を踏ませたくないという切実な願いでした。
今回、カイトはガルトの技術と、かつての熱いアニマを己の霊殻に宿し、怪物を打ち砕きました。
それは単なる敵の討伐ではありません。
過去の悲劇を塗り替え、ガルトの止まっていた時間を「再起動」させるための、魂の救済だったのです。
「いいドライブだった」
その言葉と共に、ガルトの独眼から十年分の影が消えました。
四人の「相乗り客」の絆は、この激闘を経て、より強固なものとなりました。
しかし、戦いの後に拾い上げたのは「帝国の楔」と記された不吉な紙片。
王都の腐敗を掃除すれば終わると思っていた戦いの裏には、さらに巨大な影が潜んでいるようです。
過去の呪縛を断ち切り、新たな目的地へとハンドルを切ったカイトたち。
チーム「地下の車庫」が向かう、次なる闇の核心とは?
いよいよ物語は、第2章のさらなる深淵へと突入します。
皆様からの応援、レビューがカイトを走らせる最強の燃料です。次回もよろしくお願いします!




