第2章・間話2「地下の車庫、再起動」
鍋から立ち上がる、塩気の強い湯気が鼻を突いた。
地下のドック。
使い古されたオイルと鉄錆の匂いが支配するこの空間に、今は不器用なスープの匂いが混ざり合っている。
悪くない。
俺は魔導コンロの火を止め、木製の器にスープを注ぎ分けた。
変だな。
いつもは俺とセフィラの分、たまにガルトの分があれば足りていた。
だが、今日は四つ目の器が必要だった。
ドックの隅、錆びついた折り畳み椅子に腰掛けたエリアが、所在なげに自分の指を見つめている。
彼女の白銀の装甲は泥に汚れ、さっき捨てた騎士団の外套の代わりに、俺が貸した古い毛布を肩に掛けていた。
「……エリア、食え。味の保証はできないが、腹には溜まる」
俺が器を差し出すと、エリアはびくりと肩を揺らした。
「……あっ、ありがとう。カイト」
彼女は両手で器を受け取ったが、その指先が微かに震えている。
騎士としての立場を捨て、父と決別したあの日。
その高揚が引いた後にやってくるのは、二度と戻れない場所への、言葉にならない空虚さだろう。
「おじさん! 我の分は? 我の分も山盛りにしてくれないと、神罰が下っちゃうよ!」
セフィラが俺の袖を引っ張りながら、器の中身を覗き込んできた。
彼女の銀髪が、湯気に巻かれてふわふわと踊っている。
驚いた。
エリアの手から、器が滑り落ちそうになった。
彼女は目を見開き、固まったまま、俺の隣にいるセフィラを凝視している。
「……カイト。その、子……」
「……あ? ああ、セフィラだ。いつも通り——」
「おい、ドブネズミ」
作業台に寄りかかっていたガルトが、地を這うような低い声で俺を遮った。
彼の独眼が、かつてないほど鋭くセフィラを射抜いている。
「……そのガキ、どこから湧いた」
最悪だ。
俺はスープの柄杓を持ったまま、動きを止めた。
今、ガルトは何と言った?
「どこから湧いた」、だと?
俺は、隣で得意げに胸を張っている幼女を見た。
「えっ、おじさん、今更? 我、ずっとここにいたのに」
「セフィラ……あんた、まさか」
「あ、エリアちゃんも我のこと見てる! ね、我、可愛い? 創造神様なんだよ、もっと敬っていいんだよ?」
セフィラがエリアの膝の上に飛び乗った。
驚いた。
エリアの膝の上で、古い毛布が「沈み込んだ」
エリアは、怯えるように、けれど吸い寄せられるように、セフィラの小さな頬に指を伸ばした。
「……温かい。……幻じゃない。本当に、そこにいるの?」
「あったりまえだよ! 我、おじさんが頑張って不渡りを止めてくれたおかげで、ちょっとだけ『存在感』が増したんだもん!」
セフィラが、エリアの指を自分の小さな手で握り返した。
そういうことか。
俺が崩壊する監獄で、命を削って買い戻した「支配権(SIC)」
あのわずか数パーセントの回復が、ただの数値の変化ではなく、消えかけていたこの神様に、他人と触れ合える「形」を与えたんだ。
不快だ
タクシーのメーターが回る音より、ずっと大切な「報酬」がここにあるじゃないか。
俺は、何も言わずにセフィラの頭に自分の器を載せた。
「ひゃうっ!? 何するのおじさん! せっかくの感動シーンが台無しだよ!」
「うるさい。見えるようになったなら、行儀よくしろ。……親父、エリア。こいつはセフィラ。……俺の、相棒だ」
ガルトが、信じられないものを見る目で、器を受け取ったセフィラを見つめていた。
「……創造神、だと? ……おい、嘘だろ。この薄汚ねえドブネズミの隣にいるのが、あの『神殿』の連中が崇めてる神様だってのか?」
「正確には、おじさんと我は『使い潰された者同士』の相乗り仲間なんだよ。ガルトおじさんも、仲間に入れてあげてもいいよ!」
「……へっ、言ってくれるぜ。……神様が、俺たちの汚ねえスープを食うってんなら、信じてやってもいいがな」
ガルトが鼻を鳴らし、器を煽った。
エリアも、セフィラの温もりを確認するように何度も彼女の頭を撫でた後、ようやく自分のスープに口をつけた。
驚いた
彼女は一瞬、その強烈な塩気に目を白黒させたが、すぐに喉を鳴らして飲み込んだ。
「……美味しい。……身体が、温かくなる」
嘘じゃないな
彼女の瞳に宿っていた、騎士団を捨てた直後の不安が、スープの熱とセフィラの温もりで、少しだけ穏やかな光に変わった。
俺は自分の器を手に取り、ドックの中央にある、地図が広げられたテーブルに腰を下ろした。
「さて。……食事が終わったら、次の『運行ルート』を確認するぞ」
俺の言葉に、ドックの空気が一瞬で引き締まった。
最悪だ。
仲介人から聞いた情報の断片を、俺は頭の中の地図と照らし合わせた。
「……王都の貴族たちは今、『アニマ破産』に直面している。俺が監獄の支配権を買い戻したせいで、奴らが今まで投資(搾取)してきたエネルギーの計算が合わなくなった」
「……その穴埋めに、民衆を直接『焼却(抽出)』し始めたってわけね。あの時あたしが見た、あの装置……」
エリアが、握り締めた器の上で顔を伏せた。
「……あたしたちが守ってきたのは……ただの『燃料の管理』だったのね。……そんなの、絶対に間違ってる」
「だから、俺たちがその『不渡り』を止める。……物理的に、全部買い戻してやるんだ」
俺はエリアの目を見て、はっきりと言った。
「そのために、このチームの役割を再定義する。……エリア、あんたは『盾』だ。王都の内部構造、騎士団の動かし方、そして何よりその『水の型』。俺の踏み込みが届かない場所を、あんたが守れ」
「……ええ。あたしの剣は、もう、カイトを傷つけるためのものじゃない。……あんたが最短ルートを走れるように、あたしが全部受け流してあげる」
エリアの声には、騎士団員だった時とは違う、一人の「共犯者」としての自負が混ざっていた。
「セフィラ……あんたは引き続き『戦略ナビ』だ。実体化した分、感度が上がってるだろ。SICの変動を読み取れ。……空の色が変わる前に、俺を叩き起こせ」
「任せてよ、おじさん! 我が耳鳴りを感じた時は、世界の『株価』が暴落してるサインだからね! 二人の『共鳴』も、我がバッチリ調律してあげるよ!」
セフィラが胸を叩き、銀髪を揺らす。
「……親父。あんたは『チーフメカニック』兼『配車係』だ。霊殻の調整と、王都の死角を教えろ……ドブネズミの知恵が、今の俺たちには必要だ」
「……ヘッ。……メーターを回し忘れるなよ、オーナー。……いいだろう。このオンボロドック、もう一度起動させてやる」
ガルトがニヤリと笑い、飲み干した器を作業台に置いた。
よし。
これで、この「地下の車庫」は、ただの隠れ家じゃなくなった。
不渡りを出した王都に反撃するための、俺たちの「営業所」だ。
前世の俺は、会社に使い潰されるだけの運転手だった。
だが、ここでは違う。
ハンドルを握るのは俺だ。
俺は立ち上がり、空になった鍋を見つめた。
驚いた
あんなに不味いと言っていたセフィラが、鍋の底を名残惜しそうに見つめている。
エリアも、心なしか頬に赤みが戻っていた。
「……夜が明けたら、最初の再投資を始める。……ターゲットは、強制徴税の拠点となっている第二区のアニマ貯蔵庫だ」
「……待て、カイト」
ガルトが、低く沈んだ声で俺を止めた
変だ
彼の視線は、地図ではなく、自分の失われた「右腕」の先、暗がりに沈んだドックの奥を見つめていた。
「……第二区、か。……そこには、俺の『古傷』が埋まってやがる」
不穏だ。
ガルトの瞳の奥に、かつてないほどに深く、暗い「泥」の色が混ざった。
「……あそこに、俺の右腕を奪った『化け物』の匂いがする。……次の一手は、ただの装置破壊じゃ済まねえぞ、カイト」
ドックの空気が、再び重く冷え切っていく。
最悪だ
営業開始直後に、思わぬ「悪路」の予感か。
だが、俺はもう一人じゃない。
「……お代は、親父に請求してやるよ。……準備をしろ、チーム『地下の車庫』の始業点検だ」
俺の言葉に、ドックの照明が一瞬だけ強く瞬いた。
メーターは、もう止まらない。
俺たちは、王都が隠し続けた最大の「負債」を暴き出すため、闇の奥へとハンドルを切った。
◇
【実績:チーム「地下の車庫」の本格始動 を獲得しました】
【知識:創造神の実体化条件(SICの相関) を獲得しました】
【知識:ハイヒューマン差別構造の根源の把握(教会の利権構造の深掘り) を獲得しました】
【第2章・間話2 あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「地下の車庫、再起動」
荒廃した王都の地下で、不器用ながらも温かいスープを囲む四人がいました。かつての敵、騎士エリアも、今はもう「戦友」としてその輪の中にいます。何より、カイトの戦いによって支配権を買い戻したことで、創造神セフィラが他者の温もりを感じられる「実体」を得たことは、物語にとって一つの大きな救いとなりました。
「使い潰された者同士の相乗り」――それは、不渡りを出し続ける王都に対する、カイトたちの宣戦布告でもあります。
役割を再定義し、チーム「地下の車庫」として本格的な運行を開始した彼ら。しかし、安寧は長く続きません。ガルトの古傷、そして右腕を奪った因縁の「化け物」の気配が、次の目的地である第二区でカイトたちを待ち構えています。
ただの装置破壊では済まない、より過酷な戦いの幕開け。
過去の因縁を背負ったガルト、騎士としての過去を捨てたエリア、戦略の鍵を握るセフィラ、そしてすべてを背負いハンドルを切るカイト
チーム「地下の車庫」、再起動。
果たして彼らは、この腐敗しきった世界の帳簿を、どこまで書き換えることができるのか?
次話からは、ガルトの因縁が絡む、息もつかせぬ第2章中盤戦へ突入します。
引き続き、カイトたちの泥臭くも熱い「運行」を見届けていただけると幸いです!
皆様の応援、レビューが、カイトたちを走らせる唯一の燃料です。
次回もよろしくお願いします!




