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第2章・第3話「闇の仲介人、不渡りの代償」

 三度目のノックが、錆びついた鉄扉を震わせた。


 深夜のドックに響くその音は、規則正しすぎて不気味だった。

 怒りも、焦燥も、期待もない。

 ただそこに「いる」ことだけを事務的に告げる、感情の抜け落ちた音。

 

 最悪だ。


 俺は食べかけのスープの皿を置き、音を立てずに立ち上がった。

 背後の作業台では、ガルトが包帯の巻かれた左腕を静かに持ち上げ、顎で扉を示している。

 

「おじさん、気をつけて。……扉の向こう、すごく不味いアニマが溜まってる。古い油を煮詰めたみたいな、べっとりした感じ」


 俺の肩口で、セフィラが耳を押さえながら顔をしかめた。

 彼女の銀髪が、警戒を示すように微かに逆立っている。

 

 俺は頷き、扉のレバーに手をかけた。

 

 カチリ。

 

 ロックを外すと同時に、俺は扉を内側へ引き絞りながら、そのまま外の闇へと踏み込んだ。

 

 来た。


 扉の先に立っていたのは、目深にフードを被った長身の男だった。

 男が口を開くより速く、俺は地のテラの踏み込みから、相手の懐へと滑り込んだ。

 前世の深夜、車内に刃物を持ち込もうとした酔っ払いの腕を捻り上げた時と同じ、最短ルートの制圧。

 

 俺の左手が男の喉元を捉え、右手が相手の懐の武器らしき膨らみを封じる。

 

「……営業時間は終わってるんだ。忘れ物か?」


 俺の声は、自分でも驚くほど冷たく響いた。

 

 驚いた。


 喉を掴まれた男は、抵抗する素振りさえ見せなかった。

 フードの奥から覗く口角が、むしろ愉快そうに微かに吊り上がっている。

 

「……いい『制動』だ。王都の騎士たちが手を焼くわけだ、カイト・クラウス」


 男の声は、乾いた砂が擦れ合うような質感だった。

 

「……『闇渡し組合』の仲介人だ。戦いに来たのではない。……この不渡りを出した街で、あんたという新しい『債権者』と取引をしに来ただけだ」


 不快だ。


 取引だと?

 俺がこの男の言葉を鵜呑みにするはずがない。

 タクシーのルームミラー越しに見る、行き先を誤魔化そうとする客と同じ目の泳ぎがないか、俺は至近距離で男の呼吸を観察した。

 

 だが、俺の観察眼が次の違和感を捉えるより先に、ドックの外側の闇が「爆発」した。


 ――オォォォォォォォォン!


 鼓膜を直接引き裂くような、重低音の咆哮。

 

 最悪だ。


 地下水路の奥から、石壁を粉砕する破壊音と共に、巨影が躍り出てきた。

 

 変だ。


 魔獣ブラッドバイパーじゃない。

 そいつは四足歩行の獣の形をしていたが、その全身は毛皮ではなく、不気味に蠢く「黒い煤」に覆われていた。

 王都の壁から剥がれ落ちたあの腐敗が、獣の形を成して襲いかかってきたような。

 

「……実験体か! 追手がもう来やがったか!」

 

 仲介人の男が叫び、俺の腕から逃れるように身を翻した。

 

 俺は彼を追わなかった。

 目の前の魔獣が放つ「殺意」の質量が、これまでの連中とは桁違いだったからだ。

 肌を刺すようなチリつきが、一瞬で熱い火傷のような痛みに変わる。

 

「おじさん、来るよ! 三時方向、上から叩きつけてくる! 回避は斜め後ろ、最短で!」


 セフィラの鋭い声が、脳内に直接響いた。

 

 俺は思考を捨て、指示通りに身体を投げ出した。

 

 ドォォォォォン!


 さっきまで俺が立っていた場所の石畳が、魔獣の巨爪によって粉々に砕け散った。

 飛び散る石のつぶてが、頬をかすめて熱い血を滲ませる。

 

「ドブネズミ! 霊殻アーマチュアを右腕に固定しろ! その獣、煤を纏ってやがる……。芯を叩かねえと、霧散して再生しやがるぞ!」


 ドックの奥から、ガルトの野太い声が飛んできた。

 

 分かっている。

 

 俺は立ち上がり、テラの型を深く、深く踏み込んだ。

 

 カチリ。

 

 骨の芯から鳴り響く、重厚な接続音フィッティング・サウンド

 俺の右腕が、数メートル外側まで「拡張」される錯覚。

 白銀の結晶が、腕の周囲に重厚な装甲として肉付け(アセンブル)されていく。

 

 驚いた。


 霊殻を展開した瞬間、魔獣が纏っていた「煤」の輪郭が、より鮮明に見えた。

 それは不規則に明滅するアニマの澱みだ。

 

「おじさん、今! 魔獣が右足を踏み込んだ瞬間、左肩の関節が三ミリ開く! そこがアニマの継ぎ目!」


 セフィラの戦略予報が、視界の中に「光る筋」として最短ルートを描き出した。

 

「……ガルト、足場の強度は!」


「問題ねえ! 三歩先までなら岩盤が支えてやる! 行けッ!」


 二人の声が、俺の背中を物理的な力となって押し出した。

 

 俺は一歩、踏み出した。

 

 地の型、一点突破。

 

 魔獣が咆哮し、再び巨爪を振り下ろす。

 だが、俺の観察眼は、セフィラの予報通りの「死角」を完璧に捉えていた。

 

 シュンッ、と。

 

 俺の肉体は魔獣の爪を紙一重で回避し、空いた懐へ、霊殻を纏った右拳を突き立てた。

 

 ドォォォォォォォォォォォン!


 地下のドック全体が、巨大な金槌に打たれたように激しく揺れた。

 

 俺の右拳が魔獣の左肩に触れた瞬間、白銀の装甲が相手の腐ったアニマを強引に上書きし、その構造を内側から粉砕した。

 

 黒い煤が、絶叫のような音を立てて霧散していく。

 魔獣の巨体が石壁へと叩きつけられ、アニマの粒子となって消えていった。

 

 沈黙。

 

 ドックを支配していた重たい圧力が、潮が引くように消えていく。

 俺の腕から霊殻が解け、カチリと音が逆回しに響いた。

 

 疲れた。

 

 肺の奥が焼けるように熱い。

 だが、不思議と膝は震えていなかった。

 背中を預けられる仲間がいるということが、これほどまでに「運行」を楽にするのか。

 

 俺は、物陰から様子を伺っていた仲介人の男に視線を向けた。

 

「……客を連れてくるなら、予約を入れてからにしろ」


「……フン。見事な連携だ。……この魔獣は、神官長が直々に放った『アニマ徴税』の実験体だ」


 仲介人の男が、煤の消えた床を見つめながら呟いた。

 

「カイト。あんたが監獄をバイアウトしたせいで、王都の貴族たちは『アニマ破産』の危機に直面している。……奴らは今、民衆から直接魂を奪い取るための『強制執行』を始めようとしている」


 不快だ。


 奴らはまだ、自分たちの負債を他人に押し付けようとしているのか。

 

「……詳しい話を聞こうか。……ガルト、セフィラ。……どうやら、次の目的地ルートが決まったみたいだ」


 ガルトが鼻を鳴らし、セフィラが俺の頭の上で「おじさん、メーターがまた回り始めたよ!」とおちゃらけて笑った。

 

 地下のドックに、新たな決意の匂いが立ち込める。

 

 メーターは、まだ止まらない。

 不渡りを出したこの王都で、俺たちのチームは、さらなる腐敗の深淵へとハンドルを切ろうとしていた。


 ◇


【力:チーム初連携による実戦力の確認 を達成しました】

【知識:ハイヒューマン差別構造の根源の把握(教会の利権構造の深掘り) への準備を完了】

【あとがき】

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


「闇の仲介人、不渡りの代償」


静かな夜を切り裂いて現れたのは、感情を持たない「闇の仲介人」と、王都の腐敗を煮詰めたような黒い魔獣でした。

しかし、今回のカイトは一人ではありません。

ガルトが死角を埋め、セフィラが死線への最短ルートを指し示す。

二人の予報と支えを背に、カイトは一点突破の「地の型」で、圧倒的な質量を持つ魔獣さえもスクラップに変えてみせました。


手に入れたのは、勝利の余韻だけではありません。

「実験体」として放たれた魔獣の正体は、王都の貴族たちが迫る「強制執行」の凶悪な前触れでした。

自らの破産を民衆の魂で埋め合わせようとする王都。

その腐敗の深淵に、カイトたち「地下の車庫」チームがいよいよ本格的に踏み込みます。


仲介人が持ち込んだ取引の裏には、何が隠されているのか。

カイトの第2章という名の運行は、次の目的地、さらなる腐敗の核心へとハンドルを切りました。


チームの連携が試される緊迫の第4話。

ぜひ、この先も見届けていただけると幸いです!


皆様からの応援、レビューがカイトを動かす原動力です。次回もよろしくお願いします!

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