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第2章・第2話「地下のドック、錆びた約束」

 視界の端で、黒い煤が油膜のように石壁を這い回っていた。


 王都の地下水路。地上を飾っていたあの不自然な清潔さは、もうここまでは届かない。

 背負ったガルトの重みが、一歩ごとに俺の膝を震わせ、古傷に似た鈍い痛みを全身に散らしていく。

 

 最悪だ。


 肺に吸い込む空気は、鉄錆と湿った泥、そして使い古されたオイルの匂いが混ざり合っていた。

 だが、その不快なはずの臭いが、今の俺には「営業所の整備場」に帰ってきた時のような、妙に落ち着く手触りを持って迎え入れてくれた。

 

 突き当たりにある、錆びついた巨大な鉄扉。

 俺は空いている左手で、隠されていたボルトを特定の順序で叩いた。


 ガコン、と。

 重厚な金属音が地下に反響し、扉が内側へと折れ曲がるように開いた。


 驚いた。


 そこに広がっていたのは、ただの資材置き場ではなかった。

 高く積み上げられた木箱、用途不明の巨大な工具、そして部屋の隅に鎮座する、半ばアニマの結晶と化して沈黙している古い霊殻アーマチュアの残骸。

 ここは、神威庁の目が届かない「死角」――かつてこの世界を裏側で支えていた、職人たちの残滓だ。


「……着いたぞ、親父。ここなら客も来ない」


 俺はガルトを、隅に置かれた頑丈な作業台の上へ、ゆっくりと降ろした。

 

「……へっ、ドブネズミの巣にしちゃあ、上等、だな……」


 ガルトがひび割れた唇で笑った。

 彼の左腕はアニマの抽出による火傷で煤けていたが、その瞳に宿る光だけは、むしろ鋭さを増している。

 

 俺はトランクから応急処置用の道具を取り出しながら、部屋の様子を観察した。

 

 変だな。


 埃は積もっているが、機材の配置には「誰かが最近まで触れていた」ような、微かな生活の熱が残っている。

 

「おじさん、見て見て! この部屋、SICがすごく『静か』だよ。王都のあんな不味い鐘の音、一文字も聞こえてこないもん!」


 セフィラが俺の影から飛び出し、天井の高い空間を嬉しそうに跳ね回った。

 彼女の銀髪は、地下の暗がりにあっても自ら発光するように輝き、その輪郭はかつてないほどにはっきりと実体化している。

 

「……セフィラ、埃が舞うからじっとしてろ。……親父、こいつを飲め。アニマの還流を助ける薬だ」


「……ああ。カイト。……お前に、一つ話がある」


 ガルトが、薬を飲み干さずに俺の腕を掴んだ。

 その指先には、まだ地の型特有の、岩石のような重みがあった。

 

「……ハンドルを離すな、と言った。……だが、一人でハンドルを握り続けるのは、ただの暴走だ。……王都のやつらは、お前を『不渡り』の穴を埋めるための部品パーツとして狙ってくる」


 不快だ。


 ガルトの言うことは、タクシーの経営陣が「事故を起こすな、だが効率は上げろ」と無責任に命令してくる時の響きに似ていた。

 だが、彼の言葉には、俺の命を「使い潰させない」という、不器用な責任感が混ざっていた。


「分かっている。……だから、親父。あんたに仕事を振る。……俺はこの街の地図を持っていない。どのルートが安全で、どこに最短のチャンスが転がっているか、それをあんたが俺に教えろ。……ただ守られるだけの客でいるつもりなら、今すぐここに置いていく」


 驚いた。


 俺の口から出たのは、前世の配車係に「現場を教えろ」と詰め寄る時のような、対等なビジネスの要求だった。

 

 ガルトの目が、一瞬だけ大きく開かれた。

 

「……ふん。ナビゲーター、ってわけか。……路賃ミチチンは、高くつくぜ」


「ああ、ツケにしておいてやるよ」


 俺はガルトの左腕を包帯で固定した。

 彼はそのまま、作業台の背もたれに身を預け、閉じた瞼の裏でこの街の「死角」を思い描いているようだった。

 

 俺は次に、落ち着きなく跳ね回っているセフィラの襟首を掴んだ。


「ひゃうっ!? なに、おじさん、我が何か悪いことした?」


「セフィラ。あんたもだ。……『空気翻訳』はもういい。これからは、外の空気がどれだけ不味くなっているか、その耳鳴りの段階を俺に正確に報告しろ。……あんたが黙るのを待ってから動くようじゃ、俺のメーターはすぐに焼き切れる」


 セフィラが、丸い瞳で俺を見上げた。

 彼女はおちゃらけようとして口を開きかけ、俺の瞳の奥にある「本気の怒り」が消えていないのを見て、その口をそっと結んだ。

 

「……分かったよ。おじさん。……我が、世界(Layer A)の動きを全部教えてあげる。おじさんが一番速く走れるように、我も『戦略ナビゲーター』として頑張っちゃうからね!」


 セフィラが胸を張り、小さな拳を握った。

 その瞬間、彼女のアニマが俺の回路と一段深く接続され、地下監獄で見たあの「帳簿」の文字が、脳内の地図としてより鮮明に焼き付いていく。

 

 よし。


 俺は、一人で背負うのをやめた。

 ガルトの知恵を、セフィラの目を、この「地下の車庫」という拠点を、すべて使ってこの理不尽な世界を買い戻してやる。

 前世のタクシーだって、整備士がいなけりゃ走れないし、配車担当がいなけりゃ客は見つからない。

 

 俺は立ち上がり、隅にあった古い魔導コンロに火をつけた。

 トランクから取り出したのは、貧民街でガルトからせしめた保存食と、地下水路で見つけた僅かなスパイス。


「……何してるんだ、ドブネズミ」


「……始業前の食事だ。空腹じゃ、最短ルートは見えないからな」


 俺が作ったのは、前世の深夜、営業所の裏で仲間と囲んだ「再現料理(タクシー飯)」だ。

 泥臭い根菜と、塩気の強い肉を煮込んだだけの無骨なスープ。

 だが、その不自然なほど清潔な王都の空気とは正反対の、泥臭い匂いが部屋中に広がっていく。

 

 驚いた。


 一口啜ったセフィラが、「不味いけど、すごく力が湧いてくる!」と泣きそうな顔で笑い、ガルトも無言で器を空にした。

 

 この錆びついたドックで交わされた、言葉のない契約。

 それは、支配される側から支配する側へ、この世界の「オーナーシップ」を奪い取るための、最初の一歩だった。


 だが、その余韻を切り裂くように。

 

 ドォン、ドォン、ドォン。

 

 地下のドックの重厚な鉄扉を、外側から激しく叩く音が鳴り響いた。

 

 最悪だ。


 観察眼が、扉の向こう側に蠢く、これまでの聖騎士たちとは違う「冷たく静かな波長」を捉えた。

 エリアでもない。神官長でもない。

 俺たちが拠点を共有したその最初の夜に、不渡りを出したこの王都が、新たな「不吉な客」を送り込んできたらしい。

 

 俺はスープの皿を置き、立ち上がった。

 

 メーターは、まだ止まらない。

 第2章という名の運行は、最初の停車位置で、もう「招かざる客」との取引を強いられようとしていた。


 ◇


【知識:ハイヒューマン差別構造の根源の把握(教会の利権構造の深掘り) への準備を完了】

【実績:チーム「地下の車庫」の結成 を獲得しました】

【あとがき】

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


「地下のドック、錆びた約束」


王都の死角に潜り込んだカイトたちを待っていたのは、かつてこの世界を支えた職人たちの残滓が眠る、古びた地下ドックでした。

ここでは王都の不快な清潔さも、聖騎士たちの鐘の音も届きません。カイトはガルトに「ナビゲーター」としての仕事を、セフィラに「戦略支援」としての目を求め、互いの力を認め合うことで、この理不尽な世界に抗うための「チーム」を結成します。


無骨なスープを囲み、交わされた言葉のない契約。それは、ただ逃げ回るだけの異物から、世界の「オーナーシップ」を奪い返す側に回るための、最初の一歩でした。

しかし、そんな静かな決意を切り裂くように、鉄扉を叩く不吉な音が響きます。

それは、神威庁の追っ手とは明らかに波長の異なる、冷たく静かな「招かざる客」でした。


最初の停車地でカイトが迎えるのは、取引か、それとも新たな戦火か。

「チーム」として動き出したカイトたちの、王都での本格的な運行が始まります。


第3話では、この扉の向こうにいる存在との緊張感ある駆け引きが描かれます。ぜひ、この波乱の続きも見届けていただけると幸いです!


皆様からの応援、レビューがカイトを動かす原動力です。

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