第2章・第1話「朝焼けの取引、不渡りの王都」
視界を刺すのは、瓦礫の隙間から差し込む、冷たく鋭い朝の光だった。
俺は、意識を失いかけているガルトの身体を、背中の上で一度高く跳ねさせた。
ずっしりと重い。
全身の節々が、霊殻を解除した後の反動で悲鳴を上げている。
肺に吸い込む空気は、さっきまでの地下の死臭とは違い、驚くほど清涼だった。
驚いた。
空の色が、変わっている。
どんよりとしたセピア色の霞が消え、王都の空は、薄氷を透かしたような研ぎ澄まされた青白色に染まっていた。
俺が無理やり引き戻した支配権の2パーセント。そのわずかな「返済」だけで、この死にかけの世界にこれほどの清涼感が戻るのか。
だが、その空気には、嫌な「軋み」が混じっていた。
キィィィィィン、という、鼓膜の裏側を細い針で掻きむしるような不協和音。
神威庁の塔から鳴り響く鐘の音は、かつての威厳を失い、ただの故障した警報機みたいに街中にパニックを撒き散らしている。
最悪だ。
俺が瓦礫の山を登りきり、広場へと足を踏み出した瞬間、無数の「光」が俺の全身を射抜いた。
来た。
広場を埋め尽くしているのは、白銀の甲冑を纏った聖騎士たちの包囲網だ。
彼らが構える盾の表面で、朝焼けの光が不規則に跳ねている。
そして、その中心。
青い装束を翻し、抜かずにいた剣の柄に指をかけながら、エリアが立ち尽くしていた。
「……カイト」
エリアの声が、冷たい空気の中に白く滲んだ。
変だな。
彼女の瞳には、かつて俺を見ていた温かな色がない。
代わりにそこにあるのは、理解できない現象を前にした恐怖と、それを騎士の義務で覆い隠そうとする、張り詰めた「拒絶」の光だった。
俺の観察眼が、彼女の右手の甲、微かに浮き出た血管の震えを捉える。
剣を抜くべきか、それとも駆け寄るべきか。その迷いだけで、彼女の内のアニマが、火花を散らす短絡回路のように乱れていた。
「おじさん、見て。あの子のメーター、もう目盛りが振り切れて火花を吹いてるよ。あーあ、我が創った時には、もっと丈夫に設計したはずなんだけどなあ」
俺の影の中から、セフィラの呆れたような声が響いた。
彼女の姿は、SICの回復に呼応して、以前よりも鮮明に実体を取り戻している。
銀髪を揺らしながら、彼女は俺の隣で、面白そうに騎士団の混乱を眺めていた。
「……セフィラ、黙ってろ。……エリア、そこを退け。こいつには治療が必要なんだ」
俺は背後のガルトを顎で示した。
前世で、酔い潰れて吐瀉物にまみれた客を、一番近い病院へ運び込もうとする時と同じ、事務的で冷徹な声が出た。
「……できない。……あなたは、神威庁の地下施設を物理的に破壊し、聖職者を襲撃した。……投降して、カイト。そうすれば、あたしが、父様と一緒に神官長様に掛け合って……」
不快だ。
エリアの言葉は、まだ「城壁の内側」の論理に縛られている。
俺が破壊したのはただの施設じゃない。
人間を燃料として燃やし続ける、この世界のバッドエンドを加速させるための「農場」だ。
彼女が信じている「法」の正体が、あの地下に転がっていた真っ黒な泥そのものであることを、彼女はまだ知らない。
「……投降だと? 無理だな。……エリア、あんたが守っているその『白銀の装甲』の材料がどこから来ているか、神官長様に聞いたことはあるか?」
俺の一言で、周囲の騎士たちの間に、さざ波のような動揺が広がった。
驚いた。
王都を象徴するあの白亜の壁。
その表面から、パラパラと乾いた音を立てて、何かが剥がれ落ちていた。
清潔な石灰の下から現れたのは、鼻を突くような「死んだ鉄」の臭いを放つ、どろりとした黒い煤の層だ。
俺が支配権を奪い取ったことで、アニマによる大規模な隠蔽魔導(偽装)が、物理的に維持できなくなっているのだ。
「……な、に……? 壁が……黒く……」
エリアの視線が、自分の背後にある、崩れ始めた美しい外壁へと吸い寄せられた。
騎士たちの盾からも、あの輝かしい黄金の意匠が煤けて、腐敗した沼のような色へと変質し始めている。
最悪だ。
この光景こそが、この街が「不渡り」を出している証拠だ。
「エリア。……今、この瞬間の街の様子をよく見ろ。あんたの言う『法』が、どれだけの犠牲(負債)の上に成り立っていたか、その観察眼で確かめるんだな。……俺は、その『帳簿』の写しを持っている」
俺は、トランクを叩いた。
中にあるのは、地下監獄で手に入れた邪神への送金記録。
神威庁が最も公表を恐れる、致命的なスキャンダルの塊だ。
これをバラまかれたくなければ、今すぐここから立ち去る「最短ルート」を開けろ。
言葉には出さなかったが、俺の目は、タクシーの乗車拒否を告げる時のような、絶対的な拒絶を彼らに突きつけていた。
「……嘘。……父様たちが、そんな……」
エリアの剣先が、力なく地面へと垂れ下がった。
彼女のアニマは、もはや戦うための波長を保てていなかった。
周囲の騎士たちも、自分たちの鎧が黒く染まっていく現象に怯え、互いに顔を見合わせている。
「……おい、ドブネズミ……。ハンドルを、離すんじゃ、ねえぞ……」
背中で、ガルトが微かに呻いた。
分かっている。
俺はエリアの横を、一瞥もせずに通り過ぎた。
彼女が差し出した手のひらが、俺の袖を一瞬だけ掠め、そして虚しく空を掴む。
行こう。
俺は混乱する騎士団の「隙間」を縫うようにして、王都の路地裏へと滑り込んだ。
背後で、神威庁の鐘の音が一段と高く鳴り響く。
変だな。
あの鐘の音は、もはや侵入者を告げるものではない。
自分たちの築き上げた虚飾の帝国が、内側から崩壊し始めていることへの、情けない悲鳴だ。
王都の街並みは、一見すればまだ美しい。
だが、俺の目には、至る所に「黒い煤」の影が染み出し、かつての清涼な空気が、重たい泥の匂いに混じり始めているのが見えていた。
目的地は決まっている。
セフィラが示していた、地下水路のさらに奥。
打ち捨てられた「車庫」のような隠れ家。
「おじさん、急いで。……後ろ、神威庁の連中じゃないのが、一匹ついてきてる。……すごく、不味い影だよ」
セフィラの声から、おちゃらけが消えた。
最悪だ。
俺はガルトを背負い直し、石畳を蹴った。
朝焼けの光は、もう俺の背中を照らしてはいない。
メーターは、まだ止まらない。
不渡りを出したこの王都で、俺の第2章という名の運行は、これ以上ないほど「不吉な」滑り出しを見せていた。
◇
【知識:ハイヒューマン差別構造の根源の把握(王都の裏側) を獲得しました】
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「朝焼けの取引、不渡りの王都」
激戦の果てに支配権を奪還したカイトとガルトでしたが、解放されたのは救いだけではありませんでした。王都を覆っていた美しい偽装は、アニマによる維持を失い、死んだ鉄の臭いを放つ黒い煤となって崩壊を始めます。
かつてエリアが信じていた「法」が、実はこの世界の犠牲の上に成り立つ不当な負債だったことを突きつけ、カイトは彼女の前を冷徹に通り過ぎました。
二人の間に引かれた境界線は、もう二度と戻らないほど深く、険しいものになってしまったようです。
しかし、物語は休む暇を与えてくれません。
崩れゆく王都の路地裏には、神威庁の追跡者とはまた違う、新たな「不味い影」がカイトの背後に忍び寄っています。
ガルトの治療、エリアとの決裂、そして正体不明の追跡者。
第2章の運行は、いきなり最悪の交通渋滞からのスタートです。
果たしてカイトは、この崩壊する街でガルトを救い、自分自身の進むべき「最短ルート」を見つけ出せるのか。
「泥の王」となったおじさんの、ますます過酷で、目が離せない第2章の始まりを、ぜひ引き続き見届けていただけると幸いです!
皆様の応援、レビューがカイトの唯一のエネルギー源です!
第2話もよろしくお願いします。




