第1章・第14話「境界の別れ、王都への最短ルート」
視界の端で、白銀のアニマが光の粉となって空気に溶けていった。
霊殻を解いた瞬間の、この「重力」だけはどうにも慣れない。
四肢が急激に短く戻り、数メートル外側にあったはずの自分の「末端」が内側へ収束していく感覚。
膝が一拍遅れて震え、泥の冷たさが薄っぺらな靴底を通して、容赦なく俺の現実を突きつけてきた。
重い。
俺は、ポケットの中にあるガルトの回路片を強く握りしめた。
冷たいはずの金属片が、俺の掌の中でまだ拍動を続けている気がした。
その時だ。
セピア色の霧を切り裂いて、まっすぐな「水」のアニマがこちらへ向かってくるのを、俺の観察眼が捉えた。
来た。
崩壊した酒場の残骸。その向こうから現れたのは、白銀の装甲と青い装束を纏った、エリアだった。
彼女の掲げた剣は鞘に収められていたが、その瞳には、隠しきれない動揺と、それ以上に鋭い「騎士の義務」が宿っていた。
変だな。
エリアの背後には、増援の聖騎士団の影が見える。
けれど、彼女は彼らを引き連れてくるのではなく、まるで俺をその光から隠すように、一人で前へ進み出てきた。
彼女の青い装束は、貧民街の泥に汚れ、セピア色の霞の中で不自然なほどに鮮やかで、そして――孤独に見えた。
「カイト……!」
エリアの声が、震えていた。
彼女の視線が、瓦礫と化した酒場と、俺の泥まみれの姿を交互になぞる。
「怪我はない……? 今の、さっきのあの光は、何なの? どうしてこんなことに……」
驚いた。
エリアの指先が、俺の袖を掴もうとして、空中で一度だけ躊躇うように跳ねた。
彼女は、俺が「あの神官たちを粉砕した巨人」であることを認めたくないのだ。
俺を、まだあのクラウス家の庭で木剣を振るっていた、無力な幼馴染の枠の中に閉じ込めておきたい――そんな必死の願いが、彼女の呼吸の乱れから伝わってくる。
「……まあ、そんなもんだな。掃除が少し行き過ぎただけだ」
俺は、おちゃらけた笑いを作ろうとした。
けれど、頬の筋肉は鉄のように硬く、いつもの仮面を被ることを拒んでいた。
「カイト、もういいわ。あたしと一緒に、城壁の内側へ戻りましょう。……父様にはあたしから話す。カイトが魔獣からあたしを救ってくれたって、そう言えば、きっと……」
最悪だ。
エリアが差し出した手の平は、驚くほど白く、そして汚れていなかった。
彼女が提示しているのは、俺の「安全」であり、同時に「支配される側の平穏」だ。
城壁の内側の、あのみせかけの光の下で、誰かの温情を食いつぶしながら、メーターを止めて生きる日々。
俺は、その手を静かに見つめた。
変だ。
タクシーのバックミラー越しに、目的地を失った客を見つめるような、そんな冷めた感覚が俺の胸を満たしていく。
「……エリア。俺の目的地は、もう城壁の中じゃない」
「……え?」
「ガルトが連れて行かれた。……あいつは、俺の『ハンドル』を直してくれた客だ。通行料も払わずに降ろすわけにはいかない」
エリアの瞳が、驚愕に大きく開かれる。
「ダメよ! 王都の地下監獄なんて、あたしたち騎士でも近づけない場所なの! カイトが一人で行ったって、何も……っ!」
「一人じゃないさ」
俺は、一歩だけエリアから距離を取った。
その瞬間だった。
周囲の闇、路地裏の影から、無数の「気配」が染み出してきた。
驚いた。
泥まみれの服を着た、貧民街の住人たちだ。
ある者は手に錆びたスコップを持ち、ある者はただ無言で腕を組み、エリアと、その背後の聖騎士団を囲むようにして立ち並んでいた。
彼らは何も言わない。
けれど、その視線には、かつての「諦め」ではない、燃えカスのような「抗い」の熱が宿っている。
俺という「泥の王」が、彼らの中に眠っていた、世界への未練を呼び覚ましてしまったのだ。
「お、おじさん……あの子の顔、不味くて見られないよ。あたし、もう耳を塞いでるからね」
セフィラが、俺の肩で小さくなって、エリアの悲しそうな瞳から顔を背けた。
彼女の姿は、周囲の住人たちが放つ微かな「期待」という名のアニマを受けて、昨日よりも僅かに実体を取り戻している。
「……あたしを、拒絶するの? カイト」
エリアの声は、もう泣きそうだった。
不快だ。
彼女の悲しみが、俺の心臓を直接掴んで握りつぶそうとする。
けれど、今の俺を動かしているのは、それ以上に深い場所にある、世界の理不尽への「怒り」だった。
俺は、トランクを肩に担ぎ直した。
「……エリア。あたしとあんたの間には、もうこの城壁よりも厚い境界線が引かれちまってる。……あんたの仕事は、その剣で人々を守ることだろ? 俺の仕事は、その人々を使い潰す『帳簿』を書き換えることだ」
俺は背を向け、一歩を踏み出した。
背後で、聖騎士団が動き出す金属音がした。
だが、その進路を阻むように、貧民街の住人たちが、肉の壁となって音もなく立ち塞がった。
驚いた。
言葉一つの合図もなく、彼らは自らの意志で、騎士たちの「法」を拒絶している。
「カイト――!」
エリアの叫びが、セピア色の霞の中に吸い込まれていく。
俺は一度も振り返らなかった。
前世で、長距離走行の前にタイヤの空気圧を確かめるように、俺は自分の四肢のアニマを確認した。
ガルトの回路片が、俺の内のアニマと共鳴し、王都へと続く「歪んだ道」を光の筋として俺の脳内に描き出している。
「……おじさん。ルートが見えたよ」
セフィラが、俺の影の中から這い出し、王都の方角――城壁のさらに北、暗い街道の先を指差した。
「城壁の影を縫って走る、一番不味い、けれど一番速いルート。……王都の地下まで、ノンストップで行けるよ」
「……そうか。助かる」
俺は、走り出した。
泥を跳ね上げ、霧を裂く。
肺の奥が焼け、身体は悲鳴を上げているが、俺の心は驚くほど静かだった。
最短ルートの先に見えるのは、救いではない。
この世界の、バッドエンドが確定した未来の喉元だ。
俺はタクシーのアクセルを踏み込むように、自分の覚悟をさらに一段加速させた。
行き先は、王都地下。
メーターは、もう止まらない。
◇
【人脈:エリアとの思想的対立の解消と協力(その端緒としての決別) を獲得しました】
【知識:世界の支配権システム(SIC/EC)の理解(ガルトの回路片による体感) を獲得しました】
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「境界の別れ、王都への最短ルート」
酒場の崩落現場で対峙した、カイトとエリア。
エリアが差し出したのは、かつての穏やかな日々への帰還という「安全」でしたが、カイトはそれを拒絶しました。
彼が求めているのは、与えられた平穏ではありません。
ガルトを救い、この世界の「汚れた帳簿」を書き換えるという、譲れない目的です。
エリアの白く汚れない手を見て、カイトは確信します。
二人の間には、もはや越えられない「境界線」が引かれているのだと。
カイトが背を向けた時、彼を阻むはずの聖騎士団の前に立ち塞がったのは、貧民街の住人たちでした。
言葉を交わさずとも、彼らはカイトの背中を見て、自らの意志で騎士たちの「法」を拒絶したのです。
カイトは、セフィラが示した「城壁の影を縫う」という、最も不味く、しかし一番速いルートを駆け抜けます。
目的地は王都の地下――ガルトが囚われた『静寂の檻』
エリアとの悲痛な決別を経て、カイトはアクセルを踏み込みました。
彼が向かう先にあるのは、世界の支配構造の心臓部。
メーターはもう誰にも止められません。
「泥の王」が王都の地獄をどう塗り替えていくのか、ぜひ次話も見届けていただけると嬉しいです。
応援、レビューなど、皆様からのリアクションが何よりの燃料です。
次回もよろしくお願いします!




