第1章・第15話「鋼の轍、死角の王都」
一歩踏み出すたびに、視界がぐにゃりと虹色に折れ曲がった。
セフィラが指し示した「世界の死角」は、道と呼ぶにはあまりに不気味な場所だった。
城壁の巨大な影が路面にへばりつき、そこだけが世界の塗り絵から忘れられたみたいに、セピア色の霧さえ届かない異質な闇に沈んでいる。
アニマの濃度が異常に高いせいか、空間全体に薄い油膜が張っているみたいだ。呼吸をするたびに肺の奥がヌルリとした熱に侵食され、意識の端々で、見ていないはずの「誰かの記憶」がノイズのように弾ける。
最悪だ。
俺は口元を固く結び、泥まみれのトランクを抱え直した。
一歩でも「型」を外せば、この歪んだ空間の重圧に肉体ごと捻り潰される――そんな本能的な警告が、首筋のチリつきとなって絶えず警報を鳴らしている。
前世。
深夜三時、客のいないバイパスを百キロオーバーで飛ばしていた時の、あの「世界に自分一人しかいない」ような奇妙な浮遊感と、今の孤独な疾走が嫌な形で重なった。
ハンドルを握る手はない。代わりに俺は、自らの重心をミリ単位で制御し、アニマの歪みが最も薄い「最短ルート」を泥の中に刻み続けていた。
「……おじさん、また無口になってる。メーターの音、我にも聞こえそうだよ。そんなに怖い顔しなくても、ちゃんと我が見てるってば」
影の中から漏れ出すセフィラの声が、僅かに震えている。
彼女の銀髪は光を失い、その小さな手は自分の耳を強く押さえていた。
この歪んだ空間から発せられる「星の悲鳴」が、創造主である彼女には俺以上の暴力となって届いているのだ。
「……セフィラ。不味いなら寝てろ。目的地までは、俺が連れて行く」
「……やだ。おじさんが一人で勝手にバックレないように、最後まで見てるもん」
セフィラがおちゃらけた口調で返してくるが、その姿が陽炎のように透けているのを、俺は見逃さなかった。
その時。
ポケットの中の金属片が、心臓の鼓動を追い越すような速さで熱を帯びた。
カチリ。
昨日から鳴り止まない接続音が、脳髄に直接ノイズを叩き込んでくる。
驚いた。
それはガルトの霊殻「断腕」の回路が残した、この世界の「過去の帳簿」の破片だった。
回路片を通じて俺の意識に流れ込んできたのは、吸い上げられ、濃縮され、そしてどこかへ消えていくアニマの膨大な流れ。
王都ロイヤル・ヴェルディア。
この国の心臓部は、単に魔獣から人々を守るための盾ではない。
星のアニマを強引に自分たちへ投資させ、還流を止めることで、城壁の外側――俺がいた貧民街やエリアのいた下級貴族街を、わざと「不渡り」の状態へ追い込んでいる。
搾取。
そう呼ぶにはあまりに組織的で、冷酷な「敵対的買収」の感触が、俺の指先を白く凍りつかせた。
変だな。
王都が近づくにつれ、空気はどんどん「清潔」になっていく。
貧民街の泥の臭いも、魔獣の生臭さも、労働者たちの汗の匂いも、何一つ届かない。
代わりに鼻を突くのは、石鹸と消毒液を混ぜ合わせたような、不自然なまでに無機質な冷気だ。
前方の霧が晴れ、巨大な白亜の壁が姿を現した。
王都、外壁。
驚いた。
そこには、俺が知っている「老朽化した世界」の欠片もなかった。
石畳の一枚一枚が磨き上げられ、アニマを増幅させる青い石が贅沢に埋め込まれている。
城壁内の「偽りの安寧」。
外側で誰がアニマを絞り取られ、泥を啜っていようとも、ここだけは「投資の成果」を独占し、永遠の繁栄を演じ続けているのだ。
気持ち悪い
鼻を突く不自然な香水の匂いが、胃の奥を逆なでする。
この清潔さは、死体を白い布で覆い隠しただけの、無味乾燥な誤魔化しと同じだ。
「……あっち。おじさん、あの排水口。あそこだけ、一番『不味い』匂いが漏れてるよ」
セフィラが指差したのは、豪華な外壁の根元、泥水さえ流れていない乾いた地下水路の入り口だった。
俺は観察眼を研ぎ澄ませ、その闇の奥を透かし見た。
来た
水路の奥。
湿った空気と、重苦しい静寂が支配する深淵から、微かな「音」が届いた。
ドクン。
それは心拍ではない。
俺の手の中にある回路片と同じ、地の属性を核とした、重厚で、けれど今にも消え入りそうなアニマの共鳴。
ガルト。
あの親父が、まだ地下の底で、自分の「概念」を燃やしながら抵抗を続けている。
俺は迷わず、トランクを抱えて汚水一つない地下水路へと滑り込んだ。
冷たい空気が全身を包む。
地上にいた聖騎士たちの足音は、もう届かない。
ここから先は、世界の「帳簿」を管理する神威庁の、本当の裏側だ。
「……行くか」
俺の声が、石造りの壁に反射して低く響いた。
メーターは、もう止まらない。
最短ルートの出口は、この死臭の漂う迷宮の最深部――「静寂の檻」の扉の先にある。
◇
【知識:世界の支配権システム(SIC/EC)の更なる理解(搾取構造の体感) を獲得しました】
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「鋼の轍、死角の王都」
城壁の外側――泥と霧にまみれた貧民街を抜け、カイトはついに王都ロイヤル・ヴェルディアの外壁に到達しました。
セフィラと共に駆け抜けたのは、世界の塗り絵から零れ落ちた「死角」。そこでカイトが垣間見たのは、王都という国家が星のアニマを独占し、外側の世界を計画的に「不渡り」へと追い込むという、組織的で冷酷な搾取構造でした。
石鹸と消毒液が混ざり合ったような、清潔で無機質な王都。それは泥に塗れて生きる人々の悲鳴を覆い隠すための、死に化粧のような繁栄でした。
そんな偽りの街の地下、最も不味い匂いがする水路の奥底で、カイトは確かに感じ取ります。今なお燃え続ける、ガルトの「断腕」の共鳴を。
カイトは迷わず、暗く重苦しい迷宮の奥へと足を踏み入れました。
地上に溢れる聖騎士たちの影も、ここではもう届きません。ここからは世界の「帳簿」を管理する神威庁、その本当の裏側――『静寂の檻』へ繋がる地獄の入り口です。
最短ルートの先で待つのは、救いか、それともさらなる絶望か。
「泥の王」が、この国の歪んだシステムをどう「清算」していくのか。いよいよガルト奪還に向けた、最も危険な潜入が始まります。
皆様から応援、レビューが、カイトを走らせるガソリンになります!
ぜひ次回も見届けてください。
第16話もよろしくお願いします!




