第7話:消し忘れた本音と、深夜二時のデジタル・パニック
◆ 課長さん視点(37歳・嶋田)
液晶画面に浮かんだ『明日まで待てなかった』というあおいちゃんの言葉に、俺は完全に狼狽していた。
慌てて画面をタップし、キーボードを表示させる。慣れない手つきで、まずは三十七歳の男として、無難でスマートな「大人の文章」を打ち込んでいく。
『夜分遅くにすまない。無事に自宅に到着し、晩酌をしていたところだ。あおいちゃんも、今日の一日を無事に終えられたようで安心したよ。明日も早いのだろうから――』
……いや、違う。違うだろ、俺。
何を今更、常識のある年上おじさんを気取って取り繕おうとしているんだ。
さっき屋上であんなに顔を真っ赤にして、引きつった声で名刺を渡したくせに。その前には、暗がりで泣いていた彼女に「あおいちゃんに会いたくて来た」なんて、心臓を剥き出しにしたような本音をぶつけたはずじゃないか。
今更、こんなビジネスメールみたいな文章で壁を作るなんて、彼女に対してあまりにも不誠実だ。
俺は、取り繕うのをやめた。本心を書こう。
カーソルを動かし、俺の本当の気持ちを不器用な文字にして付け足していく。
『実は、俺もあおいちゃんからの連絡が待ちきれなくて、ずっとビールが酔えないままでいたんだ』
よし、これでいい。あおいちゃんに笑われるかもしれないが、これが今の俺の紛れもない真実だ。
心臓のバクバクを抑えながら、俺は画面の隅にある送信ボタンを勢いよくタップした。
カシャッ、と軽い音がして、メッセージが送信される。
ほっとして画面を見つめた、次の瞬間――俺の全身の血の気が、一気に引いた。
「……あ、あれ?」
画面に表示された、俺からの長文のメッセージ。
『夜分遅くにすまない。無事に自宅に到着し、晩酌をしていたところだ。あおいちゃんも、今日の一日を無事に終えられたようで安心したよ。明日も早いのだろうから実は、俺もあおいちゃんからの連絡が待ちきれなくて、ずっとビールが酔えないままでいたんだ』
「消し……忘れてる……っ!?」
前半の、必死に取り繕おうとした硬苦しい大人の文章を消し忘れたまま、後半の本音をドッキングさせて送信してしまっていた。
おまけに『明日も早いのだろうから』の後に句読点すらなく、そのまま『実は、俺も――』と繋がっている。
最初はおじさんぶろうとして、途中で理性が崩壊したのが一目でバレる、あまりにも無様で恥ずかしい文章。
「最悪だ……!!」
さっき屋上で赤くなったばかりの顔が、今度はその数倍の熱さで真っ赤に燃え上がる。
取り消し機能なんて使い方も分からない俺は、頭を抱えてソファに突っ伏し、深夜のリビングでただ絶叫するしかなかった。
◆ あおいちゃん視点(21歳・あおい)
メッセージを送ってから三分。
「まだLINEの使い方がわからないのかな」「もう寝ちゃったのかな」って、スマホの画面を睨みつけながらベッドの中でゴロゴロしていた。
その時、画面の下に小さな文字で『既読』とついた。
心臓がドキンと跳ねる。
「あ、読んだ……っ」
画面の上が『嶋田さん:入力中……』に変わる。
待っている間の数分間が、まるで何時間にも感じられた。お堅くてアナログな課長さんだから、きっと「夜遅くに女の子に連絡するのは……」とか、色々真面目に考えてるんだろうな。
そして、ついに届いた嶋田さんからの、初めてのメッセージ。
画面に表示された文字を読んだ瞬間、私はベッドの中で、本当に呼吸が止まりそうになった。
「……ぷっ、あはははは!!! 何これ!?」
最初は、そのあまりの文章の長さに爆笑してしまった。
前半は、いかにも『メーカーの課長さん』って感じの、教科書通りの大人の挨拶。なのに、文末のところで急にバグったみたいに、
『明日も早いのだろうから実は、俺もあおいちゃんからの連絡が待ちきれなくて、ずっとビールが酔えないままでいたんだ』
って繋がってる。
「ちょっと……最高すぎるんだけど……!」
笑いながら、何度もその文章を読み返す。
読み返しているうちに、笑いはどんどん、胸の奥の猛烈な愛おしさと、甘酸っぱい痛みに変わっていった。
おじさんぶって格好つけようとしたのに、途中で私への気持ちが溢れちゃって、消し忘れたまま送ってきちゃったんだ。
37歳の大人の男の人が、夜中にスマホを握りしめて、私のメッセージに大パニックになってる姿が、手に取るように分かった。
ずるい。本当に、嶋田さんはずるい。
私のことが気になるって、待ちきれなかったって、そんなの、もう完全に私と同じ気持ちじゃん。
「よし、からかっちゃお」
顔がニヤけるのを止められないまま、私はすぐに文字を打ち込んだ。
『嶋田さん、最初の文章、おじさんぶろうとして失敗してるよ!笑 でも……待ちきれなかったって言ってくれたの、すっごく嬉しい。私も、嶋田さんのことばっかり考えてたよ』
今度は、迷わずに送信ボタンを押した。
画面の向こうで、さらに真っ赤になって悶絶しているであろう愛おしいおじさんの顔を想像しながら、私は枕をぎゅっと抱きしめた。




