第23話:隠し味のミステリー、一口ごとの恋煩い
◆ あおいちゃん視点(21歳・あおい)
「はい、お待たせしました! 一ノ瀬特製チキンカレーです!」
リビングの小さなローテーブルに、大きめのお皿を二つ並べた。
お互いに向かい合って座ると、それだけでなんだか照れくさくて、急にキッチンの時より距離が遠くなったみたいにソワソワしちゃう。
でも、目の前の圭介さんは、子供みたいに目を輝かせてお皿を見つめていた。
「圭介さん、めしあがれっ!」
「う、うん。いただきます」
スプーンを手にとって、嬉しそうにカレーを掬う圭介さん。
一口大のチキンと、さっき彼が一生懸命剥いてくれた玉ねぎが、とろっとしたルーに絡んでいる。
ぱくり、と口に運んで、モグモグと味わう彼の表情を、私は顎に手を当ててじっと覗き込んだ。
「あ……! すごく美味しい。コクがあって、まろやかで……お店のカレーみたいだ」
感動したように目を丸くする圭介さんを見て、私の胸は誇らしさでいっぱいになる。
よし、ここからが本番。
「ふふ、ありがと。……ねえ、圭介さん。さっき言った『隠し味』、何か分かる?」
「えっ? 隠し味……?」
圭介さんがスプーンを止めて、うーんと首を傾げた。
「食べてみてっ……。分かるかなぁ? 分かったら……」
私はわざと少しだけ声を小さくして、上目遣いで彼を見つめた。
薄いメイクのせいで、私の顔がちょっと赤くなってるのは自覚してる。でも、もし彼が正解できたら、もっと特別な「ご褒美」をあげちゃおうって、心の中で決めていた。
◆ 課長さん視点(37歳・嶋田)
「食べてみてっ……。分かるかなぁ? 分かったら……」
あおいちゃんにそう言われて、俺の心臓はまたしてもドクンと大きく跳ね上がった。
分かったら、その先は何なんだ。
彼女の潤んだ瞳と、ナチュラルメイクに映える真っ赤な頬。その表情を見ただけで、俺の頭の中はカレーのスパイス以上の熱さでクラクラし始めていた。
当てなければいけない。
大好きな彼女が、俺のために工夫してくれた秘密の味だ。37歳の大人の男として、そして彼女の恋人として、ここはビシッと正解して格好いいところを見せたい。
「う、うん。もう一口、よく味わってみるよ」
俺は緊張で震えそうになるスプーンを握り直し、再びカレーを口に運んだ。
じっくりと舌の上で転がしてみる。
確かに、ただのカレールーの味じゃない。スパイシーさの奥に、独特の深い甘みと、フルーティーな酸味、それからほんの少しの苦味のようなコクがある。
「これは……」
俺の独り暮らし経験の脳内レシピを総動員する。
一般的なカレーの隠し味といえば、チョコレート、インスタントコーヒー、あるいはすりおろしリンゴやハチミツ……。
「……チョコレート、かい? いや、それにしては少しフルーティーな気もする。……ウスターソース、とか?」
自信なさげに答える俺を、あおいちゃんはスプーンを口元に当てながら、クスクスと楽しそうに見つめている。
「ブッブー! 惜しいけどハズレ!」
楽しそうにバツ印を作る彼女が、あまりにも、あまりにも可愛すぎる。
ダメだ。正解を考えようとするたびに、彼女の輝くような笑顔に意識を持っていかれて、味覚が麻痺してしまいそうだった。
◆ あおいちゃん視点(21歳・あおい)
「ブッブー! 惜しいけどハズレ!」
ウスターソース、なんて大真面目な顔で答える圭介さんがおかしくて、私はまた笑ってしまった。
37歳のメーカーの課長さんが、私のカレーの味を当てるために、眉間にシワを寄せて真剣にお皿とにらめっこしている。その姿が愛おしくてたまらない。
「ヒントはね、さっきスーパーで買ったものだよ?」
「えっ、さっき買ったもの……? 玉ねぎ、ニンジン、鶏肉……」
圭介さんは本当に記憶を遡るみたいに天井を見上げて固まっている。
「あ……! もしかして、果物コーナーの近くで、あおいちゃんがカゴに入れた……『リンゴジュース』かい?」
正解を見つけた子供みたいに、ぱあっと顔を輝かせる圭介さん。
「あ、正解! すごい、圭介さん大正解!」
「やった……!」と小さくガッツポーズをする彼を見て、私の胸の奥の甘い温度が限界まで跳ね上がった。
正解できたら、ってさっき思ったこと。今、この二人きりの部屋なら、誰にも邪魔されない。
私はローテーブルから少し身を乗り出して、まだ嬉しそうに笑っている圭介さんの顔に、自分の顔を近づけた。
◆ 課長さん視点(37歳・嶋田)
「あ、正解! すごい、圭介さん大正解!」
あおいちゃんに褒められて、俺は本気でホッとしていた。
リンゴジュースを隠し味に使うなんて、やっぱり彼女の料理のセンスは素晴らしい。
「いやあ、よかった。外したらどうしようかと――」
言いかけた、その時だった。
あおいちゃんが、テーブルを挟んでぐっとこちらに身体を寄せてきた。
「……正解したから、ご褒美ね」
囁くような、甘い声。
ハッと息を呑んだ瞬間には、彼女の綺麗な青い髪がすぐ目の前にあって、あの屋上の夜と同じ、ちゅっ、という微かな音が、俺の唇の上で弾けた。
「っ!!!!?」
本日二度目の、脳内大爆発。
あおいちゃんからの、不意打ちのキス。
かかとを下ろしたあおいちゃんは、ローテーブルの向こうで、スプーンを握ったまま耳まで真っ赤になって、でもすごく嬉しそうにニカッと笑った。
「私のカレー、世界一美味しい隠し味はね、圭介さんへの『大好き』の気持ちなんだから。……はい、お残し禁止ね!」
そう言って、自分のカレーを勢いよく食べ始める彼女。
残された俺は、口を半開きにしたまま、スプーンを持った手で自分の唇に触れた。
顔面から火が出る。頭から本物の湯気が出ている音が聞こえるんじゃないかと思うくらい、全身が熱い。
あおいちゃんの手料理、リンゴジュースの入ったカレーライスは、間違いなく俺の三十七年の人生の中で、最も甘くて、最も胸が苦しくなる、最高の味がしていた。




