第20話:彼女のキッチン、少年のリクエスト
◆ あおいちゃん視点(21歳・あおい)
喫茶店を出て、圭介さんのセダンは夜の街をゆっくりと走り出していた。
車内には、さっきまでお店で聴いていたクラシックの余韻と、珈琲の甘い香りがまだほんのりと残っている。
助手席から、ハンドルを握る圭介さんの横顔をじっと盗み見る。
私の仕事を凛々子さんに誇らしそうに話してくれた時の顔、ラブラブって言われて「はっぱん、ぱん」以上に真っ赤になっていた顔。思い出せば思い出すほど、胸の奥がキュンとして、この人とまだまだ一緒にいたい、もっと私の知らない圭介さんを知りたいって気持ちが溢れてきちゃう。
「ねえ、圭介さん」
「ん? どうしたんだい、あおいちゃん」
優しく微笑みながら、助手席に視線をくれる私の課長さん。
私はシートベルトをぎゅっと握りしめて、ちょっとだけ背伸びをするみたいに、イタズラっぽく微笑んだ。
「圭介さん、家来るっ?」
「えっ……!?」
圭介さんの手がハンドルを一瞬ピクッと震わせた。やっぱり分かりやすい!
「私、お料理得意なのっ! 晩ごはんご馳走するからっ! ……圭介さん、食べたい物ある?」
ギャルっぽく見えて、実は自炊派な私。大好きな彼に手料理を振る舞うチャンスをずっと狙ってたんだ。
さあ、37歳の大人の男の人は、女の子の部屋で一体何をリクエストするのかな?
ドキドキしながら次の言葉を待っていると――。
◆ 課長さん視点(37歳・嶋田)
「圭介さん、家来るっ? 私、お料理得意なのっ! 晩ごはんご馳走するからっ!」
あおいちゃんの口から飛び出した、予想だにしない破壊力抜群の言葉に、俺は危うくブレーキを踏みそうになった。
家。女の子の、それもあおいちゃんの部屋。
頭の中で、ゆうべの『一生大事にしますから』という自分の大暴走した言葉がフラッシュバックする。まだ付き合いたてなのに、いきなり彼女の部屋に上がらせてもらうなんて、大人の男として理性はどうなっているんだ。不健全じゃないか、いや、でも彼女が作ってくれる手料理……!
脳内がものすごいスピードで大パニックを起こし、またしても顔面がカッと熱くなっていく。
「圭介さん、食べたい物ある?」
上目遣いで、ナチュラルメイクの可愛い笑顔を向けてくるあおいちゃん。
格好いい大人のセリフを言わなければ。フレンチだとか、イタリアンだとか、そういう洒落たものを……いや、違う。俺が今、あおいちゃんに作ってもらえると想像して、一番胸が躍ってしまったのは――。
「カレーライスっ……!」
気がつけば、考えるより先に、またしても『心の声』が直球で口から飛び出していた。
それも、まるで学校から帰ってきた小学生のような、勢いのある声で。
「あっ! いや、違うんだ! もっと手が込んだものとか、あおいちゃんが得意なもので構わないんだ! つい、子供みたいなメニューを言ってしまって……っ!」
ハンドルを握る手が汗ばむ。おじさんのくせに、彼女の手料理と聞いて真っ先に「カレー」を思い浮かべるなんて、あまりにもガキっぽすぎる。また頭から湯気が出そうなほど赤面し、必死に大人の言い訳を探していた。
◆ あおいちゃん視点(21歳・あおい)
「カレーライスっ……!」
一瞬、耳を疑っちゃった。
大人の課長さんだから、お酒のつまみになるようなものとか、ちょっと小洒落た和食とか言われると思って身構えていたのに。
私の予想を思いきり裏切って、圭介さんは目をキラキラさせながら、子供みたいに「カレーライス」って叫んだのだ。
「あっ! いや、違うんだ! つい、子供みたいなメニューを言ってしまって……っ!」
すぐに自分のセリフに赤面して、あわあわとハンドルを握り直して言い訳を始める圭介さん。耳まで真っ赤っかで、本当に頭からポッポと湯気が出ちゃいそう。
「ふふ……っ、あははは!」
もう、愛おしさが限界突破して、私は助手席でお腹を抱えて笑ってしまった。
37歳の大人の男の人が、私のご飯にカレーをリクエストするなんて、可愛すぎるでしょ!
「言い訳禁止、圭介さん。カレーライス、すっごくいいじゃん!」
私は彼の手の甲に自分の手をそっと重ねて、満面の笑顔を向けた。
「私のカレー、隠し味があってすっごく美味しいんだから。いっぱいおかわりしてね? ……じゃあ、おうち行く前に、近くのスーパーに寄って材料買お!」
◆ 課長さん視点(37歳・嶋田)
「私のカレー、隠し味があってすっごく美味しいんだから。いっぱいおかわりしてね?」
あおいちゃんに優しく笑いかけられ、手の甲に温かい温もりを感じた瞬間、俺の胸の奥は、恥ずかしさを通り越して、言葉にできない幸福感で満たされていった。
「ああ……。楽しみにしているよ。あおいちゃんのカレー」
赤面はまだ引きそうになかったけれど、隣で「何入れよっかなー」と楽しそうにメニューを考えているあおいちゃんを見ていると、自分の選択は間違っていなかったんだと確信できる。
ピカピカに磨いたセダンのハザードランプを点滅させ、俺たちは夜のスーパーの駐車場へと滑り込んだ。
これから二人で買い物をして、彼女の部屋へ向かう。
37歳になって、こんなにも胸が弾む「カレーライスの日」が来るなんて、屋上で泣いていた彼女と出会ったあの日の俺に、教えてあげてもきっと信じないだろう。




