第17話:名前のハレーション、午前零時前の注文劇
第17話:名前のハレーション、午前零時前の注文劇
◆ あおいちゃん視点(21歳・あおい)
「お待たせしました、ブレンド珈琲です」
綺麗なお姉さんが、トレイからトントンと小気味いい音を立てて、琥珀色の珈琲を嶋田さんの前に置いた。それから、私の方を向いて悪戯っぽくウインクする。
「あおいちゃん、宜しくねっ。嶋田さんも隅に置けないわねっ! こんなに可愛い彼女さん連れてくるなんて!」
「あ、ありがとうございます……っ」
お姉さんからの直球の言葉に、私の顔はさらに熱くなる。でも、隣の嶋田さんを見たら、私なんかよりももっと凄いことになっていた。さっきの「可愛いだろ」発言を引きずったまま、珈琲の湯気よりも熱そうな顔で小さくなっている。
「あおいちゃん、何か食べたいもの決まったかな?」
お姉さんに優しく聞かれて、私はメニュー表に載っている、いかにもレトロで可愛いデザートに目を留めた。ガラスの器に盛られた、生クリームとフルーツがたっぷりの……。
「はい、プリンアラモードをお願いします」
「はーい、プリンアラモードねっ」
お姉さんが伝票にサラサラと書き留める。そして、視線を私の隣へと移した。
「じゃあ、次は……」
私はメニュー表から目を離し、隣の愛おしいおじさんをじっと見つめた。
いつもなら「課長さん」とか「嶋田さん」だけど。
このお店の人たちが、彼のことを親しみを込めて苗字で呼ぶのを聞いていたら、私の中に、ちょっとした独占欲と、ゆうべの電話の熱い記憶が蘇ってきた。
私は彼の手をテーブルの下でそっと握り直して、少しだけ声を甘くした。
「圭介さんはっ?」
◆ 課長さん視点(37歳・嶋田)
「圭介さんはっ?」
ドクン、と心臓が跳ね上がった。
あおいちゃんの唇から零れ落ちた、俺のファーストネーム。
『圭介さん』。
あおいちゃんに名前で呼ばれたのは、これが生まれて初めてだった。
ゆうべ、彼女は『おじさんで、LINE下手くそで、真っ赤になる嶋田さんが、大好きなの』と言ってくれた。苗字で呼ばれるだけでも心臓が持たないと思っていたのに、まさかこのタイミングで、こんな不意打ちで名前を呼ばれるなんて。
一瞬で、脳内の全回路がショートした。
お姉さんからの「隅に置けない」というからかいの熱さに、あおいちゃんからの『圭介さん』という極大の衝撃波が加わり、俺の赤面はもはや限界数値を突破していた。顔だけじゃない、首筋から背中まで一気に熱が駆け巡る。
「あ……お、俺はっ……!」
お姉さんが注文を取るためにペンを構えて俺を見ている。あおいちゃんも、上目遣いで俺の反応を楽しそうに覗き込んでいる。
早く注文を言わなければいけない。そう焦れば焦るほど、頭が真っ白になってメニューの文字が滑っていく。
「俺はっ……はっぱん、ぱん、パンケーキっ……!!」
情けないことに、完全に舌がもつれていた。
三十七歳の、メーカーの中間管理職の男が、職場の部下にも見せたことのないような、マヌケで、慌てふためいた声を喫茶店内に響かせてしまう。
「はい、パンケーキね! 嶋田さん、噛みすぎ!」
お姉さんがお腹を抱えそうになりながら笑い、伝票を挟んで「すぐ持ってきますね」とカウンターの奥へ戻っていった。
残された俺は、両手で顔を覆い、テーブルに突っ伏したい衝動を必死に堪えていた。格好悪い。格好悪すぎる、俺……!
◆ あおいちゃん視点(21歳・あおい)
「俺はっ……はっぱん、ぱん、パンケーキっ……!!」
お姉さんが笑いながら奥へ下がっていくのを見送りながら、私はもう、愛おしさが胸のキャパシティを越えて、破裂しそうになっていた。
『圭介さん』って呼んだだけで、あんなに慌てて、言葉をボロボロに噛んじゃうなんて。
「はっぱん、ぱん、パンケーキ」って、可愛すぎでしょ、私の彼氏。
「ふふ、あははは!」
私は声を殺して笑いながら、両手で顔を隠して耳まで真っ赤にしている圭介さんの顔を、下から覗き込んだ。
「ねえ、圭介さん。そんなに赤くなったら、私がまたキスしたくなっちゃうじゃん」
意地悪に、だけど100%の本音を耳元で囁く。
圭介さんは顔を覆っていた手を少しだけ隙間を開けて、潤んだ、余裕のない目で私を見た。
「あおいちゃん……本当に、君は、俺をどうするつもりなんだ……」
かすれた彼の声。
アンティークなランプの光に照らされて、二人だけの甘い空気でお店の一角が満ちていく。
運ばれてくるプリンアラモードとパンケーキよりも、今の私たちの関係の方が、ずっと、ずっと甘くて堪らなかった。




