第16話:琥珀色の秘密基地、こぼれ落ちた誇り
◆ 課長さん視点(37歳・嶋田)
カランカラン、とドアに取り付けられた真鍮のベルが、どこか懐かしい音を立てた。
仕事帰り、俺は初めてあおいちゃんを連れて、自分の「行きつけの喫茶店」の門を叩いた。
薄暗い照明、年季の入った渋い木製のカウンター、かすかに流れるクラシック音楽。ここは、仕事で疲れた俺が一人で心を落ち着かせるための、大切な隠れ家だった場所だ。
「いらっしゃいませ!」
店内に一歩足を踏み入れると、カウンターの奥から、いつも通り優しそうな老夫婦と、その娘さんである綺麗なお姉さんが笑顔で迎えてくれた。
「あらっ、嶋田さん久しぶりだねぇ!」
マスターの奥さんが、嬉しそうに目を細めてこちらに歩いてくる。そして、俺の隣に並んで、少し緊張したように立っている青い髪の少女に視線を留めた。
「あらまぁ!……可愛らしい彼女さんだねぇ」
お姉さんも奥からひょっこり顔を出して、「本当、すごく可愛い!」と優しく微笑んでいる。
その瞬間、俺の胸の中に、言葉にできないほどの嬉しさと誇らしさが一気に湧き上がってきた。自分の大切な居場所で、自分の大好きな人を「可愛い」と全肯定されたのだ。
「うん、可愛いだろっ!」
――あ。
満面の笑みで、胸を張って、ハッキリとそう答えていた。
言い終えた瞬間、店内の空気が一瞬だけピタッと止まったような気がした。
「あっ……! いやいやいや! 違うんだ、今のはその……っ!」
まただ。またやってしまった。
あおいちゃんを前にすると、どうしてこうも簡単に、脳内の検閲をすり抜けて『心の声』がそのまま口から飛び出してしまうのか。
謙遜の国・日本の中間管理職として、ここは「いやいや、そんなことないですよ」と苦笑いするのが正解のはずなのに、100%の本音を自慢げにぶちまけてしまった。
ジワジワと顔が熱くなり、頭から湯気が出そうなほどの赤面が俺を襲う。店員さんたちの前で、三十七歳の男が何という恥ずかしいノロケを晒しているんだ……!
◆ あおいちゃん視点(21歳・あおい)
カランカラン、という可愛いベルの音と一緒に広がったのは、深くて香ばしい珈琲の匂い。
嶋田さんが「お気に入りの場所なんだ」と言って連れてきてくれたお店は、私の普段行くカフェとは全然違う、落ち着いたレトロな雰囲気のすてきな喫茶店だった。
嶋田さんのプライベートの秘密基地に招待してもらったみたいで、入る前から心臓がドキドキしていた。
「いらっしゃいませ!」
お店に入ると、すっごく優しそうな老夫婦と、上品で綺麗なお姉さんが出迎えてくれた。みんな嶋田さんの顔を見るなり、ぱあっと表情を明るくしている。あ、本当にここ、嶋田さんの大切な場所なんだ。
「あらまぁ!……可愛らしい彼女さんだねぇ」
奥さんやお姉さんにそう言われて、私は急に恥ずかしくなって、嶋田さんの後ろにちょっとだけ隠れるように縮こまった。ナチュラルメイクに変えたばかりの顔が、すぐに赤くなっていくのがわかる。
そしたら、私の前に立つ嶋田さんが、いつもの仕事モードの硬い背中じゃなくて、なんだかすごく嬉しそうな気配を漂わせた。
「うん、可愛いだろっ!」
……えっ?
「あっ……! いやいやいや! 違うんだ、今のはその……っ!」
次の瞬間、嶋田さんは自分の口を押さえて、ものすごい勢いでバタバタと慌て始めた。
お店の人たちの前で、思いっきり、なんの迷いもなく「可愛いだろ」って自慢しちゃったことに気づいたみたい。あっという間に、嶋田さんの耳の裏まで真っ赤に染まって、頭からポッポと湯気が出始めている。
「ふふっ……」
「あらやだ、嶋田さんごちそうさま!」
お姉さんと奥さんがクスクスと楽しそうに笑っている。
私は、嶋田さんの後ろから一歩前に出て、真っ赤になってオドオドしている彼の大きな手を、後ろで握っている指をぎゅっと握りしめた。
恥ずかしい。恥ずかしいけど――もう、心臓が溶けちゃいそうなくらい嬉しい。
お店の人たちに、私のことを堂々と「可愛い彼女」だって自慢してくれたんだ。
「もー、嶋田さん……バカ」
私は彼を見上げて、蚊の鳴くような声で小さく毒づいた。
薄いメイクのせいで、私の顔が彼のノロケのせいでトマトみたいに真っ赤になってるのも、きっとお店の人たちには全部バレバレだった。
◆ 課長さん視点(37歳・嶋田)
「ほら、嶋田さん、彼女さん、こっちの特等席へどうぞ」
綺麗なお姉さんにニヤニヤされながら、店の奥の、ふかふかの革張りソファの席へ案内された。
俺は消え入りたいほどの羞恥心を抱えながら、あおいちゃんの後を追って席につく。
お互いに向かい合って座ると、あおいちゃんの顔も、俺に負けないくらい真っ赤になっていた。
ギャルメイクを辞めて、俺のために少し背伸びをしてくれた彼女の素顔。それが、このレトロな喫茶店の琥珀色の照明に照らされて、本当に、言葉を失うほどに綺麗で、可憐だった。
「……あおいちゃん、すまない。俺、また職場の癖というか、心の声が……」
「ううん、いいよ」
あおいちゃんはメニュー表で顔を半分隠しながら、上目遣いで俺を見た。
「嬉しかった……。嶋田さんの大事な場所に連れてきてもらったのも、今、そう言ってくれたのも」
メニュー表から覗く彼女の瞳が、ストレートに俺の胸を射抜く。
「……そうか。なら、よかった」
俺は熱い息を吐き出しながら、なんとか大人の余裕を取り戻そうとネクタイを少し緩めた。
赤面はまだ引きそうにないけれど、注文したブレンド珈琲が運ばれてくる頃には、このレトロな空間のすべてが、彼女の存在によって世界で一番甘い場所に変わっていた。




