第10話:隠しきれない色彩、変わり始める二人
◆ 課長さん視点(37歳・嶋田)
「――嶋田課長。……嶋田課長?」
「あ、ああ! すまない、高橋くん。何だったかな」
部下の呼ぶ声で、俺はハッと我に返った。
デスクの上には、開いたままの進捗管理表。パソコンの画面の端には、現在の時刻が表示されている。午後二時。一番強烈な睡魔が襲ってくる時間帯だ。
実際、ゆうべは一睡もしていない。
深夜二時にあおいちゃんと通話を終えた後、ベッドに入っても目が冴え渡ってしまい、眠れるはずもなかった。目を閉じれば、耳元で囁かれたあの愛おしい声が、何度も、何度も脳裏をループする。
『私も、嶋田さんが大好き』
そのワードが木霊するたびに、体温が跳ね上がり、気づけば朝を迎えていた。
典型的な寝不足。体力的にはボロボロのはずなのに、不思議と頭はスッキリとしていて、何より胸の奥がじんわりと温かい。
「いえ、こちらの修正案なのですが……。あの、課長、何か良いことでもあったんですか?」
「え? 何がだい?」
高橋くんが不思議そうな顔で俺を見ている。
「いや、いつもならここ、結構厳しくダメ出しされるところなんですけど……。さっきから課長、ずっと優しく微笑みながら資料見てるし、口調もなんだか柔らかいというか……。いつも以上に、めちゃくちゃ雰囲気が優しいので」
「そ、そうか? いや、いつも通りだよ。うん、この修正案で問題ない。よくやってくれたね」
俺がそう言って書類を返すと、部下は「ありがとうございます!」と、どこか狐につままれたような顔でデスクに戻っていった。
慌てて手元のスマートフォンを裏返す。
ダメだ。職場では「真面目な課長」でいなければいけないのに、表情の締まりがなくなっている。あおいちゃんのことを考えるだけで、口元が緩んでしまうのを止められない。
三十七歳の男が、職場でこんなに幸せそうな顔をしてしまうなんて、本当に形無しだ。
けれど、胸ポケットの奥にあるスマートフォンが、微かに震えるのを想像するだけで、世界が昨日よりずっと鮮やかに見えていた。
◆ あおいちゃん視点(21歳・あおい)
「おはよー、あおい。……って、えええっ!? 誰!?」
お昼休みのカフェテラス。待ち合わせた友人のマミが、私の顔を見るなりトレイを落としそうなくらいに目を見開いた。
「な、何その顔! メイク、どうしたの!?」
「えー? ちょっと変えてみただけじゃん」
私はストローを咥えながら、ふふ、と笑った。
昨日の夜、嶋田さんに『大好き』って言った後、嬉しくて全然眠れなかった。
朝、鏡の前に立ったとき、ふと思ったのだ。あの人は、私の青い髪を「綺麗だ」と言ってくれた。おじさんだけど、一生懸命に私に向き合ってくれた。
だったら、私もあの人に、もっと可愛いって思われたい。
ただの生意気な子供じゃなくて、一人の女の子として見てもらいたい。
そう思ったら、いつも通りの濃いギャルメイクをする手が止まった。
つけまつげを外して、アイラインを細く引く。リップも派手な色じゃなく、自分の唇に近いナチュラルなピンクに変えてみた。
「変……かな?」
「変じゃない! っていうか、めちゃくちゃ可愛い! 今まで隠れてた素材の良さが全面に出てる! なんかさ、ギャルっていうより……すごくお姉さんっぽくなった。笑顔がキラキラしてて、その青い髪が、なんだかすごく似合う上品な女性に見える!」
マミの言葉に、私は胸の奥がキュンと弾むのを感じた。
上品な女性。嶋田さんは、今の私を見たらなんて言うかな。また顔を真っ赤にして、驚いてくれるかな。
ガラス窓に映る自分の姿を見る。
メイクを薄くしたせいで、嶋田さんのことを考えて赤くなっている頬が、いつもよりずっと分かりやすくなってしまっていた。
「あー、もう、早く夜にならないかな……」
午後。少しだけ大人に背伸びをした私は、あの優しいおじさんが待つ屋上の景色を思い浮かべながら、輝くような笑顔で青空を見上げた。




