第37話:夜の長電話
玄関のドアを開けると、家の中はひんやりと暗かった。
両親は夕方、結愛たちが挨拶に来た時に一時的に帰宅していたものの、あれは残った事務処理のために寄っただけだ。
夜の九時頃までは仕事で帰ってこない。
適当に冷蔵庫を開け、残っていた野菜と豚肉を炒めて簡単な夕食を済ませた。
一人で食べるご飯は少し味気なかったが、明後日にはここに結愛が来てくれると思うと不思議と気分は沈まなかった。
風呂を済ませてベッドに寝転がると、枕元のスマホがブブッと震えた。
画面には『結愛』の文字。LINEの通話着信だ。
「もしもし」
『あ、湊くん。ふふっ、こんばんは』
スピーカー越しに聞こえる結愛の声は、少しだけ甘くて柔らかい。寝る前の、すっかりリラックスした声だった。
「こんばんは。どうした? 明日の買い出しのことでなんかあったか?」
『ううん、何もないよ。ただ……ちょっと声が聞きたくなっただけ』
「そっか」
照れくさくて、俺も布団の中で小さく笑う。
『そういえば、湊くん晩ご飯どうしたの? おばさん達、夜までお仕事だって言ってたよね』
「ああ。冷蔵庫にあった野菜と肉炒めて、一人で食ったよ。親父たちはまだ帰ってきてないし」
それを聞いた瞬間、電話の向こうで結愛が「あっ……」と小さく息を呑む音がした。
『……そっか。ごめん、私、残って晩ご飯作ってあげればよかった!』
「えっ?」
『お父さんたちへの挨拶が終わって、明日買い出し行こうねってバイバイしちゃったけど……湊くんが一人でご飯食べるのわかってたら、絶対に私が作ったのに……っ。作りたかったなぁ』
しょんぼりとした声が耳元に届き、俺は思わず頬を緩ませた。
「気にしてくれてありがとな。でも、今日は俺も挨拶で少し緊張してたし、結愛も疲れただろ? だから気にしなくていいよ」
『でもぉ……』
「その代わり、クリスマスの日にたくさん作ってくれるんだろ? 結愛のご飯、すげー楽しみにしてるからさ」
俺がそう慰めると、電話の向こうで結愛がもぞもぞと布団に潜り込むような音がした。
『……うんっ。とびっきり美味しいご馳走、いっぱい作るからね。覚悟しててよね』
「おう。しっかりお腹空かせて待ってる」
そこからは、他愛のない話が続いた。
明日の買い出しで何を見るか、クリスマスのケーキはどんなのがいいか。ポツリ、ポツリと続く会話のテンポは心地よくて、やがて結愛の相槌が少しずつゆっくりになっていく。
『湊くん……あのね……』
「ん?」
『……んぅ……』
返事を待っていると、電話越しにスースーという、規則的で小さな寝息が聞こえてきた。どうやら限界を迎えたらしい。
「……おやすみ、結愛」
俺は起こさないように小さな声で呟き、そっと通話ボタンを押した。
トーク画面を開き、『おやすみ』とだけメッセージを送る。
明日からいよいよ冬休み。そして明後日は、クリスマスイブだ。
じんわりと温かい気持ちに包まれながら、俺もゆっくりと目を閉じた。
【結愛 視点】
翌日。二学期の終業式を終えた学校は、明日から始まる冬休みへの解放感で、どこか浮き足立っていた。
「湊くん、お待たせ!」
昇降口で待っていてくれた湊くんの元へ駆け寄る。
「お疲れ。荷物、それだけか?」
「うんっ。冬休みの宿題は昨日ある程度持って帰っちゃったから」
私たちは並んで学校を出ると、駅前にある大きなドラッグストアへと向かった。
今日の目的は、明日のお泊まりに向けた『お泊まりセット』の買い出しだ。店内に入り、生活雑貨のコーナーへと向かうと、ずらりと並ぶ商品を前になんだか私までソワソワしてきてしまう。
「えっと……トラベル用のスキンケアセット、これでいいかな。前に湊くんの家にお泊まりした時のやつは、もう使い切っちゃって古いから」
「いいんじゃないか? 結愛の肌に合うやつにしなよ」
「うん。じゃあ、これにするね」
カゴに小さなボトルセットを入れると、湊くんが隣で歯ブラシのコーナーを覗き込んでいた。
「歯ブラシ、ピンク色でいいか?」
「あっ、うん! 湊くんの青色と並べておけるようなやつがいいな」
「じゃあ、このクリアなやつにするか」
湊くんが青とピンクの歯ブラシを二本取って、カゴの中に入れてくれる。
ただ日用品を選んでいるだけなのに。なんだかまるで新婚さんみたいで、無意識に口元が緩んでしまう。
「あとは……そういえば結愛、風呂上がりのボディクリームとか要るか?」
「えっ?」
「うちの母さんが使ってるやつなら洗面所にあるけど。もし自分がいつも使ってるやつの方がいいなら、小さいの買っておくか?」
何気ない湊くんの気遣い。
でも、その言葉を聞いて、私の頭の中に明日の夜の光景が一気にフラッシュバックした。
(っ……! そ、そっか……明日は湊くんの家で、お風呂に入るんだよね……っ)
お風呂から上がって、ボディクリームを塗って、一緒にお揃いのスウェットを着て。そして、湊くんの部屋で、隣で一緒に寝て……。
「ゆ、結愛? どうした? 顔赤いぞ?」
「なっ、なんでもないっ! ボディクリームは、私自分の持っていくから大丈夫だよっ」
「そ、そうか? ならいいけど」
一人で勝手に想像して赤面する私を、湊くんは不思議そうに見つめていた。
レジでお会計を済ませ、お泊まり用の袋を持った湊くんと二人で外へ出る。冷たい冬の風が、火照った頬に心地いい。
「これで、大丈夫だな」
「うんっ。……明日だね」
湊くんが優しく微笑みかけてくれて、私も思い切り笑顔で頷き返した。
胸の奥のドキドキは、もう限界に近い。
待ちに待ったクリスマスイブは、すぐそこまで迫っていた。
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