知らなかった事実2
報告書は、その後の周辺の噂を拾っている。
シャロンの言葉に対する批判はあるが、表立って吹聴されてはいない。口外禁止になっているようだと書かれている。
バーチ伯爵家は、恨みを飲むしかなく、沈黙している様子。
テイル侯爵家との交流は一切拒否。
同系列の家門も、それに同調している、と締めくくられていた。
今まで気にしていなかったが、いくつかの家門との交流が途絶えているという事か。帰宅したらすぐに、書記官や領地の家令に確認させなくては。
呆然として書類を王にお返しした。
こんな状況になっているとは、考えてもいなかったのだ。
「侯爵。この書類の山は、全てシャロン嬢の動向についてのものだよ。婚約者決めの二度目の園遊会からだ」
「なぜ、そんなものが?」
「シャロン嬢は王太子妃候補に挙がっていたのだよ。だから影を付けて様子を見た。他の候補者も同様だ」
侯爵はぼんやりと王を見上げた。やはりシャロンは候補に上がっていたのだ。
もっとも今は、衝撃を受け止めきれず、喜んでいいのかもわからない。
「始めの報告書を読んでみてくれ。二度目の園遊会での様子だ。その方がいいだろう」
そう言って王が四枚の書類を差し出した。
侯爵はそれを受け取り目を落とした。ここにはあの日のシャロンの様子が書かれている。ウサギとリボンを貰って、喜んでいたシャロンが。
侯爵は救われたような気分で、急いでその書類を読み始めた。
思った通り、侯爵が良く知っているシャロンの姿が書かれている。
人々の輪の中心で、明るく輝くシャロン。サムエル殿下と一緒に遊ぶ無邪気な姿。
これぞ、シャロンだ。
……ウサギを交換しようとシャロンが持ち掛けた? 殿下から貰ったのではなかったのか?
だが、そんな小さな勘違いは誰にだってある。
ところが、報告書の内容が次第におかしくなっていく。
ウサギを追いやって、サムエル殿下とリネット嬢が話している所に割り込む?
リネット嬢が貰ったリボンを自分も欲しいとねだる?
その後の、リネット嬢と二人での会話には目を疑った。
シャロンが勝手にリボンを奪い取っていった、だって!
「陛下、申し訳ございませんが、この報告書は信用できるのでしょうか」
「出来るよ」
真っ先にベルディ侯爵家と、その息がかかった者を疑ったのだ。
だが、王の言い方だと、それはなさそうだ。
「ところで、サムエルがあげたと言うウサギを、どうしてつぶした? そこがずっと疑問だったのだが」
えっと目を見張った。
「それは……サムエル殿下がウサギとリボンで何か作るようおっしゃったから」
「この報告書には、そんな言葉は出てこないよ」
「はい……ありませんでした」
それなら、シャロンがそう判断したと言うのか?
「リスの首に巻いたリボンを、無理やりウサギの首に結んだというのには驚いた。リネット嬢が助け舟を出したようだが、シャロン嬢は小動物が嫌いなのだね」
「まさか、そんな事はありません。家でも小鳥や猫を飼っています。かわいがっています」
侯爵は必死で言った。
シャロンは、シャロンは天使なのだ。そんなはずは無い。
王は書類を取り上げ、その文面に目をやってから、ふっと息を吐いた。
「陛下、お伺いしてもよろしいですか」
「何だろう」
「ここまで分かっていて、なぜ何も仰らなかったのですか。子供のした事とはいえ、何らかのお咎めがあってもおかしくありません。しかも我が家は、それを殿下からの贈り物と思い込み、貴族たちはシャロンを有力な王太子妃候補と見なしていました」
王は小さく頷いた。
「我々も今の君と同じように驚いたのだ。だが十一歳の子供のことだし、この先の様子を見ようと思った。そのため、何もしないで、ただ見守ったのだ」
ああ、そういう事だったのか、と侯爵は肩を落とした。
その間、何も気付かず過ごし、シャロンは問題を起こしてしまった。
「今日、君に話をしているのは、彼女の様子を注視して欲しいからなのだ。この四年間、様子を見て来て、少し心配になってね。この先、スール国のバイセン伯爵家で大人しく過ごしてくれれば、それが一番だと思う。何事も起こらないことを願っている」
「それは、どういう……」
「言った通りで、それ以上でも以下でもない。ただ何か我が国に影響の出るような事を彼女が起こそうとしたら、それは阻止したい。だから君がバイセン伯爵家とシャロン嬢の様子をしっかり監視していて欲しい」
「まさか、そんなことは有り得ません」
「この報告書を全部読むか?」
王はしかめ面をして、こんもりした書類の山を私の方に押し出した。
侯爵はおずおずと、その山の中の一枚を抜いた。
それは十四歳の時の報告書の一枚だった。
『取り巻き子息の一人が、レンブラン家の令嬢に気持ちを移したらしく、それを知ったシャロン嬢が、レンブラン家のコリアンヌ嬢に猟犬をけし掛けました。コリアンヌ嬢の足に何かを塗り付けたようです。令嬢は足首を噛まれました。放置することは出来なかったので、私が犬を引き離して、御付きの侍女に、令嬢を家に送り届けるよう言いました。今後は怪我をする前に阻止してもいいでしょうか。年齢が上がるにしたがい、行動が過激になってきたので、見かねております』
その恐るべき報告に留められた紙は、後日の報告だった。
『コリアンヌ嬢の足首には、噛み跡が残った模様です。舟遊びの時に、令嬢の足が見えるよう細工をして、大げさに顔をしかめておりました。取り巻き子息は、シャロン嬢の方に戻った様子』
侯爵は泣きそうな表情をした。
これは一体誰のことだ?
とても、シャロンの事とは思えない。
だが、コリアンヌ令嬢の怪我については、実際にレンブラン伯爵から聞いていた。
狩猟の催しの時に、頭のおかしくなった猟犬に、娘が襲われたと言っていた。
たまたま近くにいた従者らしき人間が、犬を引き離してくれたからよかったが、そうでなければ、どうなっていたかと青ざめていた。
その日、侯爵もシャロンを伴って狩猟祭に出ていた。
他人事とは思えず、それで済んだのが不幸中の幸いだった、と言う彼の言葉に大きく頷き、彼を慰めたのだった。
王は優しい声で言う。
「君の気持は分かるよ。だが危険なのだよ、君の天使は。私が彼女を排斥しようとしたのは、リネット嬢が狙われるのを防ぐためだ」
侯爵はビクッとした。まさか、そこまで……と言いかけて、手にした報告書に目を落とした。
もう、何も言えない。
そして残りの報告書の山を見た。とんでもない量だ。
「これは、何らかの事件があった場合の報告書ですか?」
「ああ、毎日報告が入るが、問題のありそうな分のみ、残している」
侯爵は項垂れたまま、王に答えた。
「バイセン伯爵家とまめに連絡を取り合い、シャロンの動向を確認いたします」
「よろしく頼む。もし王太子の婚約者であるリネット嬢に手を出したりしたら、今度は見て見ぬふりは出来ない。これは、シャロン嬢の為でもあるのだ」
「はい」
帰りの馬車の中で侯爵は放心していた。
今のは全て嘘だと、心の中で自分が訴えかけてくる。だが、もう一人の自分が、あれは嘘偽りではないと冷たく告げる。
早く家に帰りたかった。
屋敷に戻り、すぐに執事を呼び、バーチ伯爵家と、その係累の家門との交際状況について確認を命じた。
執事のデビットはすぐに答えてくれた。
「バーチ伯爵家は領地に引き込みましたので、一年前から交流は途絶えております。その分家筋、婚姻関係のある家門とも、そういえば一年ほど前からやり取りが無くなっております。数家が、ぱったりとパーティーの誘いを断るようになり、少し気に掛かっておりました」
なんてことだ。妻がいないため、社交界の情報に疎い事は分かっていた。それを補ってくれていたのがシャロンのはずだった。
都合の悪い情報は、一切入って来ていないということか?
デビットに、領地の家令宛てに、同じことを尋ねるよう言い置いて、侯爵はミシェルの部屋に向かった。
あの可愛らしい微笑みが見たかった。
部屋に入り、声のする方へ向かう。
ミシェルは窓辺の明るい部屋で、積み木をして遊んでいる。
出掛ける前に来た時、侯爵の姿を見た途端に、二人の笑い声が止まったのをふと思い出し、姿を隠して近寄った。
周囲に小鳥が放されていて、時々ミシェルの肩や頭に止まって、髪の毛を引っ張っている。
「いたた。痛いよお。やめて」
そう言いながら、小鳥を軽く追い払って、髪の毛を振った。黄金に輝く見事な髪が、少し乱れている。 真っ青な澄んだ瞳を見開き、レーヌの方を困ったように見る。
「あらあら、困った小鳥さんたちですね。もうケージに仕舞いましょうか」
「ううん、いいよ。だって、もうお姉様が居ないから、食べられちゃうこともないでしょ。お姉様が居なくなってよかったね」
そう言いながら、指に止まった小鳥の羽を撫でる。
「本当に、ほっといたしました。もう、ミシェル様も安心です。良かったですね」
「うん。僕も食べられちゃうのかなって思っていた。ライオンに食べさせるって言ってたよね」
「ライオンはそこらにはいませんよ。それはシャロン様の冗談ですからね」
そう言いながら、レーヌは小鳥を捕まえにこっちにやって来た。
咄嗟に侯爵は息を殺し、少し後ずさった。
レーヌは一羽を捕まえて掌に乗せ、話し掛けた。
「よかったわね、お前は命拾いしたのよ。もう猫に食われる心配はないわ。シャロン様が王妃になったら、本当にミシェル様をライオンの前に放りだしたかもしれない。心の底からほっとした」
レーヌはそう言って、小鳥を掌で包み込み、祈った。
「どうか神様お願いします。二度とこの国に、あの悪魔が帰ってきませんように」
第三章の最終話です。
第四章は養父になったバイセン伯爵視点です。




