知らなかった事実1
第三章はシャロンの父、テイル侯爵の視点です。
「ミシェル様。さあ、お好きな子を選んでください」
乳母のレーヌが、小鳥が数羽入った鳥かごを、ミシェルの前に置き、にこやかに言う。
ミシェルはオレンジ色の小鳥を手の平に乗せて、そっと鳥かごから出した。
小鳥は良く慣れていて、鳥かごから出ても逃げようとはしない。小鳥に合わせて首を傾げる傾げるミシェルの金髪が輝き、後光が差しているように見える。まるで宗教画のようだ。
テイル侯爵は、その光景を見て微笑んだ。
だが、すぐに胸の奥が重くなる。
我が家の天使シャロンが、テイル侯爵家の名を捨て、隣国に旅立ってから、まだ五日しか経っていない。どうしてこんなことになったのだろう。
侯爵家の長女。
美しくて優しい、天使のような娘。
しかも皇太子殿下の婚約者となり、将来は王妃になると思われていた娘なのに。
事の始まりは、何だったのだろうか。
サムエル殿下の婚約者決めの園遊会で、シャロンにサムエル殿下が好意を示してくださった。はっきりと婚約が決まったわけではない。
だけど、娘に王家の紋章を織り込んだリボンとウサギを手渡した。
シャロンが私にそれらを見せた時の、あの笑顔。
それに、殿下の態度だって、どう見てもシャロンに惹かれていた。シャロンを見るほとんどの人間が浮かべる、上ずったような表情で娘を見ていたじゃないか。
それなのに、留学から四年ぶりに帰国した殿下はシャロンに見向きもせず、王もシャロンを拒絶した。
どう考えたらいいのだろう。
その混乱した状態のまま、シャロンの、『ミシェルの為にも、私はこの家と縁を切る』という言葉に頷いてしまった。
六歳の幼いミシェル。我が侯爵家を継ぐこの子を守るのが、現当主である自分の責務だ。
息子のミシェルがレーヌに向かって聞いた。
「お姉さまは、どこに行ったの?」
「隣国の叔母様の家に養女として入ったのです。馬車で六日くらい掛かる場所ですよ」
「そう、じゃあ、なかなか会えないね」
「そうですね」
ミシェルは嬉しそうに笑った。
侯爵が二人に近寄って行くと、ピタッと笑いが消えた。
「小鳥と遊んでいるのかい? ミシェル」
「はい。お父様」
「私は今から王宮に行ってくるよ。王にシャロンの処遇について、報告しなければいけないのだ」
「はい」
「寂しくないか?」
「大丈夫です。僕はこの家を継ぐ者です。お姉様から、そう言われました。泣いては駄目よって」
胸を突かれたのを咳でごまかし、その場を後にした。
レーヌがお辞儀をして見送っている。レーヌは冷静で賢い。
ミシェルの乳母として、ミシェルからも屋敷の者たちからも、全幅の信頼を寄せられている。
王宮に向かう馬車の中で、侯爵は自分の心をもてあましていた。
シャロンを排斥した王家に対し、不信感と反発、そして敵意を抱いている。それは父親として当たり前の感情だろう。
自慢の娘に、ひどい扱いを!
……扱い?
悔しい事に、ここで怒りがしぼんでしまう。
問題は、特に何かをされたわけでは無いということだ。
王太子妃候補だと思い込んでいたら、違った。
それに関しては、王家から何の打診も、通告もなかったので、こちらが文句を言える筋ではない。
王に、社交デビューを拒否するような言葉を掛けられた。だが、侯爵に耳打ちしただけで、他者の耳には入っていない。
だから公式に発表するつもりがあったのかは、わからない。その前に、シャロンが離籍すると決めたのだ。
結局、表立っては、何事も起こっていないわけだ。
そして、どこに持って行きようもない、このいらだちを抱え込んだまま、こうして王宮に向かっている。
王に対面したら、顔をしかめてしまいかねないな、と自嘲気味に思う。
だが、先ほどのミシェルの笑顔がお守りだ。
あの笑顔を守ると、シャロンに約束した。シャロンもそのために、家と国を捨てたのだ。
王宮に着くと侍従に案内され、王の執務室に通された。
「やあ、テイル侯爵。そちらに座ってくれ」
王は気安げに声を掛け、椅子を勧めた。
娘の移籍先の報告だけなのだ。立ったまま、一言で終わると思っていたので意外だった。
「まずは、侯爵家の報告を聞こう」
侯爵は表情を変えないように力を込め、一気に報告した。
「事前に書面でお伝えしましたように、長女のシャロンは、隣国に嫁いだ妹の家に、旅立ちました。五日前に出ましたので、明日には到着するでしょう」
「そうか、ずいぶんと早かったな」
「認可が下りるのもずいぶんと早かったので、なるべく早く送り出しました」
しまった!
つい、嫌味を口にしてしまった。
青くなって下を向いた侯爵に、王は柔らかい声を掛けた。
「養女として入った先は、スール国のバイセン伯爵家だったな。裕福で財力もあるが、政治には距離を置いている家門だ。堅実な家風で、忠実な家臣団が付いている」
満足気な声音が意外で、そろっと顔を上げた。
「はい。妹が嫁ぎましたが、子供に恵まれず、以前からシャロンを欲しがっておりました。シャロンに婿をとり、伯爵家を継がせたいと申しております」
「スール国は行き先としては良い選択だと思う。伯爵家の立ち位置も理想的だし、あの国の王太子には既に婚約者が決まっている。問題が無さそうだな」
「はっ?」と声に出してしまった。王は一体何を言っているのだろう。
王は侯爵の顔をじっと見つめると、苦笑いの表情になる。
「やはり、何も気付いていなかったのだな」
方向の見えない会話に戸惑いを隠せずにいたら、王は微笑みながら言う。
「君は、昔から真っ正直ないい奴だった。変わっていないようで、何よりだ。悪いが、シャロンがどんな娘なのか、私に教えて欲しい」
いったい何を言いだすのだろう、この王は。
これは公式の訪問で、公式の報告の場のはずなのに、王の態度はジョフレ王子時代のようにフランクだ。
「シャロンは、弟のミシェルが産まれて間もなくに母を亡くした、不憫な娘です。それでも健気に弟をかわいがり、私を支え、家の者たち皆の心の拠り所でした。私たちにとっては、太陽のような存在です」
「そうか。それで、どんな性格の娘だね?」
「優しくて愛らしい性格で、とても朗らかです。彼女がいると、周囲が明るくなるような華やかさがあります。人には親切で、誰とでも仲良くなれる天使のような娘です」
シャロンの事を詳細に話すにつれて、彼女がそこに姿を現しそうな気がする。
そして、「お父様」と私に抱き付いてくるのだ。いつものように。
侯爵は少し涙ぐみ、下を向いてそれを隠した。
「一年前に、彼女をめぐって諍いが起こり、バーチ伯爵家の子息ハリスが死亡。姉娘は修道院に入ってしまった。決闘相手のレイド伯爵家マ―ロウは放逐された。そう報告を受けている。それに関してはどう考える?」
思い出したくない出来事だ。しかも、そういう風に客観的に纏められると、事件の悲惨さに胸が詰まる。
「娘には関係無い」と言いたいが、そう言ったらあまりに無責任な気がする。
「娘の周囲には、娘を慕う子息方が、常時群れておりました。そういう軋轢が、年齢が上がるにつれ、本格化してしまったのは残念なことです」
「仲裁に入ったシャロン嬢の一言が、決闘の引き金になったことに関して、彼女を諫めたか?」
そんなことは聞いていない。侯爵には初耳だった。
驚いて王を見つめると、王は傍らに積んである書類の中から、一枚を抜き出した。
「ええと、『二人共、争うのは止めて。エスコートはハリス様にお願いするわ。マーガレット嬢から頼まれたの』と言ったそうだな。マ―ロウを選んで諍いを終わらせて欲しいと頼んだ、姉のマーガレット嬢が不憫だな。シャロン嬢本人からは聞いていないのだな?」
まさか!
そんなことをシャロンが言うはずがない。そんな火に油を注ぐような事を?
「それは、何かの間違いか、悪意のある中傷です」
王は深いまなざしで侯爵を見つめている。
「この資料は、王家の影の報告書だ。誇張も嘘も含まれない、客観的なものだよ。読んでみたまえ」
そう言って、王はその二枚の書類を差し出した。
侯爵は震える手で、それを受け取り、読み始めた。もめ事の最初からの様子が書き記されている。
子息二人の、ごくたわいもない理由からの諍い。それが熱くなっていく様子。シャロンを呼びに行く女性たち。そこでの会話。
シャロンが女性たちと一緒にやって来るのを見て、二人の子息は頭を冷やしたのか、諍いが止んでいた。
そして問題の一言で、全てが破滅に向かった。一瞬だった。
その場の様子が克明に記されている。
口を覆って、声にならない声を上げるマーガレット嬢。倒れたハリスに駆け寄る子息たち。呆然と立ち尽くすマーロウ。
その時のシャロンの様子も書かれていた。
読んでいて背筋が震える。
『シャロン嬢は、口元を扇子で隠して、じっとハリスとマーロウを見ていた。そして、少し下がって、全体の様子を眺めた。それから興味を失ったように立ち去った』
あの日、帰宅したシャロンは泣いていた。
目の前で急に二人が争い始めて、ハリスが刺されて倒れたと言っていた。目の前で知人が死ぬところを見るなんて、と娘が心に受けた衝撃を案じていたのだ。




