サムエルの決定
その五日後の夜、父に私室に呼ばれた。
「さて、先日の園遊会での、お前の決定を聞かせてくれるかね」
僕はためらった。決めかねているのだ。
「まず、リネット嬢はとても感じのいい令嬢で、将来好きになるかもしれないと思いました。そしてシャロン嬢も優しくて素敵な令嬢です。手紙に書いてあったような怖い人には思えません」
「動物に対してはどうだった?」
「……僕と交換したウサギを、僕があげたと言うのが少し嫌でしたが、ウサギをかわいがっていました」
父は顎をこすって何か考えていた。
「サムエル、少し嫌な気分になった時は、それをしっかり考えなさい。それは無視してはいけない警告なんだ。それで、お前は誰を婚約者に決めたのかな」
僕は唇を引き結んでから、はっきり言った。
「リネット嬢に決めました。お父様が認めないシャロン嬢は選べません。でもシャロン嬢が悪い人だとも思えない。何かの間違いではないでしょうか」
「君が私の命令を守ってくれてうれしいよ。もし何かの間違いだったら、シャロン嬢を選ぶかね」
「それはどうだろう。……リネット嬢と居ると心地よいのです。シャロン嬢は華やかで目を奪われるけど、時々何かが引っかかります。でも惹かれます」
「正直な答えだな。20年後のお前が言った通りだと、その惹かれる気分は17歳くらいまで続くらしい」
「そんな。婚約者をリネット嬢に決めたのに、他の子に惹かれるなんて」
そんなややこしい事は嫌だ。
「非常に困った事だね。でもシャロン嬢は駄目だよ。その証拠は、彼女が君にもらったというウサギだ。今は彼女のポシェットになっている」
唖然とした。
口が開きっぱなしになっているが、戻せない。
あのふわふわしたウサギ。
「サムエル殿下、交換しましょう」と言った彼女の笑顔。
柔らかなウサギの耳と、柔らかな彼女の腕。色々な映像が、頭の中をザッと流れた。
「そんな」
「彼女はウサギの耳を掴んで捕まえていた。君とリネット嬢が話している所には、わざと走り込んで行ったそうだ。それと、リネット嬢のリスに結んだリボンは、シャロン嬢が取り上げた。今はウサギのポシェットの飾りになっている」
やっと口を閉じた僕は、恐る恐る聞いた。
「リネット嬢のリスは無事ですか」
「ああ。あの後リスを見せてくれと言われたリネット嬢は、すぐにリボンだけを彼女に渡した。勘がいいし、賢い子だね」
僕はひどくショックを受けていた。そこに追いうちの話が告げられた。
「シャロン嬢は君にもらったウサギとリボンで作ったポシェットを、周囲に見せびらかしているそうだ。テイル侯爵もその気になっているようで、シャロン嬢が選ばれるような雰囲気が出来上がっている」
初めて僕は怖いと思った。あの手紙をもう一度読み返そう。
「なあ、サムエル、これは20年後のお前が言ったのだが、あの狡猾な女が大人しく引くはずがないそうだ。私も、少し心配になっている。今のリネット嬢とシャロン嬢を比べれば、周囲はシャロン嬢を押すだろう。リネット嬢に対して当たりが強くなることは必至だ。そこでだが、お前は数年隣国に留学してみないか。婚約者の選定を延期に出来る」
ウサギとリスの姿を思い浮かべながら、僕はその案に賛成した。
リネット嬢のベルディ家には、内密に婚約者の内定を告げ、王家から教育係を送った。
僕は12歳からの4年間、隣国で学ぶことになった。これは僕の視野を広めてくれた。
そして離れてから次第に、リネット嬢と過ごした時の心地良さを、恋しく思うようになった。僕はまめに手紙を書き、お互いの手紙は週を空けずに行き来した。
その間、王家はシャロンに関する噂を否定も肯定もせず、放置した。
16歳になってすぐ国に戻り、帰国祝いの夜会で、僕はすっかり美しくなったリネット嬢に再会した。
この夜会に、シャロン嬢は侯爵と共に挨拶に訪れた。以前と同じ、かわいらしい笑顔を浮かべていたが、その目に潜む狡猾さが、16歳の僕には見えた。
この夜会でのファーストダンスは、もちろんリネット嬢に申し込んだ。一瞬、周囲がざわついたのは、シャロン嬢が第一候補と目されていたせいだ。
しかし、踊っている僕とリネットには、おおむね好意的な目が向けられていた。それほどリネットは魅力的になっていた。
その後、シャロン嬢から声を掛けられた。
周囲の者達はこちらに注目している。
「サムエル殿下。お久しぶりです。私の事を覚えていらっしゃいますか?」
「先ほどご挨拶しましたね。夜会をお楽しみください」
僕はにこやかに返答をして、その場を離れた。
その後、婚約の発表が行われた。貴族会議で経緯を聞かれた父が、園遊会でリネット嬢に懐いたリスを縁に、彼女と僕が文通を続け、意気投合したと話すと、皆は納得した。
これにテイル侯爵だけは納得できなかったようだ。
「娘はあの日、サムエル殿下からウサギと王家の紋章を織り込んだリボンをいただきましたね」
テイル侯爵は、そう話し掛けて来た。僕はしばし考える振りをしてから、おかしいな、と首を傾げた。
「ウサギを交換してくれと言われたが、そのことかな。リボンはリネット嬢のリスにあげたよ。ベルディ侯爵は覚えているでしょう。母にもらった剣飾りをほどいた、紋章入りの布だ」
「私には覚えがございません。帰宅したら娘に確認いたします」
ベルディ侯爵は焦ったように答えた。王妃の作った剣飾りは、適当に扱っていいものではない。
もし娘がそれを雑に扱っていたら、罰を受ける可能性さえある。
逆に、テイル侯爵家の手に渡った経緯によっては、テイル侯爵家が罰を受けるかもしれないのだ。
周囲で談笑していた貴族たちは、その場では素知らぬ顔をしていた。
だが、シャロンが吹聴していた、ウサギとリボンを王太子から貰ったと言う話が、実は偽りだったという話は、すぐに広まった。
そんな中、シャロンの芳しくない男性関係の噂がいくつも流れ始めた。
それを聞いて、改めて僕はぞっとした。
その後の僕とリネット嬢の婚約パーティーの日、テイル侯爵はシャロン嬢を連れずに出席した。父は彼を呼び寄せ、その肩に手を置いた。
「今日はシャロン嬢を連れてこなかったのだね。君のわきまえた行動を評価するよ。園遊会の時、シャロン嬢はリネット嬢からリボンを奪い取ったそうだ。そういう女性を社交界に招き入れたくはないと、私は考えているのだ」
これは、シャロン嬢のデビュタントを、王室は受け入れないという宣言だった。
そのすぐ後、シャロンは隣国の親戚の家に、養女として引き取られた。
僕は四年以上をかけて、ようやく取り返しのつかない事態を回避できた。
第一章のラストです。
第二章は同じ出来事をシャロンの視線で見た物語です。




