ミシェルへの攻撃
その夜、食事が終わった後、シャロンは父の書斎に呼ばれた。
滅多にないことなので、不思議に思っていたら、部屋に入るなり、ハンカチを渡された。
「これはお前の物だな」
「そうです。王宮の夜会に持っていかなかったのに、王族の控室に落ちていたのですって。変なことがあるものね」
父はシャロンの顔をじっと見ている。
微笑むと、ふうっと息をはいた。
「このハンカチには毒が塗られていた。触ったらただれる毒だ」
「まあ」
小首を傾げると、父はシャロンを抱きしめた。
「お前がこれに触らなくてよかった」
父の体は細かく震えている。
それから体を離して、シャロンの肩に手を置いた。
「サムエル殿下が、ハンカチを調べさせたそうだ。毒の種類が分からず、わが家に問い合わせが入った。これは火アリの毒だよ」
そこまで言い、言葉を詰まらせた。
「なんて酷いことをする」
肩に置かれた手は、まだ少し震えている。
「前の婚約者だったジャニス嬢が身を引いた理由が、これのせいならば納得だ。お前も狙われているのかもしれない」
そう言ってから、シャロンに目を合わせ、強く言う。
「このことは、モリス王太子やバイセン伯爵にも伝えるつもりだ。だがお前自身が警戒しないといけない」
「まあ」
あらまあ、と、まあいいけど、の二つの言葉が、シャロンの頭に浮かんだ。
「はい。注意します」
「それから、わが家の商会に出入りしていたそうだね。今回の調査で分かった。今後は禁止するし、それについては他言しないこと」
思いがけないことを言われ、驚いてお父様を見上げた。
「お前はこの先、大きな権力を得るが、その分足を引っ張る手も増えるのだよ。宮廷政治の勉強をしなさい。そこも伝えておこう」
父と一緒にモリスの元に向かい、この話を伝えると、モリスは顔色を変えた。
父が面倒なことを言い始める。
「シャロンの荷物におかしなものが入れられていないか、調べたほうがいいでしょう。一旦荷物を引き取ります。幸い、ここは実家で、持ってきた荷がなくても困ることはないですから」
シャロンの意見を聞かず、話が纏まっていく。
荷の中には、犬を興奮させる薬が入っている。
襲わせたい相手に塗れば、飛びかかって、狂ったように攻撃するものだ。
それだけは抜いておかなければと、シャロンはため息をついた。
そんなシャロンを見てモリスが立ち上がり、横に来てシャロンを抱きしめた。
「大丈夫、心配しないで。僕が君を守るよ」
「この子を、よろしくお願いします」
父が深々と頭を下げる。
シャロンはくったりと、モリスにもたれ掛かった。
翌日の散歩中に、シャロンは火アリの毒が入った小さな瓶を、茂みの中にこぼしてから捨てた。犬用の薬は手持ちのポーチにしまっておく。
そして、散歩のついでに犬舎を覗こうと、侍女たちに告げた。
「久しぶりに、可愛い犬たちに会いたいわ」
犬舎に着くと、そこはガランとしていた。
たくさんの犬たちも、世話係もいない。新顔の侍女は、何も聞いていないという。
「お嬢様、誰かに聞いてまいります」
そう言うと、屋敷の方に駆け出していった。
今は狩猟に行っているわけでもない。
これは、おかしい。
しばらくすると、侍女が息を切らして戻って来た。
「病気が流行ったので、全頭、獣医のもとに送ったそうです」
「まあ、なんてこと。久しぶりに会えると思ったのに」
「伝染る皮膚病だから、いっぺんに治さないと、きりがないようです。狩りのシーズンに間に合わせるためだそうです」
「そう。それなら仕方ないわね。今回の帰省は残念なことが続くわね」
むっつりとしたまま散歩を終え、部屋に戻る。
そこに飼い猫のナナと、もう一匹茶色い猫がどこからか現れ、すり寄って来た。
「ナナ。嬉しい。あなたと会えるなんて」
シャロンはナナを抱き上げ、胸の毛に顔を埋めた。
「元気そうね。今は誰のネコなの?」
「なんとなく好きな場所で生活しているようです。餌が欲しいと、姿を現します」
「お友達もできたようだし、楽しく暮らしているのね。よかったわ。でも今日くらい、私といてちょうだい」
そう言ってナナを抱いたまま、部屋に戻った。もう一匹もナナを追って付いてきた。
次の日、ようやくミシェルと会えることになったが、疲れるから大人数で囲むのは良くないと言われてしまった。それで、伯爵夫妻、モリス殿下とシャロンの二回に分けて対面することになった。
時間もほんの数分ずつに制限されている。
バイセン伯爵たちと、モリスは楽しみにしていたので、残念そうだ。
「残念だけれど、一目でも会えるだけましと思うことにしましょう。今六歳で、天使そのもののかわいらしさなのですよ。次に会う時には八歳になっているのね」
そう言ってモリス殿下に微笑みかけると、彼はシャロンの腕に収まっているナナを撫でた。
「とても楽しみだよ。君に似ているのかな?」
「そうね。私もミシェルもお母さまに似ているのよ。でも私よりミシェルの方がお母さま似の豪華な金髪なの。それがずっとうらやましかったのよ」
「君の金髪だって、ゴージャスだよ」
「それ以上に、素晴らしいのよ」
そう言って微笑むシャロンを、叔母のルースがまじまじと見つめる。
「赤ん坊の時はシャロンそっくりな金髪だったけど、今は違うのかしら。亡くなったお母さまにそっくりなら、さぞゴージャスなのでしょうね」
叔母は赤ん坊のミシェルを思い出しながら言う。
先に叔母たちが熊のぬいぐるみを手に、部屋に入って行った。
入るなり、「まあ、天使ね」と叔母が叫んだのが聞こえた。
しばらくして叔母たちが部屋から出てきた。
「お母さまにそっくりの見事な金髪ね。それになんて美しいの」
叔母はうっとりと言う。
二人共、目を細めっぱなしだ。
次にシャロンたちが部屋に入った。部屋の入り口付近に父とデビットが立っている。
ミシェルを見るなり、モリスが驚いた。初めて会う人たちは皆、同じような反応を示す。それほど圧倒的な美しさなのだ。
「ミシェル、体は大丈夫?」
「はい、お姉さま。大丈夫です」
ミシェルは長いまつげを伏せて、綺麗な声で答える。
モリスはぼうっとして、ミシェルを見つめている。
周囲にはミシェル付きの乳母レーヌと侍女が三名いる。一人は新顔で見覚えが無い。
ここも以前とは、変わっている。
たった半年ほどの間に、こんなに変わるとは思わなかった。
何となく不愉快だ。
「ミシェルにお見舞いの花よ。ベッドサイドにでも飾ってね」
シャロンはそう言って、花束を差し出した。
ミシェルはもじもじして、手を出さない。代わりにレーヌが前に進み出て受け取った。
「ありがとうございます。花瓶に生けて飾らせていただきます」
「その黄色い花がとてもいい匂いなのよ。ミシェル、匂いをかいでみなさいよ」
シャロンが勧めると、レーヌは顔を近付けた。
「まあ、乳母が嗅いでどうするの? ミシェルにあげたのに」
「申し訳ございません。香りによっては、せき込んでしまわれるかと思いまして」
シャロンに向かって頭を下げてから、ミシェルに花束を渡す。
ミシェルは、花束に顔を近付けて、花の香りをかいでいる。
父とデビッドはシャロンたちの後ろに立ち、様子を見守っている。
「君の義兄になるモリスだ。よろしく。噂通り天使のようだね」
ミシェルは、はにかんだようにモリスを見上げる。大きな目が更に大きく見える。
モリスは蕩けるような微笑みを浮かべた。
「さすが君の弟だね。二人で並んでみてくれないか」
シャロンがミシェルの横に並ぶと、モリスは大げさなくらいの称賛を浴びせかけた。
ミシェルは恥ずかしそうにしながら、時々乳母の方に目を向ける。そのミシェルに、シャロンは声を掛けた。
「さっきの花束を持ってごらんなさい。きっと映えるわよ」
レーヌが手にしていた花束をミシェルに手渡す。
シャロンはナナを抱いたまま、ミシェルの方に身を乗り出し、花束に顔を近付けた。
その時、ナナがシャロンの腕からスルリと抜け出し、ミシェルに飛びついた。
「あら、ナナ」
シャロンが引き離そうとすると、ギラッと光る目を向け、威嚇の叫びとともに、その手を引っ掻く。
そしてミシェルの顔に突進していった。
ミシェルが腕で顔を庇うと、引っ掻き、噛み付いて、攻撃し始める。
モリスがシャロンを思い切り引き寄せて庇うのと、レーヌがミシェルに体当たりするように抱きつくのが、同時だった。
ナナと一緒にいた猫も、遅れて二人に飛びかかる。二匹とも興奮状態で、狂ったように噛みつき引っ掻いている。
レーヌはミシェルを胸に抱え込んでいるので、すぐに傷だらけになった。
後ろに控える侍女が飛び出し、一匹を引き剥がして、後ろへ放った。
父とデビッドが駆け寄り、ナナに声をかけるが、全く聞かないので、こちらも無理やり引き剥がした。
その間に、もう一匹がまた飛び掛ってくる。
侍女が飛び掛ってきた猫を掴み、床に叩きつけると、猫はそのまま動かなくなった。
父とデビッドはナナを抑えようとするが、暴れて手からすり抜けてしまい、また乳母たちに襲いかかっていく。
いつもは可愛いナナの形相が、野生動物そのものという猛々しさに変わっている。
侍女がナナを引き剝がした。
引っかかれようが、噛みつかれようが怯まず、手にしていた枕カバーの中にナナを放り込み、それをデビッドに渡した。
そしてミシャエルを抱え込んで丸くなっているレーヌからミシェルを引き離し、その場でミシェルの怪我を確認している。
ミシェルは腕に噛み傷や引っ掻き傷があるが、顔は傷付いていない。
だが、髪は引っ掻かれたせいでグシャグシャで、血が飛んでいる。




