ハンカチの後始末
リネットから手紙が届き、詳しい様子が伝えられた。
「ハンカチを触った侍女の右指、その指で触った腕の一部分が、火傷のように爛れているが、原因は不明。ハンカチを触った後、すぐに手を洗っているので、触れたのはほんの短い時間だけ。医者は見たことの無い症状だと言っている」
それを読んで、僕はすぐに手紙を持って父の元を訪ねた。
「昨日、シャロン嬢のハンカチを触った侍女二名が、手に爛れを起こしています」
僕が手紙を差し出すと、それを読み、畳んで返してくれた。
父は、僕をじっと見ている。不思議な表情をしているので、どうしたのか聞いてみた。
「よくこの攻撃を防ぎきったものだと思ってな」
父は、僕に椅子を勧めた。
「昨夜のシャロン嬢の顔を見たよ。不気味な表情だった。だが、実際の害はなかったから油断していた。まさか、こんな手を使ってくるとはね」
「どういうことですか?」
「テイル侯爵家は、外国と手広く貿易を行っている。薬物も扱っているから詳しいだろう。対処法なり、治療薬なりを持っている可能性がある……つまり、その薬物自体も持っているかもしれない」
僕は戸惑ったが、ある可能性に気が付くと、血の気が引いた、
それから、モリス殿下の元婚約者の令嬢が、急に婚約辞退を申し出たことに思い至った。
もし、この薬物の着いたハンカチで顔を拭っていたら……
父が呼び鈴を鳴らし、従僕を呼んだ。
「テイル侯爵家に遣いを出そう」
起こった事と、症状を伝えると、テイル侯爵が午後になって王宮に参内した。
「薬の種類は判明したか?」
父が前置きなしに尋ねると、テイル侯爵は俯いたまま答えた。
「たぶん南国のアリから採られた薬物だと思います。無色無臭で、触ってから半日ほどで肌が爛れたようになります」
「それで、治療薬はベルディ侯爵家に送ったのか?」
「はい。すぐに送りました。王妃様の侍女にも一瓶を、お渡ししました」
侯爵はずっと顔を上げない。しばらく間をおいてから父が尋ねた。
「この薬は、時間が経ってからでも効くのだろうか」
「一週間以内でしたら、どうにか炎症を抑えることができますが、そこを過ぎると、もう元には戻らないでしょう」
父もテイル侯爵も、しばらく無言だった。
僕も、重苦しい気分で黙っていた。
「では、この薬を送っても、助けることはできないのだな」
「……はい」
「薬剤の沁みたハンカチは、洗えば大丈夫なのかな?」
「はい。私に預けていただければ、綺麗にしてお返しできます」
父が僕に経緯を説明してくれ、と言った。
それで、リネットが控室で休憩していたらシャロンが来た事、その後で母が来てハンカチを見つけ、侍女経由でリネットの侍女に渡してくれた事。リネットの侍女が不穏に感じて、シャロンに渡さず持ち帰ったことまでを話した。
「もし僕が一緒に居なかったら、リネットにハンカチを直接渡したのかもしれない」
顔が引きつりそうだった。
父がその後を続けた。
「それに失敗したので、ハンカチを置いて行ったのだろうな。触れば炎症を起こす。もしハンカチをシャロン嬢に返していたらリネット嬢に疑いが掛かる」
テイル侯爵は目に見えてびくっとした。
「私はシャロンにどう接したらいいのかわからなくなりました」
そう言って、ごくりと唾を飲み込む。
「諫めたらいいのでしょうか。それとも……」
「さて、このハンカチをどうすべきか」
テイル侯爵の独り言には答えず。父が考え込んだ。
「毒物が塗られていたとシャロンに突きつけたら、どうなる?」
父は自分で言って、自分でそれに答えた。
「シャロンかリネットか、もしくは我が王家が疑われる、かな。モリス殿下は我々を疑うだろう。下手をすると、元婚約者の件まで疑われる。悪手だな」
僕は別の対応を伝えた。
「何事もなかった、でいいのではないでしょうか。綺麗にしたハンカチを返して終わりにしたら」
「シャロンはそれをどう取るだろう。明らかに毒物が塗られたハンカチを何もなかったように返す。彼女がただの剣呑な令嬢だったら、そこで引くだろう。だが、彼女の場合は読めない」
父が僕を見て、顎をこすりながら何かを考えている。
それからテイル侯爵に声をかけた。
「シャロン嬢は、宮廷政治をどの程度理解しているのだろう」
急に問いかけられ、テイル侯爵はうろたえたようだ。
「軽く触れた程度のはずです。興味もなかったようですから」
「では侯爵。毒物が塗られていたことを話し、君が彼女に、身辺に注意するよう警告してはどうだろう」
侯爵が「えっ」と声を上げた。
その顔を見つめながら、父は侯爵に提案した。
「元婚約者の家も、競い合う他家を疑っているはずだ。養女に来たばかりのシャロンを疑いはしないだろう。だから次の婚約者が同じ手口で狙われたのなら、主犯は隣国の野心的な貴族だな」
ふっと息を付き、父が笑う。
「それならわが国は無関係ということだ」
僕は唖然として父を見ていた。
凄い。これをこの先、僕がやっていけるのだろうか。
全く自信がない。
不安になっている僕のほうに父が向き直った。
「お前に執着しているのは、昨日ではっきりした。お前からは接触するなよ。リネット嬢も遠ざけておけ」
僕は布に包んだハンカチをテイル侯爵に渡してから、声をかけた。
「シャロン嬢が帰国前の四日間そちらに滞在するけど、準備は大丈夫?」
「はい」
「ところで、薬物の管理を見直してもらえないだろうか」
テイル侯爵がハッとしたように僕を見た。
「テイル侯爵家の内部でシャロン嬢を警戒している人間は少ないだろう。侯爵だってなかなか信じなかったよね。使用人を信じることはできないと思うよ」
侯爵は、「対応します」と言って下がっていった。
◇ テイル侯爵視点
テイル侯爵は、屋敷に戻ると、執事のデビットに薬物管理の担当者全員を呼ぶよう命じた。
商会は侯爵家と近い場所にあるので、一時間も経たずに、責任者のネイサンと職員三名がやって来た。
「今朝は火アリの治療薬を届けてもらったおかげで助かったよ。ところで毒はシャロンのハンカチに塗られていたらしい」
ネイサンが驚いている。
「お嬢様に害をなそうとする者がいるというのですか?」
「わからない。だがこれは入手しにくい毒だ。だが我が家にはあるな」
そう言ってネイサンを見つめると、彼はしばらくぽかんとした後、急にオドオドし始めた。
「正直に全部言ってくれ。これはシャロンだけでなく、国の安全をも脅かす話だ」
ネイサンは驚いたようだ。心外そうに言う。
「私は横流しなど、決してしておりません。何にでも誓います」
「そうか……信じよう。ところでシャロンが、何かの折に触ってしまうことなどは、なかっただろうね」
「まさか、そんなことはありえませんよ。時々遊びにいらっしゃって、その時に危険な薬剤はお教えしています」
ほっとしたように言うネイサンに、テイル侯爵は気持ちが沈むのを感じた。
「シャロンは商会の薬品室に出入りしていたのかね? 私はそんな報告は聞いていないが」
ネイサンはびくッとした。危険な薬も扱っているため、決められた職員以外は出入り禁止になっている。
侯爵が睨むと、ネイサンが言い訳を始めた。
「シャロン様は、薬に興味をお持ちになって、色々と勉強されておりました。それで、たまにいらっしゃっておりました」
「シャロンに薬を渡したことはあるか?」
ネイサンが黙った。
テイル侯爵がテーブルを叩くと、その音に驚き、ネイサンが答えた。
「時々、ほんの少量をお渡ししました。効果を試してみたいとおっしゃることがあったので」
「火アリの毒は?」
「まさか! そんなものはお渡ししていません。危険ですから」
「でも、その瓶のありかは教えてあったのだな」
「……」
「ネイサン、君は解雇する。薬物室管理の責任を取ってもらう。その前に、シャロンに渡した薬の種類と渡した日付けを全てリストにしろ。他の職員も手伝ってくれ」
「侯爵様、そんな」
「隣国で他の令嬢が火アリの毒にやられた。下手をしたらシャロンが疑われる。我が家にその毒があり、シャロンはそこに出入りしていたのだ。疑われたら終わりだ」
ネイサンは引き攣ったような表情で呆然としていたが、一つ頭を下げると部屋から出て行った。他の職員たちも、顔色を失っている。
「これはシャロンのためだ。王太子の婚約者となり、今後このようなことがいつ起こらないとも限らない。疑われるようなことがあってはならない。わかるな」
「はい、承知しました」
三人の使用人たちは力強く答えた。全員がシャロンの身を案じ、おかしな噂が立たないかと心配している。もちろんシャロンを疑う者はいない。
侯爵は、全員が出て行くと椅子に沈みこんだ。
デビッドが、心配そうに侯爵の側にやってくると、疲れた表情を向ける。
「たぶんシャロンがやったことだ。前の婚約者だった令嬢は、この毒のせいで人前に出られなくなったのだろう」
デビットが息を飲んだ。
「でもシャロン様のハンカチに、毒が塗られていたのでは?」
「リネット嬢のいた部屋に落ちていたそうだ」
しばらく沈黙した後、デビッドがぽつりと言った。
「レナルドにこの話を伝えて、もう一度、屋敷の監視体制を見直してもらいます」
明日も一話投稿します。




