リネットの変化
侍従と侍女を呼び、シャロンをスール国王家用に用意した控室に案内させ、同時にモリス王子の元に従僕を送った。
王宮の医師がすぐにやってきて、リネットの具合を見てくれた。
「軽い貧血ですね。服を楽なものに替えて、ゆっくりお休みください」
それを聞いて一番ほっとしたのは僕だろう。
何もされていなかった。
リネットは侍女に手伝わせ、奥の着替え用個室でコルセットを外し、ドレスのひもを緩めて、寝椅子に横になっている。
そこにモリス殿下が尋ねてきた。
モリス殿下はシャロンを探していたという。連絡に送った従僕と入れ違いになったようだ。
「せっかくシャロン嬢が様子伺いに来てくださいましたが、リネットの状態があまり良くないので、今スール国の控室にお送りしたところです。連絡が遅くなり申し訳ありません」
「お気遣いなく。お大事に」
モリス殿下は急いで控室から出て行った。
医者が退出した後、使用人たちを控えの間に下がらせてから、リネットの傍らに椅子を置いて座った。
「何があったの?」
「何も。サムエル殿下がすぐに戻ってくださったから、シャロン嬢は私の前にやって来ただけ。ただ、怖かっただけなのです」
リネットは、少し息が楽になったようだ。
そしてにこっと無理に微笑を浮かべる。
「私って弱いわね。ごめんなさい、サムエル殿下」
「僕も迂闊だった。君を彼女と二人だけにするなんて」
リネットは僕のジャケットの襟を引っ張った。
そして僕を見つめる。
「シャロン嬢は、あなたに恋しています。それがはっきり分かりました。そして私を憎んでいるようでした」
驚くようなことを言われ、僕はうろたえた。
「そんなことは。だってモリス王太子と婚約したばかりだよ。それにあんなに仲が良いのに」
「彼女の考えは、わかりません。でもサムエル殿下に恋しているのは確かですわ」
そして下を向いて少し震えた。
「サムエル殿下も、シャロン嬢に惹かれているのではないですか?」
彼女の顔は緊張で白くなっている。
「誤解だよ……」
そう言ってから、言葉が詰まる。
確かに惹かれた。
それは否定できない。けれど……
「シャロンは魅力的だよ。でも僕は彼女を欲しいとは思わない。一かけらもだ。この違いをなんて説明したらいいのかわからない。でも、好きにはならないし、一緒に居たいとも思わない」
リネットが大きく息を吐きだした。
そして僕の手を握る。
「よかった。あなたがシャロン嬢に惹かれる様子を見て、怖くなってしまったのです。またあなたを取られてしまうのかと思った。あのリボンと同じように」
ドキッとした。
今までリネットは何も言わなかったから、あまり気にしていないと思っていた。でも、本当は慎重にシャロンから身を引いていたのだと気付いた。
なんてことだろう。
もしかしたら、僕よりシャロンを警戒していたのは彼女だったのかもしれない。
リネットが握っていた手を、僕は優しく握り返した。
「ごめん、何も気付いていなかった。僕は彼女を選ばない。それは十一歳のあの時から、絶対に揺るがない。そして、君の事が好きだよ。初めて会った時に好きになって、それは毎年積み上がっていった。この先もきっとそうだよ」
リネットの目に涙が浮かんだ。
そういえば、僕は彼女に恋の告白をしたことが無かったのだ。婚約が決まり、言わなくても伝わることだと思い込んでいた。
「リネット嬢、僕はあなたの事が好きです。そしてこれからもっと好きになっていく。君は僕の事をどう思っているの」
リネットは涙が滲んだままの目を僕に向けた。
「初めてお会いした園遊会の時から、あなたに恋をしています。これからもずっと恋をしていたい」
二人の距離が自然に縮まり、どちらともなく口付けを交わしていた。
柔らかな唇と、彼女の微かな吐息をついばむ。
それから彼女の目じりに溜まった涙をキスで拭った。
引き寄せると、彼女の体が僕の胸に柔らかくもたれかかる。華奢な体をそっと包み込むように抱きしめ、そのままじっと彼女の温もりを感じていた。
ドアをノックする音がし、従僕の声が聞こえてきた。
「王妃様がいらっしゃいました。よろしいでしょうか」
僕は名残惜しく思いながら、彼女を寝椅子に寝かせ、「どうぞ」と声を掛けた。
母は部屋に入ると、ぐるりと室内を見回した。
「リネット嬢が倒れたと聞きましたが、具合はどう?」
僕が答えようとすると、リネットが寝椅子に起き上がり、ドレスを直して座った。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。少し立ち眩みがして休ませていただきました。もう大丈夫なようです」
「無理は禁物よ。もう引き上げてもいいのよ」
リネットはにっこりと微笑んだ。
「すっかり良くなりましたから、身なりを整えてから、夜会の会場にもどります」
明るい表情で、はっきりと言う。今までの少し控え目な彼女とは様子が違った。
僕はもしかしたら、彼女をずっと不安にさせていたのかもしれない。
それなら、僕も変わらないと。
「無理はしないでね。僕がずっと付いているから、辛くなったら言って欲しい。侯爵家の従者たちを待機させて、いつでも帰れるように手配しておくよ」
「私、庭園の夜会で上がる花火が見たいですわ。それまでは帰りません」
僕は苦笑してしまった。
我儘を言うリネット嬢は初めて見た。
「それなら、花火の時間を少し早めてもらおうかな。父に相談してみるよ」
「そんな大げさな。もう大丈夫ですから」
母は二人の様子に、今までと違うものを感じたようだ。
でも何も言わなかった。
リネットは侍女に手伝わせてドレスを整え直し、僕のエスコートで夜会の会場に戻った。
舞踏会はたけなわで、たくさんの人々が楽し気に踊っている。
そこここで固まって談笑する人々の間を縫って、僕たちは父のいる場所を目指した。
声を掛けられ、立ち止まって会話をしながらなので、なかなか時間がかかるが、リネットの体調は良さそうなので、ゆっくりと進む。
前方にひときわ大きな人だかりがあった。
その中心にはモリス殿下とシャロンが立っている。
五年前の園遊会の時も、シャロンは人々に取り囲まれていた。
今も周囲を若い紳士や令嬢がたに取り囲まれ、笑いながら話している。
その外側に集まっているのは年配の貴族たちだが、彼らは隣国の次期王と王妃に伝手を作っておきたい者たちだろう。
シャロンは強い光を放っている。その光を求めて人々が群がるのは止められない。
外国に追いやられてさえ、その光は消えないようだ。
その集団を避けて方向を変え、リネットに目配せした。
「天使様は強力だね」
「そのようですわね」
少し先にテイル侯爵が立っていた。
僕たちに気付くと、声を掛けてくる。
「この度は、娘のシャロンのために、このような夜会を開いていただき、誠にありがとうございます」
僕はその挨拶に、鷹揚に答えながら彼の様子を探った。
テイル侯爵はのんびりした性格で、人を陥れようなどと考える人物ではないと、父が言っていた。
彼は心配そうにシャロンたちの様子を見ている。
そんな人物に、あの「天使様」は理解できないだろう。僕だって理解できないが。
「リネット嬢とは、直接お話するのは初めてですね」
「はい。リネット・ベルディです。初めまして、テイル侯爵様」
リネットは屈託なく微笑んでいるが、それを見るテイル侯爵は、複雑な表情だ。
思い切ったようにテイル侯爵が口を開いた。
「失礼を承知でお伺いさせていただきます。五年前の園遊会で、シャロンがあなたからリボンを持ち去ったというのは本当の事でしょうか」
口に出してしまってから、うろたえている様子に、僕は少し心配になった。
こんなに気持ちが外に漏れては、外交には使えない。
すると、リネットが労わるように微笑んだ。
「あまりはっきりとは覚えていませんの。でも無理やり奪い取って行ったのではありません。それは覚えています」
テイル侯爵は、ハッとしたようにリネットを見る。
報告書の内容を思い出したのだろう。
シャロンは、奪って行ったわけではない。これは私の物だと言って持ち去り、それをリネットは黙って見送っただけなのだ。
リネットの言葉は誰も傷付けない。
テイル侯爵はうなだれた。
「リネット嬢の品を、娘がいただいたわけですね。申し訳ありませんでした」
「いいえ、私はもっといい物をサムエル殿下から頂きましたから。リボンは差し上げますわ」
僕は下を向いて笑いそうなのを隠した。
申し訳ないが、テイル侯爵より十五歳のリネットの方が、一枚も二枚も上手だ。
テイル侯爵もそれを感じたようだが、憤慨するわけでもない。父が言っていたように、気がいい人物なのだろう。自分の負けを認める潔さもある。
「私からもお伺いしてもいいでしょうか」
「ええ、何なりと」
リネットがテイル侯爵に真っすぐ向かい合い、目を据えた。それまでの物柔らかな視線とは違う。
テイル侯爵は、その視線にたじろいだようだが、一つ頷いた。
「シャロン嬢はサムエル殿下に恋をしています。いつからなのでしょうか」
テイル侯爵が驚いているが、率直すぎるくらいの物言いに、僕も驚いた。
「シャロンがサムエル殿下にですか?」
「はい。今日、はっきりとわかりました。園遊会の頃から、恋をしていたのでしょうか。でも、リボンの やり取りの時には、そんな様子はありませんでした。それが不思議なのです」
テイル侯爵は考え込んでいる。それから呟いた。
「そういえば、サムエル殿下をお慕いしているとは、一度も聞いたことがありません」
「私も、男親にそういう話はしませんが、それでも態度などから感じることはあると思うのです。サムエル殿下が留学中、私は手紙を週に一回送っていました。父に何も言わなくても、私の気持ちは感じ取っていたと思います」
侯爵は戸惑いながら言う。
「四年間、シャロンは全く、サムエル殿下に関心がなかったようです……今更、サムエル殿下に恋心を持っているとは思えません」
リネットはふっと軽くため息を吐いた。
「やはり、わかりませんね。でも、サムエル殿下に執着しているのは確かです。シャロン嬢が何を求めているのかわからないですが、今はモリス殿下と正式に婚約されています。少し心配になったのです。出過ぎたことをお伺いして申し訳ございません」
リネットは微笑んで、「今の話はお忘れください」と言い、話を打ち切った。
僕たちがその場を立ち去っても、侯爵はその場に呆然と立ったまま、動こうとはしなかった。
僕は、リネットに断り、侯爵の元に戻った。
「シャロン嬢とさっき話したのだけど、僕もいつも皆に見せている彼女と様子が違う気がした。リネットの言うことが当たっていたら危険だ。そう疑って、様子を見ていてくれないだろうか」
侯爵は、ゆっくりと僕の方を向いた。
「ですが。あの子はモリス王太子の婚約者です。そんなはずはありません」
「そうだよ。たとえ誤解でも、そんな話が表立てば、かなりまずいだろう?」
しばらく黙ったまま、僕の顔を見つめ、それから頷いた。




