シャロンの心遣い
すみません。保存ミスをしたようで、一部分が被って消えてしまっていました。
今回はその分短いです。
シャロンはドアの所で立ち止まっている。
表情は無く、大きな人形が立っているようだ。
ドクンと脈が打った。
そうやって硬直していたのは一瞬だと思う。でも、すごく長い時間が経ったような気がする。
その止まったような時間を動かしたのはリネットだった。
「シャロン嬢。ご休憩ですか? ご気分でもお悪いのでしょうか」
その声に押され、僕の体が動くようになった。
「シャロン嬢、この部屋は王家の控室です。スール国王家用に用意した控室にご案内させましょうか」
少しぎこちないが、かろうじて愛想の良い声が出せた。
それを合図にしたかのように、シャロンの顔に表情が現れた。
いつもの華やかな笑顔を浮かべ、滑るようにこちらに向かってくる。
そう言えば、先ほどのダンスでも、軽やかで体重を感じさせなかったのを思い出す。
あの時はそれが魅力的に思えたのに、今は気味悪く感じる。シャロンの足音が全く聞こえないせいかもしれない。
この部屋に音楽は、微かにしか届かず静かだ。
彼女は僕たちの前まで来ると、軽く会釈して話し掛けてきた。
「リネット嬢のご機嫌伺いに来ましたの。サムエル殿下も、こちらにいらっしゃるとは思わず、失礼いたしました。ご気分がお悪いとか。大丈夫ですか?」
僕は前に出てソファにエスコートして座ってもらった。
リネットが微笑んでお礼を返す。
「ありがとうございます。少し疲れたので休憩したかっただけです。もう少し休んでから舞踏会場に戻りますわ」
リネットが答えると、シャロンは嬉しそうにほほ笑んだ。
「まあ、では私がしばらくご一緒しましょうか。王太子の婚約者として、女性同士でお話をしてみたいと思っておりましたの。サムエル殿下は舞踏会に戻られてはいかがです」
「いえ、僕も久しぶりにシャロン嬢とお話がしてみたいです。ご一緒させていただいてよろしいでしょうか」
ぱあっとシャロンの顔が輝いた。
一瞬びくっとしてしまったが、それを必死で自制し、平常心を保とうとした。今の彼女の微笑みは、舞踏会場での華やかな微笑ではなく、素の表情のようだった。それが、思いがけなかった。
シャロンが僕の言葉で喜んでいる?
衝撃だった。
何が?
それが自分でもわからないし、言葉に置き換えられない。
「園遊会でご一緒して以来ですわね」
シャロンが綺麗な声で笑う。
静かな部屋に、その笑い声が響いた。
リネットは扇子で隠して、腰に付けた着付け薬の小瓶を鼻先に持っていき、少し嗅いだ。
そして、フウ―っと息を吐く。
「まあ、やっぱりお疲れのようね。残念ですけど、お話をするのはやめておいた方がいいかしら」
シャロンがそう言うので、僕は彼女をこの部屋から連れ出そうと考えた。ここにリネットと一緒に残すより、連れて出た方が安全だと思ったのだ。
「そうですね。もうすぐ侍女がこちらにやってきますので、彼女はここでしばらく休ませます。私たちは先に舞踏会場に戻りましょうか」
シャロンの目が嬉し気に踊る。
舞踏会で見せていた魅力的な微笑とは、全く別の魅力がある。
どうしても目が釘付けになる。先ほど父に言ったように、彼女を選ぶことはないけれど、魅力的なのは間違いない。しかもこの表情は、もしかしたら僕にしか見せないものかもれない。そんな気がする。
それにはとても抗えなかった。
リネットが身じろぎして、僕のジャケットの裾を掴んだ。
「申し訳ありません。少し気分が悪くなってまいりました。帰宅したいので、手配をお願いします」
驚いて彼女を見ると、本当に顔が青い。
僕は慌てて彼女の横に座り、彼女の脈をとった。
「気分が悪いのかい? 少し横になったほうがいい。すぐに医者を呼ぼう」
そう言って彼女を長椅子の背にもたれさせて、額をハンカチで拭った。本当に気分が悪そうだ。
僕はすぐに立ち上がり、そのまま急いで廊下に出た。
幸い、部屋を出てすぐにリネットの侍女と使いに出した従僕に出会ったので、そのまま一緒に部屋に戻った。
ドアを開けると、シャロンがリネットの前の床に座り、リネットを覗き込んでいた。
音に反応してこちらを向いた顔は、また人形のような無表情だった。
僕は血の毛が引く思いで、リネットの元に走った。
「リネット」
名前を呼ぶと、リネットが目を開け、僕を見て手を伸ばして来た。
僕は彼女をそっと抱きしめた。
「ごめん。一人にしてごめんね」
「お嬢様、どうされました? 具合が悪いのですか?」
侍女が慌ててリネットの横に寄ってくる。そして傍らに立つシャロンの顔を見て、息を飲んだ。
僕にはシャロンの表情が見えていないが、侍女の動揺は伝わって来た。
そして、リネットを腕に抱いたまま、従僕に向かって叫んだ。
「医者を呼べ。今すぐにだ」
従僕は慌てて駆けだして行った。
そしてシャロンに向けては礼儀正しく伝えた。
「申し訳ありません。僕の婚約者が急病のようです。エスコートできないことをお詫びいたします」
シャロンは、今までのどの表情とも違う、不思議に静かな微笑をたたえ、僕たち二人を見つめている。
それは、僕が知っている物の中で、一番怖い微笑みだった。




