侯爵がやって来た
「ようこそ、テイル侯爵。お待ちしておりました」
私は身軽に馬車を降りる侯爵に向かって一歩目を踏み出した。
元気そうなつやつやした頬のせいで、年齢より若く見える男性だ。確か年は三十七歳だと聞いているが、三、四歳は若く見える。
堅苦しい挨拶を交わした後、私の後ろから妻のルースがひょこっと前に出た。
「お待ちしておりましたわ。お兄様」
「やあ、ルース。久しぶりだな。相変わらずきれいで、嬉しいよ」
「お兄様も、相変わらず口がお上手。ところでミシェルは残念だわ。会いたかったのに」
テイル侯爵の表情が少し陰った。
「このところ少し体調が悪い。と言っても、少しせき込むことがある程度なんだが、やはり長旅はこたえるだろう。残念だけど、留守番してもらうことにしたよ」
「仕方が無いわよね。でも、残念でしょうね。きっとお姉さまの晴れ姿が見たかったでしょう」
また、侯爵の顔に陰りが浮かぶ。
「……残念がっていたよ」
そう言うと、軽く頭を振って、「ところで、お姫様はどこだい?」と笑いながら聞いた。
「シャロンは、お部屋で支度中よ。今朝から侍女三人がかりでおめかししているの。ご到着が予定より早かったから、今頃、慌てているでしょうね」
その言葉に応えるように、ドアが開き、シャロンが姿を現した。
「お父様、ごきげんよう」
そう言いながら、足早にテイル侯爵に向かう。足取りは軽やかで、弾むようだ。
淡いオレンジのドレスを着たシャロンは、初々しい花のように見える。
それほど愛らしく美しい。
テイル侯爵の顔が、喜びと誇りで輝く。娘に対する愛がほとばしるような表情だ。この愛情は本物だ。
それならば、手放す決断はさぞ辛かっただろう。
後で、ゆっくり話をしてみよう。どういう経緯で、どういう決断をしたのか。
色々と聞いておきたいことがある。
シャロンが侯爵に飛びついた。
「会いたかったわ」
「私もだよ。シャロン。元気そうで嬉しい。本当に良かった」
「私とても幸せに暮らしているの。バイセン伯爵家の皆様に、とてもよくしていただいているのよ」
ルースが二人の間に割り込んだ。
「当たり前じゃないの。シャロンは家のお姫様だもの。目いっぱい着飾って、したいことをして、立派な淑女に育って行くのよ。不自由なんて絶対にさせないわ」
三人はくったくなく、笑いながら話している。
血の繫がりが伺える、どこかしら似た顔立ち。それにとても明るく、軽やかな雰囲気も似通っている。
我が一族の慎重さとは対角にあるような明るさが、そこにある。
まぶしいようだ。妻のルースにも感じ、惹かれていたものだ。
シャロンにも、影の一つもない。
王宮での謁見以降、シャロンに何かを感じたことは無い。今では既に、あれは気の迷いだったと思っている。だがそれでも、私は確認しておこうとしている。それが我が一族の特色なのだ。
我ながら少々、自分のこの慎重すぎる性格に嫌気がさす。
「さあ、立ち話はそのくらいにして、屋敷にどうぞ。妻が侯爵の好物を揃えさせています。今夜はゆっくり楽しみましょう」
妻とシャロンは侯爵を囲んで一緒に部屋について行くようだ。
私は、侯爵の従者たちが忙しく立ち働く様を見ていた。こちらに宿泊する二週間ほどの荷は、なかなかの量がある。
一人の使用人の動きがなぜか気になる。何がどうというわけではないが、何かが気になった。
「伯爵様、テイル侯爵家からの贈り物ですが、どちらに運びましょうか。こちで仕分けしてもらっています。あの右側の物がシャロン様宛で、その横がルース様宛で、残りが伯爵家への物でございます」
執事のバリィが横に立ち、ホールの一角を差し示す。そこには大きな箱の山があった。
ルースへの品も、伯爵家への品も結構な量だが、シャロンへの品は大きな山になっている。
一人の使用人がこちらに来て、こなれた態度で挨拶をした。
「伯爵様、テイル侯爵家執事でございます。今回、シャロン様の日用品や、その他の荷を改めて運んでまいりました。こちらへご本人が向かう折は、あまりに時間の余裕がなく、何もご用意が出来ませんでした。私共の不手際と失礼をお詫びさせていただきます」
老練の執事は流れるようにそう言い、頭を下げている。さすが侯爵家の執事という貫禄だ。
「事情は知っている。そんな事は気にしていないと侯爵に伝えて欲しい。我が家はシャロン嬢を迎える事が出来ただけで、こんな幸運は無いと思っている」
執事が顔を上げた。その目に不思議な感情を湛えている。
私がいぶかしく思ったのを、執事は敏感に感じ取ったようだ。
スッと目を伏せ、もう一度お辞儀をして、立ち去った。
その夜の食事は非常ににぎやかで楽しい物だった。
侯爵とルースが子供時代の話を始め、面白いエピソードがいくつも披露された。
シャロンは子供時代の事や、ミシェルの事を話して笑った。
とても楽しい話がいっぱいで、私も一緒になって笑った。
笑いに包まれて食事が終わり、微笑みを湛えたまま侯爵と二人で、私の私室に向かう。
「ミシェルに会ってみたいですね。きっと天使の様なのでしょうな。今回は残念だ」
そう話し掛けると、侯爵の笑みが引き吊った。
びっくりして、「まさか、本当は重篤な病なのですか?」と聞くと、侯爵は即座に否定した。
「本当に大したことはないのだよ。ただ少し慎重になっているだけで」
そう言う表情はどこか苦し気だ。とても、なんでもなくは思えない。
少し意外過ぎて、言葉を飲んでしまった。
「私の秘蔵の酒があります。お気に召していただけると思います。これはなかなか手に入らない、幻の酒と言われているのですよ。執事に二本持ってこさせましょう」
二人で部屋の椅子におさまり、葉巻を切り、ゆっくりと吸った。そしてゆっくりと吐き出す。
このゆったりとしたリズムが私は好きだ。
そして、ウイスキーを少しすする。
侯爵も同じくゆっくりとウイスキーを飲んでいる。
「これは、うまい酒だな。ちょっと他では飲んだことの無い癖がある。それがいいな」
「そうでしょう? 私の領地で作っている酒で、あまり量が作れないのです。だから、王でもなかなか口にできない代物ですよ」
ニヤッと笑って言うと、侯爵もじっと私の目を見てから、「王より良い物をいただけるとは、それはまた格別だな」と言ってもう一口飲む。
「いやあ、これは気分がいい」
そう言う表情は少し皮肉っぽい。自国の王家に対して思うものがあるようだ。
それはあって当たり前だと思う。むしろない方がおかしいのだ。
「さあ、どんどん飲んでください。屋敷には、これが沢山ストックされています。領主の特権ですな」
そうして飲んでいる内に、侯爵の方から切りだして来た。
「シャロンはどうだろう? 幸せにやっているのかな」
「私が見る限り、非常にうまくこの国に溶け込み始めていると思います。同じ年頃の令嬢達との交流は既に活発に行われています。今回社交界デビューを済ませたら、男性との付き合いも始まります。とてもスムーズに進んでいると言えます。シャロンの社交能力は高い」
侯爵は少しためらってから、早口で言った。
「あの子は、この国の高位貴族に興味を示したりはしていないだろうか? 自国で痛い目に合ったので、出来るだけ高位貴族には関わって欲しくない。それが気がかりなのだ。そういった様子は無いだろうか?」
その時、あの違和感を、私は急に思い出した。
侯爵の言うことは分かる。それは私も考えたことだから。
だが、それだけでなく、何かが気になった。




