第22話『声の届かぬ場所』
宮殿を出て地続きの通路を歩かされ、イザナとリセルは城の中へ連れて行かれた。
分厚い石造りの内装は宮殿と違って過度な装飾はない。だがその分無骨な印象が強く、すれ違う兵士たちにも暴力的な匂いを感じさせた。
下へと続く階段を降りていくと、重厚な鉄扉が待ち受けていた。先頭を行く兵士が鍵を取り出して解錠すると、中は細長く狭い部屋だった。常駐らしき二人の兵士が立ち上がり、突き当りの扉を開け、さらに下へと誘導される。
先頭と最後尾の兵士が持つランプだけが頼りない光を落とし、一段一段、深くなる闇の中を降りていく。
この間、イザナは無言だった。足枷はもとより、今度は両手も拘束されていた。宮殿敷地内では護送中と違い人だかりもないため、ご丁寧に手枷を付け直されたのだ。
ドミティウスはいない。皇帝の護衛についたようだった。いまこそ脱出の好機とも言えるが、イザナが暴れれば、前を行くリセルの背中に刃を突き立てられる方が早いだろう。それでもなんとかできないかと煮えきらない気持ちのまま暗闇を進んでいくうちに、階段を降りきっていた。
イザナたちが着いたのは、左右に通路が伸びる地下牢だった。等間隔に扉がいくつか並び、その数だけ壁付けのランプも見受けられた。だが明かりが灯っているのは一部だけだ。じめじめとしていて、ときおり水音が聞こえる。足元にも壁にも水が染み出している湿気た空間だった。
一番奥まで連れて行かれると、頑丈そうな扉を兵士が重たげに開く。「入れ」と背中を小突かれ、イザナとリセルは中へと押し出される。まろぶように膝をついた後ろでは、扉がすぐに閉じられた。
その扉の上、顔がようやく覗けるくらいの位置には鉄格子が嵌められ、そこから兵士が顔を見せた。
「食事は日に一度、ここから運んでやる」
それだけ言い残すと、兵士たちの足音が遠ざかっていく。笑い声が反響し、下品な言葉も断片的に聞こえてきたが、それは無視した。
牢の中はひどい状態だった。かびた匂いが充満し、床にはところどころに苔が生えている。明かりは牢の外から入ってくる光のみだ。
端の方に大きな壺が置いてある。
「あ、イザナさんそれはっ」
壺に触れようとしていたイザナをリセルが制止した。怪訝に思う前に鼻を曲げるような臭気で気づいた。薄暗がりでも縁が汚れているのが分かる。簡易式のトイレだ。
入口付近に退避して、リセルと肩を並べてその場に座り込む。この中では比較的清潔さが保たれている場所だった。
「……参ったわね」
「ごめんなさい……わたしのせいで」
正直に心情を吐露しただけだったが、リセルはうなだれて縮こまっていた。彼女の行動は未だにイザナを惑わせる。
「変なことを言うのね。それはあたしが言うべきことじゃないの」
「だって……わたしがいなければ、イザナさんは逃げられましたよね」
「ここに来てからは、そうね。でもあの大勢に囲まれたとき、どちらにしても捕まっていたから同じよ」
上手い慰めの言葉が掛けられればいいのだが、事実を伝えることしかできない。アンテルスならばそれらしく慰めるのだろうか。
リセルはこちらに目を向けたが、はっとしたような表情になると、再び視線を逸らした。
「ごめんなさい……」
「だから謝ることなんてないってば」
少しだけ口調がきつくなる。自分の気持ちが上手く伝わらない歯がゆさからだった。
「違うんです」
リセルは頭を振って、強く否定した。
「わたし、また許しを請おうとしていたから」
「……別に気にすることないでしょう」
曖昧にうなずいてから、リセルは口元を少しだけ笑みに変えた。
「自分のことばっかり考えて……これじゃフォルトゥナ様にもアンテルス様にも見放されて当然ですよね」
自嘲的だが、悲観的ではなかった。リセルの部屋での言い合いは、彼女の中で確実に何かを変えたのだろう。
「さっきも言ったけど、謝るのはこっちの方よ。……辛い目に合わせたわね」
リセルは今度こそ目を合わせてきた。
「そんなことありません。わたしが選んだ結果ですから」
彼女の肩は震えていた。口にしたことで、立て続けに起きた今日の出来事が蘇ってきたのかもしれない。
リセルは兵士たちに抗い、イザナたちに手を貸したのだ。後ろ盾を持たない町娘が行うには、あまりに大それた事といえる。
司祭が文字通り切り捨てられたこともショックだったはずだ。あのマルクス皇帝の沙汰次第であれば、どんな処罰が下るのかなど、言わずもがなだ。
イザナさえ出した結論を、この国で生まれ育ったリセルが考えないはずがなかった。彼女が泣き出していないことの方が、おかしいくらいだ。
イザナはリセルの肩を、左手でそっと抱き寄せた。乾いた血糊の感触が返ってくる。肩口の服の裂け目を覆うように手のひらで包む。
リセルはびくりと反応したが、すぐに身を任せ、こちらにしなだれた。
「心配しないで。あなたは、絶対にあの家に帰すから」
「……はい」
すするような音が聞こえたが、イザナは虚空を見つめ続け、聞こえないふりをしていた。
そこへ。
「おーい。誰がいるのか」
ひび割れた地面を彷彿とする掠れた声。リセルがぎゅっとイザナにしがみついた。
「いるんだろう。……えほっ……げほっ」
その声の調子から、相手の体調が芳しくないことは伝わる。
「誰」と短くイザナが返答すると、相手は嬉しそうにくっくっと笑う。石造りの牢獄に、お互いの声はよく反響した。おそらく、反対側の奥の房にいる。
「いるじゃあないか。まだフォルトゥナ様は、慈悲を下さるようだな」
誰だと質問を続けようとしたところに、リセルが声を張り上げた。
「その声……パルコダモス様じゃありませんか?」
笑い声がぴたりと止む。
「……誰じゃ」
「覚えていらっしゃいませんか? リセルです。ソニアさんと一緒によく訪問させていただきました。弟や妹たちも一緒に」
「リセル? な、なんでお嬢ちゃんが」
当惑した返事だ。お互いに知り合いであるらしい。
いや、たしか。
「パルコダモスって、前に少し話していたわね」
リセルやソニアたちが支持している貴族だ。スラムの治安維持にも一役買っている人格者だとか。
「どうしてこんなところに……病で伏せっておられるのではなかったのですか?」
「……表じゃそういうことになっとるのか」
相手――パルコダモスはため息を漏らしているようだった。
「元老院で陛下の行動が問題になっておってな。勇み足で諫言したら、この有り様よ。さすがにそのままの理由では体面が悪かったんだろう」
「でもそれじゃ……ひと月以上もここに?」
「もうそんなに経っておったか……一息に殺してくれれば良いものを……」
後半は半ば吐き捨てるような口調だった。
「そんなことおっしゃらないでください。パルコダモス様のおかげで、みんななんとか生きていられるんです。いまもずっと、みんな体調が戻られるのを待っているんですから」
「買いかぶりだ。儂など、取るに足らん存在よ」
にべもない返事だった。
「ここに来て、最初こそ民のことを願ったものだ。儂は死んでもいい。国がまともになってくれるなら、とな」
相手からは見えもしないのに、リセルはうなずいている。余計な口を挟まず傾聴する姿に、パルコダモスを敬っていることが窺えた。
「だがそれも最初だけ。ここでは尊厳が剥奪され、自分が生きているか死んでいるかもわからんようになってくる。自分以外の人の気配を感じられるのは、無言で粗末なパンを投げ入れられるときと、ときおりランプに油を差しに来るときだけだ」
尊厳の剥奪とやらには覚えがあった。さきほど調べた簡易トイレもその一つだ。排泄もままならないうえ、まともな寝床も見当たらない。長居することを想定して作られていないのだ。むしろ、さっさと人格を破壊させようとしているような造りだった。
「そうなってくると、ずっとあれこれ考えるのだ。自分の人生をな。やってきたことのすべてが偽善だったのではないか、と。そしてそれらを肯定するために反論する。その繰り返しだ。ここ最近はそれすら考えることを止め、死ぬことの恐怖ばかりが先に立っていた。そのなかでも、何が一番怖かったと思う?」
リセルは答えに窮している。
代わりにイザナが答えた。
「自分の思いを、伝えられないことね」
これまで殺してきた人間たちの共通する思いだった。
別れを告げられなかったこと、親しい相手に何も言い残せなかったこと。死を悟った彼らは、現世への未練を果たせないことに何より怯えていた。
驚いたような反応と、ほの暗い笑いが聞こえてきた。
「そうだ。そのとおりだ。自分の知識や考えを誰にも伝えられない。それがこんなにも苦しいことなどと誰が思う。最後には民のことなど頭から消えていたよ。儂はただ、自分への憐れみだけを考えていたのだから」
リセルはかける言葉が見つからない様子だ。彼女自身同情できる部分があるからかもしれない。
「そう。ならあたしたちに感謝してもらえる? 今際の際の言葉を聞いてあげるんだから」
ほんの短い間を置いて、吹き出すような声が聞こえた。続いて豪快な笑い声。
「おもしろい女だな。そうさ。お嬢ちゃんたちには感謝している。久々に生気が戻ってきたわい」
ひとしきり笑ったあと、パルコダモスは続けた。
「それで、どうしてこんなところに放り込まれた。何をやらかしたんだ」
「殺したのよ。兵士を何人もね」
パルコダモスは打って変わって、用心深く尋ねてくる。
「いま、何と言った」
「殺したの。まあ、あなたからしたら知り合いもいたかもしれないわね」
リセルがたしなめるようにイザナの名前を呼んだが、何かを補足するつもりはなかった。
沈黙した空気に耐えかねてか、リセルが間に入るようにとりなした。
「違うんですパルコダモス様。この方は、わたしたちを助けるために仕方なく――」
「いや大丈夫。お嬢ちゃんが一緒なんだ。やんごとない理由があったことは分かっておるよ」
ほっと息をつくリセルだったが、続くパルコダモスの言葉に固まってしまう。
「ただ、どうやって帝国の兵士を殺せたのかが気になってな」
当然の疑問だろう。訓練された男の兵士に、女が敵う道理はない。
「ああ……名前は」
「イザナ」
「そうか、イザナ。お前さんは、術師なのか?」
「……どうかしら。自分でもわからないわ」
「わからない? どういう意味だ?」
素直に返答するか迷ったが、話すことにする。もし相手がマルクス側についたとしてもいずれイザナの素性は共有されるだろう。
「あたしは、死神なのよ。ネクロスの鎌を引き抜いても、死ぬことのできない化物。それが答え。右手に触れさえすれば、誰であろうと殺すことができるわ」
リセルは不安そうに向こう側の壁を見つめている。その先にいるはずのパルコダモスの反応が気にかかるのだろう。イザナの素性を好意的に捉えた者はほとんどいない。
パルコダモスも多少は怯えるだろうと予測したが、返ってきた彼の態度は少し奇妙だった。
「ネクロスの鎌を抜いた? それに死神だと?」
驚いてはいるようだが、記憶を辿るように呟きを漏らしている。
「何が言いたいの?」
「いや……お前は本当に死神なのか」
「くどいわね」
快活な男に思えたが、どうも歯切れが悪い。繰り返される質問には、動揺を窺わせる。
「なにを話している!」
横柄な声が響き渡った。番をする兵士たちだ。上の階にあった狭苦しい部屋で待機していたのだろう。さすがに遠慮なしに話しすぎたかもしれない。
やってきた兵士はそれぞれの牢のドアを外から乱暴に蹴って威嚇してくる。リセルが押し殺したような悲鳴を上げことで満足したのか、悪態をついて去っていった。
「……で、結局何が言いたいの」
舌打ちして、話の続きを促す。今度は聞き取れるかどうかくらいまでトーンを落とした。
「死神のことを、儂は知っている」
「なんですって?」
「おそらくほとんどの者には伝わっていないだろう。聖人アンテルス様とともに謳われるべき存在のはずだが」
リセルは眉を顰めている。敬虔な彼女にとっても寝耳に水のようだった。




