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第21話『皇帝と聖人』

 高い天井と、いくつもの扉。石造りの壁は日に焼けた部分や修復の跡もあちこちに見受けられた。それらを眺めていると、思い出が浮かんでは消えていく。


 聖人ともて(はやさ)され、この国を本気で変えられると思っていた過去だ。


 いや、過去などではない。アンテルスにとって、すべてはつい先日の出来事だった。


 現皇帝のマルクスが先頭を行く。こんな男をアンテルスは知らない。両側を兵士に挟まれたままその後ろを歩かされていたが、まるで実感が(ともな)わなかった。


「どこへ連れて行くのですか」


 半笑いで尋ねるが、答える者はいない。


 再び縄をつけられ、手首には荒い感触が食い込んでいた。不死にするなら痛みすら取り払ってくれればいいものを、と何度思ったことか。


 宮殿の中は、二百年前とほとんど変わっていなかった。


 こうして呼吸をして、身体を動かしていても、夢のような感覚が拭えない。親交のあった貴族たちの悪戯ではないか、とまだどこかで疑っている。


 アンテルスは首を振った。現実逃避はやめよう。


 脳裏に(よみがえ)る地獄のような体験が、無理やり事実を突きつけてくる。


 全員死んだのだ。間違いない。


 不死のはずの死神さえ、この世から去ったのだ。


(ユリクレイア……)


 彼女とはずっと共に生きていけるだろうと考えていた。死神の消え方すら知った自分たちなら、うまくやれると信じていた。


 だが生き残ったのは自分だけだ。


 彼女が発した最後の言葉だけが、甘い睦言(むつごと)のように忘れられない。


 あなたを殺してあげる。


 何度も殺され、何度も蘇り、苦痛の極みを行き来して精神が崩壊しそうだった自分を救ってくれた言葉。


 目覚めたとき、暗がりの中に立っていたのは別の死神だった。ユリクレイアの面影はどこにもない。明らかな別人だった。直感的に、彼女はいなくなったのだと悟った。


 だが、希望はあった。


 イザナが手にしていたネクロスの鎌。名の通り、触れた者を死に至らしめたという。


 きっとあの鎌は姿を変えた――


「ここだ」


 気づけば宮殿の最奥部に辿り着いていた。近衛の兵舎を通り過ぎ、フォルトゥナ神殿を通過した先だ。皇帝の私生活を担うエリアとなる。


 その一室の前で、マルクスは振り返っていた。険しい眼差しだ。扉の左右には護衛の兵士が立っている。


「ここは……皇女の部屋」


 思わず口をついて出る。


 マルクスと兵士たちは驚いた顔で見返してきた。いや、不審がっていると形容したほうが正しいか。


 案の定、マルクスが腰の剣を抜いた。刃渡りの短いプギオ。階級を表す派手な装飾が目についた。部屋の護衛も瞬時にグラディウスを構える。背後では兵士二人が槍の切っ先をこちらに向けている気配があった。


「……誰でも分かりますよ。宮殿の奥の奥。皇族の居住区なら、まあ察しはつくでしょう」


 適当に誤魔化したが、どこまで信じてもらえたのか。


 かつてのアンテルスはこの区画に何度も訪れていた。フォルトゥナ神殿の神官として、毎日のように宮殿に足を運んだものだ。現皇女が二百年前の皇女と同じ部屋を割り当てられているとは、間の悪い偶然だったが。


「下手な真似はするな。死にたくはなかろう」


 マルクスは不快感を露骨(ろこつ)にしたまま護衛二人に(あご)をしゃくった。


 扉が開けられる。


 まず視界に飛び込んできたのは、部屋の向こう側に開かれた中庭の景色だ。噴水と緑の美しい庭園が四角く切り取られている。豊かに上品な布を使った間仕切りが風に揺れていた。


 次に目を引いたのは、フレームに金銀のあしらいを施した大きなベッド。


 人が眠っている。まだ十歳くらいの少女だ。彼女が皇女だろう。


 真っ白な肌と、赤みのない唇、氷の粒が浮かぶ睫毛(まつげ)


 彼女は人形のように、身じろぎ一つしなかった。


「なんてことを……」


 引き寄せられるように近付いていく。ひんやりとした空気が肌を包み、若干の腐敗臭が鼻をつく――いやそれらはすべて先入観だ。実際には臭気も冷気もない。


 近くで見ると、少女の惨状がよく分かる。まぶたは腫れあがり、あちこちの腕や首筋に膿疱(のうほう)の跡が残っている。足の小指が黒ずんで無くなっていた。


 拘束された手で少女の顔に触れようとしたが、見えない壁に(はば)まれる。法術で編まれた壁だった。匂いや温度まで遮断されている原因はこれだ。確認を取ることはできないが、触診など必要ない。


 彼女は、死んでいる。その遺体を氷漬けにして放置しているのだ。


「聖人。この娘を治してほしい」


 ぬけぬけとマルクスが口を開く。


「……この娘はどうしてこんなことに」


「流行病だ。感染しないよう、娘には悪いが術師を呼び、壁を作っている」


「……瘴気病(しょうきびょう)ですね」


「お前は、瘴気病も治したのだろう」


「この娘はもう死んでいます」


 ぴくり、とマルクスの眉尻が動いた。


「何を言う。たしかに外傷はひどいが、まだ魂はここにある」


 アンテルスは肩の付け根あたりに悪寒が走るのを感じた。


「本気で言っているのですか?」


「お前こそ、治せないというのか。私に逆らうつもりか?」


 火花が散るような衝撃が襲った。横から殴りつけられたのだ。


「これまでの不遜(ふそん)な態度をなぜ私が見逃してやったと思っている。お前が治癒できると聞いたからだ」


 腹部に硬いつま先がめり込む。堪らずくの字になって床に倒れる。


「治せ」


 マルクスの声は高圧的だったが、アンテルスには悲哀(ひあい)にも、嘆願(たんがん)のようにも聞こえた。


 死者の復活。奉献式(ほうけんしき)。フォルトゥナを侮辱するような弾圧。それらがアンテルスの中で一つの推論を導いていた。


「……それでクレスト教ですか」


 マルクスは押し黙った。


「街の人から(うかが)いました。三年ほど前からあなたは信仰する神を変えたのだと。皇女が亡くなったのはその頃ですか」


 無言で顎を蹴り上げられる。口の中に鉄の味が広がった。


「大方、死者を復活するための条件でも出されましたか。昔からよくあります。金目的の無粋な連中は今も変わらないのですね」


「黙れ」


「あなたが我が子を溺愛していたことはわかります。受けいれられないことも」


「黙らぬか」


「しかし、命は戻らない。どうあがいても。それが分かっているから、あなたも私を招き入れたのでしょう? 本当はクレスト教などまやかしに過ぎぬと。もう皇女の心臓は動かな――」


 どん、と背中を拳で殴られたような衝撃。むせ返って咳き込むと、口から血が水のように溢れた。


 呼吸ができない。心臓をプギオで刺されたのだ。気づいたときには意識が飛んでいた。


 空白が襲う。


 昼のまどろみから覚醒したときのように、ほんのひとときの間を置いて、アンテルスは目覚めた。


 半身を起こすと、ぎょっとして目を()いている男がいる。ああ、そうか。マルクスだ。


「お前……なぜ」


 殺害したことで冷静さを取り戻したのか、マルクスからは、さきほどまでのヒステリックな雰囲気が薄れていた。


 何かを察した様子だ。


「死神だけじゃなく、お前も……お前も、不死身なのか」


 アンテルスは肩を(すく)めてみせた。どちらかというと、自分を(あざけ)る意味での仕草だった。


「人々を(いや)す力……不死身……ネクロスの鎌の解放……」


 アンテルスが察したときのように、マルクスの中でも、蓄積(ちくせき)した情報が答えを弾き出しているようだった。


 ぐい、と左右の(ほお)をがっちり掴まれる。マルクスの顔が近い。驚愕(きょうがく)したように震えている。その背後では兵士二人が焦っていた。


「この隙のない面立ち……まさか、本物の聖人アンテルスなのか」


 特別な反応を示したつもりはなかったが、マルクスは確信を得たように天を仰いだ。


 最初は静かに、次第に部屋にこだますように、皇帝の笑い声が響いた。


「こんな……こんな……やはり天は、神は私に味方したのだ」


 戸惑っているのはアンテルスばかりではない。後ろの兵士もたじろいでいる。


 マルクスが馬乗りのまま、今度は胸ぐらを掴んできた。


「お前には、私を神であると承認してもらう」


 眉を(ひそ)めた。


「どういうことですか」


「聴衆の前で、私が神の子であると認めるだけでいい」


「そんなことをして、何の意味が」


「わからんか。ああ、わからんだろうな」


 アンテルスが伝説の人物とわかって、興奮しっぱなしだ。冷たかった眼差しは熱を帯び、頬は紅潮している。


「帝国はいま、腐敗している。まさに二百年前と同じだ。お前が起こしたように、奴隷や貧民層が蜂起(ほうき)しかねない」


 急に指摘され、アンテルスは唾を飲み込んだ。嚥下(えんか)した喉に、苦みが残った。


 二百年前の蜂起。望んだ選択ではない。奴隷たちの解放のために動いた結果だ。貴族たちと貧困層の人々、両者にとって良い選択のはずが、結局は焚き付けた主犯として矢面に立たされた。


 その報いとして、拷問を受けて全てを失った。


 そういえば、と思い出すことがある。瘴気病の話を聞いたとき、町医者は何と言っていたか。帝国の呪いと言ったのだ。それは国に住まう人々が、現状をよく思っていないからこそ産まれた言葉と理屈だ。


「そんな状況にあるなら、いますぐクレスト教などというまやかしを放棄して、市民に謝るべきです」


 マルクスの瞳が尖る。


()に乗るなよ。『フォルトゥナの恩恵』を受けただけの乞食(こじき)が」


 鼻息が掛かるほどの距離でじっと睨みつけてくる。


「知っているぞ。文献によれば、お前はただの戦争孤児だ。たまたま出入りしていた教会の司祭が能力に気づいたのだとな」


「……よくご存知で」


 皮肉のつもりだったが、マルクスには賛辞に聞こえたらしい。


「私でなくば誰も分からなかっただろうな。フォルトゥナのことは嫌というほど調べたんだ。なんで私にその恩恵がないのかとな」


「フォルトゥナ様は、敬虔(けいけん)な者にしかその才能を与えません」


「敬虔? 私がどれだけ神に祈ったと思っている。神殿を新たに建て、儀式に則り、司祭も神官も優遇してやった。だが結果はどうだ? 娘をあんな目にあわせ、私を国から追い出そうとしている」


 マルクスは口角を上げた。虫刺されをかきむしるような歪んだ愉悦が滲んだ。


「お前もそうだろう。その恩恵とやらで何を得た? フォルトゥナなんぞを信仰した連中はどうなっている?」


 返す言葉はなかった。それどころか、アンテルスは同意する気持ちすらある。


 特別な才能を与えられた人間は『フォルトゥナの恩恵』を受けた神使として扱われる。飛び抜けた頭脳や人間離れした身体能力を獲得する者もいる。しかもそれは生まれつきのものではない。


 ある日突然に、顕現する。


 アンテルスもその一人だ。戦争で故郷を失い、拾ってもらった教会でただ下働きをしていただけだった。


「答えろ。望まない才能を与えられ、お前は幸せになったのか?」


 マルクスの言うことは的を射ていた。不死身の身体と他人を癒す力を得てから、自分が幸福に恵まれたのかといえば、素直にはうなずけない。


「ふん。答えられんか。やはりフォルトゥナは神などではない。気まぐれなただの邪神よ」


 フォルトゥナの恩恵を受けた者のように、彼もまた皇帝という立場に苦しめられているのかもしれない。フォルトゥナに(すが)った彼は、娘の死を前にして裏切られた気持ちになったのではないか。


「それで、私があなたを神だと承認して、どうなるというのです」


「すべてが解決する」


「クーデターは起きないと?」


「そうだ。民衆は神の意思だと理解する」


 自国の民を馬鹿にしたようなやり口だ。だが、一蹴できない部分もある。


 二百年前、アンテルスに同調してくれた人々は、そのステータスに信用を見たはずだ。フォルトゥナの恩恵を受けた人物ならば、と。


 マルクスは腐っても皇帝だ。聖人の威光で、黒を白に錯覚させてしまうかもしれない。


「あの女たちも、無傷で返そう。お前が私に協力するだけでいい」


 喉に詰まる。皇帝に従えば、誰にとっても良い選択となる。


 アンテルスはわずかにまぶたを伏せた。


「お断りします」


「なぜだ」


「あなたが私を利用しようとしているのは、それだけではないでしょう」


 マルクスの顔が歪む。


 過去にも、アンテルスを神聖な人間として扱う者もいれば、かたや有効に利用できないかと考える者もいた。前者も困りものだが、後者はもっとよくない。


 軍事の利用、法術の研究、外交手段……たしかに便利だろう。だが、結局その根源は使う者の私利私欲が主だ。


「言ったでしょう。良いものが見れた、と。あなたは合理的なことを言っているつもりですが、けして人の心を見ない。貧困層が争いを起こそうとしていることを止めようとしている? ではなぜ人々に向き合い、その原因を突き止めないのです」


 マルクスが無感情になって口を閉じる。


「そもそもこんな状況での交渉などフェアではありません。一度、顔を洗ってきてはいかがですか」


 つい皮肉まで漏れていた。冷静になって交渉するべきだと頭では理解しているのに。


 血の繋がりがあるかはわからないが、皇帝の顔がかつての皇帝と重なってしまい、感情的になってしまう。この期に及んで敬語口調なのは、神官になるために矯正した成果といえるが。


 思えば、イザナには()()()()()()()()とはいえ、気を遣わなくて済んだ。ユリクレイアのように、息をつける場所が欲しかったからかもしれない。


 マルクスは大義そうに立ち上がると、兵士に指示を出す。てっきり折檻(せっかん)が来るかと身構えたが、なかった。


「いいだろう。お前には価値がある。少しずつ説いてやる。だが、侮辱したことは覚えておけ。首を縦に振らねばお前はもっと後悔することになる」


 無理やり立たされ、部屋を追い出される。廊下に出され、来たときと同じように、兵士に両脇を挟まれ廊下を歩かされた。どこかに放り込まれ、しばらくは交渉が続くのだろうか。


 この間に、イザナたちが逃げられるだろうか。


 謁見の間で起きた鎖の腐食が脳裏にちらついた。彼女がユリクレイアのように成熟すればあるいは――


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