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第20話『無意識の発露』

 謁見(えっけん)の間は、イザナの想像を越えた造りだった。


 太く堅牢(けんろう)な大理石の柱が左右にずらりと並び、尺度の感覚を曖昧にして奥へと誘う。


 壁に目をやれば、直線的な図形の意匠(いしょう)と、精緻(せいち)なレリーフが計算された配置で施されていた。至るところに高価な塗料や金が散りばめられ、無機質なそれらからは人の息吹を感じない。現実から切り離されたようで、不安のさざなみが静かに波打つ。


 何よりここは天井が高い。


 スラムには六階建ての集合住宅があったが、丸ごと入ってしまうだろう。はるか頭上に目を凝らすと、金箔(きんぱく)で塗られた子供の絵が描かれている。羽根を生やし、雲を従える天空で、角笛を鳴らしているようだ。


 祝福の象徴のようなそのフレスコ画を、薄気味悪いと思うのは『死神』の性なのか。それとも、この先に待ち構えている人物への警戒心によるものなのか。


「何をぼさっとしている」


 離れた位置から兵士が叱責してくる。舌打ちして、イザナは再び歩き出した。


 足裏から伝わる感触は最悪だった。血の色を想起させる毛の長い真紅の絨毯(じゅうたん)。足音を吸収し、音の反響を殺している。


 あえてそう造られた部屋なのかは分からない。だが、おかげで視界も聴覚も彷徨(さまよ)っている。


(どうやって逃げたものかしら……)


 自分を取り囲む状況を何度見直しても、その糸口が掴めない。


 リセルとアンテルスは両手を背中で拘束され、四方から兵士に挟まれている。


 イザナの方はさらにひどい。彼らよりも大仰に(いまし)めを受けていた。


 まず金属製の足枷(あしかせ)が歩幅を極端に狭くしている。続いて首輪から伸びる鎖が、左手に課せられた金属製の輪と連結されていた。おかげで腕の可動域が極端に制限されている。


 足、首、左手のそれらの拘束具からは外方向にも鎖が繋がれ、それぞれの兵士に握られていた。まさに捕獲された猛獣の気分だ。


 謁見の間の奥、ある地点まで来て集団の歩みが止まる。続けて兵士たちは揃って片膝を折った。


 突っ立ったままでいると、強引に鎖を引っ張られ、転ぶようにしてイザナも膝をつかされる。


 朗々とした男の声が響いた。


「来たか。待ちわびたぞ」


 十段ほど高い壇上から、ゆっくり降りてくる男がいる。


 仕立ての良い純白のチュニカに、肩から()げた長い布を全身に巻いた格好だった。いかつい格好のこちら側とは対照的で、それがかえって位の違いを明瞭(めいりょう)にしている。


 奉献式(ほうけんしき)に向かう際にちらりと見ただけだが、覚えている。


 帝国最高位の君主、皇帝マルクス。


「それにしても、ずいぶん大事になっているな」


 口調は穏やかだが、続く言葉で兵士たちに緊張が走る。


「なんだ、この集まりは」


 イザナは呆気に取られた。皇帝の命令ではなかったのか?


 周りに目を這わせるが、低頭したまま、動くものはいなかった。イザナの拘束を担う兵士たちも、額に脂汗を浮かべじっとしている。


 兵士は彼らだけではない。


 イザナたちが敗北した後、ほとんどの兵士はそのまま同行していた。逃亡を阻止する壁というわけだ。


 マルクスはその大所帯の兵士たちをゆっくりと見渡した。


「なんだ、と聞いている」


 苛立(いらだ)ちが混じり始め、慌てて言葉を発したのは司祭だった。


「へ、陛下の命により、例の死神と聖人を捕らえて参ったところです」


「私はいま、そのようなことを聞いたか?」


「は……」


「この集まりはなんだと聞いたのだ」


「で、ですから」


 さらに抗弁しようとする司祭を無視して、皇帝は声を奥へと飛ばした。


「ドミティウス。説明しろ」


 イザナたちのすぐ後ろに控えていたドミティウスが、落ち着いて答える。


「は。陛下が命を下されたあと、司祭が挙兵した際にこの人数を動かしたものと思われます」


 マルクスが納得したようにうなずく。


「誰が許可した」


 自分が責められると感じたのか、司祭が口を挟む。


「お、恐れながら、へ、陛下より挙兵(きょへい)も許すとの言質(げんち)をいただきまして」


 マルクスが口を閉じる。


 冷たく見下ろすその瞳に、イザナはこの部屋の装飾(そうしょく)と同じ印象を持った。どこか空虚(くうきょ)で作り物めいていて、人間味を感じない。


 たちまち、司祭が額を地面にこすりつけた。


「も、もも申し訳ありません。私めの一存で、挙兵を」


 マルクスはまったく表情を変えず、司祭の隣にいた兵士の肩を叩いた。


 それが何を意味するのか。


 兵士は悟ったのだろう。もちろん、司祭も。


「ま、待て。私はただ陛下の命に」


 マルクスは本当に聞こえていないように、背を向け、壇上へ戻っていく。


 肩を叩かれた兵士も気まずそうにしていたが、腰のグラディウスを抜き、まだ命乞いと言い訳を並べ立てる司祭の首を切り落とした。


「っ――!」


 リセルが口元を覆い、悲鳴を上げるのを堪えたように見えた。先祖が貴族とはいえ、ただの町娘の彼女には凄惨(せいさん)に過ぎる。


 勢いよく噴射された血しぶきはすぐに収まり、司祭の身体が床に沈んだ。


 静かに歩く皇帝の足音だけが辺りを支配している。


 マルクスは壇上に設えている玉座に尊大(そんだい)に腰を下ろした。異様に長い背もたれに身体を預け、ようやく亡骸(なきがら)となった司祭を確認した。


 ゴミを見るような視線だった。


「片付けろ」


 斬首した兵士と、その近くにいた兵士が遺体を運び出していく。


「勝手に大事にしおって、私の意図を汲み取れぬ愚か者が。……ドミティウス」


 続けてマルクスが告げると、ドミティウスは心得たように立ち上がり、周囲に大勢いた兵士たちに解散するよう指示を出した。


 この場に残されたのは、イザナたちと、拘束している数人の兵士、それとドミティウスだけになる。


「見苦しいところを見せたな。許せ」


 さきほどまでの冷酷さと比べれば、まだ温度のある語りかけだった。その相手がイザナたちに向けられたものだと理解したのは、アンテルスが返答したからだ。


「いいえ、とんでもありません。実に良いものを見せていただきました」


 眉を潜めるイザナと違い、マルクスは含むように笑う。


「面をあげよ。まあ、頭を下げられぬ礼儀知らずもいるようだが」


 それはイザナに向けられたものだったが、あまり関心はない様子だ。


「なかなか正直な男だな。名はなんと言う」


「申し遅れました。私、アントニウスと申します。陛下にお会いできるとは光栄至極(こうえいしごく)


 イザナの位置からは確認できなくても、アンテルスがにこやかに笑っていることは分かる。脱出の機会を(うかが)っているのだろう。


 とはいえ、彼が皇帝にすり寄っている姿は気分の良いものではなかったが。


「処刑を前にすると、だいたいの者はいずれかの反応を示す。嫌悪か悲哀か憎悪だ」


 ため息をつきながら、マルクスは続ける。


「愚かしい者ばかりよ。本音では人の死が見たいくせに、浅ましい欲を隠している。でなければ、処刑の場にあれほど人は訪れまい」


 最後は同意を誘うようなトーンだったが、アンテルスは(ほが)らかな口調のまま否定した。


「さあ。私にはわかりかねます」


謙遜(けんそん)はいらん」


「陛下は、何か勘違いされているようです」


「……どういうことだ?」


「目的と方法は置いておくにしても、あの司祭は陛下のために尽力したのです。そのような忠義者(ちゅうぎもの)の首を気分で飛ばす。陛下の人と成りがよくわかるいいものを見せてもらった、と私は申したのです」


 マルクスが発するものとは違う緊張感が、周囲に走る。彼らとは逆に、イザナは密かに口端を上げた。


「あまり調子に乗るなよ」


 マルクスの目配せで、兵士がグラディウスを抜いてリセルの首に刃を添えた。わずかに震えながらも、リセルは健気にも無言で耐えている。


 アンテルスは気丈に続けた。


「脅しは結構です。私たちを殺さずに連れてきたのは、別に目的があるのでしょう。本題に入りませんか」


「口を慎め!」


 ドミティウスがずかずかとアンテルスの元まで歩き、彼の頬を殴りつけた。アンテルスは床に横倒しになるが、強引に引き戻され、今度はその頭を力任せに地面に押し付けられた。


「皇帝陛下の御前であるぞ」


「よい。そのへんにしておけ」


 マルクスが制止し、ドミティウスは鼻息を荒くしたまま再びイザナたちを後ろから見渡せる位置まで引き下がった。


「寛大な私は、お前の無礼にも目を瞑ろう」


「……それはどうも」


 性懲りもなくアンテルスは軽口を叩く。


「お前は人々の怪我も病も治癒する聖人だと聞いたが、本当か?」


「噂では、そのようですね」と、当人であるアンテルスは返答する。


「私はどうも噂というものが好きではない。この目で見るまでは納得できんのだ。とくにやんごとない身分になると、ゴマを擦る連中の嘘偽りが絶えん」


 途端に芝居じみた声音になり、イザナは嫌な予感がした。


「真か偽か。示してみせよ」


「……示す? 体調が優れない人がいるのですか」


「おらんよ」


 マルクスは足を組んだ。


「これから作るのだ」


 イザナたちは身構え、兵士たちの間にも動揺が広がる。彼らにとっても予想していない展開だったのだろう。


 ドミティウスが慎重に口を開く。


「陛下。それは、どういう意味でしょう」


「誰でもいい。斬れ。その者が聖人というなら、傷口を(ふさ)いでみせよ」


 (わずら)わしい羽虫を追い払うように、マルクスは椅子に腰掛けたままぞんざいに手を振る。


 誰でもいい。自分以外はすべて対象であると、マルクスの無感情な瞳が語っている。兵士たちが怯えるのも無理はなかった。


「なんだ。私のために、協力を申し出る者は一人もおらんのか」


 皇帝にそこまで言われて、静観できる者はいなかった。兵士たちは途端に立候補の声を上げ始める。


 その様子を満足気に眺めると、マルクスは笑った。


「冗談だ。お前たちはこの帝国の大事な兵士だ。戯言(ざれごと)で怪我をさせるなぞありえんだろう」


 マルクスの高笑いに合わせ、兵士たちが取り繕うように笑いを重ねる。


 イザナは舌打ちした。たちの悪い悪戯だ。権威とはこうまで醜悪(しゅうあく)なのか。


 マルクスは横着にも座ったまま腰の剣を抜き、切っ先をイザナに向けた。


「そこの無礼な女でよかろう。仮に死んでも問題ない」


 黙って()めつけるが、マルクスは(あご)を上げるのみだ。


「恐れながら。その女に傷を負わせましても、あまり意味はないかと」


 ドミティウスが進言した。


「なぜだ」


「化け物ゆえに。いくら叩き切ろうと、再生いたします」


「……たしかに斬られても死なぬという話だったか」


「左様です。そればかりか、悪しき力を宿す右腕を私が切り落としましたが……」


 皇帝の注目がイザナの右半身に逸れる。


 イザナの右腕は、復活していた。


 拘束具もつけられていない。右腕を忌避(きひ)した結果だ。イザナへの厳しい拘束は、これを予期したドミティウスの采配(さいはい)だった。


「再生したというのか」


 さすがにマルクスの顔が(ゆが)む。未知への畏怖(いふ)(にじ)んでいた。


「仰せの通り。この場の全員が目撃しております」


 事実だった。


 イザナが右腕を失ったあと、すぐに左半身と両足は拘束された。連行される最中、黒い(きり)とも(もや)ともつかない蒸気が立ち込め、右腕は復活した。まさに生えるという表現が近い。植物の成長を何倍もの速さで見ているような、奇妙な光景だった。


 驚きはない。傷が修復されるときはほぼ同じ現象を辿る。


 不快だったのはその現象が衆目の中で起きたことだ。他人にまじまじと観察されれば誰でも同じ気持ちになる。


 イザナも自身の再生する性質については詳しくは知らない。コントロールできるものでもなかった。分かっているのは、傷の度合いに比例して時間が掛かるということくらいだ。


「つまり、斬ろうともこの女では聖人の証明にはならぬと?」


「はい」


「では、仕方がないな」


 マルクスが発したその言葉は諦めるという意味ではなかった。


 ドミティウスが動く。手を上げ、兵士に指示を出した。


 リセルのすぐ側にいた兵士に。


 何が起こるのか、イザナは察した。


 兵士がグラディウスをおもむろに抜き、正面から切っ先をリセルに向ける。


 何も考えず、イザナは地を()っていた。


 拘束されていることなど頭から吹き飛んでいた。兵士の刃の先はリセルの心臓を狙っている。


「っう……」


 イザナがリセルの肩を押し出すのと、足枷の鎖が引っ張られたのはほぼ同時だった。


 足を(すく)われるようにしてイザナは前のめりに倒される。だがリセルに向けられた刃は心臓ではなく、肩を浅く切り裂いただけに留まっていた。


 なんとかリセルの致命傷を避けられたが、イザナの指先は無意識に震えていた。


 怯えている? 何に?


 だがじっくり考える猶予は与えられなかった。


「しっかり押さえつけておけ」


 首が持ち上がる。首輪の鎖がぴんと張り、無理やり膝立ちの姿勢を取らされた格好だ。


 近くの兵士から槍を奪い、ドミティウスが近付いてくる。右手の届かない距離だ。


 無言で二度、三度と打ち据えられる。刃の部分でなく、()の部分を巧妙(こうみょう)に使い、容赦ない力で叩きつけてきた。(ほお)や肩、脇腹(わきばら)に骨まで響くような痛みが広がる。


 右腕でガードするが、あまり意味はない。反撃もできない。ドミティウスは適切にリーチを守っている。歯を食いしばって耐える(ほか)無かった。


 斬撃を選ばなかった理由は痛みで押さえつけるほうが良いと踏んだからだろう。実際、後悔するほどの重たい衝撃だ。意識が飛びそうになる。


 ()れ上がったまぶたの下で様子を窺うと、リセルにもう一度、刃が向けられるところだった。


 だめだ。このままでは。リセルが。


「やめ……ろ……」


 口の中は鉄の味で満ちていた。口端から(したた)る血が赤い絨毯に吸い込まれていく。


 首輪の後ろへ手を伸ばした。鎖を握る。無骨で分厚い鉄の塊が、腫れた身体とは反対に冷たい感触を返す。とても断ち切れそうにない。


 兵士たちが色めき立つ。だが関係ない。リセルだけは無事に返さなければならない。


 彼女には帰る場所がある。


 だがリセルに向けられる刃はいままさに――


「やめろ……!」


 ぱん、と空気が破裂する音が響く。イザナの上半身が床に投げ出される。


 一瞬、リセルの心臓を貫かれたのかと疑った。


 だが違う。その場の兵士たちさえ動きが止まっている。


 倒れ込んだイザナの側に、鎖が力なく寝そべっていた。首輪の鎖だ。一部が割れて脱落している。短くなったその先は、ぼろぼろに錆びていた。


「これは、一体……」


 ドミティウスは槍を放り、兵士から千切れた鎖をひったくって、割れた箇所を確認している。


「……貴様」


 こちらを睨みつけてくる。


「貴様、まだ力を隠しているのか」


 憎悪を向けられても、イザナすら検討のつかない現象だ。答えようがない。


「もうよい。傷はついた」


 マルクスがうんざりしたように声を発した。予定が滞っていることの方が、彼にとっては耐え難いのかも

しれない。


「アントニウス。その傷、治してみよ」


 アンテルスを縛っていた縄が解かれる。両側をグラディウスを抜いた兵士が挟んで警戒しているが、彼は無闇に反抗することはせず、静かにリセルに近づいた。


 リセルの肩口に手をかざし、静かに祝詞を唱える。


 青白い燐光が浮かぶ。光はリセルの患部を覆っていく。


「お、おおぉ……」


 マルクスはそのやりとりを見て、椅子から腰を浮かし、熱に浮かされたように壇上から降りてくる。


「陛下」


 たまらずドミティウスが飛び出し、マルクスの側につく。イザナたちを警戒してのことだろう。だがマルクスの視野は一点に絞られている。アンテルスの治癒(ちゆ)の光に魅了されていた。


「本物だ……本物の聖人だ。『フォルトゥナの恩恵』は、実在したのか」


 完全に傷口が塞がると、再びアンテルスは両手を縄で縛られた。


 マルクスが満足気に告げる。


「アントニウスといったな。私に協力してもらうぞ」


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