第19話『砕かれる右腕』
人の背丈ほどもある巨大な鎌が、風車のように回る。
「この鎌の錆になりたい者だけかかってきなさい」
ぴたりと止めて、イザナは鎌の刃を兵士たちに突きつけた。
さきほどまでイザナたちを囲っていた彼らは半円に広がり、じりじりと間合いを詰めてくる。
短い目配せが交わされ、六人が同時に殺到してきた。
一斉に繰り出される槍の切っ先。
迎え撃つように、イザナはネクロスの鎌を左から右へと薙いだ。意図せず大きく膨らんだ軌跡は、黒く、美しい三日月の残像を引いた。
稲穂を刈るような、わずかな重みが手に返ってくる。
宙に飛ぶ六つの槍頭。
それらは乾いた音を立てて、地に落ちた。
鎌を振るったイザナ自身、驚いていた。複数の槍を一度に破壊する膂力など持ち合わせていない。
加えて、手元の狂いによる滑らかな軌道はまるで鎌が扱い方を示したかのようだ。
『なっ……』
イザナ以上に驚愕していたのは兵士たちだった。
彼らは踏み込んでいたはずの足を止めた。ただの棒切れと化した得物を、信じられない思いで見つめている。
出鼻をくじかれ動揺するその隙を、アンテルスは見逃さない。
彼はグラディウスの腹を使って、兵士たちの後頭部を次々に打ち据えていく。まるで棍棒のような使い方だ。だが、鮮やかな手並みだった。
あっさりと六人が倒れ、司祭の形相が変わる。
「な、なんと……」
余裕たっぷりだった笑みが消え、しわがれた口を震わせている。
少しばかり胸の空く思いだった。お互いが敵の強さを知り、機を窺うような睨み合いになる。
アンテルスの方はそれどころではないらしく、膝を折り、ぜえぜえと肩で息を整えている。
まだ本調子ではないだろうに、彼は興味深そうにネクロスの鎌を見上げた。
「すごい鎌だな。いや、腕前がいいのか。それに豪快だ」
彼の口ぶりに、イザナはわずかな引っ掛かりを覚えた。
「あなたの方がネクロスの鎌に詳しいでしょう。こんな切れ味なら、さっさと教えなさいよ」
「誰が詳しいって? 知るわけないだろ、俺は封印された側なんだぜ?」
「……なんですって」
アンテルスがネクロスの鎌について知らないというのは意外だった。彼からかつての死神の存在を教えられたときには、自然とその彼女の所有物なのだと思いこんでいた。
このことが何を示すのか、深く考察する猶予はなかった。
「な、なにをしとる! 全員でかからんか!」
唾を飛ばす勢いで司祭がまくしたてる。彼の後方に控えていた兵士たちは様子見をやめ、押し寄せてくる。
ここからが本番だ。
この広場は複数人が切り結んでも問題ない程度の空間がある。そのため洞窟や森の中のように、少数が勝ちを得られるような地の利はない。
リセルたちを逃がすことができたいま、イザナとアンテルスも退くべきだったが、相手はそれを許してくれそうにはなかった。
一部の兵士たちが素早く散開し、建物の合間を埋めるように配置についたのだ。逃走経路は静かに塞がれた。
舌打ちする。
残りの兵士たちは円形に大きく二人を取り囲んでいく。さきほどと違うのは敵も本気だということだ。
その証拠に、彼らの様相が変わる。
「盾だったのね」
イザナが気にしていた大きな合板の答えだった。人が丸ごと隠れるほどの大盾だ。赤い塗装が施され、威圧的に存在を主張している。
兵士たちはその大盾を構え、びっしりと並ぶ。呼吸を合わせて固まる彼らは、一体の生き物のようだ。盾の影から槍の切っ先を覗かせ、じりじりとイザナとアンテルスに迫ってくる。
「まあ、こうなるよな」
アンテルスが他人事のようにぼやいた。土気色だった横顔に生気が戻ってきている。不死による回復力のおかげだろう。
「どうするかね」
「ちょっと、呑気に構えている場合じゃないでしょう」
「そのとおり。連中が突っ込んでくる前に仕掛けるしか無い」
わずかに姿勢を低くして、アンテルスはグラディウスを自身の反対側に据える。
「君の助けがいる。頼んだ」
言うなり、司祭がいる方向へと駆け出していく。
「また勝手に……!」
イザナも後を追う。
突進の勢いそのままにアンテルスが剣を振るう。
どん、と鈍い衝突。
どっしりと構えた敵の盾は硬かった。簡単に弾かれ、押されるようにしてアンテルスがたたらを踏む。
致命的な隙だ。相手の兵士は流れるように槍を突き出す。
その周辺にいた兵士たちも連動して仕留めにかかろうと穂先を引く。バランスを崩した相手は格好の的だろう。
通常なら、兵士たちの勝ちは決まっていた。
だが、今回は事情が違う。
アンテルスの影から飛び出し、イザナはネクロスの鎌を一閃させた。
槍、盾の別なく、横一文字に真っ二つになる。木箱が割れるようなけたたましい音が響いた。
愕然とする兵士たちに、今度は体勢を立て直したアンテルスが斬りかかる。
一人、二人と敵兵は次々に呻きをあげて昏倒する。出血はない。アンテルスはやはり剣を鈍器のように扱っていたが、兵士たちの破損した槍や盾では応戦も叶わない。武器を持ち替える間を彼は逃さなかった。
もしそのわずかな隙をあえて狙っていたとするなら、よほど戦いを熟知していることになる。一体、聖人アンテルスとは何者だったのか。
兵士たちは包囲の穴を埋めるように左右から押し迫ってくる。だが、イザナとアンテルスの方が一歩速い。イザナが相手の武器破壊を、アンテルスが兵士の無力化をこなし、包囲の外へ抜ける。
「な、なにをしておる……!」
後ろに控えていた司祭まであと数歩。
相手は老人だ。加えて乱闘の場に慣れていない。動揺も手伝って、逃げる動作もやけに緩慢だった。
(届く……!)
イザナは肩越しに振り返る司祭の横顔を捉えた。恐怖に歪んでいる。その首に弧を描いた刃が伸びる。
次の瞬間、司祭の首がもぎ取るように胴体から離れる――はずだった。
「あ……っ」
右足から力が抜ける。つんのめるようにして、イザナは転倒した。
胸部をしたたかに打ち付ける。勝手に空気が絞り出された。肺を鷲掴みにされたかのようだ。呼吸が浅い。
太腿に局所的な熱を感じた。見ると、腿裏からまっすぐな枝が生えていた。
これは、矢だ。
ひゅっ、と空気を裂く音。今度はイザナの頬をかすめて、剥き出しの地面に突き立った。それだけでは終わらない。二つ、三つ、と矢が飛来してくる。
まずい。
奥歯を思い切り噛み締めて、ふとももの矢を引き抜く。肉が抉れ、口元が引き攣る。
ネクロスの鎌を支えに、イザナはどうにか立ち上がる。右足を引きずって、後ろを振り返った。
斜線を追う。建物の高い位置に二人。屋内の窓に一人。
弓がしっかりと引き絞られていく。
「イザナ!」
アンテルスの叫びとほぼ同時に追加の矢が来る。鎌を振り、なんとか弾く。
しかし今度は抜き去ったはずの兵士たちが近付いてきていた。大盾を構え、鈴なりになって向かってくる。
不死による再生は始まっていた。だが右足の感覚はまだ鈍い。回復を待っていては好機を失う。
「あなたは先に逃げなさい」
「そういうわけには」
少し先で立ち止まっていたアンテルスが、戻って来る気配があった。
「早くしなさい!」
イザナは叫んで、彼を拒んだ。
押し問答をしている場合ではない。負傷していないアンテルスだけでも、この場は逃げるべきだ。
「リセルたちを頼むわ」
短い二人のやりとりに、割って入ってくる声があった。
「その心配はいらん」
腹に響く聞き覚えのある重低音。
この声の主は――
「ドミティウス……」
盾の集団の中から、大柄な男が現れる。市場で遭遇した、あの近衛隊長だ。
空気の色が変わった気がした。
掘りの深い顔立ち。トサカのついた兜、金色の甲冑、高級そうな赤いマントに身を包んでいる。
眼窩の奥で、無感情な瞳がこちらを見下ろしていた。
彼の隣には、逃げたはずのリセルが引っ立てられていた。
「リセル!」
「ごめんなさい……」
後手に縛られた彼女は背中を乱暴に小突かれ、地面に転がされた。小さな呻きが上がる。
「どうする。逃げるか? 逃げてもいいが……」
リセルの細い首をかすめるように、剣が突き立つ。グラディウスよりも長く、鋭い。その刃が、警告のようにぎらりと反射した。これでは下手に動けない。
ドミティウスの視線がイザナを越え、奥のアンテルスに移った。
「やはり一般人ではなかったか。アントニウス」
ほんの少しだけ、ドミティウスは口の端を曲げた。
一方、アンテルスは興味なさげに肩を竦める。
「あなたの国の兵士は、只者でしたけどね」
「……ふん」
アンテルスの挑発を鼻で笑って流すと、今度は司祭に水を向ける。
「随分勝手をやらかしたものですな、司祭殿」
イザナが殺し損ねた司祭は、地べたにへたり込んでいた。腰を抜かしたのだろう。頭を覆っていた白布もずれている。いまだに肩で息をしていた。
「か、勝手? な、何を言うか。これは陛下の命だ」
「陛下の命は私も受けています。今回の件、兵を動かすにあたっては私に一言あるべきでしたな。私が来なければ、化け物はおろか、ネズミも捕まえられなかったのではないですか?」
ドミティウスは突き立てた剣を抜き取った。
弓兵の配置も、リセルを捕らえられたのも、彼が司祭たちとは時間差で動いたためだったのだろう。最初から弓兵が配置されていれば、もっと効果的に矢を食らっていたはずだ。
「功を焦りましたな。奉献式に呼ばれなかったのがよっぽど悔しかったとみえる」
「何を言う……」
図星なのか、司祭の返事には力がない。
「まあ良いでしょう。こうして目的も達しました」
ドミティウスは後ろに控える兵士たちに目配せをする。その合図を受けて、兵士たち数名が駆け寄ってきた。
いよいよ逃げ道がない。
イザナは最後の抵抗に、その兵士たちを睨んだ。ネクロスの鎌を構えると、相手はびくりと背を震わせてその場に釘付けになる。
「ああ、そうか。貴様の脅威は右腕だったな」
ドミティウスが悠然と歩いてくる。
仕掛けてくるだろう。だが、ドミティウスはこの鎌の威力を知らない。この男を倒せれば、まだ道は開ける。
ドミティウスが短く息を吸い込んだ。
風が吹き抜ける。
「あ……」
ネクロスの鎌が音を立てて地面に落ちる。
それと同じくして、高く打ち上がる物体があった。
腕だ。
気づいたときには、イザナは腹の奥から叫んでいた。
「あああぁぁあああ!」
痛みが脳天に突き抜ける。左腕で患部を抑えてもまったく収まらない。手のひらに返ってくるぬちゃりとした感触。右の肩から先がない。
堪らず地面にうずくまり、虫のように足でもがいた。
「いやああああ!」
リセルの甲高い悲鳴が鼓膜をつんざく。
続いて剣戟の衝突。アンテルスか。複数の足音も重なる。
それ以上は何が起きているのか分からない。イザナは額を必死に地面にこすりつけていた。全身を燃やすような痛みに身を捩らせる。よだれを垂らし、喘ぐだけで精一杯だった。
やがて、喧騒が消える。
荒い呼吸を繰り返し、イザナは目の前に立つドミティウスを見上げた。
「……っ……殺して……やる」
ドミティウスは兵士に命令を下しているところだったが、イザナの怨嗟にしっかり気づいた。
「貴様では無理だ。いくつか情報は入っている。右腕さえ潰せば、害虫と変わらん」
命令を受けたらしい兵士が、視界の端でネクロスの鎌に近づいていく。
ごくりと喉を鳴らし、その兵士は震えながら手を伸ばした。最初はつつくようにしていたが、何度目かで指先でつまんだ。何も起きないと悟ると、重たげに持ち上げた。
「不死身らしいな。その右腕も再生するのか」
問われたがまともに答える気などない。
鮮烈だった痛みも、最初ほどではなくなっている。憎まれ口を叩くぐらいの余裕は出てきた。
「さあ……どうかしら。大の男が、女の右手が怖いのね」
ドミティウスはしばし黙考したが、首を振った。
「関係ないな。もう貴様は人に触れることなどできん」
地べたに這いずったまま首を巡らせると、両腕を荒縄で縛られたアンテルスが兵士たちに連れていかれるところだった。リセルもその後ろで同様の扱いを受けている。
すぐにイザナも拘束されることだろう。
「陛下のもとまで連行する。光栄なことだと思え」




