第23話『隠された伝承』
アンテルスと共にいた死神について、イザナは彼からその存在だけは聞き知っていた。
「聖人様の逸話は知っているだろう」
その言葉を受けて、リセルがちらりとこちらの様子を確認してくる。彼女の察しの通り、イザナはほとんどアンテルスの伝承を把握していない。
「噂程度よ。不死身だったのにネクロスの鎌で封印されたことだけ。それだけを聞いて、この国に足を運んだんだもの」
パルコダモスは首を捻ったのだろう。唸っている。
「まあ、どちらにしても同じか。世間で言われておるアンテルス様の話は、少しばかり端折られていてな……ざっとだが聖人アンテルス様の話を教えてやろう」
訥々と彼は語りだした。
「アンテルス様は、元は孤児だった。転機が訪れたのは彼が二十歳のときだ。敬虔な信者だった彼に突如フォルトゥナの恩恵が与えられた」
イザナはさっそく疑問を口にした。
「フォルトゥナの恩恵って何なの?」
「才能のことだ。それも飛び抜けた力で、突然に顕れる。ある者は岩を握りつぶす怪力、ある者は風よりも速い脚力を与えられたと聞く。共通しているのは、人として善く生きた者にだけ与えられるということだ。アンテルス様に宿ったのは、生命を司る力だった」
「不死と、癒しの力……」
「そうだ。彼はその力をどう役立てるべきか、様々に考えた」
戦時下にあった帝国の様子から、アンテルスは兵士に志願したのだという。死を恐れる必要のないアンテルスは、一般の兵士では厳しい作戦もこなし、着々と成果を上げ隊長格までのし上がったそうだ。
「そのまま将になることも夢ではなかったと思うが、アンテルス様は退役される」
「何かあったの?」
「出会ったのだ。死神と」
周りの空気が一段、重くなった気がした。
「何があったかまでは伝えられていないが、これ以降、アンテルス様はご自身がフォルトゥナの恩恵を受けたことを当代の皇帝陛下に伝え、神官となられる」
「……その死神が、アンテルスの人生を変えたわけ」
「そうだ。その死神がいなければアンテルス様は聖人ではなく、軍神となられていたかもしれんな」
パルコダモスは苦笑した。
「神官となったアンテルス様は、貧しい者にも富める者にも神の教えを説き、慈悲を与え続けた。彼の存在は帝国どころか、他国の人間にも知れ渡った。皇帝陛下の名前と同じくらいにな。どんな病さえも癒しの力で治してしまうのだから、病魔を抱えた者がはるばるやってくることが後を絶たなかった」
彼はそこで一区切り入れるように、ため息をつく。
「だがその活躍を良く思わない者もいる。彼が皇帝の座を狙っているという噂が当代の耳に入り、折り悪く、アンテルス様は奴隷たちの地位について疑問を投げたのだ」
「……反感を買ったのね」
「そうだ。その後は、リセルお嬢ちゃんたちも知っている結末だ」
リセルがこくりとうなずく。
「奴隷の方たちとともに、自由を訴えたのですよね。最初は味方をしてくれていた貴族様たちも、だんだんと離れていって、最後には……」
リセルは言葉を濁した。彼女ほど繊細なわけではないが、アンテルスの最後の光景を体験したイザナにとっても、あまり気楽に語りたい内容ではない。
「その話の中に、死神は一度しか出てきてないわね」
「ああ。だが、アンテルス様を聖人たらしめたのは死神だ。その存在がなければ、アンテルス様は聖人様として崇められることはなかっただろう。儂もお前さんが死神だと名乗り出るまでは、結果的にアンテルス様を処刑台に送った誰かを、そう揶揄しているのかもしれんと考えていたくらいだ」
「でも、あなたが言うような大した役割とは言えないわ。たしかにアンテルスの転機にはなったのでしょうけど」
たとえば皇帝の名前は代々、後の世にも残る。だが、彼を推薦した人物や支えた人物まで広く認知されることはあまりない。
リセルもこの意見に賛同しているのか、じっと耳を傾けている。
「問題はネクロスの鎌でな」
イザナの心臓がにわかに跳ねた。
「あれがどこから来たのか、わかっておらん」
「え……フォルトゥナ様が地上に遣わしたのではないのですか」
「世間的にはそうなっておるが……実は儂らの先祖が寓話として補完したことまでは記録が残っている」
「そんな……」
「そうなると、では誰が聖人様にネクロスの鎌を突き立てたのかがわからない。儂はこの死神が下手人ではないかと疑っておる」
わずかに震える指先を隠すように、イザナは服の裾を掴んだ。
「どうしてそう思うの」
「そう考えるのが自然なだけだ。あの鎌は人の手では触れられない。お前さんが言うことが本当なら、まさに死神でなければ引き抜くことができなかったわけだしな」
リセルは肩を強張らせた。
「でも、どうしてその話を今までしていただけなかったのですか。アンテルス様が兵士だったことも、死神さんと出会っていた話も、隠すようなことじゃないと思います」
どこかで水音が跳ね、牢にわずかな沈黙が訪れる。
パルコダモスは告げた。
「寓話で補完することを提案したのは、当時、アンテルス様が心を許していた者だったという。貴族ながら、最後までアンテルス様とともに行動していた人物だ」
「なによ急に」
イザナは首を傾げたが、隣ではリセルが息を止めて固まっている。
「それが誰か、わかるだろう。お嬢ちゃんなら」
「まさか」
「そうだ、お嬢ちゃんのご先祖様だ」
リセルは顎を引き、視線を地面に落としている。イザナはイザナで驚きがあったのだが、口を閉じていた。
「なぜネクロスの鎌について真実を伝えなかったのか、いまではわからん。だが、もしそれが死神に起因するものなら、その存在があまり知られていないことは想像がつく」
「……教えてください」
パルコダモスは沈黙する。だが辛抱強く待っていると、やがて観念したように息を吸い込む音がした。
「おそらくは、信仰が途絶えるからだ。死神が導き、死神によって聖人が殺されたとなれば、フォルトゥナ様の立場がない」
「死神の存在自体が、邪魔だったわけね」
牢の奥から返ってくる言葉はなかった。
一方で、リセルはまだ眉根を寄せて俯いている。何か声を掛けてやるべきかもしれないが、何も思い浮かばない。
その様子に気づいたリセルが、気遣わしげに薄く笑みを作った。
「ごめんなさい。ちょっと驚いてしまって……」
「信じていた歴史が違うことなんて、きっとよくある話よ」
人の伝聞で受け継がれた話に、尾ひれがつくことなど珍しくもない。結局、そういう事実を伝えることしかできなかった。
「いえ、それはそれで驚いたんですけど……それよりもご先祖様が、嘘をつくようなことをしたことが信じられなくて」
リセルはもぞもぞと服の内側に手を潜らせたあと、布に包まれた何かを取り出した。包みを取ると、中身は彼女が売り飛ばそうとしていた深緑の指輪だった。
驚くイザナに、リセルは悪戯っぽく控えめに舌を出した。
「逃げ出すときに、これだけは持ってきたんです。兵士の方たちに調べられたら、きっと奪われてしまうだろうから」
その指輪をリセルはじっと見つめる。遠い過去にいた先祖の気持ちを推し量ろうとしているのだろうか。
アンテルスはこの指輪を売ることに反対していたが、合理的な判断ばかりが理由ではなかったのかもしれない。
それからは会話が途絶え、ときおり兵士たちが見回りにくる足音が響いた。
寒い地下牢の中でリセルと身を寄せ合っていると、お互いの体温がより感じられる。疲れもあっただろう。壁に背を預けたまま、二人は眠りについた。




