31 お月様は見逃してくれる
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ミノルさん……。
今から四十年以上前に、去年の俺みたいに迷いの洞窟で発見された、魔力を持たない小さい人である。
前の世界からこちらの世界に落ちてきた大先輩であり、たった一人でこちらの世界でのコーヒーの栽培方法を確立させた凄い人だ。
俺の場合は、幸運にも獣人さんと会話が成立したので、割と早いうちからかなり込み入った意思の疎通も図れたし、先人が築いたコーヒーを手掛かりに居場所も仕事もすぐに整った。
でもミノルさんは、四十年前じゃ転生物ラノベなんて一般的じゃなかっただろうし、予備知識ゼロに加えて何といっても言葉が全く通じなかったらしい。
コミュニケーション方法としては、身振り手振りに加えて、彼が喋るだけで全く通じない恐らく日本語と、片言のこちらの人語のみ。
それでもミノルさんはいつもニコニコしていて、明るく元気で楽しい人だという印象しかない、とギルマスは言う。
ミノルさんは、保護された後はギルマスのお父さんである名物講師のサイラスさんのところで下宿していたそうで、当時十歳だったギルマスもその頃のことをよく覚えているそうだ。
サイラスさんと一緒に行動している途中でミノルさんがコーヒーを発見したのがその二年後で、ギルマスが成人して冒険者になり実家を出た十五歳の頃には、ミノルさんは、ラプア農園の隣に自分で建てた小屋に半ば移り住み、コーヒーの栽培法を試行錯誤していたらしい。
時は流れて今から二十年前、ギルマスが副ギルマスになったばかりだった頃に、ミノルさんは亡くなったそうだ。
季節の変わり目に風邪をこじらせたかと思ったら、あっという間に容態が急変して、不帰の客となった。
臨終の場にギルマスも居合わせたそうで、その時先の言葉を直接自分の耳で聞いた、と言うことらしい。
◇ ◇ ◇
『「オカアサン」ですか……、それ、お母さん、っていう意味です』
『ああ、やっぱりねぇ。ミノルさんの話す言葉は全く分からなかったけど、何となくそんな気がしていたよ』
最後のワインをちびりと舐めながら、ギルマスは続ける。
『ミノルさんは、いつも陽気で楽しそうにしていたけど、本当は寂しくてやっぱり帰りたかったのかなって。勿論帰してあげることは私たちには不可能だけど、代わりに何か出来ることが、まだあったんじゃないかって、いまだに思うんだ』
なるほど、何となく俺に対する扱いが時々過保護にも感じるのは、ミノルさんの時の後悔があったのか、と腑に落ちた。
『あー、少なくとも俺の場合は、お母さん……とは言わないでしょうね』
しんみりとした雰囲気を醸し出すギルマスに、わざと冗談めかした口調で言ってみたら、きょとんとした目で顔をあげた。
『うちの両親には、大学卒業までは出すけどそこから先は自分でやって、大した遺産は残せない代わりに老後の面倒は一切かけないから、って宣言されてましたから』
◇ ◇ ◇
忘れもしない、二つ下の弟が中学校に入った時、二つ上の姉と三人並ばされて、その話を聞かされたのだ。
求められれば助言はするが、就職も結婚も干渉しない代わりに援助もしない、実家は借家だし継ぐような墓も家業もないから、自分で考えて自由にしなさい、と。
なんて言うと冷たい人たちのように聞こえるかもしれないが、むしろ逆だ。
実家にいた頃、特に小学生までは、それこそ愛情こまやかに手をかけて育ててもらった記憶しかない。
母方の祖母という人が苛烈な嫁いびりで物凄く苦労したらしく、その間違いだけは絶対に繰り返してはならないと、夫婦で考えた末の事だったようだ。
というわけで、実家や親は大卒とともに卒業するものだと思っていたし、実際俺はそうしてきた。
勿論、血縁がなくなるわけではないし、いざという時はフォローするだけの覚悟は常にしていた……けれど、まあ、今はコッチに来ちゃってますからね。
◇ ◇ ◇
『それじゃあ、お母さんは、まあ置いとくとして、他に心残りはないのかい? 残してきた人とか、やり残したこととか……』
『大丈夫です! 彼女なんていませんでしたから!』
爽やかな笑顔でサムズアップして見せたら、ギルマスに大爆笑された。
ワインはもう無くなったので、焚火の熾火に五徳を乗せ、小鍋で湯を沸かして酔い覚まし用にとハーブティーを煮出す。
ちょっとこれ洗ってきますね、と言って明るいうちに摘んでおいたベリーとカンテラを持って水場に走る。
冷たい湧水を浴びて瑞々しさを取り戻したベリーの赤が、月明かりの下で艶めかしく輝いた。
『心残りかぁー……あっ、プリン!』
『えっ? プリン? それは何だい?』
ぼんやり考えながら半分こしたベリーをギルマスに手渡したら、思い出した弾みについ口から出てしまった。
そう言えばあの、駅の階段で転倒してこちらの世界に転移した日の前の日に、コンビニで買って帰って食べそびれたプリンが、確か冷蔵庫に入っていたはずだ。
期間限定なのになかなか買えず、あの夜一つだけあったのをやっとゲット出来た、濃厚玉子が香る極上プルうまカスタードプリン。
物凄く楽しみにしていたけど、その夜は飲んだ帰りで腹いっぱいだったため、朝食代わりに食べるつもりだったのに、寝坊してしまい何も食べずに出てきたんだった。
こんな事になるなら遅刻しても食べておけばよかったなぁ、勿体ないことをした。
でも、やっと思い出した唯一の心残りがプリンって……。
そう考えたら、ギルマスに説明しながら段々おかしくなってきて、話し終わると同時に二人で大笑いしてしまった。
『その、プリンっていうのは、リョウ君は作ることは出来ないのかな? ギルドのコーヒーのお店で提供してみたらどうだろう?』
『いやー、作ることは出来ますけど、あそこで出すにはちょっと難しいかもしれません。それよりも、ラプア農園の宴会の時に作ったシオムスビ、あれをちょっとアレンジして、店で出せないかなと考えていたんですけど、どう思われます?』
どうやら美味いもの談議で話の流れを変えることが出来たようでホッとする。
ニコニコしながら真っ赤なベリーを一粒ずつ口に運ぶおっさんが、心底可愛いなぁと思ったのは内緒だ。
◇ ◇ ◇
デザートも終わったので、ざっと食事の片づけをして休むことにした。
明日はいよいよウムネスのギルドに帰る日である。
ギルマスのシュラフからは、横になると間も無くすうすうと軽やかな寝息が聞こえてきた。
色々と胸につかえていたことを吐き出したからか、早くも安らかな夢の中にいるらしい。
何となく目が冴えてしまった俺は、ギルマスを起こさないように静かに天幕から滑り出ると、カンテラを持ってトイレに向かう。
湧き水で手を洗って口を漱ぎ、戻ってきたところで、レンニに小声で話しかけられた。
「ねむれないの?」
「ああ、起こしちゃったか。ごめんね」
「ううん。あのね、さびしいの? かなしいの?」
さすが動物は鋭いなぁ、と思った。
確かに今日は、昔のことをたくさん思い出し過ぎて、頭の中がちょっとぐちゃぐちゃしていたかもしれない。
普段は殆ど忘れていて平気なんだけどね。
「どうなんだろう、よく分からないや」
「おとこのこは、おてんとうさまのまえでは、めそめそしちゃだめなんだよ、ってぱぱがいってたよ」
「うん……そうだよね」
「でもね」
そう言ってレンニは、大きな顔をずいっと俺に摺り寄せてきた。
「あしたおてんとうさまのまえでわらうために、こんやこっそりないておくぶんには、おつきさまはみのがしてくれるんだって。いつもぱぱがいってたよ」
ギルマスはレンニと二人で旅をしながら、そんな夜を何度も過ごしたのだろうか。
「そうか……ありがとうな、レンニ」
俺はレンニの鼻筋を撫で、静かに天幕へと戻る。
ふと見上げた月が滲んで見えたのは、焚火の煙が目に染みたからに違いない。
次回は、2022年5月6日金曜日18時頃の公開を予定しています。




