29 魔法も魔力もない世界
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洞窟を出たギルマスと俺は、明るいうちに余裕を持ってとキャンプサイトの設営に取り掛かる。
昨日に続いての二回目なので、もう慣れたものだ。
レンニは馬車を外して貰って、しばしのお散歩タイムである。
他のひとが来たら戻ってくるんだよーと送り出されて、スキップでもするように軽やかな足取りで小川の方に駆けていった。
『すぐ近くに甘い実のなるベリーの木があるから行ってみようか』
天幕とタープを張り、道具を並べたところで、夕食の準備にはまだ少し早いため、ギルマスのガイド付きで近くの森を軽く散策することになった。
この辺りはギルマスも頻繁に来ているようで、まあ庭みたいなものだね、と得意げである。
レンニを呼び戻して、人参を報酬に荷物の番を頼んだら出発だ。
ギルマスの先導で、広場から繋がっている踏み分け道の一つから森に入る。
あそこに鳥の巣があるよ、とか、この木の実は雪が降る直前くらいが食べ頃なんだ、とか、その草はかぶれるかもしれないから遠回りしよう、などなど分かりやすく解説してくれる。
元冒険者にとってはほんのお散歩レベルで、日常の延長に過ぎないかも知れないが、俺にとっては十分に探検気分でワクワクが止まらない。
心底楽しそうなギルマスにオーバーラップして、学生時代にアルバイトしていた店のマスターの人好きのする笑顔が、一瞬見えたような気がした。
十五分ほど歩いて、甘酸っぱい香りが漂ってきたなぁと思ったら、目的の木が見えてきた。
日当たりの良い緩やかな斜面に俺の腰くらいの低木が数本散らばっていて、濃い緑の葉を押し退けるように色濃く熟したベリーがたくさん実っている。
『夕食後のデザートにしよう、棘があるから気を付けてね』
他のひとや野生動物も食べに来るので、取り過ぎないように、丁度食べ頃に熟したものを選んで、カフェオレボウルに一杯ほど摘ませていただいた。
今夜のメニューは、レアさんが持たせてくれた塩豚を使ったスープである。
今夜は俺が作りますよと言ったら、ギルマスは慣れた手つきで焚火だけ作ってから、ちょっと行ってくるねーと剣を持って森に入って行った。
俺は焚火に鍋をかけ、湯が沸いたらゴロゴロと大きめに切った塩豚を投入する。
レアさんご自慢のハーブソルトで漬け込んであるもので、今日が丁度食べ頃に熟成しているそうである。
全体に火が通ったところで、皮を剥いて洗っただけの丸ごとの人参、玉ねぎ、ジャガイモと、丸のまま洗って芯ごと四つ割りにした小ぶりのキャベツを追加投入し、あとはじっくり弱火でコトコト煮込むだけ。
好みに合わせて塩やマスタードに似たペーストを適宜添えて食べる、いわゆるポトフのようなスープだ。
ちなみに食べきれなかった分は、明日の朝残った具材を粗くほぐして温め、熟したトマトと押し麦を加えて、ミネストローネのような具沢山スープにリメイクする予定である。
全てを放り込んでしまえば、後は火加減を見ながらひたすら待つだけの簡単なお仕事をしていると、ギルマスがヤブウサギを一羽仕留めて戻ってきた。
『少し癖があるけど結構イケルよ、いいミックススパイスを持って来ているから串焼きにして食べよう。ちょっと捌いてくるねー』
串やらボウルやらの道具を持って、鼻歌交じりで水場の方へ歩いて行った。
相変わらずフットワークの軽い方だ。
冒険者はかなり前に引退していると聞いたが、この程度なら朝飯前といったところか、まあ、作っているのは夜ごはんなわけだけれども。
◇ ◇ ◇
塩豚ポトフは大成功で、ホロホロに煮込まれた塩豚の脂身の甘さがたまらない逸品となった。
濃厚なスープをたっぷり吸った野菜もまさに旨味の塊で、ギルマス持参のどっしり重い赤ワインにも決して負けていない。
これは明日朝いただく予定のミネストローネにも大きな期待が出来そうである。
そして、ギルマスが狩ってきて作ってくれたヤブウサギの串焼きも、今まで食べたどの肉とも似ていない滋味深い味わいがあり、たっぷり効かせたスパイスとの相性も良く、これまた重い赤ワインがグイグイ進む絶品だった。
いつしか日は落ち辺りはとっぷり宵闇に包まれた頃、ひとしきり食べてお腹も落ち着いた俺とギルマスは、焚火の火を眺めつつ、ヤブウサギの串焼きを肴に最後の赤ワインの栓を抜いた。
ふと会話が途切れたので、俺はズボンのポケットから、例のペットボトルのキャップを出してギルマスに見せる。
『これは……初めて見るものだねぇ……』
大きな手のひらに小さな白く丸いものを乗せ、面白そうに眺めている。
『これは「プラスチック」という割とありふれた素材で、原料は「石油」というものなんです』
俺の元居た世界には、魔法も魔力もなく、かわりに「電気」と「石油」があった……と頑張って説明したけど、俺のこの世界の人語力で、どこまで理解してもらえたかはちと怪しい。
それでもギルマスは俺の話に興味深げに耳を傾け、時折質問を挟んだりして、彼なりに理解しようとしてくれたようだ。
『君の元居た世界は、とても進んだ文明を持っていたんだねぇ』
しみじみそう言いながら、ギルマスは俺にキャップを手渡す。
『ある面では確かにそうかもしれません。でも、どちらの方が優れているかとなると、一概には言えないんじゃないかと思います』
あの世界は、便利と引き換えにたくさんのものを失ったように、俺には思える。
元からあるもの……自然とか環境とかと折り合いをつけて付き合っていくやり方に関しては、こちらの世界の方が上手くやれているように、俺は感じる。
じゃあ、どこまでならやってよかったのか、どこからがやり過ぎだったのか……なんて、俺のちっぽけな脳みそで考えても到底答えなど出るはずのないことをぼんやり考えながら、キャップをズボンのポケットに仕舞った。
その仕草が、思いの外大切なものを扱うように見えたのだろうか、ギルマスは少し思いつめた表情で、唐突にこんなことを言い出した。
『……リョウ君……帰りたいかい?』
こういう転生とか転移とかは、元の世界に戻ることはできないものだとはなから思い込んでいたし、誰かにもそう言われたような気がして、俺はかなり早いうちから元の世界に戻ることなど考えなくなっていた。
まあ、日々の暮らしに精いっぱいだった、という説もある。
でも、もしかしたら何らかの手段があって、実はギルマスはそれを知っているのだろうか。
『えっ? 帰れるんですか?』
軽くびっくりして思わず質問で返してしまった俺からぎこちなく目を伏せ、ギルマスは答えた。
『いや……その……すまない。申し訳ない』
深刻な顔でうなだれるギルマスに、俺は慌てた。
『嫌だなぁもうギルマスのせいじゃないじゃないですか! 謝るなんて変ですよ』
努めて明るく言ったつもりだけど、ギルマスの表情は硬い。
『いやそれにしても、我が国の犯罪者のせいで……申し訳ない』
『お願いです頭を上げてください! そのことに関しては本当に俺、何とも思っていませんから! それに俺、今の暮らし、結構気に入ってるんですよ? 今日だって物凄く楽しかったし』
そう言うとやっとギルマスは顔を上げた。
『ホントに?』
『ホントですよーもう! ギルマスは楽しくなかったんですか?』
『いや、私もとても楽しかったよ』
『じゃあ、それでいいじゃないですか』
まだ不安そうな表情で背中を丸めているギルマスのコップにワインを注ぎ足す。
ついでに自分もおかわりを貰って座り直し、問わず語りを始めた。
『俺、十八歳で上の学校に行くために、国で一番大きな街に田舎から出てきて、そのまま就職したんですけど、子供の時から一番仲の良かった親友と言ってもいいやつが一人、田舎にいたんです』
次回は、2022年4月22日金曜日18時頃の公開を予定しています。




